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第8話「母は娘の恋路を応援する」
大陸歴 2791年 5月 エヴェリン王国 王都リュミエール / リリア=エヴェリン
夜も更け、王宮はようやく静寂を取り戻した。 私は姉様――女王アウローラの私室で、湯気を立てる香り高い紅茶のカップを手に、今日一日の騒動を振り返っていた。
「……それにしても、あの子たちの執着ぶりは予想以上でした。」
私の呟きに、ソファでくつろいでいた姉様が苦笑する。 夫のエリオン様は、ヒイロの世話で張り切りすぎたのか、少し眠たげな様子で紅茶を啜っている。
「ええ、リリア。特にクラリスとルミナの熱の入れようと言ったら……。四六時中、ヒイロの部屋に入り浸りそうな勢いだったわ」
「笑い事ではありませんよ、姉様。クラリスとルミナだけでなく、私たちの娘全員がヒイロに夢中になりそうです」
私はカップをソーサーに置き、昼間の光景を脳裏に浮かべた。 クラリス、ルミナ、セラフィナ、ヴァレリアの4姉妹。 そして、そこに加わった私の娘たち――イゾルデとミラベル。 合計6人の少女たちが、たった一人の赤ん坊を取り囲む様は、壮観と言うべきか、あるいは恐ろしいと言うべきか。
何より驚いたのは、ヒイロの反応だ。 普通なら、あれだけ騒がしい姉たちに囲まれ、代わる代わる触れられれば、驚いて泣き出すのが赤ん坊というものだ。 けれど、あの子はどうだ。 泣くどころか、どこか冷めたような、それでいて状況を分析するかのような理知的な瞳で周囲を観察していた。 赤ん坊にしては、あまりに肝が据わっている。あるいは、理性的すぎると言ってもいい。
(……やはり、あの子はただ者ではないわね)
私は思考を、自分の娘たちへと切り替えた。 昼間、あえて「異母姉なら弟なら婚姻が可能」という事実を突きつけた時の、イゾルデとミラベルの反応。 二人とも、顔を真っ赤にして動揺していた。あれは間違いなく、ヒイロに対して「弟」以上の感情――一目惚れに近い衝撃を受けていた証拠だ。 母親として、娘たちの淡い恋心を成就させてやりたいと思うのは自然なことだろう。
だが、恋路を応援するにしてもヒイロと二人が接点を持ち続けられるかは疑問だ。
長女のイゾルデは心配ない。 彼女は公爵家の跡継ぎであり、、第一王女クラリスの親友だ。放っておいても、公務や護衛を通じて自然とヒイロとの接点を持つことができる。将来の女王の最側近となれば弟王子との関係性も長く続いていくだろう。
問題は、次女のミラベルだ。 彼女はまだ何も将来が決まっておらず家も継がないただの女の子だ。エラーラのように王宮の侍女となっても、シフト制の勤務ではヒイロと接する時間は限られるし会話もむつかしいかもしれない。それにヒイロの世話は競争率が高く先輩侍女に取られてしまうことだろう。 特別な「役職」を与えなければ、ヒイロと交流を持つ正当な理由がない。 このままでは、ミラベルはヒイロと疎遠になり、恋のスタートラインにすら立てない可能性がある。
(……それは不憫だわ。ミラベルには、ヒイロの側にいるための「役割」が必要ね)
私は心の中で方針を固めると、姿勢を正して姉様とエリオン様、そして部屋の隅に控える侍女長のエラーラに向き直った。 ここからは、家族の会話ではなく、王家の未来を決める戦略会議だ。
「さて、姉様、エリオン様、エラーラ。今夜お時間をいただいたのは、他でもありません。ヒイロの周りを固める体制についてです」
私の切り出しに、姉様の表情が引き締まる。
「王子という希少な存在を守るには、現在の体制では不十分です。ヒイロの誕生を公表すれば、国内の貴族たちはこぞって娘を送り込もうとするでしょうし、他国のスパイが入り込む隙も生まれます」
「……ええ、そうね。いつまでも私たちやエラーラがつきっきりになるのは負担が大きいし、使用人を増やす必要はあるわね」
「その通りです。そこで、提案があります。ヒイロには、信頼できる『専属侍女』を一人はつけるべきです。それも、外部の人間ではなく、絶対に裏切らない身内から」
私は一呼吸置き、用意していた結論を提示した。
「まだ若いですが私の娘、ミラベルを推薦いたします」
姉様とエリオン様が、少し驚いたように顔を見合わせる。 私はすかさず、ロジックを積み上げた。
「理由は三つあります。第一に、身元が確実であること。私の娘ですから、王家を裏切る心配は万に一つもありません。第二に、能力です。元々物覚えも早く努力できる子ですし、気が利く子なのでエラーラに鍛えてもらえば立派な侍女になるでしょう。そして第三に、年齢です。専属侍女となれば、私たちにとってのエラーラのように長く関係性を持つことになるので、将来を見起こしてできるだけヒイロの年齢に近い者を入れておくべきかと」
我ながらうまい理屈をこねるものだ。 どこにも「娘の恋を応援したいから」などという私情は挟んでいない。あくまで、王子のセキュリティと育成のための合理的な人事配置だ。
私は視線でエラーラに同意を求めた。 彼女は恭しく一礼し、静かに口を開く。
「はい。ミラベルならば、私の技術を全て叩き込む価値があるでしょう。……少々、ヒイロ様への想いが強すぎるきらいはありますが、私が監督します」
エラーラの言葉に、私は心の中で親指を立てた。 「想いが強い」というのは、裏を返せばそれだけ献身的だということだ。王族の侍女としてこれほど優秀な人材はいない。
「なるほど、ミラベルか……」
エリオン様が、優しく微笑んだ。
「彼女なら、ヒイロのことを弟のように……いや、それ以上に大切にしてくれるだろう。僕も賛成だよ」
「ええ、身内で固めるのが一番安心ね。ミラベルなら気心も知れているし、ヒイロもリラックスできるでしょう。……決まりね。ヒイロの専属侍女は、ミラベル=エヴェリンに任じます」
姉様の承認が下りた。 私は胸の中で、小さくガッツポーズをした。
「ありがとうございます、姉様。あの子も王家のため、ヒイロのために尽くせると知れば喜んでエラーラの弟子として熱心に取り組むことでしょう」
これで、ミラベルのポジションは確保された。 「専属侍女」という肩書きがあれば、朝の着替えから夜の寝かしつけまで、ヒイロの生活の全てに関与することができる。 他の有象無象の貴族令嬢が近づいてきても、「職務ですので」の一言で追い払うことができる最強の防壁であり、自身は交流を続けられるポジションだ。
(よかったわね、ミラベル。これで貴女は、誰よりも近くでヒイロにお仕えできるわよ)
王の最側近としてヒイロを守るイゾルデ。 侍女としてヒイロの生活を支えるミラベル。 私の娘たちがヒイロの両脇を固めれば盤石。 そして何より、娘たちの初恋を、一番特等席で応援してやれる。
「ふふ……」
公私混同と言われるかもしれないが、宰相として王家の安全を守り、母として娘の恋を応援する。 将来がどうなるかは分からないけれど、仕込むべき準備はしておかないとね。 私は満足感と共に、冷めかけた紅茶を喉に流し込んだ。その味は、いつもより甘酸っぱく感じられた。
夜も更け、王宮はようやく静寂を取り戻した。 私は姉様――女王アウローラの私室で、湯気を立てる香り高い紅茶のカップを手に、今日一日の騒動を振り返っていた。
「……それにしても、あの子たちの執着ぶりは予想以上でした。」
私の呟きに、ソファでくつろいでいた姉様が苦笑する。 夫のエリオン様は、ヒイロの世話で張り切りすぎたのか、少し眠たげな様子で紅茶を啜っている。
「ええ、リリア。特にクラリスとルミナの熱の入れようと言ったら……。四六時中、ヒイロの部屋に入り浸りそうな勢いだったわ」
「笑い事ではありませんよ、姉様。クラリスとルミナだけでなく、私たちの娘全員がヒイロに夢中になりそうです」
私はカップをソーサーに置き、昼間の光景を脳裏に浮かべた。 クラリス、ルミナ、セラフィナ、ヴァレリアの4姉妹。 そして、そこに加わった私の娘たち――イゾルデとミラベル。 合計6人の少女たちが、たった一人の赤ん坊を取り囲む様は、壮観と言うべきか、あるいは恐ろしいと言うべきか。
何より驚いたのは、ヒイロの反応だ。 普通なら、あれだけ騒がしい姉たちに囲まれ、代わる代わる触れられれば、驚いて泣き出すのが赤ん坊というものだ。 けれど、あの子はどうだ。 泣くどころか、どこか冷めたような、それでいて状況を分析するかのような理知的な瞳で周囲を観察していた。 赤ん坊にしては、あまりに肝が据わっている。あるいは、理性的すぎると言ってもいい。
(……やはり、あの子はただ者ではないわね)
私は思考を、自分の娘たちへと切り替えた。 昼間、あえて「異母姉なら弟なら婚姻が可能」という事実を突きつけた時の、イゾルデとミラベルの反応。 二人とも、顔を真っ赤にして動揺していた。あれは間違いなく、ヒイロに対して「弟」以上の感情――一目惚れに近い衝撃を受けていた証拠だ。 母親として、娘たちの淡い恋心を成就させてやりたいと思うのは自然なことだろう。
だが、恋路を応援するにしてもヒイロと二人が接点を持ち続けられるかは疑問だ。
長女のイゾルデは心配ない。 彼女は公爵家の跡継ぎであり、、第一王女クラリスの親友だ。放っておいても、公務や護衛を通じて自然とヒイロとの接点を持つことができる。将来の女王の最側近となれば弟王子との関係性も長く続いていくだろう。
問題は、次女のミラベルだ。 彼女はまだ何も将来が決まっておらず家も継がないただの女の子だ。エラーラのように王宮の侍女となっても、シフト制の勤務ではヒイロと接する時間は限られるし会話もむつかしいかもしれない。それにヒイロの世話は競争率が高く先輩侍女に取られてしまうことだろう。 特別な「役職」を与えなければ、ヒイロと交流を持つ正当な理由がない。 このままでは、ミラベルはヒイロと疎遠になり、恋のスタートラインにすら立てない可能性がある。
(……それは不憫だわ。ミラベルには、ヒイロの側にいるための「役割」が必要ね)
私は心の中で方針を固めると、姿勢を正して姉様とエリオン様、そして部屋の隅に控える侍女長のエラーラに向き直った。 ここからは、家族の会話ではなく、王家の未来を決める戦略会議だ。
「さて、姉様、エリオン様、エラーラ。今夜お時間をいただいたのは、他でもありません。ヒイロの周りを固める体制についてです」
私の切り出しに、姉様の表情が引き締まる。
「王子という希少な存在を守るには、現在の体制では不十分です。ヒイロの誕生を公表すれば、国内の貴族たちはこぞって娘を送り込もうとするでしょうし、他国のスパイが入り込む隙も生まれます」
「……ええ、そうね。いつまでも私たちやエラーラがつきっきりになるのは負担が大きいし、使用人を増やす必要はあるわね」
「その通りです。そこで、提案があります。ヒイロには、信頼できる『専属侍女』を一人はつけるべきです。それも、外部の人間ではなく、絶対に裏切らない身内から」
私は一呼吸置き、用意していた結論を提示した。
「まだ若いですが私の娘、ミラベルを推薦いたします」
姉様とエリオン様が、少し驚いたように顔を見合わせる。 私はすかさず、ロジックを積み上げた。
「理由は三つあります。第一に、身元が確実であること。私の娘ですから、王家を裏切る心配は万に一つもありません。第二に、能力です。元々物覚えも早く努力できる子ですし、気が利く子なのでエラーラに鍛えてもらえば立派な侍女になるでしょう。そして第三に、年齢です。専属侍女となれば、私たちにとってのエラーラのように長く関係性を持つことになるので、将来を見起こしてできるだけヒイロの年齢に近い者を入れておくべきかと」
我ながらうまい理屈をこねるものだ。 どこにも「娘の恋を応援したいから」などという私情は挟んでいない。あくまで、王子のセキュリティと育成のための合理的な人事配置だ。
私は視線でエラーラに同意を求めた。 彼女は恭しく一礼し、静かに口を開く。
「はい。ミラベルならば、私の技術を全て叩き込む価値があるでしょう。……少々、ヒイロ様への想いが強すぎるきらいはありますが、私が監督します」
エラーラの言葉に、私は心の中で親指を立てた。 「想いが強い」というのは、裏を返せばそれだけ献身的だということだ。王族の侍女としてこれほど優秀な人材はいない。
「なるほど、ミラベルか……」
エリオン様が、優しく微笑んだ。
「彼女なら、ヒイロのことを弟のように……いや、それ以上に大切にしてくれるだろう。僕も賛成だよ」
「ええ、身内で固めるのが一番安心ね。ミラベルなら気心も知れているし、ヒイロもリラックスできるでしょう。……決まりね。ヒイロの専属侍女は、ミラベル=エヴェリンに任じます」
姉様の承認が下りた。 私は胸の中で、小さくガッツポーズをした。
「ありがとうございます、姉様。あの子も王家のため、ヒイロのために尽くせると知れば喜んでエラーラの弟子として熱心に取り組むことでしょう」
これで、ミラベルのポジションは確保された。 「専属侍女」という肩書きがあれば、朝の着替えから夜の寝かしつけまで、ヒイロの生活の全てに関与することができる。 他の有象無象の貴族令嬢が近づいてきても、「職務ですので」の一言で追い払うことができる最強の防壁であり、自身は交流を続けられるポジションだ。
(よかったわね、ミラベル。これで貴女は、誰よりも近くでヒイロにお仕えできるわよ)
王の最側近としてヒイロを守るイゾルデ。 侍女としてヒイロの生活を支えるミラベル。 私の娘たちがヒイロの両脇を固めれば盤石。 そして何より、娘たちの初恋を、一番特等席で応援してやれる。
「ふふ……」
公私混同と言われるかもしれないが、宰相として王家の安全を守り、母として娘の恋を応援する。 将来がどうなるかは分からないけれど、仕込むべき準備はしておかないとね。 私は満足感と共に、冷めかけた紅茶を喉に流し込んだ。その味は、いつもより甘酸っぱく感じられた。
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