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11章 身を隠す
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ジランチェニシスの屋敷の前を発ったのは正午近くだった。清風の丘を下り、警備隊の詰め所を避けてもう一つ丘を越える頃に
「お腹が空いた」
クルテがピエッチェを見上げた。
「朝食をしっかり食べないからだ」
「肉ばっか、あんなに食べられない――お菓子、買って」
見ると、道沿いに菓子屋がある。が、すぐ先にはパン屋の看板も見えている。
「あそこにパン屋もあるぞ。パンのほうがいいんじゃないか?」
菓子ではまたすぐに空腹になりそうだ。ところが、
「ヤだ! アップルパイがいい」
クルテは言うことを聞きそうもない。と、菓子屋の看板を見てピエッチェが納得する。ここはスレイム通り、菓子屋の名は『キューテマ』だ。
手土産を求めて利用したことがある。ギュームには渡せなかったがチーズケーキとドライフルーツを練り込んだケーキ、シャーレジアにはキャラメルクッキーだった。店主の母親が店番をしていて『スレイム通りのキューテマと言えばアップルパイ。行列ができる』と自慢してたっけ。
「仕方のないヤツだ」
しぶしぶを装って、リュネを道端に寄せる。内心はニヤニヤしているピエッチェだ。コイツ、評判のアップルパイを食ってみたいんだ。
サッと御者台を降りたクルテはキャビンの出入り口のドアを叩いてそのままキューテマに入って行った。降りてきたのはカッチーだ。大急ぎでクルテのあとを追った。
例によって買った物をカッチーに持たせて戻って来たクルテ、嬉しそうに御者席に乗り込むとカッチーから箱と袋を受け取った。買ってきたのはアップルパイだけではないようだ。カッチーはもう一つずつ箱と袋を持っていたがそちらはクルテに渡した物より大きく、そのままキャビンに持って行った。キャビンは四人、偽カテロヘブを数に入れなければ三人だ。
「随分と買い込んできたな」
「袋に入ってるのはクッキー。それとサービスのキャンデー」
「クッキー? まさかキャラメルクッキーじゃないよな? あれ、匂いがきつかったからキャビンで食うと酔いそうだぞ。で、箱は? アップルパイだけじゃなさそうだけど?」
「クッキーはジンジャーとジャム乗せ、キャラメルクッキーは甘すぎるからヤめ。ケーキはチーズケーキとドライフルーツを練り込んだケーキ。ギュームは貰ってくれなかったけど美味しかったから。アップルパイ以外は明日まで大丈夫だって――キャンデーはなんだろう? 色とりどり」
席に落ち着くとすぐにクルテが箱を開けた。手綱を取りながら覗き込むとアップルパイはホールを切り分けたものではなく、フィリングをパイ生地で包み込んだタイプのものだ。これなら馬車に揺られていても食べられる。クルテがパイを口に運ぶのを見てから、リュネをゆっくり歩かせ始めた。
「食べないの?」
「ながら食いはしたことがない」
「お育ちのいいことで」
んー、まぁ、育ちはいいはずだぞ? なにしろこれでも元々は『王子さま』だ。ピエッチェが苦笑する。
「キューテマのママに、息子の嫁に来いって言われなかったか?」
「ママは居なかったよ。腰を痛めてお休み中」
「それじゃあ店番は息子か? どんなヤツだった?」
「店番は店主の彼女だった。ママに結婚を反対されてるっぽいね。で、ママが店に出て来れないのをいいことに二人で仲良く店を切り盛り」
「なんだよ、そんな相手がいるのに嫁探し?」
「店主より彼女が年上。ママはそれが気に入らない」
「本人同士の問題なのになぁ」
「家族はどうでもいい?」
「どうでもいいとは言わないけどさ。本人が望む相手と一緒にならなきゃ、結局は巧く行かないと思うぞ」
「そっか。覚えとく」
なんのために? と思ったが、訊かずにいた。どうせこいつは忘れっぽい、夕方にはきっと忘れてる。
デレドケに一泊するものの、今回はシャーレジアには会いに行かないことにしていた。クルテが『会いたくない』と言ったからだ。行くたび寄ってたらキリがないとマデルとカッチーの前では言っていたが、実のところペンダントが面白くないらしい。ネックレスになろうとしたクルテの邪魔をしたペンダントだ。
ジランチェニシスとジョインズの店で食事をした夜、寝室で『いやなら外す』と言うピエッチェに、
「それはダメ、つけとけ」
とクルテは言った。
「シャーレジアが祝福の代わりに森の女神に貰ったものだ。ヤツは女神がくれたとは知らないけどね」
「なんでシャーレジアは女神からだって知らないんだ?」
「女神はそう簡単に人間の前には姿を現さない。だけど爺さんを祝福したかった。だからあのペンダントを足元に投げた」
女神自らが祝福したいだなんて、シャーレジアはどんな事をしたんだろう?
「なにしろ、カティを守るからつけといていい。むしろつけとけ」
「でもさ、なんでおまえの邪魔をしたんだ?」
「わたしは女神と相性が悪い。好きじゃないんだ。女神に問題があるわけじゃない」
コゲゼリテでも似たようなことを言ってたな。子が親を疎ましく思う、そんな感じなんだろうか? どちらにしても感情は理屈や他者の意見でどうにかなるってもんじゃない。訊いても無駄だし、何を言っても無駄だ。
王都ララティスチャングは遠い。デレドケでは夕食以外は宿から出ず、翌日からの行程に備えることにした。
デレドケを出たらギュリンパを経由してカテール街道に入り、最初の街モリモステで宿を取ることにしている。マデルの話ではデレドケと同程度の街、宿は二・三軒あるからなんとかなるとのことだ。
クルテがアップルパイを堪能し終える頃にはギュリューを出、モフッサ街道に入った。つい先日、逆に辿ってセレンヂュゲに行ったばかりだし、なんだか何度もこの道を通っている気がする。が、そんな懐かしさ(?)を味わう余裕もなくリュネを走らせた。少しばかりのんびりし過ぎだ。センシリケの妻子より遅い到着はないが、下手をすれば『なぜ遅い?』と心配させてしまうかもしれない。
デレドケに着いたのは陽が沈んでからだった。以前と違って酔っ払いがフラフラしていることはなかった。が、街中だと言う事を考慮してリュネを歩かせる。
ゴルゾンたちに囲まれた角を曲がれば宿が見えた。すると中から出てくる男がいた。センシリケだ。
「お待ちしておりました!」
ピエッチェたちの到着を待ちかねて、何度も外の様子を見に出たらしい。
「夕食のご用意もできております。すぐ部屋にお運びします」
夕食は頼んでいない。
「心ばかりのお礼です。妻と娘が……」
そのあとは涙で言えなくなってしまった。
宿賃も要らないと言ったが、だったらグリュンパまで行くとピエッチェに拒まれ、
「ピエッチェさんは相変わらずですなぁ」
と苦笑いするセンシリケ、
「それでは宿賃はこちらになります」
と伝票を寄こした。随分と安い、と思ったが、これ以上の押し問答を避けたピエッチェだ。クルタが『ここは負けて、マケといて貰え』と言ってきたのもある。
部屋は三階、希望通りベッドは二つの寝室が四室ある部屋だった。入ると居間、次にダイニングがあり、その先にはドアが三つ、そのうち二つは寝室、もう一つにはちょっとした居間があって、続いて寝室が二つという作りだった。すべての寝室にバスルームもある。
偽カテロヘブは病人と言う事にして、宿の従業員に担架で運んで貰った。担架が来る前にキャビンの椅子に寝かせたことは言うまでもない。部屋に着くとすぐ、寝室のベッドに寝かせた。ダイニングから行ける寝室だ。医者を呼ぶか訊かれたが、王都の医者に診せに行く途中だと言って断った。
部屋を見渡してピエッチェが溜息を吐く。
「参ったな……センシリケのヤツ、きっと宿賃、半額にしてるぞ」
「もういいよ、朝食代込みで支払っちゃったんだから。蒸し返すな」
クルテに言われなくても、ピエッチェだってそんなつもりはない。
「それより気になることがある」
チラリとジランチェニシスを見てクルテが言った。
「気になるって?」
問うとクルテが少し笑んだ。
「あとで、二人きりになってから」
クルテの言葉に含みはない。なのにピエッチェの心臓が音を立てた。二人きり、なんていつものことなのに、なぜかすんなり流せない。今夜もバスルームで、しばし一人きりの時間を作ったほうがよさそうだ。
食事がダイニングに運び込まれると、センシリケが妻と娘を伴って挨拶に来た。
「本当に、感謝しても仕切れません。助け出してくださった上に、馬車で送り届けてくださるなんて……至れり尽くせりとはこのこと――」
放っておくといつまでも続きそうなセンシリケの感謝の言葉、
「本当に、ありがとうございます」
遮ったのはセンシリケの妻だ。
「お口に合うといいのですが、もし何かご不満があれば遠慮なく仰ってください。お酒もどんどん追加でお持ちします――では、わたくしどもはこれで。ごゆっくりお召し上がりください」
このままではいつまで経っても食事が始められないと、気を利かせてくれた。
センシリケの演説の間、ピエッチェはそれとなくジランチェニシスを見ていた。自分の仕出かしたことの犠牲者を目の当たりにして、どんな顔をするのだろう? が、まったく気にする様子はなかった。それどころがテーブルの料理を待ち遠しそうに眺めている。それに……
センシリケの妻と娘は、連れて行かれると同時に眠らされていたとも考えられる。だからジランチェニシスの顔を知らないかもしれない。でもセンシリケは?
センシリケは妻子を連れ去った魔法使いに、代わりの誰かを連れて来いと言われゴルゾンたちに命じて誘拐させていた。さらにその魔法使いから、触った山札が全部ダイヤの絵札になる魔法を手に掛けられた。そんな事をした魔法使いの顔を忘れるはずがない。が、センシリケはジランチェニシスを見てもなんの反応も示さない。
デレドケに泊まると決めた時、
「ジランチェニシスが一緒なんだぞ?」
ピエッチェは難色を示した。それに対しクルテは
「改心したって言えばいいよ、なんだったら謝罪させればいい」
気にしなかった。それどころか、
「ま、そんな事にはならないよ、きっと」
と笑った。クルテの言った通りと言うか、ピエッチェの予測に反してセンシリケはジランチェニシスをまったく気にしていない。初対面だと言う事か?
センシリケを脅した魔法使いがジランチェニシスでないのなら誰だ? 決まっている、ノホメだ。センシリケは魔法使いとは言ったが、男の魔法使いとは言っていない。ノホメであっても奇怪しくない。
そしてピエッチェがクルテを盗み見る。コイツ、まだ俺に言っていないことがたくさんあるんじゃないのか? いや、言い忘れたことか。訊けば答えてくれる。クルテを信じないで、誰を信じる?
クルテは『気になることがある』と言っていた。その話の時に訊けばいい――
「お腹が空いた」
クルテがピエッチェを見上げた。
「朝食をしっかり食べないからだ」
「肉ばっか、あんなに食べられない――お菓子、買って」
見ると、道沿いに菓子屋がある。が、すぐ先にはパン屋の看板も見えている。
「あそこにパン屋もあるぞ。パンのほうがいいんじゃないか?」
菓子ではまたすぐに空腹になりそうだ。ところが、
「ヤだ! アップルパイがいい」
クルテは言うことを聞きそうもない。と、菓子屋の看板を見てピエッチェが納得する。ここはスレイム通り、菓子屋の名は『キューテマ』だ。
手土産を求めて利用したことがある。ギュームには渡せなかったがチーズケーキとドライフルーツを練り込んだケーキ、シャーレジアにはキャラメルクッキーだった。店主の母親が店番をしていて『スレイム通りのキューテマと言えばアップルパイ。行列ができる』と自慢してたっけ。
「仕方のないヤツだ」
しぶしぶを装って、リュネを道端に寄せる。内心はニヤニヤしているピエッチェだ。コイツ、評判のアップルパイを食ってみたいんだ。
サッと御者台を降りたクルテはキャビンの出入り口のドアを叩いてそのままキューテマに入って行った。降りてきたのはカッチーだ。大急ぎでクルテのあとを追った。
例によって買った物をカッチーに持たせて戻って来たクルテ、嬉しそうに御者席に乗り込むとカッチーから箱と袋を受け取った。買ってきたのはアップルパイだけではないようだ。カッチーはもう一つずつ箱と袋を持っていたがそちらはクルテに渡した物より大きく、そのままキャビンに持って行った。キャビンは四人、偽カテロヘブを数に入れなければ三人だ。
「随分と買い込んできたな」
「袋に入ってるのはクッキー。それとサービスのキャンデー」
「クッキー? まさかキャラメルクッキーじゃないよな? あれ、匂いがきつかったからキャビンで食うと酔いそうだぞ。で、箱は? アップルパイだけじゃなさそうだけど?」
「クッキーはジンジャーとジャム乗せ、キャラメルクッキーは甘すぎるからヤめ。ケーキはチーズケーキとドライフルーツを練り込んだケーキ。ギュームは貰ってくれなかったけど美味しかったから。アップルパイ以外は明日まで大丈夫だって――キャンデーはなんだろう? 色とりどり」
席に落ち着くとすぐにクルテが箱を開けた。手綱を取りながら覗き込むとアップルパイはホールを切り分けたものではなく、フィリングをパイ生地で包み込んだタイプのものだ。これなら馬車に揺られていても食べられる。クルテがパイを口に運ぶのを見てから、リュネをゆっくり歩かせ始めた。
「食べないの?」
「ながら食いはしたことがない」
「お育ちのいいことで」
んー、まぁ、育ちはいいはずだぞ? なにしろこれでも元々は『王子さま』だ。ピエッチェが苦笑する。
「キューテマのママに、息子の嫁に来いって言われなかったか?」
「ママは居なかったよ。腰を痛めてお休み中」
「それじゃあ店番は息子か? どんなヤツだった?」
「店番は店主の彼女だった。ママに結婚を反対されてるっぽいね。で、ママが店に出て来れないのをいいことに二人で仲良く店を切り盛り」
「なんだよ、そんな相手がいるのに嫁探し?」
「店主より彼女が年上。ママはそれが気に入らない」
「本人同士の問題なのになぁ」
「家族はどうでもいい?」
「どうでもいいとは言わないけどさ。本人が望む相手と一緒にならなきゃ、結局は巧く行かないと思うぞ」
「そっか。覚えとく」
なんのために? と思ったが、訊かずにいた。どうせこいつは忘れっぽい、夕方にはきっと忘れてる。
デレドケに一泊するものの、今回はシャーレジアには会いに行かないことにしていた。クルテが『会いたくない』と言ったからだ。行くたび寄ってたらキリがないとマデルとカッチーの前では言っていたが、実のところペンダントが面白くないらしい。ネックレスになろうとしたクルテの邪魔をしたペンダントだ。
ジランチェニシスとジョインズの店で食事をした夜、寝室で『いやなら外す』と言うピエッチェに、
「それはダメ、つけとけ」
とクルテは言った。
「シャーレジアが祝福の代わりに森の女神に貰ったものだ。ヤツは女神がくれたとは知らないけどね」
「なんでシャーレジアは女神からだって知らないんだ?」
「女神はそう簡単に人間の前には姿を現さない。だけど爺さんを祝福したかった。だからあのペンダントを足元に投げた」
女神自らが祝福したいだなんて、シャーレジアはどんな事をしたんだろう?
「なにしろ、カティを守るからつけといていい。むしろつけとけ」
「でもさ、なんでおまえの邪魔をしたんだ?」
「わたしは女神と相性が悪い。好きじゃないんだ。女神に問題があるわけじゃない」
コゲゼリテでも似たようなことを言ってたな。子が親を疎ましく思う、そんな感じなんだろうか? どちらにしても感情は理屈や他者の意見でどうにかなるってもんじゃない。訊いても無駄だし、何を言っても無駄だ。
王都ララティスチャングは遠い。デレドケでは夕食以外は宿から出ず、翌日からの行程に備えることにした。
デレドケを出たらギュリンパを経由してカテール街道に入り、最初の街モリモステで宿を取ることにしている。マデルの話ではデレドケと同程度の街、宿は二・三軒あるからなんとかなるとのことだ。
クルテがアップルパイを堪能し終える頃にはギュリューを出、モフッサ街道に入った。つい先日、逆に辿ってセレンヂュゲに行ったばかりだし、なんだか何度もこの道を通っている気がする。が、そんな懐かしさ(?)を味わう余裕もなくリュネを走らせた。少しばかりのんびりし過ぎだ。センシリケの妻子より遅い到着はないが、下手をすれば『なぜ遅い?』と心配させてしまうかもしれない。
デレドケに着いたのは陽が沈んでからだった。以前と違って酔っ払いがフラフラしていることはなかった。が、街中だと言う事を考慮してリュネを歩かせる。
ゴルゾンたちに囲まれた角を曲がれば宿が見えた。すると中から出てくる男がいた。センシリケだ。
「お待ちしておりました!」
ピエッチェたちの到着を待ちかねて、何度も外の様子を見に出たらしい。
「夕食のご用意もできております。すぐ部屋にお運びします」
夕食は頼んでいない。
「心ばかりのお礼です。妻と娘が……」
そのあとは涙で言えなくなってしまった。
宿賃も要らないと言ったが、だったらグリュンパまで行くとピエッチェに拒まれ、
「ピエッチェさんは相変わらずですなぁ」
と苦笑いするセンシリケ、
「それでは宿賃はこちらになります」
と伝票を寄こした。随分と安い、と思ったが、これ以上の押し問答を避けたピエッチェだ。クルタが『ここは負けて、マケといて貰え』と言ってきたのもある。
部屋は三階、希望通りベッドは二つの寝室が四室ある部屋だった。入ると居間、次にダイニングがあり、その先にはドアが三つ、そのうち二つは寝室、もう一つにはちょっとした居間があって、続いて寝室が二つという作りだった。すべての寝室にバスルームもある。
偽カテロヘブは病人と言う事にして、宿の従業員に担架で運んで貰った。担架が来る前にキャビンの椅子に寝かせたことは言うまでもない。部屋に着くとすぐ、寝室のベッドに寝かせた。ダイニングから行ける寝室だ。医者を呼ぶか訊かれたが、王都の医者に診せに行く途中だと言って断った。
部屋を見渡してピエッチェが溜息を吐く。
「参ったな……センシリケのヤツ、きっと宿賃、半額にしてるぞ」
「もういいよ、朝食代込みで支払っちゃったんだから。蒸し返すな」
クルテに言われなくても、ピエッチェだってそんなつもりはない。
「それより気になることがある」
チラリとジランチェニシスを見てクルテが言った。
「気になるって?」
問うとクルテが少し笑んだ。
「あとで、二人きりになってから」
クルテの言葉に含みはない。なのにピエッチェの心臓が音を立てた。二人きり、なんていつものことなのに、なぜかすんなり流せない。今夜もバスルームで、しばし一人きりの時間を作ったほうがよさそうだ。
食事がダイニングに運び込まれると、センシリケが妻と娘を伴って挨拶に来た。
「本当に、感謝しても仕切れません。助け出してくださった上に、馬車で送り届けてくださるなんて……至れり尽くせりとはこのこと――」
放っておくといつまでも続きそうなセンシリケの感謝の言葉、
「本当に、ありがとうございます」
遮ったのはセンシリケの妻だ。
「お口に合うといいのですが、もし何かご不満があれば遠慮なく仰ってください。お酒もどんどん追加でお持ちします――では、わたくしどもはこれで。ごゆっくりお召し上がりください」
このままではいつまで経っても食事が始められないと、気を利かせてくれた。
センシリケの演説の間、ピエッチェはそれとなくジランチェニシスを見ていた。自分の仕出かしたことの犠牲者を目の当たりにして、どんな顔をするのだろう? が、まったく気にする様子はなかった。それどころがテーブルの料理を待ち遠しそうに眺めている。それに……
センシリケの妻と娘は、連れて行かれると同時に眠らされていたとも考えられる。だからジランチェニシスの顔を知らないかもしれない。でもセンシリケは?
センシリケは妻子を連れ去った魔法使いに、代わりの誰かを連れて来いと言われゴルゾンたちに命じて誘拐させていた。さらにその魔法使いから、触った山札が全部ダイヤの絵札になる魔法を手に掛けられた。そんな事をした魔法使いの顔を忘れるはずがない。が、センシリケはジランチェニシスを見てもなんの反応も示さない。
デレドケに泊まると決めた時、
「ジランチェニシスが一緒なんだぞ?」
ピエッチェは難色を示した。それに対しクルテは
「改心したって言えばいいよ、なんだったら謝罪させればいい」
気にしなかった。それどころか、
「ま、そんな事にはならないよ、きっと」
と笑った。クルテの言った通りと言うか、ピエッチェの予測に反してセンシリケはジランチェニシスをまったく気にしていない。初対面だと言う事か?
センシリケを脅した魔法使いがジランチェニシスでないのなら誰だ? 決まっている、ノホメだ。センシリケは魔法使いとは言ったが、男の魔法使いとは言っていない。ノホメであっても奇怪しくない。
そしてピエッチェがクルテを盗み見る。コイツ、まだ俺に言っていないことがたくさんあるんじゃないのか? いや、言い忘れたことか。訊けば答えてくれる。クルテを信じないで、誰を信じる?
クルテは『気になることがある』と言っていた。その話の時に訊けばいい――
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