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第4章 終わりの終わり(加藤麻美)
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県道に出て二十分は車を走らせていた。
吹雪はすっかり収まったようで大粒の雪も横殴りの風もなく、開けた景色が目の前にはあった。
「もうワイパー必要ないんじゃ?」
耳に飛び込んだ祐輔の声にふと我に還らされる。
亨と航基を思い出していた。
今、描いた亨と航基は自分の中だけで巡らせていた事だろうか。
吹雪が収まり集中しなくてよくなったフロントガラスから目を逸らす。そしてすぐ隣の祐輔に目をやる。その端正な横顔を盗み見しても浮かんだ疑問の答えは返ってこない。
「私、いま何を話していたかしら?」
「亨と航基君の話です」
代わって真直ぐフロントガラスに目を向ける祐輔に答えを貰う。
やはり処理しきれない混乱に陥っている。吹雪は止んだが視界の先には一面真っ白な世界がある。真っ白なその世界がまるで何も考えられない自分の脳を表しているように思えてならない。
「あのタクシー。さっきからずっと追いかけて来ていませんか?」
県道に出てからずっと付いて来ていると言うタクシーを祐輔は気にしていた。
「タクシー?」
全く気付けずにいたタクシーの姿に一瞬混乱を忘れさせられる。
「はい。雪が酷かった時はあまり気にならなかったんですけど。ずっとぴったり後ろにいるなあって。雪が止んでからずっと見ているんですけど」
「たまたまじゃないかしら?」
何の関係もないものとあしらってみせる。
「いや、さっきから加藤さん。八十キロは出して走っていますよ。そのスピードにずっとくっ付いて来ているんですよ」
「えっ? 私、そんな出して走っていたの?」
アクセルの踏込みを少し弛める。
後ろのタクシーよりも出し過ぎたスピードに最優先気を留めるべきだ。こんな田舎の県道で八十キロも出し走っていたら、すぐに捕まってしまう。
「あっ、パトカー!」
タクシーを振り返っていた祐輔が声を上げる。その声に踏込みをさらに弛める。
サイレンの音が徐々に大きくなる。
いつ呼び止められても大丈夫なように歩道ぎりぎりに車を寄せ、止まる事無くゆっくりとやり過ごす。
祐輔が気にしているタクシーも同様に歩道ぎりぎりに寄せている。
「あっ!」
大きな声で祐輔が叫んだと同時。六、七台のパトカーが走り抜けていく。
「良かった。スピード違反じゃなかった」
「そうですよ。今、捕まっている時間はないですから」
胸を撫で下ろし少しずつ踏込みに力を入れる。
「そうね。急ぎたいけど捕まっちゃ意味ないものね」
「そうですよ。七十くらいでお願いします。……で、それで?」
「それで?」
意味が分からず言葉のまま聞き返した。
「いや、だから、その後ですよ。航基君は死にたがっていたんですよね?」
全てを祐輔に語っていた事を知らされる。
ついさっき会ったばかりの祐輔にどうしてここまで心を開いているのだろう。再び盗み見したその目は興味で大きく見開いていた。
航基の眠る顔を確認し病室を後にした。
そろそろ亨が店を閉める頃だろうと時計を見ながら車に戻った。そのままエンジンを掛け下呂に戻るつもりがフロントガラスの先。視界は突然の吹雪に遮られていた。
航基の声を何度か思い出しては消し、あの声は何だったのだろうと巡らせていた。
だがいつの間にか意識を失いハンドルに額を押し当て眠っていたようだ。
次に意識を取り戻した時。視界は黒く開け全ての色を無くす闇がそこにあった。
ほんの少しは眠りの中。体を休めただろうがどっと重い疲れ以上の何かが体に圧し掛かっていた。
それでもいつもの生活を崩す訳にはいかない。
下呂に戻った時には体を布団に横たえる時間などなかった。熱いシャワーを浴び毎朝と変わらない日常を装い朝の仕度を始める。
朝食の準備をし健二を起こし、一通りの家事をこなす。
時計に目をやりそろそろ時間だと、今にも倒れそうな背筋を伸ばす。車に戻り数時間前に走らせた道を折り返す。
「おはよう」
いつもと同じ時間に店のドアを開けた。亨はもう開店準備に取り掛かっている。
カフェバーと言ってもランチで提供する食材の仕込みに時間が掛かるようで、ドアを開く時。亨はいつも仕込みに追われていた。
「十時に開ければいいかしら?」
「はい、お願いします」
当たり前の事を確認しながらキッチンの隅にバッグを置く。
閉店後に亨がしっかり掃除をしているので店内は綺麗に保たれている。だからと言って何もしない訳にもいかない。布巾を固く絞りテーブルを拭いて回る。
「麻美さん」
仕込みの手を止めないまま亨が呼び掛けてくる。
「昨日、航基何か話していましたか?」
「えっ?」
昨日の航基の声が蘇り布巾を手にしたまま思わず固まってしまう。
亨は仕込みの手を休めていないようで、キャベツを切るザクザクと言う音だけが耳に響いていた。
「何も言っていなければいいんです。気にしないで下さい」
固まった体を解したのは亨の声だった。だが思考を止めたのも同じ声だ。
手にした布巾を洗うためキッチンの流し台へと立つ。一帖ほどの狭いキッチンからはカウンターでキャベツを刻む亨の指先だけを見る事が出来た。
その亨が手にする包丁がきらりと青白い光を放つ。その光に重なるように昨日の航基の言葉とさっきの亨の言葉が交互に頭の中を駆け巡る。
「麻美さん。そろそろ上がって貰って大丈夫ですよ」
店内を見渡せば外国人客が四人カウンターに座っているだけだった。
「そうね。もう落ち着いたみたいね」
朝からしっかりと働いていた筈なのに店内の様子は見えていなかった。
動揺に似た何かが体の中を蠢き始めていた。
亨の声に一瞬忘れさせられた昨日の航基と朝の亨の言葉を思い出す。
「お疲れ様です。明日はゆっくり休んで下さいね。せっかくの定休日なんですから」
亨に促されエプロンを外しながら小さなキッチンへと引っ込む。
カウンターには拙い英語で外国人客の相手をする亨の姿があった。
何ら変わらない亨の様子に、外したエプロンを畳みキッチンの隅に置いてあった小さなバッグに捻じ込んだ時。
朝、亨の指先に見えた青白い光が目に飛び込んできた。
「麻美さん、大丈夫ですか?」
帰り仕度に手間を取っていたからか、心配そうに亨が首を伸ばしてくる。
「ええ、大丈夫よ」
「今日も航基の所、行かれますか?」
「ええ」
「俺も後で行きます。明日休みなんで、ゆっくりあいつの側に付いていてやります」
「それじゃあ、また明後日ね」
バッグを手にキッチンを後にする。
カウンターに並んだ四人の外国人客に軽く会釈をしてみたが振り返る客は一人もいない。
店を後にし高山中央病院までの道を歩く。
外国人客が増えてきたと言っても、田舎の町に変わりはない。夜の九時を回れば人通りはめっきりと減ってしまう。
亨の店は駅前にあり近くに車を停められるスペースはなかった。航基の元へ行く行かないは別として中央病院には行く必要があった。
航基が入院して以降。車は中央病院の駐車場に停めていた。
亨には今日も行くと返事はしたが、亨と航基の言葉が頭を駆け巡り、迷わずにはいられなかった。
亨の言葉の真意は分からない。だが昨日の航基の言葉を亨も知っていると考えた方が型に|嵌(はま》る。
そう考えればやはり昨日の航基の声は創り出したものではなく、あの穏やかな寝顔を見せていた航基自身が発したものではないだろうか。
昨日感じた怯えが大きな不安へと変わる。
本当に航基が発した言葉であるならそれは亨も知るところだ。朝の亨の言葉の真意も理解出来る。
行き着いた答えにほんのさっき不安に姿を変えたばかりの怯えが、何故か大きな絶望へと変わっていた。
吹雪はすっかり収まったようで大粒の雪も横殴りの風もなく、開けた景色が目の前にはあった。
「もうワイパー必要ないんじゃ?」
耳に飛び込んだ祐輔の声にふと我に還らされる。
亨と航基を思い出していた。
今、描いた亨と航基は自分の中だけで巡らせていた事だろうか。
吹雪が収まり集中しなくてよくなったフロントガラスから目を逸らす。そしてすぐ隣の祐輔に目をやる。その端正な横顔を盗み見しても浮かんだ疑問の答えは返ってこない。
「私、いま何を話していたかしら?」
「亨と航基君の話です」
代わって真直ぐフロントガラスに目を向ける祐輔に答えを貰う。
やはり処理しきれない混乱に陥っている。吹雪は止んだが視界の先には一面真っ白な世界がある。真っ白なその世界がまるで何も考えられない自分の脳を表しているように思えてならない。
「あのタクシー。さっきからずっと追いかけて来ていませんか?」
県道に出てからずっと付いて来ていると言うタクシーを祐輔は気にしていた。
「タクシー?」
全く気付けずにいたタクシーの姿に一瞬混乱を忘れさせられる。
「はい。雪が酷かった時はあまり気にならなかったんですけど。ずっとぴったり後ろにいるなあって。雪が止んでからずっと見ているんですけど」
「たまたまじゃないかしら?」
何の関係もないものとあしらってみせる。
「いや、さっきから加藤さん。八十キロは出して走っていますよ。そのスピードにずっとくっ付いて来ているんですよ」
「えっ? 私、そんな出して走っていたの?」
アクセルの踏込みを少し弛める。
後ろのタクシーよりも出し過ぎたスピードに最優先気を留めるべきだ。こんな田舎の県道で八十キロも出し走っていたら、すぐに捕まってしまう。
「あっ、パトカー!」
タクシーを振り返っていた祐輔が声を上げる。その声に踏込みをさらに弛める。
サイレンの音が徐々に大きくなる。
いつ呼び止められても大丈夫なように歩道ぎりぎりに車を寄せ、止まる事無くゆっくりとやり過ごす。
祐輔が気にしているタクシーも同様に歩道ぎりぎりに寄せている。
「あっ!」
大きな声で祐輔が叫んだと同時。六、七台のパトカーが走り抜けていく。
「良かった。スピード違反じゃなかった」
「そうですよ。今、捕まっている時間はないですから」
胸を撫で下ろし少しずつ踏込みに力を入れる。
「そうね。急ぎたいけど捕まっちゃ意味ないものね」
「そうですよ。七十くらいでお願いします。……で、それで?」
「それで?」
意味が分からず言葉のまま聞き返した。
「いや、だから、その後ですよ。航基君は死にたがっていたんですよね?」
全てを祐輔に語っていた事を知らされる。
ついさっき会ったばかりの祐輔にどうしてここまで心を開いているのだろう。再び盗み見したその目は興味で大きく見開いていた。
航基の眠る顔を確認し病室を後にした。
そろそろ亨が店を閉める頃だろうと時計を見ながら車に戻った。そのままエンジンを掛け下呂に戻るつもりがフロントガラスの先。視界は突然の吹雪に遮られていた。
航基の声を何度か思い出しては消し、あの声は何だったのだろうと巡らせていた。
だがいつの間にか意識を失いハンドルに額を押し当て眠っていたようだ。
次に意識を取り戻した時。視界は黒く開け全ての色を無くす闇がそこにあった。
ほんの少しは眠りの中。体を休めただろうがどっと重い疲れ以上の何かが体に圧し掛かっていた。
それでもいつもの生活を崩す訳にはいかない。
下呂に戻った時には体を布団に横たえる時間などなかった。熱いシャワーを浴び毎朝と変わらない日常を装い朝の仕度を始める。
朝食の準備をし健二を起こし、一通りの家事をこなす。
時計に目をやりそろそろ時間だと、今にも倒れそうな背筋を伸ばす。車に戻り数時間前に走らせた道を折り返す。
「おはよう」
いつもと同じ時間に店のドアを開けた。亨はもう開店準備に取り掛かっている。
カフェバーと言ってもランチで提供する食材の仕込みに時間が掛かるようで、ドアを開く時。亨はいつも仕込みに追われていた。
「十時に開ければいいかしら?」
「はい、お願いします」
当たり前の事を確認しながらキッチンの隅にバッグを置く。
閉店後に亨がしっかり掃除をしているので店内は綺麗に保たれている。だからと言って何もしない訳にもいかない。布巾を固く絞りテーブルを拭いて回る。
「麻美さん」
仕込みの手を止めないまま亨が呼び掛けてくる。
「昨日、航基何か話していましたか?」
「えっ?」
昨日の航基の声が蘇り布巾を手にしたまま思わず固まってしまう。
亨は仕込みの手を休めていないようで、キャベツを切るザクザクと言う音だけが耳に響いていた。
「何も言っていなければいいんです。気にしないで下さい」
固まった体を解したのは亨の声だった。だが思考を止めたのも同じ声だ。
手にした布巾を洗うためキッチンの流し台へと立つ。一帖ほどの狭いキッチンからはカウンターでキャベツを刻む亨の指先だけを見る事が出来た。
その亨が手にする包丁がきらりと青白い光を放つ。その光に重なるように昨日の航基の言葉とさっきの亨の言葉が交互に頭の中を駆け巡る。
「麻美さん。そろそろ上がって貰って大丈夫ですよ」
店内を見渡せば外国人客が四人カウンターに座っているだけだった。
「そうね。もう落ち着いたみたいね」
朝からしっかりと働いていた筈なのに店内の様子は見えていなかった。
動揺に似た何かが体の中を蠢き始めていた。
亨の声に一瞬忘れさせられた昨日の航基と朝の亨の言葉を思い出す。
「お疲れ様です。明日はゆっくり休んで下さいね。せっかくの定休日なんですから」
亨に促されエプロンを外しながら小さなキッチンへと引っ込む。
カウンターには拙い英語で外国人客の相手をする亨の姿があった。
何ら変わらない亨の様子に、外したエプロンを畳みキッチンの隅に置いてあった小さなバッグに捻じ込んだ時。
朝、亨の指先に見えた青白い光が目に飛び込んできた。
「麻美さん、大丈夫ですか?」
帰り仕度に手間を取っていたからか、心配そうに亨が首を伸ばしてくる。
「ええ、大丈夫よ」
「今日も航基の所、行かれますか?」
「ええ」
「俺も後で行きます。明日休みなんで、ゆっくりあいつの側に付いていてやります」
「それじゃあ、また明後日ね」
バッグを手にキッチンを後にする。
カウンターに並んだ四人の外国人客に軽く会釈をしてみたが振り返る客は一人もいない。
店を後にし高山中央病院までの道を歩く。
外国人客が増えてきたと言っても、田舎の町に変わりはない。夜の九時を回れば人通りはめっきりと減ってしまう。
亨の店は駅前にあり近くに車を停められるスペースはなかった。航基の元へ行く行かないは別として中央病院には行く必要があった。
航基が入院して以降。車は中央病院の駐車場に停めていた。
亨には今日も行くと返事はしたが、亨と航基の言葉が頭を駆け巡り、迷わずにはいられなかった。
亨の言葉の真意は分からない。だが昨日の航基の言葉を亨も知っていると考えた方が型に|嵌(はま》る。
そう考えればやはり昨日の航基の声は創り出したものではなく、あの穏やかな寝顔を見せていた航基自身が発したものではないだろうか。
昨日感じた怯えが大きな不安へと変わる。
本当に航基が発した言葉であるならそれは亨も知るところだ。朝の亨の言葉の真意も理解出来る。
行き着いた答えにほんのさっき不安に姿を変えたばかりの怯えが、何故か大きな絶望へと変わっていた。
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