Black Day Black Days

かの翔吾

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01 Black Day 濱崎凛

June

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9th June.

 校門の横の木は何の木か分からないくらい立派な葉を繁らせている。
 だけどそんな葉の隙間にいくつもの小さな赤い実を見つけ、僕は桜の木だと思い出した。

 たった二か月で実った赤い実。

 僕は大きな溜息を吐く。

 桜の木より僕は劣るのかな。僕の思いは実る事もなく停滞している。

「うちのクラスの水泳部って濱崎君だけだから、濱崎君は決定ね」

 名前も知らないクラスの女子が黒板に勝手に僕の名前を書いている。

 ホームルームの議題は来月行われるクラス対抗の水泳大会だ。
 水泳部員で、子供の頃から得意な事が水泳しかなかった僕としては、もう少し興味を持ってもいいのだろうけど、全く興味を示せる議題ではなかった。

「……濱崎のリレーのアンカーは決定。濱崎も文句ないよな」

「別にいいけど」

 素っ気なく答える。

 黒板の前に立つ二人が学級委員だと分かり、僕は答えた後に小さく笑顔を付け足した。

 中学の頃、県大会で記録を出した事は、皆んなも知るところだ。そんな僕がもし水泳大会の参加を拒んだら、クラス一丸となって叩かれる事は分かっている。

 何の興味を持てなくても、笑って受け流すのが一番いい事は知っている。

 放課後。水泳部の部室では、部室と言っても更衣室だが、水泳大会の参加の話で盛り上がっていた。

「お前もアンカーだろ? 俺もだけど」

 トモ先輩がショウ先輩に後ろから抱きつきじゃれている。

 水泳部と言っても強豪校ではないから、部員は二十二人しかいない。三年が六人、二年が十一人、一年が五人。

 水泳部員が二人以上いるクラスは、アンカーを任せてもらえない部員も出てくる。十一人いる二年の先輩達の話題はそこにあった。

「濱崎もアンカーだろ?」

「はい、そうなりました」

「決勝で戦えるといいな」

 トモ先輩と戦うなんて想像も出来ない事だ。ショウ先輩に抱きつかれたまま笑うトモ先輩に僕は丁度いい返事が出来ないでいた。

「濱崎と決勝で戦うのは俺だよ」

 トモ先輩の後ろからショウ先輩が首を伸ばしてくる。

「決勝には各学年二クラスずつ出るんだから、俺とお前とどっちも出る可能性あるだろ」

 トモ先輩が体をがし抗議する。

「さあ、どうだろ? お前のクラスって、部員お前一人だけじゃん。それに引き替え我がA組は三人! なっ、橋本、河原。頑張ろうぜ!」

 ショウ先輩の言葉を受け、少しだけ弱気な顔を見せるトモ先輩を可愛いと思った。

「さあ、クラス対抗に向けても練習、練習と」

 まだ一か月も先の話なのに意気込むショウ先輩。そんな先輩達に続いてプールに出ると、突然振り出した雨に水面が揺れていた。

「わっ、雨じゃん。最悪」

 ストレッチもせずに次々とプールに飛び込む先輩達に続く。
 雨に濡れるのは嫌だけど、プールの水にならいくら濡らされたっていい。飛び込んだ第二レーン。その隣りには早速泳ぎ始めたトモ先輩の姿があった。



23th June.

 六月も後半に入り、一日雨が降り続く日も多くあった。

 他の部活なら雨を避けて練習も中止になるだろうけど、そこは水泳部の特権だ。水の中に入れば雨なんて関係ない。準備運動のストレッチは屋根のある所で行えばいいだけの事。

 だけど雨の日はトモ先輩に会える確率を半分以下に落とした。

「今日もトモ先輩休みですか?」

「学校には来てだけどな。雨だから今日も部活には来ないんじゃないか」

 二か月前ならトモ先輩の不在の理由をショウ先輩に聞くなんて事出来なかった。それが今じゃ躊躇ためらいなく口に出来るようになっている。

「雨の日って何かあるんですか?」

「さあ? 彼女と会っているか、他になんかあるのかもだけど……」

 濁された返事にそれ以上ただす事はやめた。

 ショウ先輩とトモ先輩。

 いつも一緒にいる二人だけど、ショウ先輩がトモ先輩の全てを知っていない事に、何故か胸を撫で下ろす事ができる。

「濱崎さあ、あいつの事より自分の事を心配したら? 最近タイムが伸び悩んでいるって先生も言っていたしさ」

「すみません」

「謝る事はないけど、何か悩みがあるなら俺がいつでも相談に乗るから」

 伸び悩んでいると言われても、こんな事はよくある事だ。調子の良いとき、悪いとき、勿論タイムも左右はされるけど、今は横ばいを保っている。
 横ばいと言っても県大会に出ても充分成績を残せるタイムだ。

「ありがとうございます。でも何も悩みなんてないし大丈夫です」

 ショウ先輩に背中を向ける。他の部員たちは既に着替えを済ませ、何人かは更衣室の中、ストレッチを始めている。

 制服を脱ぎ、Tシャツを脱ぎ、パンツを下ろす。タオルも巻かずに着替える事にいつの間にか抵抗がなくなっている。

 ただそれはトモ先輩がいない空間だからであって、ここにトモ先輩がいれば話は変わってくるだろう。

 もしここにトモ先輩がいれば、おかしな意識が働いて体をさせてしまうかもしれない。
 そんな事を起こさないためにも注意が必要だけど、今日はその必要がない。

「なあ、濱崎」

 ショウ先輩の声に体を向ける。ロッカーの中、水着を探る手を下ろさずに顔を向けるためには、全身をよじるしかなかった。

「何ですか?」

 聞き返しはしたけど、ショウ先輩が言葉を繋げる事はない。
 ただその視線は明らかに顔ではなく下方へと向いている。

「何ですか?」

 一点を見つめ固まったままのショウ先輩にもう一度聞き返す。

 それでもショウ先輩の口が開かないから、僕は手にした水着を履くため腰を屈めた。

 その時だ。

 あらわになっていたショウ先輩の股間がぴくんとした。だけど反応したと思ったのも束の間、見る見る角度を変え頭を持ち上げていく。

 僕は慌てて水着を履き、力強くロッカーを閉めた。

 さっきまでストレッチをしていた部員たちの姿はもう更衣室にはない。
 僕は勢いよくドアを抜け、プールへと飛び出した。

「おい、濱崎。準備運動は終わったのか?」

 顧問の声が耳に入っていたけど、僕は返事もせずに第二レーンに飛び込んだ。
 
 体がしていた。

 心臓ではない体の一部がドクンと大きく脈打つ。
 雨とプールの水に体は冷やされていくはずなのに、僕の体の一部だけが何故か熱を持っていく。

 ドクン。

 心臓ではない脈に、僕は当分プールから上がれそうにない事を悟った。
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