【完結】汚れた雨

かの

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 それは平成元年生まれの僕らが、小学六年生だった夏に共有した秘密だ。

 今となってはその秘密がどんな事なのかさえ忘れてしまっているのに、秘密だなんて言い方、大袈裟なのかもしれない。だけど僕ら四人が何かを共有した感覚は間違いなく体のどこかに残っている。

 それは僕が僕の事を、まだ僕と呼んでいた頃の話だ。自分の事を僕ではなく、俺と言い始めたのがいつだったかは思い出せない。だけど今、僕の事を僕と呼んでいた頃の話を、思い出そうとしているのだから、俺ではなく僕の事を僕と呼ぼう。

 その秘密の奥にはもう一つ秘密があって、二重の秘密はどちらも露呈させてはいけないもの。そんな感覚だけが残っている。秘密の定義が他人に知られないように隠さなければいけない事なら、僕がこの秘密を露呈させる事はあり得ない話になる。何故なら僕はこの秘密をすっかり忘れてしまっているからだ。

 秘密と言っても、十二歳になるかならないか、まだ華奢きゃしゃな体を持った日の記憶だ。

 そんな記憶はほんの小さなきずであって、塗り替えられていく時間が更に小さなものにしていく。小さな疵は更に時間を重ねて、その詳細にもやを掛けていく。いつしか靄の掛かった小さな疵は記憶としても残せなくなって、秘密を共有したと言う輪郭だけが残される。それが今の僕であって、共有した秘密の事はすっかり忘れてしまっている。それは僕だけの感覚であって他の三人の事は分からない。僕が新しい道を進んだように、皆それぞれの道を歩んでいく中で、共有した秘密は姿を変えているかもしれない。

 秘密を忘れた僕には、出来る事が何もないはずだ。ふと頭に浮かぶ二つの形容詞。〈悲しい〉と〈大きい〉。

 〈悲〉と〈大〉の漢字二文字。その漢字がどう言う意味を持つのか、調べる事くらいしか今の僕には出来ない。ただそれも調べたところで、何の意味を持つのだろうか?

 大きな悲しみではなく、大きな慈悲じひを持っている……。頭に浮かぶ漢字二文字の意味がもしそうだとしても、これからの僕に何ら影響を及ぼす事もないはずだ。


「ハル! どうするんだよ!」

 傘を叩き付ける雨の音が煩すぎて、怒鳴りつけたはずの声が小さく聞こえていた。

「俺に聞くなよ! それより今、誰かが押したのか? もしかしてナッチ、お前?」

「……何もしてないよ! ずっとヨッシーの後ろにいたし」

「俺だって何もしてないよ! タカちゃんが一番近くにいたんじゃないのか?」

 僕らがまだ、ハル、ナッチ、ヨッシー、タカちゃんと呼び合っていた頃の話だ。

 土砂降りの雨の中だった事は鮮明に覚えている。だけどどうしてそんな歩道橋の上に立っていたのかは、思い出す事が出来ない。いや、立っていた事は覚えている。

 秘密の奥のもう一つの秘密。それが歩道橋の上に立っていた理由に間違いはない。ただ思い出せないのは、その歩道橋に立つまでの過程だ。思い出す事が出来ないと思い込んで、きれいに忘れてしまいたいのかもしれない。きっとそうだ。忘れてしまうために、思い出す事が出来ないと自分に言い聞かせているのだ。

 歩道橋の上での出来事が、僕ら四人で共有した秘密となりはしたが、切り取れる場面は歩道橋の上の僕らだけであって、やはりそこへ至る過程は思い出す事が出来ない。

 僕らはその日、四人で歩道橋の上に立っていた。三つ並べた傘に四人で体を寄せていた事は覚えている。だけどそんな土砂降りの日に、一体誰が傘を持っていなかったかを思い出す事が出来ない。もしかしたら朝は降っていなかったのかもしれない。

 ただもしそうだとすれば、三人の親は出来た親で、一人の親は出来ていない親になる。そんな土砂降りの雨なんて、余程の事がない限り天気予報が外す事もなかっただろう。それなのに僕らは三つ並べた傘に四人で体を寄せていた。

 今となっては、思い出さない方が良い事だってある。きっとそうだ、思い出せない事を無理に思い出す必要なんてない。歩道橋に至る過程が思い出せないように、歩道橋に立っていた事も、四人で共有した秘密も、思い出す必要なんてない。僕らがハル、ナッチ、タカちゃん、ヨッシーと呼び合う事がもうないように、秘密なんてものは忘れてしまえばいい。きっと忘れてしまっても誰にとがめられる事もないだろう。

 僕は古賀晴人こがはるとと言う新しい名前を手に入れた。両親が離婚して、母親の旧姓に変わっただけではあるけれど、それでもこの新しい名前を手に入れる前の記憶を消すには、十分な理由だと思う。
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