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Chapter 2 『探偵物語』

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 スマホに届いていた永井享の画像を保存していく。待ち受け画面にあった画像だけではなく、永井は何枚もの画像を送ってきていた。

〈好きよ……、でもね……、たぶん……、きっと……〉

〈……離れて見つめないで〉

 目を細めながら情感たっぷりにマイクを置く直樹。二度目の『探偵物語』を聞かされて気分がたかぶるはずもないが、これでようやく静かになる。君生が何の歌を歌っていたかは知らないが、『探偵物語』の前にとんでもない騒音が響き渡っていたのは確かだ。

「気が済んだか?」

「ええ、スッキリしたわ。君ちゃんにあたしのテーマソングを聞かせてあげる事が出来て、もう心残りはありません」

「えっ? 直樹さん死んじゃうんですか?」

「お前は馬鹿か。こんなたくましい奴、殺したって死ぬ訳ないだろ。それに何でお前そんなに目を真っ赤にさせてんだよ」

「だって、……離れて見つめないでって。相手は遠くから見つめているって事でしょ? 何か寂しいじゃないですか?」

 恋愛を美化しすぎる君生に、何がだよ。と、言ってやりたかったが、直樹がよしよしとその頭を撫で始める。

「もう勝手にしていろ!」

 まだ処理していない永井享の画像の保存を始める。手にしたスマホ。そのスマホを盗み見しただけで、直樹の興味が君生から逸れる。

「えっ? 何? けっこうイケメンじゃないの。アプリ? アプリでしょ? ねえ、何のマッチングアプリか教えなさいよ」

——何がマッチングアプリだ。

「お前は君生の相手でもしていろ」

「秀三ったら、冷たーい」

「……痛っ」

 さっきまで撫でていた君生の頭を直樹が力強くはたく。馬鹿な君生も気の毒になるくらい、変わり身の早い奴だ。

「君ちゃん、いつまでも甘えていないで。で、秀三、何のマッチングアプリ?」

「ああ?」

 声にならない声で直樹を睨みつける。

 何がマッチングアプリだ。

「依頼だ、依頼。人探しの依頼だ。マッチングアプリじゃねえよ。俺は仕事をしてんだ。お前らと一緒にするのはやめてくれ」

「えっ? 依頼? 人探し? 成田和弥じゃなく?」

「ああ、また別件だ」

「じゃあ、あたしも協力しなくちゃ。なんてたって調査員ですから」

 直樹に向けていた頭をようやく立て直し君生がスマホを奪い取る。調査員を名乗る直樹ならともかく、新宿東署の刑事なら人探しではなく殺人事件の捜査だろ。それなのに直樹より素早く反応する君生。やはり出遅れた直樹には歳を感じずにはいられない。

「あれ? 何か見覚えありますね」

「えっ、何? 君ちゃん、この人に見覚えあるの? もう、やだ、早くも手掛かりゲットじゃない」

 君生から奪い返したスマホには、永井の待ち受けになっていた享の画像だ。

「お前、見覚えがあるって、もしかしたらこの人物にじゃなく、この画像に見覚えがあるって事じゃないのか?」

「あっ、そうです。あっ、そうだ! 永井さんのスマホ」

 永井とペアを組む君生なら、そのペアのスマホを見た事があっても当たり前の事だ。たとえその人物に興味を示した事がなくても、画像が頭に刷り込まれる事もある。

「永井さんって、君ちゃんがペアを組んでいるって言っていた?」

「ああ、そうだ。依頼は永井さんから受けたんだ。この男は永井さんの息子で、去年から行方不明になっていて、今までは永井さん一人で探していたんだが、俺がこの永井享を探す手伝いをする事になったんだ」

 下手な詮索をされるよりは話してしまった方がマシだ。守秘義務もあるが、直樹は調査員でもあるし、君生にいたっては永井のスマホを知っている。ここで話さなくても、永井本人を問い質す事は目に見えている。それに毎日定時きっかりに帰る永井が行方不明になった息子を探していると知れば、少しは永井に対する敬意も生まれるだろう。

「その永井さんって、仕事終わってそそくさと家に帰っていたんじゃなくて、息子さんを探していたのね」

「そう言う事だ」

 理解を口にした直樹とは違って、君生の顔は複雑なものだった。だがここで救いの手を差し伸べるつもりもない。行方不明になった息子を探し続ける永井。どんな凶悪な事件より、息子の失踪が気掛かりなのは親として当然だ。そんな永井に小馬鹿な態度を示した事。直接本人にそんな態度を取っていたかは知る由もないが、それでも君生が永井を小馬鹿にしていたのは事実だ。君生の複雑な表情が自身の考えや態度を改めるための葛藤だと信じたい。

「直樹にも後で画像を転送しておくから、何か手掛かりがあったら報告してくれよ。俺なんかより、デリバリーであちこち回っている直樹の方が顔も広いだろうしな」

「ガッテン承知しょうちすけよ!」

「は? お前本当に俺の同級生か? ガッテン承知の助って。そんな返事、死んだじいさんの口からしか聞いた事がないぞ」

「間違いなく同級生だったでしょ。あたしの青春の一ページ。何だったらもう一回、あたしのテーマソング、披露しましょうか? そうすれば秀三も同級生だったあの頃を思い出すんじゃないかしら?」

「お前の青春に俺の青春を勝手に重ねるな!」

「んもぅ」

「で、ガッテン承知の助って?」

 永井への考えと態度を改めるための、葛藤に蹴りが付いたのか、君生が口を挟む。もうそこに複雑な表情はない。一瞬見せた曇りはすっきりと取り払われている。

「そこはもう触れなくていい。それより交友関係なんかはすでに当たっているだろうから、特に何かを調査できる訳じゃないんだが、直樹も一応気に掛けておいてくれ」

 それともう一通だ。永井享の画像を保存し終わり、水色の丸印が付いたもう一通のメッセージをタップする。

〈昼間の件だ。古い手帳にちゃんと書き留めてあった。今野、高橋、河野の三人が主犯格だと言い張った四人目の少年の名前は前城一樹まえしろかずきだ。前城の携帯番号もあったが、今は別の人間が使っているようだ。さっき試しに電話を掛けてみたが岩手に暮らす女子高生に繋がったよ。一応番号は伝えておく。090―XXXX―XXXX〉

——前城一樹。

 初めて耳にする名前だ。記憶の何処を探しても刷り込まれていない名前。そんな人物を探さなければ何も解決できないのかも。ふと過るのは不安だけだ。唯一の手掛かりになるだろう電話番号も気を利かせた永井が当たってくれている。

 その名前だけで何処に繋がるのかは分からないが、今はその名前を頭と胸に刻んでおくしかない。


 直樹と君生がいつ帰ったのかは覚えていないが、臙脂色のソファに体を伸ばし朝を迎えた。

 小さな窓一つでは外の明るさも分からず、ましてや点けっ放しの照明に晒された店の中で、昼と夜を区別するのは難しいが、ソファから沈んだ体を起こし、腕を高く上げ、少し伸びをすれば、嫌でも朝である事を教えられる。

「おお、秀三。今、業者が来るから、受け取りのサインをしろ」

「サインですか? 受け取り?」

 ビル自体が黒川オーナーの物だ。だからこのバー兼探偵興信所もオーナーの所有物で間違いはない。だがそこを住処としている身には、当たり前のように朝っぱらから登場するオーナーを、機嫌よく迎えるなんて出来ない。

「……それより何なんですか? 朝っぱらから」

「何が朝っぱらだ。もう十時半だ。昼前だぞ」

 覚えのあるやり取りに小峰駿の顔が浮かぶ。だがオーナーの後ろにその顔はなく、新たな依頼人を連れて来た訳でもなさそうだ。それに確か業者が来ると言っていた。業者で浮かぶのはリースのカラオケだが、ふと直樹の歌声を思い出し小刻みに首を振る。

「ああ、こっちです。狭いんで気を付けて下さい。それで、奥のトイレの手前までお願いしますよ。あとサインはこいつがしますから」

 オーナーに指差され、開けっ放しのドアの向こうの踊り場に目をやると、作業着の男の後ろに大きな白い板が見えた。その大きな板をさらに後ろから支えているだろうもう一人の姿は見えない。

「ホワイトボードですか?」

 見たままを口に出したからか、オーナーの反応はない。大きすぎる白い板をどこかにぶつける事なく、手際よく設置していく二人の作業員にただ目を丸くしていると、その内の一人が、「こちらにサインお願いします」と、伝票とボールペンを渡してきた。言われるがまま(辻山)と言う名前を丸で囲み、伝票を返す。

「ご苦労さん。気を付けて」

 作業員達にねぎらいの言葉を掛け、「これでちょっとは探偵事務所らしくなったか」と、何故かオーナーは一人満足げな表情を見せている。

「もう、朝っぱらから何なんですか。しかも何なんですか、この大きなホワイトボードは。邪魔なだけじゃないですか」

「何がだよ。刑事でも探偵でも、あと弁護士なんかも、ドラマじゃ、ホワイトボードに事件の詳細書いて解決しているじゃないか」

「いや、確かによく見ますけど。こんな狭い店に、こんなでかいホワイトボードって」

「狭い店で悪かったな。文句があるなら出ていけ!」

「すみません。撤回します」

 朝っぱらから全く意味が分からないが、ただ素直に謝るしかない。ここを追い出されたってもう刑事にも戻れない。それも承知で絡んできている事は分かるが、金持ちの道楽は時に度を越えている。

「お前が働いている様子を見せないからだろ。しっかりと事件の詳細を纏めて、頭を閃かせろ。それでドラマみたいに事件解決だ! あとお前のために仕事を持ってきてやったぞ」

「えっ? 依頼ですか?」

「勿論だ。お前は探偵で、ここは探偵興信所じゃないのか?」

「はい、そうです。もう何も申しません」

 背筋を伸ばしオーナーの出方を待つ。ただオーナーもそれ以上何かを言うつもりはないようで、ポケットに忍ばせていたメモ紙をさっと取り出す。

「依頼人はトップボーイズって言う店のママだ」

「トップボーイズですか?」

 刑事時代からこの新宿二丁目は管轄の下にあった。それに今はこの町の住人だ。それでも初めて耳にする店の名前がある事にこの町の奥の深さを教えられる。

せんだよ。お前は金で男の子と遊んだりしないのか?」

「致しません!」

 不敵に笑うオーナーに思わずどこかのドラマで聞いたような台詞を吐く。刑事に探偵に弁護士に、ドラマの影響を受けてホワイトボードを持ち込むくらいだからか、吐き出した一言にオーナーが豪快に笑いだす。

「このメモに住所が書いてある。今日の十八時だ。分かったな。遅れずに依頼人の元へ行くんだぞ。店の住所じゃなく、自宅の方の住所だ。間違えるなよ。それまでは……、分かっているよな」

 にやりとホワイトボードを指差す。

「はい、分かっております!」

 刑事時代を思い出し敬礼する。その姿に満足できたようで、オーナーがようやく背中を向けてくれる。

 そのまま踊り場から階段を下りてくれ。そう念を送りながらも、いつ振り返られるかは分からない。

 敬礼のまま少しだけかかとを上げ階段を覗き込む。てかった頭はもう見えない。ほっ。小さく息を吐きながら、額に翳した手を下ろす。

——十八時。

 オーナーの言葉を声にせず繰り返し、メモ紙を拡げる。

[恭介ママ。トップボーイズ、新宿二丁目〇―〇、サンライズ新宿ビル一階。自宅、新宿六丁目〇―〇 スカイタワー新宿三二〇二。行方不明]

 行方不明? また人探しなのか? それに店ではなく何故自宅なんだ?

 売り専と耳にし、若い男を目の保養に出来るかもと、一瞬湧いた邪な考えがあっさりと散っていく。時計を見ても十八時までにはまだ随分と時間がある。ジムに行ってシャワーだな。ふと浮かんだ計画が、目に飛び込んできたホワイトボードに追いやられる。くそっ。次にオーナーが訪れた時、まだホワイトボードが真っ白なままだったら、何を言われるか分からない。仕方なく業者が置いていっただろう箱から、黒いマジックを取り出す。

 まず依頼人は[小峰駿]だ。その兄が[小峰遼]。十七年前に[転落死]。そしてその恋人が[成田和弥]。十七年前に[失踪]。家系図でも書くように線で繋げた三人の名前。ただこれだけではオーナーが言うような閃きが降りてくるはずもない。

 転落死の文字に矢印を向け[ホモ狩り]と書き殴る。

 何度見ても嫌な言葉ではあるが、その横に[今野陽介][高橋潤][河野太一]三人の名前を並べる。

 その三人を大きな四角で囲み[死亡][被害者]と書き添える。確かに今回の連続殺人の被害者ではあるが、十七年前のホモ狩り事件の加害者でもある。

 加害者を被害者と纏める自分に嫌気がさすが、まだ手を止める訳にはいかない。四角で囲んだ三人の名前の下に[前城一樹]の名前を並べ[四人目?]と書き足す。

——他には何だ? 成田和弥に通じるものは?

 自問してみるが他には何も浮かばない。諦めて次だ。

 右半分の空白に[永井健][永井享]と名前を並べる。永井享の名前の下に[失踪]と書き足し、永井健からホモ狩りの文字へ[担当]の文字と矢印を向ける。

 関係のない二つの依頼だが、繋がれた矢印に違和感はなかった。

 黒いマジックを箱に戻すと、そこには赤色と青色のマジックがあった。だが手に取る必要はない。何か書き足す事があれば、直樹や君生が出しゃばってこれらのマジックを手に取るだろう。





Chapter 2  『探偵物語』 終
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