セピア色の記憶

小雨深子

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セピア色の記憶

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 『セピア色の記憶』
 忘れ方を教えてほしい。 
そんなことは一度たりとも思った事はないが、忘れられたい事は何度もある。
小学生の時先生を間違ってお母さんと呼んでしまった事。貰った恋文を捨てている所をクラスの女の子にバラされた事。同窓会でベロベロに酔っ払って、吐いた事。会社で納期を間違えて大失敗した事。
人には覚えてて欲しくない失敗や過ちが沢山ある。
しかし、自分が気にしている以上に、他人というのは他人に興味がない物だ。
人からああ見られたいこう見られたい、こう思われてるかもしれない。それ程誰も気にしていないのだ。
人にとって知らぬ人は、ただの風景に過ぎない。日々無数に通り過ぎて行く街並みと変わらない。
見知った人でさえ、さほど自分の事など気にもとめていない。
『時間が解決してくれる』そういうものなのかもしれない。でも、忘れてしまう事よりも、覚え続けている事の方がよっぽど難しい。『人間は二度死ぬ。』初めは肉体的に死んだ時。二度目は人から忘れられた時。人は大切な人を失った時、声から忘れていくそうだ。沢山の最後に聞いた声を思い出せてるだろうか。次に言葉を。次に顔を。最後に思い出を。
私は何人との記憶を思い出せたかな。忘れる事で人間は自分を守ろうとする。
じゃー私は一体何から自分を守ろうとしているのだろうか。
 私は数年前から、物忘れが少しずつ増えていった。
最初は本当に些細な事だった。鍵の場所がわからなくなったり、名前が出てこなかったり、待ち合わせの時間を間違えたり。家にいてもぼーっとする事が多くなっていった。
それでも私は、疲れやストレスのせいにしたり、よくある事だと言い聞かせその場を見ないふりするのである。
しかしある日、仕事で大きなミスをした事によって、段々とそれは私を飲み込んで、自分でも自覚するくらいの記憶の喪失等だと気付いてしまう。仕事を休み病院へ行くよう上司に言われ、仕方ないと思い病院へ足を運ぶ。
 『若年性アルツハイマー。』
 一通りの検査を終え、そう告げられた。
ドラマや小説なんかで目にした事はあるが、まさか自分がなるなんて思っていなかったので、あまり関心を抱いた事はなかった。それからというもの、事ある毎にメモを残し、あらゆる所に張るようにした。
そんなものはしょせん付け焼き刃である。やがて病魔はどんどん進行して行く。快晴、空に雲一つないこの日。
事故で倒れたのをキッカケに私は施設に入所する事になった。
 ある日、私に一人の女性が訪ねてきた。私よりもふた回りくらい歳のいった女性である。
 『どちら様でしょうか?』
 そう言うとその女性は涙をポロポロこぼしながら、『初めまして』そう言った。
私が見た人の中で一番優しい笑顔をしたその女性は、私に風呂敷を渡すと『また来るね』そう言って去って言った。
何だったんだろう。そう思いながら風呂敷を広げると、中には私の好きな里芋の煮っころがしが入っていた。
今考えると知らない人から受け取ったものを口にするのはどうかと思うが、あの優しい笑顔の女性を私は信用していたのだと思う。
懐かしい味だ。何故だかわからないが涙がこぼれた。
それからというもの、毎週知らない女性が訪ねてくるのである。その度に『初めまして』という会話を僕はした。
思い出せない。今日は何曜日?今何をしていたんだっけ。夕飯は食べた。いや、食べてない。ご馳走様でした。
 『時間が解決してくれる。』
 そんな事はなく、私は時間と共に時間を浪費するだけの存在になった。
人間は忘れられると死んでしまうのならば、私は一体何人の人を殺したのだろうか。
そんな事ばかりを考えて生きるのが辛くなってきた。もう誰かを殺したりするのは終わりにしよう。
もう誰にも会わなければいい。誰からも忘れてもらった方が楽だ。最期にお母さんに会いたい。母は何年も前に実家に帰ったぶり会っていなかった。
お母さんの里芋の煮っころがしが食べたいな。でも、私は母を殺したくないので、会ってはいけない。
私はふらふらと車道へ飛び出すと、大きなクラクションと共に空を飛んだ。
もう忘れ方も忘れてしまったよ。さようなら、今日も空が青い。
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