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第12章 魔導蒸気の暴走
第12章 魔導蒸気の暴走
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第12章 魔導蒸気の暴走
地平線の向こうから立ち上る砂煙が、徐々にその正体を現していく。最初は蜃気楼かと思われたその影は、やがて整然とした隊列を組んだ騎兵部隊と馬車群であることが判明した。遠征救援隊の本隊——数日前に王都から派遣された精鋭部隊が、ついに現地に到着したのだ。
勇樹は救援列車の運転席から双眼鏡を覗き込み、安堵のため息をついた。これで孤軍奮闘の状況から脱することができる。隣に立つミナも尻尾を小刻みに振りながら、近づいてくる援軍を見つめていた。
「やっと来てくれましたね」ミナが呟く。「あと少しで燃料も底を尽きそうでしたし、怪我人の手当てにも限界がありました」
「ああ。でも、これからが本当の救援活動の始まりだ」
勇樹は汽笛を三回鳴らし、本隊に列車の位置を知らせた。長く尾を引く汽笛の音が、荒れ果てた大地に響き渡る。
本隊の先頭を走る騎馬に跨がった若い騎士——レオンの姿が見えた。彼は馬を駆け寄せると、列車の横に馬を並走させながら手を振る。
「野中さん、無事だったんですね!」レオンの声が風に混じって聞こえてくる。「王都からの連絡が途絶えて、皆心配していたんです」
「こちらも何とか持ちこたえた。負傷者が多数いるから、すぐに医療班を回してくれ」
レオンは頷き、後方に手信号を送る。間もなく白衣を着た医師団と、薬草や包帯を積んだ荷車が列車に近づいてきた。
救援列車は静かに停車し、扉が開かれる。車内からは包帯を巻いた村人たちや、疲労困憊した表情の避難民が次々と降りてきた。医療班はすぐさま患者の容態を確認し、重篤な者から順に治療を開始する。
「これは……」本隊の指揮官が車内を見回しながら絶句した。「一体どれだけの人数を救出されたのですか」
「正確な数は把握しきれていないが、恐らく三百人近くになる」勇樹が答える。「魔獣の襲撃を受けた村が複数あったんだ。生存者を可能な限り収容した」
指揮官は驚愕の表情を浮かべた。通常の馬車部隊では、これほどの大人数を一度に搬送することは不可能だ。鉄道の威力を目の当たりにした瞬間でもあった。
リリアとガンドルフも車両から降り、本隊の到着を迎える。リリアの顔には安堵の表情が浮かんでいたが、どこか影のようなものも見えた。
「魔導蒸気の調子はどうだ?」ガンドルフがリリアに尋ねる。
「今のところは安定しています。でも、この数日間の連続運転で結晶の消耗が激しくて……」リリアは困ったような表情を見せる。「補充用の結晶は本隊に持参していただけたでしょうか」
レオンが頷く。「ええ、エルフの森から調達した上質な魔法結晶を持参しました。それと、追加の燃料と保守部品も」
「助かります」
だが、リリアの表情は完全には明るくならなかった。彼女の視線は、列車から降りてくる避難民たちに向けられている。包帯を巻いた子供、松葉杖をついた老人、家族を失った悲しみに暮れる女性——魔獣の襲撃が残した傷跡は、想像以上に深刻だった。
「皆さん、こちらの天幕で休息を取ってください」本隊の兵士たちが避難民を誘導する。「温かい食事と寝床を用意してあります」
救援活動は組織的に進められた。医療班は負傷者の治療に専念し、補給班は避難民への食料配給を行う。工兵隊は列車の点検と修理を担当し、斥候隊は周辺の安全確認に向かった。
勇樹は指揮官と共に、今後の救援計画を検討していた。地図を広げながら、まだ救助が完了していない村落の位置を確認する。
「ここと、ここ、それからここにも生存者がいる可能性が高い」勇樹が地図上の点を指し示す。「魔獣の移動ルートを考慮すると、これらの村は襲撃を免れている可能性がある」
「なるほど。では明日から三つの部隊に分かれて、同時進行で救援活動を行いましょう」
計画は順調に進んでいるように見えた。しかし、リリアの心中は穏やかではなかった。彼女は天幕の外れに座り込み、夕暮れに染まる荒野を見つめていた。
その様子に気づいた勇樹が近づいてくる。
「疲れているのか?」勇樹がリリアの隣に腰を下ろした。
「いえ、そういうわけでは……」リリアは首を振る。「ただ、考えていることがあって」
「何を?」
リリアは暫く沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「私たちは確かに多くの人を救うことができました。でも、それ以上に多くの人が亡くなってしまった。もっと早く到着していれば、もっと強力な魔法を使えていれば……」
彼女の声は次第に小さくなっていく。
「魔導蒸気にしても、私の技術ではまだまだ不完全です。結晶の消耗が激しくて、長時間の運転に耐えられない。もっと効率的な方法があるはずなのに、私には見つけられない」
勇樹はリリアの横顔を見つめた。エルフの少女は、自分が思っている以上に大きな責任を背負い込んでいるようだった。
「君は十分にやっているよ」勇樹が静かに言う。「魔導蒸気がなければ、これだけの大人数を運ぶことはできなかった。君の技術があったからこそ、多くの命を救えたんだ」
「でも……」
「完璧でなくていい。俺たちは神じゃないんだから、全ての人を救えるわけじゃない。でも、救える人を一人でも多く救う。それが俺たちにできることだ」
リリアは勇樹の言葉を聞きながら、目に涙を浮かべた。
「野中さんはいつもそうやって、前向きに考えることができるんですね。私はどうしても、救えなかった人のことを考えてしまう」
「それは君が優しいからだ。その気持ちを忘れてはいけない。でも、それに押し潰されてもいけない」
勇樹はリリアの肩に手を置いた。
「俺だって同じだ。前の世界でも、今の世界でも、救えなかった人たちがいる。そのことを忘れたことは一度もない。でも、その人たちのためにも、俺たちは前に進まなければならない」
「前に、進む……」
「ああ。君の魔導蒸気技術も、きっともっと進歩する。俺の鉄道技術だってまだまだ改良の余地がある。一緒に頑張ろう」
リリアは小さく頷いた。勇樹の温かな言葉が、彼女の心に少しずつ希望の光を灯していく。
しかし、その時だった。遠くから聞こえてきたのは、ミナの鋭い声だった。
「野中さん、リリアちゃん!大変です!」
二人は慌てて立ち上がる。ミナが天幕の間を縫うように駆けてきた。その表情は緊張に満ちている。
「どうした?」勇樹が問いかける。
「列車の様子がおかしいんです!機関室から変な音がして……」
勇樹とリリアは顔を見合わせた。嫌な予感が二人の胸をよぎる。
三人は急いで列車に向かった。確かに、機関室の方向から通常とは異なる音が聞こえてくる。金属がきしむような音と、蒸気が不規則に噴出する音が混じり合っていた。
「これは……」リリアが顔を青くする。
機関室に近づくにつれ、異常な熱気が感じられた。通常の蒸気機関から発せられる熱とは明らかに質が異なる、何か危険な気配を含んだ熱だった。
レオンとガンドルフも駆けつけてくる。
「一体何が起こっているんだ?」レオンが息を切らせながら尋ねる。
「分からない。でも、魔導蒸気に何らかの異常が発生している可能性が高い」勇樹が答える。
ガンドルフが機関室のドアに手をかけようとした瞬間、中から激しい蒸気が噴き出した。ドワーフの鍛冶師は慌てて手を引っ込める。
「これは普通の蒸気じゃない。魔力を含んだ蒸気だ」ガンドルフが厳しい表情で言う。「下手に触れると火傷では済まない」
リリアの顔がさらに青ざめた。
「まさか……魔導蒸気が暴走を始めているの?」
「暴走?」勇樹が眉をひそめる。
「魔法結晶が限界を超えて反応を続けると、制御を失って暴発することがあります。もしそうなったら……」
リリアの声は震えていた。
「列車が爆発する可能性があります」
その言葉に、周囲にいた全員の表情が凍りついた。救援列車——多くの命を救ってきた希望の象徴が、今度は大きな危険の源となろうとしているのかもしれない。
機関室からの異音は次第に大きくなり、蒸気の噴出も激しさを増していく。夕暮れの中、白い蒸気が不気味な影を作り出していた。
勇樹は拳を握り締めた。この列車は、彼にとって単なる乗り物以上の意味を持っている。多くの人々を救い、希望を運んできた大切な相棒だ。しかし、もしその列車が周囲の人々を危険に晒すことになるなら……。
「皆、列車から離れろ!」勇樹が大声で指示を出す。「避難民と本隊の人員、全員を安全な場所まで避難させてくれ!」
レオンとミナが即座に行動を開始し、天幕にいる人々に避難指示を出し始める。だが、重傷者や高齢者もいる中で、全員を迅速に避難させるのは容易ではない。
リリアは機関室を見つめながら、自分の責任を強く感じていた。魔導蒸気は彼女が開発し、管理してきた技術だ。もしこの暴走が多くの人を危険に晒すことになるなら、その責任は彼女にある。
「私が……私が何とかします」リリアが前に出ようとする。
しかし、勇樹が彼女の腕を掴んだ。
「危険すぎる。君一人に任せるわけにはいかない」
「でも、魔導蒸気を一番よく知っているのは私です。私にしかできないことがあるかもしれません」
勇樹はリリアの瞳を見つめた。そこには恐怖と決意が混じり合っていた。
「だったら、一人じゃなくて皆でやろう」勇樹が言う。「俺たちはチームだ。一人で背負い込む必要はない」
ガンドルフも頷く。
「そうだ。わしも鍛冶の技術で何か力になれるかもしれん」
ミナとレオンも戻ってきた。
「避難はほぼ完了しました」ミナが報告する。「でも、列車が爆発したら、この距離でも危険かもしれません」
「分かった。でも、まずは原因を突き止めよう」勇樹が決意を込めて言う。「この列車は俺たちの希望の象徴だ。簡単に諦めるわけにはいかない」
機関室からの異音と蒸気の噴出は、まだ続いていた。夜の闇が次第に深くなる中で、白い蒸気だけが異様に目立っている。
勇樹たちは、これから訪れる危機にどう立ち向かうか、真剣に検討を始めた。救援列車の運命、そして多くの人々の安全が、彼らの判断にかかっていた。
機関室の扉越しに聞こえる異音は、次第に規則性を失い始めていた。最初は単調なリズムを刻んでいた蒸気の噴出音が、今では不協和音のような不気味な響きを奏でている。
「圧力計を確認したい」ガンドルフが工具袋を肩に担ぎながら言った。「だが、この蒸気では近づくのも困難だ」
本隊から駆けつけた技術兵の一人が、防護用の皮手袋を着用しながら前に出る。
「私が行きます。軍の工兵隊では、こういった緊急事態の対処訓練を受けていますから」
しかし、ガンドルフが首を振る。
「いや、これは普通の蒸気機関の故障じゃない。魔導蒸気の暴走は、君たちが知っている技術とは根本的に違うんだ」
ドワーフの鍛冶師は腰に下げた特製の工具を取り出した。魔法結晶を埋め込んだハンマーと、耐熱性の高い合金でできた計測器具だ。
「わしが行く。魔導蒸気を扱った経験があるのは、ここではわしとリリアだけだ」
「でも、危険すぎます」リリアが震え声で言う。「魔導蒸気が暴走状態に入ると、普通の物質では防御できません。魔法結晶の反応が連鎖的に拡大して……」
彼女の説明は、機関室から響いてきた鋭い金属音によって遮られた。まるで巨大な釜が内部から叩かれているような、規則的だが力強い音だった。
「圧力が限界に近づいている」ガンドルフが眉をひそめる。「この音は、安全弁が作動しようとしている証拠だ」
勇樹は機関室の扉に耳を近づけた。確かに、通常の蒸気機関とは明らかに異なる音が聞こえてくる。金属の軋み、蒸気の咆哮、そして何か生き物が呻いているような不気味な響き。
「リリア、魔導蒸気が完全に暴走したら、どの程度の被害が予想される?」
リリアは青ざめた顔で計算を始めた。指を折りながら、魔法結晶の反応規模を推定している。
「車両一両分の魔導蒸気が一度に爆発した場合……半径百メートル以内の建物は全壊、二百メートル以内でも重大な損傷を受けます」
「それだけじゃない」ガンドルフが付け加える。「魔法結晶の破片が飛び散れば、触れた者は魔力中毒を起こす。最悪の場合、命に関わる」
技術兵の顔が蒼白になった。現在、避難民や本隊の兵士たちは列車から百メートル程度の距離にいる。完全に安全とは言えない位置だった。
その時、機関室の扉が突然震え始めた。内部の圧力に耐えきれず、金属製の扉が外側に膨らんでいく。
「まずい!」ガンドルフが大声を上げる。「扉が破裂するぞ!」
全員が慌てて後退する。だが、扉の変形は止まらない。蝶番部分から白い蒸気が漏れ出し、その蒸気に触れた金属パーツが赤く変色していく。
「魔導蒸気の温度が異常に上昇している」リリアが恐怖に震えながら呟く。「これは……制御不能です」
勇樹は周囲を見回した。列車の車両は密閉空間であり、魔導蒸気が充満すれば逃げ場がない。しかも、車両には救援に必要な医療器具や食料、そして何より多くの思い出が詰まっている。
「圧力計の数値を確認する必要がある」ガンドルフが決然として言う。「危険を承知で機関室に入る」
「待てよ」勇樹がガンドルフの肩を掴む。「一人で行かせるわけにはいかない」
「野中さん、あなたは鉄道の専門家であって、魔導蒸気の専門家ではありません」リリアが反対する。「これは私の責任です。私が行くべきです」
「いや、違う」
勇樹の声が、夜の静寂を切り裂いた。彼の表情には、これまで見せたことのない厳しさがあった。
「責任の問題じゃない。俺たちはチームだ。一人だけが危険を背負い込むのは間違っている」
ガンドルフが頷く。
「そうだ。わしも同感だ」
「でも……」リリアが反論しようとしたが、機関室からさらに激しい音が響いてきた。今度は連続的な爆発音のような響きだった。
「時間がない」勇樹が決断する。「ガンドルフ、君が圧力計を確認してくれ。俺とリリアは安全弁の状況を把握する。ミナとレオンは、万が一の場合の避難誘導を準備してくれ」
「分かりました」ミナとレオンが同時に頷く。
ガンドルフは特製の防護具を装着し始めた。分厚い皮の手袋、魔法結晶を組み込んだ防護服、そして顔を覆う特殊なマスク。
「これでも完全ではない」ガンドルフが言う。「魔導蒸気が本格的に暴走したら、どんな防護具も役に立たない」
リリアは自分の魔法杖を握り締めた。先端に埋め込まれた青い結晶が、微かに光を放っている。
「魔法結晶の共振を利用して、暴走を抑制できるかもしれません」彼女が言う。「でも、成功の保証はありません」
「やってみる価値はある」勇樹が励ます。「最悪の場合を想定して、準備は進めるが、まずはできることをやろう」
三人は慎重に機関室の扉に近づいた。扉の表面温度は既に危険なレベルに達しており、近づくだけで熱気を感じる。
ガンドルフが特製の工具で扉の鍵を開けた。扉が僅かに開いた瞬間、内部から激しい蒸気が噴出する。
「うわっ!」
ガンドルフが後退する。蒸気は白いというより、微かに青みがかった色をしていた。魔法結晶の影響で、通常の水蒸気とは性質が変わっているのだ。
「圧力計が見えない」ガンドルフが蒸気の向こうを覗き込む。「蒸気が濃すぎて、計器類が確認できん」
リリアが魔法杖を向けた。杖の先端から青い光が放たれ、蒸気を僅かに押し返す。
「今よ!」
ガンドルフが素早く機関室内に踏み込む。しかし、内部の状況は予想以上に深刻だった。
「これは……」ガンドルフの声が蒸気の中から聞こえてくる。「圧力計が振り切れている!制御盤の半分が赤熱状態だ!」
「どのくらい時間の余裕がある?」勇樹が大声で尋ねる。
「分からん!安全弁が既に限界を超えている!いつ爆発してもおかしくない状況だ!」
ガンドルフが慌てて機関室から出てくる。防護服の表面が熱で変色し、マスクには水滴が付着していた。
「完全に制御を失っている」ガンドルフが報告する。「魔法結晶の反応が連鎖的に拡大し、もはや人間の手では止められない段階に入っている」
リリアの顔が絶望的な表情になった。
「私の技術では……もうどうしようもありません」
その時、車両全体が微かに振動し始めた。機関室から漏れ出した魔導蒸気が、車両内部に充満し始めているのだ。通路の天井付近に白い靄が立ち込め、金属製の手すりが温かくなっている。
「皆、車両から出ろ!」勇樹が指示を出す。「ここにいては危険だ!」
しかし、車両から出ようとした瞬間、勇樹は足を止めた。救援列車の車内を見回すと、これまでの救援活動で使用した医療器具、避難民からもらった感謝の手紙、仲間たちと過ごした思い出の品々が目に入る。
この列車は、単なる交通手段ではない。多くの命を救い、希望を運んできた特別な存在だ。それを見捨てることが、果たして正しい判断なのだろうか。
「野中さん、早く!」ミナが車両の外から呼びかける。
だが、勇樹は動かなかった。彼の脳裏には、これまで救助した人々の顔が浮かんでいる。子供、老人、怪我人——皆、この列車に乗って安全な場所まで運ばれた人たちだ。
「俺は……」勇樹が呟く。
リリアが勇樹の表情を見て、彼の心の内を察した。
「野中さん、この列車への思いは私も同じです。でも……」
「分かっている」勇樹が振り返る。「でも、この列車を失うということは、今後の救援活動ができなくなるということだ。もっと多くの人が危険にさらされることになる」
ガンドルフが工具を握り締める。
「まだ手段がある。魔導蒸気の供給を完全に遮断すれば、暴走を止められるかもしれん」
「でも、それには……」リリアが言いかけて口を閉ざす。
「何だ?言ってくれ」
「魔法結晶を物理的に破壊する必要があります。でも、それは非常に危険で……爆発の危険性が高まります」
車両内の蒸気は次第に濃くなり、呼吸も困難になり始めた。このままでは、議論している時間すらなくなってしまう。
勇樹は深く息を吸い込んだ。そして、仲間たちを見回す。
「皆、聞いてくれ」
彼の声には、これまでになく強い決意が込められていた。
「俺は鉄道員として、乗客の安全を最優先に考えてきた。この異世界に来てからも、その信念は変わらない」
勇樹は拳を握り締める。
「もしこの列車が、皆の命を危険にさらすことになるなら……俺は迷わず列車を捨てる」
その言葉に、仲間たちは驚きの表情を見せた。勇樹にとって救援列車がどれほど大切な存在かを知っているだけに、その決断の重さを理解した。
「列車は確かに大切だ。でも、それ以上に大切なのは、皆の命だ」勇樹が続ける。「俺たちが生きていれば、また新しい列車を作ることができる。でも、命を失ったら、もう何もできない」
リリアの目に涙が浮かんだ。
「野中さん……」
「俺たちの使命は、人を救うことだ。そのためなら、どんな犠牲も厭わない」
ミナとレオンも、勇樹の決意に心を打たれた。彼らは勇樹が救援列車にどれほどの愛情を注いできたかを知っている。それを手放す決断がどれほど辛いものかも理解している。
しかし、その覚悟にこそ、真のリーダーとしての資質が現れていた。
「でも、まだ諦めるのは早い」ガンドルフが言う。「わしには一つだけ、最後の手段がある」
「どんな手段だ?」
「魔導蒸気の暴走を利用して、制御された爆発を起こす。上手くいけば、エネルギーを安全な方向に放出できる」
「それは……可能なのか?」
「分からん。やったことがない」ガンドルフが正直に答える。「でも、何もしないで列車を失うよりはましだ」
車両内の蒸気は更に濃くなり、視界が悪くなってきた。時間の余裕はもうほとんどない。
「決断しなければならない」勇樹が言う。「ガンドルフの方法を試すか、それとも列車を放棄するか」
仲間たちは皆、勇樹を見つめた。最終的な判断は、彼に委ねられている。
勇樹は車両の窓から外を見た。遠征救援隊の天幕では、避難民たちが不安そうに列車の方を見つめている。彼らにとって、救援列車は希望の象徴だ。それを失うことの意味は、計り知れない。
しかし、それ以上に重要なのは、目の前にいる仲間たちの命だ。そして、今後救うことになるであろう、まだ見ぬ人々の命だ。
「やってみよう」勇樹が決断する。「ガンドルフ、君の方法を試してみてくれ。でも、危険だと判断した瞬間に、すぐに撤退する。いいな?」
「承知した」
「リリア、君の魔法で制御の補助をしてくれ。俺は緊急運行スキルで、最悪の場合の脱出経路を確保する」
「分かりました」
「ミナ、レオン、君たちは避難民と本隊の安全確保を頼む。万が一の場合は、皆を安全な場所まで誘導してくれ」
「任せてください」
チーム全員が、それぞれの役割を理解した。危険な作業ではあるが、全員で力を合わせれば、きっと乗り越えられる。
機関室からの異音は更に激しくなり、車両全体が小刻みに震えている。魔導蒸気の暴走は、いよいよクライマックスに向かっているようだった。
勇樃は仲間たちの顔を見回した。皆、不安と決意が混じった表情をしている。だが、誰一人として逃げ出そうとする者はいない。
「行くぞ」勇樹が言う。「皆で力を合わせて、この危機を乗り切ろう」
夜の闇の中で、救援列車は白い蒸気に包まれながら、静かに次の瞬間を待っていた。その蒸気の向こうで、運命の歯車がゆっくりと回り始めている。
地平線の向こうから立ち上る砂煙が、徐々にその正体を現していく。最初は蜃気楼かと思われたその影は、やがて整然とした隊列を組んだ騎兵部隊と馬車群であることが判明した。遠征救援隊の本隊——数日前に王都から派遣された精鋭部隊が、ついに現地に到着したのだ。
勇樹は救援列車の運転席から双眼鏡を覗き込み、安堵のため息をついた。これで孤軍奮闘の状況から脱することができる。隣に立つミナも尻尾を小刻みに振りながら、近づいてくる援軍を見つめていた。
「やっと来てくれましたね」ミナが呟く。「あと少しで燃料も底を尽きそうでしたし、怪我人の手当てにも限界がありました」
「ああ。でも、これからが本当の救援活動の始まりだ」
勇樹は汽笛を三回鳴らし、本隊に列車の位置を知らせた。長く尾を引く汽笛の音が、荒れ果てた大地に響き渡る。
本隊の先頭を走る騎馬に跨がった若い騎士——レオンの姿が見えた。彼は馬を駆け寄せると、列車の横に馬を並走させながら手を振る。
「野中さん、無事だったんですね!」レオンの声が風に混じって聞こえてくる。「王都からの連絡が途絶えて、皆心配していたんです」
「こちらも何とか持ちこたえた。負傷者が多数いるから、すぐに医療班を回してくれ」
レオンは頷き、後方に手信号を送る。間もなく白衣を着た医師団と、薬草や包帯を積んだ荷車が列車に近づいてきた。
救援列車は静かに停車し、扉が開かれる。車内からは包帯を巻いた村人たちや、疲労困憊した表情の避難民が次々と降りてきた。医療班はすぐさま患者の容態を確認し、重篤な者から順に治療を開始する。
「これは……」本隊の指揮官が車内を見回しながら絶句した。「一体どれだけの人数を救出されたのですか」
「正確な数は把握しきれていないが、恐らく三百人近くになる」勇樹が答える。「魔獣の襲撃を受けた村が複数あったんだ。生存者を可能な限り収容した」
指揮官は驚愕の表情を浮かべた。通常の馬車部隊では、これほどの大人数を一度に搬送することは不可能だ。鉄道の威力を目の当たりにした瞬間でもあった。
リリアとガンドルフも車両から降り、本隊の到着を迎える。リリアの顔には安堵の表情が浮かんでいたが、どこか影のようなものも見えた。
「魔導蒸気の調子はどうだ?」ガンドルフがリリアに尋ねる。
「今のところは安定しています。でも、この数日間の連続運転で結晶の消耗が激しくて……」リリアは困ったような表情を見せる。「補充用の結晶は本隊に持参していただけたでしょうか」
レオンが頷く。「ええ、エルフの森から調達した上質な魔法結晶を持参しました。それと、追加の燃料と保守部品も」
「助かります」
だが、リリアの表情は完全には明るくならなかった。彼女の視線は、列車から降りてくる避難民たちに向けられている。包帯を巻いた子供、松葉杖をついた老人、家族を失った悲しみに暮れる女性——魔獣の襲撃が残した傷跡は、想像以上に深刻だった。
「皆さん、こちらの天幕で休息を取ってください」本隊の兵士たちが避難民を誘導する。「温かい食事と寝床を用意してあります」
救援活動は組織的に進められた。医療班は負傷者の治療に専念し、補給班は避難民への食料配給を行う。工兵隊は列車の点検と修理を担当し、斥候隊は周辺の安全確認に向かった。
勇樹は指揮官と共に、今後の救援計画を検討していた。地図を広げながら、まだ救助が完了していない村落の位置を確認する。
「ここと、ここ、それからここにも生存者がいる可能性が高い」勇樹が地図上の点を指し示す。「魔獣の移動ルートを考慮すると、これらの村は襲撃を免れている可能性がある」
「なるほど。では明日から三つの部隊に分かれて、同時進行で救援活動を行いましょう」
計画は順調に進んでいるように見えた。しかし、リリアの心中は穏やかではなかった。彼女は天幕の外れに座り込み、夕暮れに染まる荒野を見つめていた。
その様子に気づいた勇樹が近づいてくる。
「疲れているのか?」勇樹がリリアの隣に腰を下ろした。
「いえ、そういうわけでは……」リリアは首を振る。「ただ、考えていることがあって」
「何を?」
リリアは暫く沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「私たちは確かに多くの人を救うことができました。でも、それ以上に多くの人が亡くなってしまった。もっと早く到着していれば、もっと強力な魔法を使えていれば……」
彼女の声は次第に小さくなっていく。
「魔導蒸気にしても、私の技術ではまだまだ不完全です。結晶の消耗が激しくて、長時間の運転に耐えられない。もっと効率的な方法があるはずなのに、私には見つけられない」
勇樹はリリアの横顔を見つめた。エルフの少女は、自分が思っている以上に大きな責任を背負い込んでいるようだった。
「君は十分にやっているよ」勇樹が静かに言う。「魔導蒸気がなければ、これだけの大人数を運ぶことはできなかった。君の技術があったからこそ、多くの命を救えたんだ」
「でも……」
「完璧でなくていい。俺たちは神じゃないんだから、全ての人を救えるわけじゃない。でも、救える人を一人でも多く救う。それが俺たちにできることだ」
リリアは勇樹の言葉を聞きながら、目に涙を浮かべた。
「野中さんはいつもそうやって、前向きに考えることができるんですね。私はどうしても、救えなかった人のことを考えてしまう」
「それは君が優しいからだ。その気持ちを忘れてはいけない。でも、それに押し潰されてもいけない」
勇樹はリリアの肩に手を置いた。
「俺だって同じだ。前の世界でも、今の世界でも、救えなかった人たちがいる。そのことを忘れたことは一度もない。でも、その人たちのためにも、俺たちは前に進まなければならない」
「前に、進む……」
「ああ。君の魔導蒸気技術も、きっともっと進歩する。俺の鉄道技術だってまだまだ改良の余地がある。一緒に頑張ろう」
リリアは小さく頷いた。勇樹の温かな言葉が、彼女の心に少しずつ希望の光を灯していく。
しかし、その時だった。遠くから聞こえてきたのは、ミナの鋭い声だった。
「野中さん、リリアちゃん!大変です!」
二人は慌てて立ち上がる。ミナが天幕の間を縫うように駆けてきた。その表情は緊張に満ちている。
「どうした?」勇樹が問いかける。
「列車の様子がおかしいんです!機関室から変な音がして……」
勇樹とリリアは顔を見合わせた。嫌な予感が二人の胸をよぎる。
三人は急いで列車に向かった。確かに、機関室の方向から通常とは異なる音が聞こえてくる。金属がきしむような音と、蒸気が不規則に噴出する音が混じり合っていた。
「これは……」リリアが顔を青くする。
機関室に近づくにつれ、異常な熱気が感じられた。通常の蒸気機関から発せられる熱とは明らかに質が異なる、何か危険な気配を含んだ熱だった。
レオンとガンドルフも駆けつけてくる。
「一体何が起こっているんだ?」レオンが息を切らせながら尋ねる。
「分からない。でも、魔導蒸気に何らかの異常が発生している可能性が高い」勇樹が答える。
ガンドルフが機関室のドアに手をかけようとした瞬間、中から激しい蒸気が噴き出した。ドワーフの鍛冶師は慌てて手を引っ込める。
「これは普通の蒸気じゃない。魔力を含んだ蒸気だ」ガンドルフが厳しい表情で言う。「下手に触れると火傷では済まない」
リリアの顔がさらに青ざめた。
「まさか……魔導蒸気が暴走を始めているの?」
「暴走?」勇樹が眉をひそめる。
「魔法結晶が限界を超えて反応を続けると、制御を失って暴発することがあります。もしそうなったら……」
リリアの声は震えていた。
「列車が爆発する可能性があります」
その言葉に、周囲にいた全員の表情が凍りついた。救援列車——多くの命を救ってきた希望の象徴が、今度は大きな危険の源となろうとしているのかもしれない。
機関室からの異音は次第に大きくなり、蒸気の噴出も激しさを増していく。夕暮れの中、白い蒸気が不気味な影を作り出していた。
勇樹は拳を握り締めた。この列車は、彼にとって単なる乗り物以上の意味を持っている。多くの人々を救い、希望を運んできた大切な相棒だ。しかし、もしその列車が周囲の人々を危険に晒すことになるなら……。
「皆、列車から離れろ!」勇樹が大声で指示を出す。「避難民と本隊の人員、全員を安全な場所まで避難させてくれ!」
レオンとミナが即座に行動を開始し、天幕にいる人々に避難指示を出し始める。だが、重傷者や高齢者もいる中で、全員を迅速に避難させるのは容易ではない。
リリアは機関室を見つめながら、自分の責任を強く感じていた。魔導蒸気は彼女が開発し、管理してきた技術だ。もしこの暴走が多くの人を危険に晒すことになるなら、その責任は彼女にある。
「私が……私が何とかします」リリアが前に出ようとする。
しかし、勇樹が彼女の腕を掴んだ。
「危険すぎる。君一人に任せるわけにはいかない」
「でも、魔導蒸気を一番よく知っているのは私です。私にしかできないことがあるかもしれません」
勇樹はリリアの瞳を見つめた。そこには恐怖と決意が混じり合っていた。
「だったら、一人じゃなくて皆でやろう」勇樹が言う。「俺たちはチームだ。一人で背負い込む必要はない」
ガンドルフも頷く。
「そうだ。わしも鍛冶の技術で何か力になれるかもしれん」
ミナとレオンも戻ってきた。
「避難はほぼ完了しました」ミナが報告する。「でも、列車が爆発したら、この距離でも危険かもしれません」
「分かった。でも、まずは原因を突き止めよう」勇樹が決意を込めて言う。「この列車は俺たちの希望の象徴だ。簡単に諦めるわけにはいかない」
機関室からの異音と蒸気の噴出は、まだ続いていた。夜の闇が次第に深くなる中で、白い蒸気だけが異様に目立っている。
勇樹たちは、これから訪れる危機にどう立ち向かうか、真剣に検討を始めた。救援列車の運命、そして多くの人々の安全が、彼らの判断にかかっていた。
機関室の扉越しに聞こえる異音は、次第に規則性を失い始めていた。最初は単調なリズムを刻んでいた蒸気の噴出音が、今では不協和音のような不気味な響きを奏でている。
「圧力計を確認したい」ガンドルフが工具袋を肩に担ぎながら言った。「だが、この蒸気では近づくのも困難だ」
本隊から駆けつけた技術兵の一人が、防護用の皮手袋を着用しながら前に出る。
「私が行きます。軍の工兵隊では、こういった緊急事態の対処訓練を受けていますから」
しかし、ガンドルフが首を振る。
「いや、これは普通の蒸気機関の故障じゃない。魔導蒸気の暴走は、君たちが知っている技術とは根本的に違うんだ」
ドワーフの鍛冶師は腰に下げた特製の工具を取り出した。魔法結晶を埋め込んだハンマーと、耐熱性の高い合金でできた計測器具だ。
「わしが行く。魔導蒸気を扱った経験があるのは、ここではわしとリリアだけだ」
「でも、危険すぎます」リリアが震え声で言う。「魔導蒸気が暴走状態に入ると、普通の物質では防御できません。魔法結晶の反応が連鎖的に拡大して……」
彼女の説明は、機関室から響いてきた鋭い金属音によって遮られた。まるで巨大な釜が内部から叩かれているような、規則的だが力強い音だった。
「圧力が限界に近づいている」ガンドルフが眉をひそめる。「この音は、安全弁が作動しようとしている証拠だ」
勇樹は機関室の扉に耳を近づけた。確かに、通常の蒸気機関とは明らかに異なる音が聞こえてくる。金属の軋み、蒸気の咆哮、そして何か生き物が呻いているような不気味な響き。
「リリア、魔導蒸気が完全に暴走したら、どの程度の被害が予想される?」
リリアは青ざめた顔で計算を始めた。指を折りながら、魔法結晶の反応規模を推定している。
「車両一両分の魔導蒸気が一度に爆発した場合……半径百メートル以内の建物は全壊、二百メートル以内でも重大な損傷を受けます」
「それだけじゃない」ガンドルフが付け加える。「魔法結晶の破片が飛び散れば、触れた者は魔力中毒を起こす。最悪の場合、命に関わる」
技術兵の顔が蒼白になった。現在、避難民や本隊の兵士たちは列車から百メートル程度の距離にいる。完全に安全とは言えない位置だった。
その時、機関室の扉が突然震え始めた。内部の圧力に耐えきれず、金属製の扉が外側に膨らんでいく。
「まずい!」ガンドルフが大声を上げる。「扉が破裂するぞ!」
全員が慌てて後退する。だが、扉の変形は止まらない。蝶番部分から白い蒸気が漏れ出し、その蒸気に触れた金属パーツが赤く変色していく。
「魔導蒸気の温度が異常に上昇している」リリアが恐怖に震えながら呟く。「これは……制御不能です」
勇樹は周囲を見回した。列車の車両は密閉空間であり、魔導蒸気が充満すれば逃げ場がない。しかも、車両には救援に必要な医療器具や食料、そして何より多くの思い出が詰まっている。
「圧力計の数値を確認する必要がある」ガンドルフが決然として言う。「危険を承知で機関室に入る」
「待てよ」勇樹がガンドルフの肩を掴む。「一人で行かせるわけにはいかない」
「野中さん、あなたは鉄道の専門家であって、魔導蒸気の専門家ではありません」リリアが反対する。「これは私の責任です。私が行くべきです」
「いや、違う」
勇樹の声が、夜の静寂を切り裂いた。彼の表情には、これまで見せたことのない厳しさがあった。
「責任の問題じゃない。俺たちはチームだ。一人だけが危険を背負い込むのは間違っている」
ガンドルフが頷く。
「そうだ。わしも同感だ」
「でも……」リリアが反論しようとしたが、機関室からさらに激しい音が響いてきた。今度は連続的な爆発音のような響きだった。
「時間がない」勇樹が決断する。「ガンドルフ、君が圧力計を確認してくれ。俺とリリアは安全弁の状況を把握する。ミナとレオンは、万が一の場合の避難誘導を準備してくれ」
「分かりました」ミナとレオンが同時に頷く。
ガンドルフは特製の防護具を装着し始めた。分厚い皮の手袋、魔法結晶を組み込んだ防護服、そして顔を覆う特殊なマスク。
「これでも完全ではない」ガンドルフが言う。「魔導蒸気が本格的に暴走したら、どんな防護具も役に立たない」
リリアは自分の魔法杖を握り締めた。先端に埋め込まれた青い結晶が、微かに光を放っている。
「魔法結晶の共振を利用して、暴走を抑制できるかもしれません」彼女が言う。「でも、成功の保証はありません」
「やってみる価値はある」勇樹が励ます。「最悪の場合を想定して、準備は進めるが、まずはできることをやろう」
三人は慎重に機関室の扉に近づいた。扉の表面温度は既に危険なレベルに達しており、近づくだけで熱気を感じる。
ガンドルフが特製の工具で扉の鍵を開けた。扉が僅かに開いた瞬間、内部から激しい蒸気が噴出する。
「うわっ!」
ガンドルフが後退する。蒸気は白いというより、微かに青みがかった色をしていた。魔法結晶の影響で、通常の水蒸気とは性質が変わっているのだ。
「圧力計が見えない」ガンドルフが蒸気の向こうを覗き込む。「蒸気が濃すぎて、計器類が確認できん」
リリアが魔法杖を向けた。杖の先端から青い光が放たれ、蒸気を僅かに押し返す。
「今よ!」
ガンドルフが素早く機関室内に踏み込む。しかし、内部の状況は予想以上に深刻だった。
「これは……」ガンドルフの声が蒸気の中から聞こえてくる。「圧力計が振り切れている!制御盤の半分が赤熱状態だ!」
「どのくらい時間の余裕がある?」勇樹が大声で尋ねる。
「分からん!安全弁が既に限界を超えている!いつ爆発してもおかしくない状況だ!」
ガンドルフが慌てて機関室から出てくる。防護服の表面が熱で変色し、マスクには水滴が付着していた。
「完全に制御を失っている」ガンドルフが報告する。「魔法結晶の反応が連鎖的に拡大し、もはや人間の手では止められない段階に入っている」
リリアの顔が絶望的な表情になった。
「私の技術では……もうどうしようもありません」
その時、車両全体が微かに振動し始めた。機関室から漏れ出した魔導蒸気が、車両内部に充満し始めているのだ。通路の天井付近に白い靄が立ち込め、金属製の手すりが温かくなっている。
「皆、車両から出ろ!」勇樹が指示を出す。「ここにいては危険だ!」
しかし、車両から出ようとした瞬間、勇樹は足を止めた。救援列車の車内を見回すと、これまでの救援活動で使用した医療器具、避難民からもらった感謝の手紙、仲間たちと過ごした思い出の品々が目に入る。
この列車は、単なる交通手段ではない。多くの命を救い、希望を運んできた特別な存在だ。それを見捨てることが、果たして正しい判断なのだろうか。
「野中さん、早く!」ミナが車両の外から呼びかける。
だが、勇樹は動かなかった。彼の脳裏には、これまで救助した人々の顔が浮かんでいる。子供、老人、怪我人——皆、この列車に乗って安全な場所まで運ばれた人たちだ。
「俺は……」勇樹が呟く。
リリアが勇樹の表情を見て、彼の心の内を察した。
「野中さん、この列車への思いは私も同じです。でも……」
「分かっている」勇樹が振り返る。「でも、この列車を失うということは、今後の救援活動ができなくなるということだ。もっと多くの人が危険にさらされることになる」
ガンドルフが工具を握り締める。
「まだ手段がある。魔導蒸気の供給を完全に遮断すれば、暴走を止められるかもしれん」
「でも、それには……」リリアが言いかけて口を閉ざす。
「何だ?言ってくれ」
「魔法結晶を物理的に破壊する必要があります。でも、それは非常に危険で……爆発の危険性が高まります」
車両内の蒸気は次第に濃くなり、呼吸も困難になり始めた。このままでは、議論している時間すらなくなってしまう。
勇樹は深く息を吸い込んだ。そして、仲間たちを見回す。
「皆、聞いてくれ」
彼の声には、これまでになく強い決意が込められていた。
「俺は鉄道員として、乗客の安全を最優先に考えてきた。この異世界に来てからも、その信念は変わらない」
勇樹は拳を握り締める。
「もしこの列車が、皆の命を危険にさらすことになるなら……俺は迷わず列車を捨てる」
その言葉に、仲間たちは驚きの表情を見せた。勇樹にとって救援列車がどれほど大切な存在かを知っているだけに、その決断の重さを理解した。
「列車は確かに大切だ。でも、それ以上に大切なのは、皆の命だ」勇樹が続ける。「俺たちが生きていれば、また新しい列車を作ることができる。でも、命を失ったら、もう何もできない」
リリアの目に涙が浮かんだ。
「野中さん……」
「俺たちの使命は、人を救うことだ。そのためなら、どんな犠牲も厭わない」
ミナとレオンも、勇樹の決意に心を打たれた。彼らは勇樹が救援列車にどれほどの愛情を注いできたかを知っている。それを手放す決断がどれほど辛いものかも理解している。
しかし、その覚悟にこそ、真のリーダーとしての資質が現れていた。
「でも、まだ諦めるのは早い」ガンドルフが言う。「わしには一つだけ、最後の手段がある」
「どんな手段だ?」
「魔導蒸気の暴走を利用して、制御された爆発を起こす。上手くいけば、エネルギーを安全な方向に放出できる」
「それは……可能なのか?」
「分からん。やったことがない」ガンドルフが正直に答える。「でも、何もしないで列車を失うよりはましだ」
車両内の蒸気は更に濃くなり、視界が悪くなってきた。時間の余裕はもうほとんどない。
「決断しなければならない」勇樹が言う。「ガンドルフの方法を試すか、それとも列車を放棄するか」
仲間たちは皆、勇樹を見つめた。最終的な判断は、彼に委ねられている。
勇樹は車両の窓から外を見た。遠征救援隊の天幕では、避難民たちが不安そうに列車の方を見つめている。彼らにとって、救援列車は希望の象徴だ。それを失うことの意味は、計り知れない。
しかし、それ以上に重要なのは、目の前にいる仲間たちの命だ。そして、今後救うことになるであろう、まだ見ぬ人々の命だ。
「やってみよう」勇樹が決断する。「ガンドルフ、君の方法を試してみてくれ。でも、危険だと判断した瞬間に、すぐに撤退する。いいな?」
「承知した」
「リリア、君の魔法で制御の補助をしてくれ。俺は緊急運行スキルで、最悪の場合の脱出経路を確保する」
「分かりました」
「ミナ、レオン、君たちは避難民と本隊の安全確保を頼む。万が一の場合は、皆を安全な場所まで誘導してくれ」
「任せてください」
チーム全員が、それぞれの役割を理解した。危険な作業ではあるが、全員で力を合わせれば、きっと乗り越えられる。
機関室からの異音は更に激しくなり、車両全体が小刻みに震えている。魔導蒸気の暴走は、いよいよクライマックスに向かっているようだった。
勇樃は仲間たちの顔を見回した。皆、不安と決意が混じった表情をしている。だが、誰一人として逃げ出そうとする者はいない。
「行くぞ」勇樹が言う。「皆で力を合わせて、この危機を乗り切ろう」
夜の闇の中で、救援列車は白い蒸気に包まれながら、静かに次の瞬間を待っていた。その蒸気の向こうで、運命の歯車がゆっくりと回り始めている。
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