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01 Black Day 濱崎凛
May
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8th May.
五連休が明けて久々の登校だった。
何気なく見上げた桜の木は緑色の葉を繁らせていた。
——僕は満開の桜を見逃したらしい。
だからと言って悔しい気持ちが湧いてくるでもない。僕はもう四回もトモ先輩の裸を目にしている。何だかいやらしい言い方だけど、もちろん少しの疚しさがない訳でもないけど、満開の桜よりもトモ先輩の裸を目に収めたいと僕は望んでいた。
「……今日プールにやっと水が張られるんだってね」
休み時間。自分の席ではない窓側の席に勝手に座り、僕は校庭の右奥に見えるプールを眺めていた。
「……そうだね」
名前も知らないクラスの女子を一瞬だけ振り返り、プールサイドに数人いる作業員にもう一度目を落とす。その女子がその後どんな行動を取ったかを僕は知らない。
一緒にプールを眺めていたのか、そのままどこかに消えてしまったのか。勿論知りたいとも思わないけど。
チャイムの音に慌て僕は自分の席に戻った。
本当は浮かれている事。クラスの誰かに伝える必要なんてなかった。
クラスに他の水泳部員はいなかった。それに一カ月が経ったけど友達と言える友達もいなかった。
小学校、中学校と、僕の放課後は毎日近所のスイミングスクールにあった。自分の意志で通い始めたわけではないけど、泳ぐ事は好きだったし、自己記録を塗り替える事がいつの間にか目標にもなっていた。
十年も続けたそんな生活をいきなり変える事なんて出来ない。
高校に入学した今も僕はスイミングスクールを辞めていない。水泳部とスイミングスクール。この一カ月で僕の放課後は倍以上の長さになった。そんな現状で友達を作って一緒に過ごす時間を捻出するなんて考えも及ばない。
「……終わり、終わり。帰ろうぜ」
チャイムも鳴り終わらないのに、帰り支度を始めるクラスメイトの声に僕は慌てて席を立った。
——急ごう。
授業も終わったばかりで急ぐ必要はないけど、逸る気持ちの制御なんて出来ない。
待ちに待ったプール開きの瞬間を少しでも早くこの目にしたい。
なんて考えがふと浮かんだけど、それが建前だって事は僕が一番よく分かっている。
市民センターの屋内プールでもう四回も見たトモ先輩の裸だけど、それは屋内の人工的な照明に晒された裸だ。今日からは太陽に晒されたトモ先輩の裸が見れる。きっと今はまだ白いトモ先輩の肌も日に日に灼けて黒くなっていく事だろう。
「おっ、早いな。もう来ていたんだ」
更衣室で早々水着に着替えていた僕にショウ先輩の声が掛かる。
「あっ、お疲れさまです。あれ? トモ先輩は?」
いつも行動を共にしていると思っていた。
「ああ、あいつな。さっき三年の先輩に呼び出されて、連れて行かれたんだ」
「えっ? 呼び出しって!」
善からぬ事に巻き込まれたトモ先輩を想像して、思わず大きな声を出してしまった。
「心配しなくても呼び出したのは女の先輩たちだから。もし男の先輩に呼び出されてあいつが危ない目に遭いそうだってんなら、俺も一緒に行っていたよ」
笑うショウ先輩に安心はさせられるけど、複雑な気持ちにもなる。
「お疲れー。やっとだな」
次々に更衣室に現れる他の水泳部員たち。だけどトモ先輩が顔を見せる事はなかった。
15th May.
「おっ、久々」
軽く手を挙げながらトモ先輩が更衣室に現れた。
プールが開いてから一週間が過ぎてからの事だ。
トモ先輩に並ぶショウ先輩。見慣れた光景が何故か懐かしく思えた。
——何かあったんですか?
一週間も部活に顔を出さなかったトモ先輩に聞いてはみたかったけど、声にならない。
「お疲れさまです。お久しぶりです」
小さく返し、ロッカーの中のタオルに手を伸ばす。
「お前さあ、せっかく学校のプールが使えるようになったのに一週間も勿体ないよな」
「まあな」
何を答えるでもなくシャツを脱ぎ始めたトモ先輩の胸はまだ白い。だけど例え一週間だけでも先に太陽に晒されたショウ先輩の胸は既に小麦色と呼べる色だ。
久々に眺めるトモ先輩の裸に見惚れそうにもなるが、直視する訳にもいかず僕は目を逸らした。
更衣室のドアの向こう。プールサイドから顧問の号令の声がした。
「まあ、彼女が出来たら俺だって部活なんて放り出して遊び呆けるだろうけど」
「お前な、うるさい!」
トモ先輩がショウ先輩の背中に握った拳をぶつけている。
——彼女。
耳を掠めた声に心臓がドクンと一回大きく波打った。
プールサイドに並べられ、始まったストレッチ。目の端にトモ先輩の背中を捕える事は出来る。だけど何故かその背中を捕える事が大きな罪悪感を招く。
「……それじゃあ、200mと400mの自由形は濱崎で」
ストレッチのあと顧問が夏の県大会のメンバーを発表していた。
だけどそんな声が耳に届くはずもなく、「さすがじゃん」と、ショウ先輩に叩かれた背中に我に還る。
「俺の得意種目が平泳ぎで良かったよ」
「ああ、俺も背泳ぎで正解」
笑い合う二人に向ける表情が思い浮かばない。
——僕の望みは何だろう?
県大会に出場する事? 記録を更新する事?
ふと過りもしたけどそんなもの何一つ望む事ではない。
それじゃあ……。トモ先輩と一緒に県大会に出場する事? トモ先輩と一緒に泳ぐ事?
トモ先輩に繋げたとしても、何か違うような気がする。
——僕の望みは。
僕はトモ先輩とどうしたいんだろう? 僕はトモ先輩に何をしたいんだろう?
——まただ。
そんな事を考えるだけで、そこにはまた大きな罪悪感が纏わり付く。
彼女が出来たのなら尚更だ。僕がトモ先輩に望む事は罪にしか成り得ない。
「おい! 濱崎。自由形は第二レーンを使え!」
何も考えずに飛び込んだプール。顧問の声が飛ぶ。
コースロープを掴みレーンを移動しようとした時。既に折り返し背泳ぎで迫ってくる部員がいた。
——背泳ぎで正解。
ふと思い出した声に僕の足は止まる。
「濱崎か」
「すみません」
「顎上げてちらっと見たから良かったけど、もうちょっとでぶつかるとこだったな」
水の中、よろけかけたトモ先輩が僕の肩に腕を回す。
ドクン。大きく一回波打つ心臓。僕の胸にトモ先輩の胸が重なる。
「すみませんでした。レーンを間違えて」
「お前でもそんな事あるんだな」
笑うトモ先輩に僕はさっきの罪悪感をきれいに忘れていた。
意図して招いたアクシデントでもなかったけど、そんな些細な事が僕を幸せにしてくれる。
五連休が明けて久々の登校だった。
何気なく見上げた桜の木は緑色の葉を繁らせていた。
——僕は満開の桜を見逃したらしい。
だからと言って悔しい気持ちが湧いてくるでもない。僕はもう四回もトモ先輩の裸を目にしている。何だかいやらしい言い方だけど、もちろん少しの疚しさがない訳でもないけど、満開の桜よりもトモ先輩の裸を目に収めたいと僕は望んでいた。
「……今日プールにやっと水が張られるんだってね」
休み時間。自分の席ではない窓側の席に勝手に座り、僕は校庭の右奥に見えるプールを眺めていた。
「……そうだね」
名前も知らないクラスの女子を一瞬だけ振り返り、プールサイドに数人いる作業員にもう一度目を落とす。その女子がその後どんな行動を取ったかを僕は知らない。
一緒にプールを眺めていたのか、そのままどこかに消えてしまったのか。勿論知りたいとも思わないけど。
チャイムの音に慌て僕は自分の席に戻った。
本当は浮かれている事。クラスの誰かに伝える必要なんてなかった。
クラスに他の水泳部員はいなかった。それに一カ月が経ったけど友達と言える友達もいなかった。
小学校、中学校と、僕の放課後は毎日近所のスイミングスクールにあった。自分の意志で通い始めたわけではないけど、泳ぐ事は好きだったし、自己記録を塗り替える事がいつの間にか目標にもなっていた。
十年も続けたそんな生活をいきなり変える事なんて出来ない。
高校に入学した今も僕はスイミングスクールを辞めていない。水泳部とスイミングスクール。この一カ月で僕の放課後は倍以上の長さになった。そんな現状で友達を作って一緒に過ごす時間を捻出するなんて考えも及ばない。
「……終わり、終わり。帰ろうぜ」
チャイムも鳴り終わらないのに、帰り支度を始めるクラスメイトの声に僕は慌てて席を立った。
——急ごう。
授業も終わったばかりで急ぐ必要はないけど、逸る気持ちの制御なんて出来ない。
待ちに待ったプール開きの瞬間を少しでも早くこの目にしたい。
なんて考えがふと浮かんだけど、それが建前だって事は僕が一番よく分かっている。
市民センターの屋内プールでもう四回も見たトモ先輩の裸だけど、それは屋内の人工的な照明に晒された裸だ。今日からは太陽に晒されたトモ先輩の裸が見れる。きっと今はまだ白いトモ先輩の肌も日に日に灼けて黒くなっていく事だろう。
「おっ、早いな。もう来ていたんだ」
更衣室で早々水着に着替えていた僕にショウ先輩の声が掛かる。
「あっ、お疲れさまです。あれ? トモ先輩は?」
いつも行動を共にしていると思っていた。
「ああ、あいつな。さっき三年の先輩に呼び出されて、連れて行かれたんだ」
「えっ? 呼び出しって!」
善からぬ事に巻き込まれたトモ先輩を想像して、思わず大きな声を出してしまった。
「心配しなくても呼び出したのは女の先輩たちだから。もし男の先輩に呼び出されてあいつが危ない目に遭いそうだってんなら、俺も一緒に行っていたよ」
笑うショウ先輩に安心はさせられるけど、複雑な気持ちにもなる。
「お疲れー。やっとだな」
次々に更衣室に現れる他の水泳部員たち。だけどトモ先輩が顔を見せる事はなかった。
15th May.
「おっ、久々」
軽く手を挙げながらトモ先輩が更衣室に現れた。
プールが開いてから一週間が過ぎてからの事だ。
トモ先輩に並ぶショウ先輩。見慣れた光景が何故か懐かしく思えた。
——何かあったんですか?
一週間も部活に顔を出さなかったトモ先輩に聞いてはみたかったけど、声にならない。
「お疲れさまです。お久しぶりです」
小さく返し、ロッカーの中のタオルに手を伸ばす。
「お前さあ、せっかく学校のプールが使えるようになったのに一週間も勿体ないよな」
「まあな」
何を答えるでもなくシャツを脱ぎ始めたトモ先輩の胸はまだ白い。だけど例え一週間だけでも先に太陽に晒されたショウ先輩の胸は既に小麦色と呼べる色だ。
久々に眺めるトモ先輩の裸に見惚れそうにもなるが、直視する訳にもいかず僕は目を逸らした。
更衣室のドアの向こう。プールサイドから顧問の号令の声がした。
「まあ、彼女が出来たら俺だって部活なんて放り出して遊び呆けるだろうけど」
「お前な、うるさい!」
トモ先輩がショウ先輩の背中に握った拳をぶつけている。
——彼女。
耳を掠めた声に心臓がドクンと一回大きく波打った。
プールサイドに並べられ、始まったストレッチ。目の端にトモ先輩の背中を捕える事は出来る。だけど何故かその背中を捕える事が大きな罪悪感を招く。
「……それじゃあ、200mと400mの自由形は濱崎で」
ストレッチのあと顧問が夏の県大会のメンバーを発表していた。
だけどそんな声が耳に届くはずもなく、「さすがじゃん」と、ショウ先輩に叩かれた背中に我に還る。
「俺の得意種目が平泳ぎで良かったよ」
「ああ、俺も背泳ぎで正解」
笑い合う二人に向ける表情が思い浮かばない。
——僕の望みは何だろう?
県大会に出場する事? 記録を更新する事?
ふと過りもしたけどそんなもの何一つ望む事ではない。
それじゃあ……。トモ先輩と一緒に県大会に出場する事? トモ先輩と一緒に泳ぐ事?
トモ先輩に繋げたとしても、何か違うような気がする。
——僕の望みは。
僕はトモ先輩とどうしたいんだろう? 僕はトモ先輩に何をしたいんだろう?
——まただ。
そんな事を考えるだけで、そこにはまた大きな罪悪感が纏わり付く。
彼女が出来たのなら尚更だ。僕がトモ先輩に望む事は罪にしか成り得ない。
「おい! 濱崎。自由形は第二レーンを使え!」
何も考えずに飛び込んだプール。顧問の声が飛ぶ。
コースロープを掴みレーンを移動しようとした時。既に折り返し背泳ぎで迫ってくる部員がいた。
——背泳ぎで正解。
ふと思い出した声に僕の足は止まる。
「濱崎か」
「すみません」
「顎上げてちらっと見たから良かったけど、もうちょっとでぶつかるとこだったな」
水の中、よろけかけたトモ先輩が僕の肩に腕を回す。
ドクン。大きく一回波打つ心臓。僕の胸にトモ先輩の胸が重なる。
「すみませんでした。レーンを間違えて」
「お前でもそんな事あるんだな」
笑うトモ先輩に僕はさっきの罪悪感をきれいに忘れていた。
意図して招いたアクシデントでもなかったけど、そんな些細な事が僕を幸せにしてくれる。
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