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第6章 春、遠からず
眠れぬ夜
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バイガスラ王宮ジョジシアスの居室では、グリッジからの早馬が齎した報せにモフマルドが激怒していた。
「日没前に戦闘を終えただと!? 何を考えているんだ!?」
それを見てジョジシアスが『怒りどころはそこではないぞ』と思う。我がバイガスラ軍は、グランデジア軍にいいように振り回され、兵の疲弊甚だしく、最後には防壁の中に逃げ込まされたと言うではないか。怒るなら、そのあたりなのではないか?
溜息を吐いてジョジシアスが問う。
「それで、明日はどうするつもりだ? 早く決めて伝令を出さないと、朝に間に合わないぞ?」
「明日は……うん、こちらも全軍でグランデジア本陣を襲撃させよう。同じ手を使ってやる。我が軍と違ってグランデジア軍は逃げこむ場所がない。ダンガシクに逃げるなら、そのままの勢いでベルグまで追い込んでやる」
「そう巧く行くかな? 我が軍の兵は疲労困憊していると報せにあったぞ」
「今日、早くから休んでるんだ! それに疲れているのは向こうも同じだ――幸い負傷兵はいるものの、みな軽傷だという。つまり我が軍は無傷。グランデジア軍の腰抜けどもは、我が軍を疲れさせることしか出来なかったということだ」
「グランデジア兵にも死者や重傷者はいないそうじゃないか」
「明日はそうはいかないぞ。軍に『グランデジア兵の死体の山を見せろ』と命じてやる……そうだ、倒した敵兵の数に応じて褒美を取らせることにしよう」
自分の思い付きに気を良くしたモフマルドがジョジシアスの意見を聞くことなく戦場への指令を出す。その横でジョジシアスは『負け戦でも構わない』と、心の中で呟いていた。
バチルデア王宮ではエネシクル王が項垂れている。
バチルデア本隊はアイケンクスの副官に付けた将校を指揮官としてバイガスラに向かわせた。国境に到着したので今夜は進軍を終え、明日早朝バイガスラ軍と合流すると報告があった。出立したのは日没間近、国境までがせいぜいだと承知していた。
バチルデア国は長く戦を経験していない。実質的隣国はバイガスラだけだ。バイガスラとは、昔はドリャスコ川を巡って争った。何代も前の王の時、有事の際には必ず援軍を出すという条件のもと、バイガスラが水源を保証すると約束して以来、争うこともなくなった。そのバイガスラも、ラメリアス港を巡ってジッチモンデ国と時おり小競り合いがあるものの、大きな戦になったことはない。
(考えてみると戦はいつもグランデジアが絡んでいる……)
絡んでいると言うよりも、グランデジアの中で起きていると言ったほうが当たっている。現在に至るまで、いくつもの国がグランデジアから独立しては再びグランデジアに吸収された。ゴルドントもニュダンガも元はグランデジア、コッギエサにしてもプリラエダにしても同じだ。
『始祖の王は名もなき山に神官を置き、神官の守り人に二人の友を選ぶ。神官の名はジッチモンデ、友の名はバイガスラにバチルデア――〝未来永劫、手を携えよ〟始祖の王の声が空に響いた』
伝説では、ジッチモンデ・バイガスラ・バチルデアもグランデジアの一部に過ぎない。だが、始祖の王が独立を認めた国だ。グランデジアに並ぶ国なのだ。
バイガスラの宣戦布告を知った時、『何を馬鹿な』と最初は思った。始祖の王が造りし国グランデジアと並び立てるのはジッチモンデ・バイガスラ・バチルデアの三国のみ、他の国とは格が違う。グランデジアに攻め込めば、その誇りに泥を塗る。しかし……
始祖の王はバチルデアに、ジッチモンデ・バイガスラと手を携えろと言っているものの、グランデジアに従えとは言っていない。
そしてバイガスラ有事に、援軍を送る約束は今も生きている。破ればそれもまた、卑怯者の誹りを受けるだろう。
バイガスラとグランデジア、どちらの言い分が真実なのかなど他国には知りようもない。どちらに付きたいかで決めるしかない。ならば……バイガスラに付きたいと思った。グランデジア国内で反乱・分裂・吸収が幾度も繰り返されるのは、グランデジア王宮に問題があるからだ。だからバイガスラに援軍を送ると決め、苔むす森からのグランデジア侵攻を命じた――それを後悔し始めている。
バチルデア軍がバイガスラとの国境に到着したという報せの直後、フェルシナスからも報せが届いた。
『王太子アイケンクスがグランデジアの捕虜となった』
エネシクルが頭を抱える。バチルデア軍を率いるはずの王太子が姿を晦ませただけでも大問題だ。それがあろうことか、別の戦場で敵の捕虜になった。いったいどんなカラクリだ?
(アイケンクスは王の器ではなかった……)
さすがに王太子を見捨てるわけには行かない。廃太子するにしても、グランデジアから取り戻してからだ。いや、いっそ、見捨ててしまうか? 王子はもう一人いる……
国軍は、国境で明日の朝を待っている――バイガスラ国にこのまま送り込むか、それとも戻るよう命じるか? 早く決断しなくては……焦るものの心を決められないエネシクルだ。
グランデジア魔術師の塔、食事を終えた後もジャルスジャズナはルリシアレヤの居室にいた。
「ヌバタムなら心配ないよ」
黒猫が帰って来ないと心配するルリシアレヤにジャルスジャズナが言った。
「だってジャジャ、ここに移ったとヌバタムは知らないはずよ?」
「ヌバタムが案内猫だって忘れたのかい? どこに居たってチャンと見つけ出す、それがヌバタムだよ」
「あ……そうだった、忘れてたわ」
自分のうっかりにか、安心したからか、ルリシアレヤがクスッと笑った。
父親似の子が欲しい……その〝父親〟は誰のことを言っているんだい? ジャルスジャズナが心の中でルリシアレヤに問いかける。リオネンデではないんだろう? だとしたら、サシーニャかチュジャンしかいないじゃないか。他の誰かと知り合ったとは思えない。
(ルリシアレヤ、今夜はあんたの傍にいるよ)
ルリシアレヤは眠れぬ夜を過ごすだろう。恋しい男に寄せる思い、それが入れ替わりに気付かせた。ジャルスジャズナは穏やかな笑みをルリシアレヤに向けていた。
ビピリエンツ郊外コネツの館にリオネンデたちが到着したのは日が暮れてすっかり暗くなった頃だ。
「あなたがコネツですね? ダム工事では大変にお世話になりました。あなたなしでは完工しなかったでしょう」
コネツには何度も手紙で指示を出した。試行錯誤しながらも、サシーニャの考え通りに工事を進めてくれた。カルダナ高原に派遣したチュジャンエラからも話を聞いていて、すっかり懇意になったつもりのサシーニャだった。それなのに、サシーニャに答えるコネツの声は聞こえない。
俯いて小刻みに身体を震わせているだけのコネツをサシーニャは、初めて見る体色に驚き、怖がっていると受け止めた。今まで何度も経験したことだ。
「こんなふうに生まれついてしまっただけで、怖がらせるつもりはないのです。申し訳ないが少し我慢してください。明日には出ていきます」
そう言って建屋に入ろうとするサシーニャを、絞り出すようなコネツの声が引き留めた。
「そうじゃないんだ……」
見るとコネツはポロポロと涙を流している。
「ずっとお会いしたかった。取るに足らないわたしに、いつも優しく丁寧なお言葉で気遣いの籠ったお手紙をくださった。グランデジアのお偉いかたなのに……そしてまた、こうしてお声を掛けてくださるなんて」
戸惑うサシーニが
「わたしは偉くなどありません。ひとりでは、何も成し遂げられません」
と言えば、様子を見ていたリヒャンデルが苦笑する。
「コネツさんだったっけ? そう硬くならなくていいよ。今夜はお世話になるね。早く中に入って酒でも飲ませてくれよ」
と笑った。
ジッチモンデ王宮ジロチーノモの寝室――微睡の中、ジロチーノモが身動ぎする。
「どうかしましたか?」
テスクンカがはっきりしない意識のまま問い掛けた。
「今、揺れなかったか?」
「うーーん、どうでしょう? 眠ってましたからね。小さな地震では気が付きませんよ」
「いや、地震とは違うような? なんか、横滑りしたように感じたんだ」
「なるほど……でも、もう止まったのでしょう? 眠りましょう。夜明けはまだまだです」
言い終わると同時に寝息を立てるテスクンカの胸に身を寄せて、不安に包まれたままジロチーノモも目を閉じた。
夜が過ぎ、うっすらと東の空が白み始める。ビピリエンツ郊外コネツの館の庭に佇むサシーニャに近付くのはリオネンデ――
「眠れないのですか?」
「眠れないのはおまえだろう?」
「ひと眠りしましたよ」
「相変わらず眠りが浅いか? 最近悪夢は?」
「今日が終わればぐっすり眠れるようになると思います」
「そうか」
サシーニャは、悪夢について答えていない。答えたくないのだ。つまり今も続いている……答えを催促する必要はない。サシーニャに気付かれないようリオネンデが、そっと小さな溜息を吐いた。
バイガスラに来たのはこれで二度目だ。一度目は十九年前、一面の雪景色は怖いくらいに静かだった。そしてその滞在中、双子の弟は人生を狂わされた。復讐の種はその時、すでに蒔かれていた。
あの時同行した母も、弟を苦しめたと同じ男に殺された。その男は母の異母兄、優しかった母はあの男の事を気にかけていた。それなのにあの男は……
幼い時に消えない傷を負わせた我が弟を、成長してからはその手にかけて命を奪った。己の妹である我が母を、凌辱して自害に追い込んだ。明るみになっていないのをいい事にのうのうと生きている。俺が知っているとも知らず親し気に接してくる。自分が何をしたのか判っていないのか?
己の罪を認めさせ、必ず報いを受けさせる――復讐が、ただ一人生き残ったリオネンデの肩に重く圧し掛かる。
そうかと言ったきり、口を閉ざしたリオネンデ、何を考えているのか? だが、今のサシーニャには、あれこれ考えを巡らせる余裕はなかった。庭に出てきた原因が、どっぷりサシーニャを捕らえていた。
サシーニャ、他人を恨んではいけないよ……このところ、また頻繁に見るようになったあの夢に、浅い眠りは途切れてしまった。夢の中の父親は、いつでも穏やかに温かく、そして優しく微笑んでいる。襲ってくる苦悩に居た堪れなくなって、庭に出てきた。
(母上の死にあの男が関与していると知っても、父上は同じことを言えますか?)
訊いたところで答えてくれる人のいない問い掛けを、幾度サシーニャは繰り返しただろう?
(父上……わたしは父上のような大人物には成れないようです)
あの男への怨嗟が心の中から消えてくれない。親を失った悲しさや苦しさが忘れられず、続く喪失感が復讐心を育てていく。あの男への憎しみが、親を奪われた憤りからなのか、味わった辛さによる恨みなのか、自分でも判らなくなっている。
「日の出だな……」
見ると東の空では太陽が光の矢を放っている。
今日、復讐に決着をつける。ヤツらは気持ちと兵を国境に向けている。その隙をついて奇襲をかける。失敗すれば二度目はない。
「快晴ですね」
明日の朝、また夜明けを迎えられるだろうか? 迎えられたとしたら、今日よりずっと美しい朝になるだろう。
そろそろ建屋に戻り準備を始める。
リオネンデが動き、サシーニャがそれに従った。
「日没前に戦闘を終えただと!? 何を考えているんだ!?」
それを見てジョジシアスが『怒りどころはそこではないぞ』と思う。我がバイガスラ軍は、グランデジア軍にいいように振り回され、兵の疲弊甚だしく、最後には防壁の中に逃げ込まされたと言うではないか。怒るなら、そのあたりなのではないか?
溜息を吐いてジョジシアスが問う。
「それで、明日はどうするつもりだ? 早く決めて伝令を出さないと、朝に間に合わないぞ?」
「明日は……うん、こちらも全軍でグランデジア本陣を襲撃させよう。同じ手を使ってやる。我が軍と違ってグランデジア軍は逃げこむ場所がない。ダンガシクに逃げるなら、そのままの勢いでベルグまで追い込んでやる」
「そう巧く行くかな? 我が軍の兵は疲労困憊していると報せにあったぞ」
「今日、早くから休んでるんだ! それに疲れているのは向こうも同じだ――幸い負傷兵はいるものの、みな軽傷だという。つまり我が軍は無傷。グランデジア軍の腰抜けどもは、我が軍を疲れさせることしか出来なかったということだ」
「グランデジア兵にも死者や重傷者はいないそうじゃないか」
「明日はそうはいかないぞ。軍に『グランデジア兵の死体の山を見せろ』と命じてやる……そうだ、倒した敵兵の数に応じて褒美を取らせることにしよう」
自分の思い付きに気を良くしたモフマルドがジョジシアスの意見を聞くことなく戦場への指令を出す。その横でジョジシアスは『負け戦でも構わない』と、心の中で呟いていた。
バチルデア王宮ではエネシクル王が項垂れている。
バチルデア本隊はアイケンクスの副官に付けた将校を指揮官としてバイガスラに向かわせた。国境に到着したので今夜は進軍を終え、明日早朝バイガスラ軍と合流すると報告があった。出立したのは日没間近、国境までがせいぜいだと承知していた。
バチルデア国は長く戦を経験していない。実質的隣国はバイガスラだけだ。バイガスラとは、昔はドリャスコ川を巡って争った。何代も前の王の時、有事の際には必ず援軍を出すという条件のもと、バイガスラが水源を保証すると約束して以来、争うこともなくなった。そのバイガスラも、ラメリアス港を巡ってジッチモンデ国と時おり小競り合いがあるものの、大きな戦になったことはない。
(考えてみると戦はいつもグランデジアが絡んでいる……)
絡んでいると言うよりも、グランデジアの中で起きていると言ったほうが当たっている。現在に至るまで、いくつもの国がグランデジアから独立しては再びグランデジアに吸収された。ゴルドントもニュダンガも元はグランデジア、コッギエサにしてもプリラエダにしても同じだ。
『始祖の王は名もなき山に神官を置き、神官の守り人に二人の友を選ぶ。神官の名はジッチモンデ、友の名はバイガスラにバチルデア――〝未来永劫、手を携えよ〟始祖の王の声が空に響いた』
伝説では、ジッチモンデ・バイガスラ・バチルデアもグランデジアの一部に過ぎない。だが、始祖の王が独立を認めた国だ。グランデジアに並ぶ国なのだ。
バイガスラの宣戦布告を知った時、『何を馬鹿な』と最初は思った。始祖の王が造りし国グランデジアと並び立てるのはジッチモンデ・バイガスラ・バチルデアの三国のみ、他の国とは格が違う。グランデジアに攻め込めば、その誇りに泥を塗る。しかし……
始祖の王はバチルデアに、ジッチモンデ・バイガスラと手を携えろと言っているものの、グランデジアに従えとは言っていない。
そしてバイガスラ有事に、援軍を送る約束は今も生きている。破ればそれもまた、卑怯者の誹りを受けるだろう。
バイガスラとグランデジア、どちらの言い分が真実なのかなど他国には知りようもない。どちらに付きたいかで決めるしかない。ならば……バイガスラに付きたいと思った。グランデジア国内で反乱・分裂・吸収が幾度も繰り返されるのは、グランデジア王宮に問題があるからだ。だからバイガスラに援軍を送ると決め、苔むす森からのグランデジア侵攻を命じた――それを後悔し始めている。
バチルデア軍がバイガスラとの国境に到着したという報せの直後、フェルシナスからも報せが届いた。
『王太子アイケンクスがグランデジアの捕虜となった』
エネシクルが頭を抱える。バチルデア軍を率いるはずの王太子が姿を晦ませただけでも大問題だ。それがあろうことか、別の戦場で敵の捕虜になった。いったいどんなカラクリだ?
(アイケンクスは王の器ではなかった……)
さすがに王太子を見捨てるわけには行かない。廃太子するにしても、グランデジアから取り戻してからだ。いや、いっそ、見捨ててしまうか? 王子はもう一人いる……
国軍は、国境で明日の朝を待っている――バイガスラ国にこのまま送り込むか、それとも戻るよう命じるか? 早く決断しなくては……焦るものの心を決められないエネシクルだ。
グランデジア魔術師の塔、食事を終えた後もジャルスジャズナはルリシアレヤの居室にいた。
「ヌバタムなら心配ないよ」
黒猫が帰って来ないと心配するルリシアレヤにジャルスジャズナが言った。
「だってジャジャ、ここに移ったとヌバタムは知らないはずよ?」
「ヌバタムが案内猫だって忘れたのかい? どこに居たってチャンと見つけ出す、それがヌバタムだよ」
「あ……そうだった、忘れてたわ」
自分のうっかりにか、安心したからか、ルリシアレヤがクスッと笑った。
父親似の子が欲しい……その〝父親〟は誰のことを言っているんだい? ジャルスジャズナが心の中でルリシアレヤに問いかける。リオネンデではないんだろう? だとしたら、サシーニャかチュジャンしかいないじゃないか。他の誰かと知り合ったとは思えない。
(ルリシアレヤ、今夜はあんたの傍にいるよ)
ルリシアレヤは眠れぬ夜を過ごすだろう。恋しい男に寄せる思い、それが入れ替わりに気付かせた。ジャルスジャズナは穏やかな笑みをルリシアレヤに向けていた。
ビピリエンツ郊外コネツの館にリオネンデたちが到着したのは日が暮れてすっかり暗くなった頃だ。
「あなたがコネツですね? ダム工事では大変にお世話になりました。あなたなしでは完工しなかったでしょう」
コネツには何度も手紙で指示を出した。試行錯誤しながらも、サシーニャの考え通りに工事を進めてくれた。カルダナ高原に派遣したチュジャンエラからも話を聞いていて、すっかり懇意になったつもりのサシーニャだった。それなのに、サシーニャに答えるコネツの声は聞こえない。
俯いて小刻みに身体を震わせているだけのコネツをサシーニャは、初めて見る体色に驚き、怖がっていると受け止めた。今まで何度も経験したことだ。
「こんなふうに生まれついてしまっただけで、怖がらせるつもりはないのです。申し訳ないが少し我慢してください。明日には出ていきます」
そう言って建屋に入ろうとするサシーニャを、絞り出すようなコネツの声が引き留めた。
「そうじゃないんだ……」
見るとコネツはポロポロと涙を流している。
「ずっとお会いしたかった。取るに足らないわたしに、いつも優しく丁寧なお言葉で気遣いの籠ったお手紙をくださった。グランデジアのお偉いかたなのに……そしてまた、こうしてお声を掛けてくださるなんて」
戸惑うサシーニが
「わたしは偉くなどありません。ひとりでは、何も成し遂げられません」
と言えば、様子を見ていたリヒャンデルが苦笑する。
「コネツさんだったっけ? そう硬くならなくていいよ。今夜はお世話になるね。早く中に入って酒でも飲ませてくれよ」
と笑った。
ジッチモンデ王宮ジロチーノモの寝室――微睡の中、ジロチーノモが身動ぎする。
「どうかしましたか?」
テスクンカがはっきりしない意識のまま問い掛けた。
「今、揺れなかったか?」
「うーーん、どうでしょう? 眠ってましたからね。小さな地震では気が付きませんよ」
「いや、地震とは違うような? なんか、横滑りしたように感じたんだ」
「なるほど……でも、もう止まったのでしょう? 眠りましょう。夜明けはまだまだです」
言い終わると同時に寝息を立てるテスクンカの胸に身を寄せて、不安に包まれたままジロチーノモも目を閉じた。
夜が過ぎ、うっすらと東の空が白み始める。ビピリエンツ郊外コネツの館の庭に佇むサシーニャに近付くのはリオネンデ――
「眠れないのですか?」
「眠れないのはおまえだろう?」
「ひと眠りしましたよ」
「相変わらず眠りが浅いか? 最近悪夢は?」
「今日が終わればぐっすり眠れるようになると思います」
「そうか」
サシーニャは、悪夢について答えていない。答えたくないのだ。つまり今も続いている……答えを催促する必要はない。サシーニャに気付かれないようリオネンデが、そっと小さな溜息を吐いた。
バイガスラに来たのはこれで二度目だ。一度目は十九年前、一面の雪景色は怖いくらいに静かだった。そしてその滞在中、双子の弟は人生を狂わされた。復讐の種はその時、すでに蒔かれていた。
あの時同行した母も、弟を苦しめたと同じ男に殺された。その男は母の異母兄、優しかった母はあの男の事を気にかけていた。それなのにあの男は……
幼い時に消えない傷を負わせた我が弟を、成長してからはその手にかけて命を奪った。己の妹である我が母を、凌辱して自害に追い込んだ。明るみになっていないのをいい事にのうのうと生きている。俺が知っているとも知らず親し気に接してくる。自分が何をしたのか判っていないのか?
己の罪を認めさせ、必ず報いを受けさせる――復讐が、ただ一人生き残ったリオネンデの肩に重く圧し掛かる。
そうかと言ったきり、口を閉ざしたリオネンデ、何を考えているのか? だが、今のサシーニャには、あれこれ考えを巡らせる余裕はなかった。庭に出てきた原因が、どっぷりサシーニャを捕らえていた。
サシーニャ、他人を恨んではいけないよ……このところ、また頻繁に見るようになったあの夢に、浅い眠りは途切れてしまった。夢の中の父親は、いつでも穏やかに温かく、そして優しく微笑んでいる。襲ってくる苦悩に居た堪れなくなって、庭に出てきた。
(母上の死にあの男が関与していると知っても、父上は同じことを言えますか?)
訊いたところで答えてくれる人のいない問い掛けを、幾度サシーニャは繰り返しただろう?
(父上……わたしは父上のような大人物には成れないようです)
あの男への怨嗟が心の中から消えてくれない。親を失った悲しさや苦しさが忘れられず、続く喪失感が復讐心を育てていく。あの男への憎しみが、親を奪われた憤りからなのか、味わった辛さによる恨みなのか、自分でも判らなくなっている。
「日の出だな……」
見ると東の空では太陽が光の矢を放っている。
今日、復讐に決着をつける。ヤツらは気持ちと兵を国境に向けている。その隙をついて奇襲をかける。失敗すれば二度目はない。
「快晴ですね」
明日の朝、また夜明けを迎えられるだろうか? 迎えられたとしたら、今日よりずっと美しい朝になるだろう。
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