ご褒美みたいな交わりを 〜捨てられΩの新たな恋〜

水主

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閑話 秘密のサービス

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 それは、琉生が大学生になり、老舗百貨店でアルバイトを始めたばかりの頃。

 彼の知らぬところで、数多のαを惑わせる“香り”の物語が、静かに始まっていた。

 ♾️

「変わったサービスを始めたね。」


 老舗百貨店《SUZU》。その外商客の中でも、さらに選ばれた上客だけが足を踏み入れられる──特別室。

 静謐な空気を切るように、壮年のαが口を開いた。

 対面するのは、βの店長。長年の経験から、客の一言や表情だけで望みを察することを得意としている。

 だが今回ばかりは、その「変わったサービス」とやらが何を指すのか見当もつかなかった。

「……と申しますと?」

 慎重に問い返すと、αはグラスを揺らしながら、意味深に笑った。

「あぁ、君には分からないか。じゃあ、鈴代くんが裏で画策してるのかな。まったく、面白い男だよ」

 その名を聞いた瞬間、店長の胸がわずかに強張った。国内外に店舗を構える老舗百貨店〈SUZU〉の社長、鈴代誠司。

 表向きは厳格で、落ち着いた風格を備えた経営者。だが裏では、絶え間なく噂のつきまとう男でもある。

 目の前の客は、その鈴代と私的な交わりを持つ人物だ。だからこそ、今の“裏”という一言の真意が読み取れなかった。

「鈴代くんが仕掛けた……“宝探し”のような遊び、ということかな?」

 αは立ち上がり、微笑した。

「お望み通り、売り場を見に行こう。──僕の好みに合いそうな“宝”を、案内してくれるかい?」

 店長は息を呑む。

 彼が“店に来る”と連絡を受けた時点で十分に異例だった。普段は屋敷での外商対応が当たり前の名家の当主。それが、わざわざ自ら店内を歩こうとしている。

 それだけで、この“宝探し”がただの冗談ではないと悟る。

 だが、αにとっての“宝”とは、ただ一つ。それはΩ。Ωに関わる何かが、この店のどこかに隠されているのか?

 店長は沈黙したまま、背筋を正した。彼の理解を超える“ゲーム”が、すでに始まっていた。

 ♾️

「あの店も、この店も……はは、思いのほか楽しいね。」

 どの売り場を回っても、αの表情には愉悦の色が滲んでいた。

 だが店長には、彼が何を楽しんでいるのか皆目見当がつかない。

「これと、それを──自宅に送ってくれ。」

 指し示されたのは衣類ばかり。だが、年代も性別も価格帯も統一感がない。彼が身につけるとは到底思えないものばかりだった。

「これなんて、素晴らしいね。……僕に似合いそうだ。」

 彼はゴルフ用品店のキャップを手に取り、鼻先を近づけた。若いゴルファーに人気のブランドだが、彼の年齢にも格式にもそぐわない。

 それでも、その目は明らかに何かを確かめている。──香り。

「青くて、甘くて、爽やかだ……そうか、男の子だったのか。」

 微笑を浮かべ、帽子を胸に抱く。

「面白くなってきた。また来るよ。今日はこれで帰る。」

 そう言い残し、彼はまるで宝を抱くように帽子を持って去っていった。

 ♾️

「売上がおかしい。」

 4月期の会議室。
 店長と外商部長が売上表を前に腕を組む。

「特にイベントも仕掛けていないのに、Sランクのお客様の来店率が急増しています。一般客の比ではありません。」

「皆様、誰かを“探して”おられるようでした。」

「探して?」

「はい。女性客も、学生の方も……皆一様に『いい香りがする』と。」

「香り……まさか、αのお客様か?」

「その通りです。お名前を確認しましたが、いずれも名家の当主やご子息ばかりでした。」

「香りとなると……Ωか?」

「しかし、うちにΩの従業員など──」

「正社員にはいないが、催事の派遣スタッフやテナントのアルバイトなら可能性はあるかもしれん。」

「とはいえ、この世に“働くΩ”など……。」

「そうだな。考えにくい。……だが、もしご贔屓にしてくださるΩのお客様の香りが移ったとしたら?」

「それを追って、αのお客様が集まっている……?」

 二人は顔を見合わせ、言葉を失った。まるで春の風に導かれるように、αたちは次々と店を訪れていた。“香りの主”を探すために。

 しかし、売上は六月を過ぎると、嘘のように落ち着いた。頻繁に来店していた上客たちも「つまらない」と言い、再び屋敷に従業員を呼びつける形へと戻っていった。

 店長たちは、謎の答えを知らぬまま、
 それを春の幻のように記憶の奥へ沈めていった。

 ♾️

「なんだ、君が捕まえたのかい?」

 政財界の親睦を兼ねた晩餐会。

 白河総務大臣が、鈴代財閥の御曹司──鈴代誠司に声をかけた。

「そんなに香りを纏わせて……嫌味だね、まったく。」

「なんのお話でしょうか?」

「とぼけるなよ。君の店の“香りのサービス”がなくなっただろう?あれを楽しみに、わざわざ店まで足を運んだのに、出会えず仕舞いだ。それなのに、今夜の君から同じ香りがプンプンする。……自慢かい?」

 白いものが混じる髪を撫でつけながら、白河は笑った。だがその目は笑っていない。久々に心を奪われる香りに出会った矢先の“お預け”

 しかも、その“獲物”を目の前の小僧が得意げに纏っている。面白いはずがなかった。

「ご贔屓いただき、誠にありがとうございます。ですが、あれは“サービス”ではございませんよ。うちの倉庫アルバイトに偶然、Ωがおりまして。その子の香りが商品に移ってしまっただけのこと。働かねばならない身の上の哀れなΩを保護するのもαの務め。今は私が、匿っております。」

「匿う、ね……。あの香りを嗅いだら、誰も手放せまい。さぞ“美味しい”のだろう? 君のフェロモンに混ざってもなお、際立っている。できることなら、彼単体で味わってみたいよ。まったく。」

「それは困りますね。未来のファーストレディーとなられる奥様に叱られますよ。優秀なαを二人もお産みになった、立派な細君ではありませんか。」

「僕を脅すのか? まあいい。妻に叱られるのは本望じゃないから、今日は引くよ。ただし忠告だ。彼の香りを纏った帽子が、息子たちにバレてね。僕は手を出さないが、他のαに後ろから刺されないように気をつけるんだな。」

「……。」

「下の息子なんて、僕や家を嫌って防衛大学校に入っちゃったよ。物理的な意味でも、君は敵わないだろう?」

 白河は、口の端を歪めて「ははっ」と笑った。

「頑張って“お姫様”を守るんだね。まだフェロモンが香るということは、番にはしていないようだが……。大切なら、早く自分のものにすることだ。取り返しがつかなくなる前にな。」

 白河は片手を軽く振り、ワイングラスを掲げて去っていった。

 去り際に、ふと振り返り、毒を含んだ声で言い放つ。

「──息子の嫁っていうのも、悪くないね」

 残された鈴代の横顔には、わずかな笑み。

 だが、その瞳には氷のような光が宿っていた。
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