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薔薇と少女と、図書室の秘密
九章『煤を纏う白薔薇』
しおりを挟む窓の向こうに黒煙が糸のように昇っていた。
三丁目、火事、まさかという思いで、わたしの胸の中も灼ける様だった。
わたしは窓に駆け寄り、大きく開け放った。
吹き込んだ風が火災の余韻を運びこんで来る。
不安と動悸に窓枠に力なく寄りかかってしまう。先輩がためらいがちに寄り添ってくれた。
銀の髪が柔らかく光を包んだ。
「もう火は消えているわ。安心して」
冷静な口調とは違い、その横顔には微かな憂いが浮かんでいた。
「空気を入れ替えましょう、少しすれば大丈夫だから」
全ての窓を開け放つと、包み紙の焦げた匂いが濃く戻ってきた。
咳き込む雪乃先輩の姿がひどく儚く、幼く見えた。わたしは指先でその背中を撫でた。
「ありがとう、もかちゃん……」
「先輩……三丁目の火事って……」
先輩が小さく息を吐き、こちらへ振り返って穏やかに告げる。
「もかちゃんのおかげよ。間に合った……」
その言葉に、胸がざわつく。わたしは現実が飲み込めず言葉に詰まった。
「おばあちゃんは無事に保護されたそうよ」
先輩はためらいながらも、淡々と事実を口にする。
「さっきの火事よ。火をつけたのは、おばあちゃんなの」
「え……そんな事って――」
わたしは、それだけしか言えなかった。
朝、家中の花瓶が、全て空だったことが胸の奥でつながる。あの人は、薔薇だけはこの火から守りたかったのだ――そう思えてならない。
先輩は携帯をわたしに見せてくれた。
そこには簡潔に
「火災の鎮火を確認。被害者軽傷。家屋被害軽微」
とだけ書かれている。
一瞬、呼吸が止まりそうになる。硬直して言葉を失ったわたしに、先輩はやわらかく視線を送った。
「じゃあさっきの連絡は……」
「そう、火事は午後二時頃」
先輩の透けるような肌が揺れ、細い手首の内側で時計が瞬く。
「その時間ってわたしたちが……ここで」
わたしが浮かれていた、その時におばあちゃんは、あのお屋敷でそんな絶望と……
煤けた煙を吸ったような重い気持ち。
わたしがここに来たせいで、こんなことが起こったような気がしてしまう。
そんな、動揺を察したのか先輩はやわらかく微笑んでくれた。
「もかちゃんのおかげって言ったでしょ。あなたが今日ここに来てくれたから」
先輩は慰めてくれた。それでも、わたしが朝の時点で気づいていれば。心の中の罪悪感は拭いきれなかった。
「それだけじゃないのよ、もかちゃん。もう一つあるの。明日おばあちゃんと会う約束をしてくれていたでしょう?だから間に合った。おばあちゃん火をつけるのをためらったんだって」
わたしの頭の中で、今朝のおばあちゃんの優しい笑顔が何度も思い出された。
胸の奥に、温もりと切なさが入り交じり、言葉にならずに震えていた。
先輩の言葉は本当だろうか?
わたしがした事は、何も特別ではないはずだった。ただ普通に声をかけて、普通に手伝っただけ。もしかすると、本当の奇跡は、日常の小さな行動から生まれるのかもしれない。
先輩の気遣いに、わたしの心と体の怯えも薄くとけていった。
先輩は窓の外を見た。わたしもそれを目で追った。その瞳にはなにが映っていたのだろうか。
わたしにはわからなかった。
――開け放った窓辺に、灰にまみれた薔薇の花びらを風が運んだ。白い欠片は煤で縁取られていたけれど、それでも甘い香りを失っていなかった。
煙は細く薄く雲に溶け込んでいた。ノートの消し忘れみたいだな。そんなことを思った。
痛いくらいに空が青かった。
それと同じくらい悲痛そうな、先輩の顔。わたしたちは、それから一言も喋らなかった。いや、喋ることができなかった。
教室に戻ると、ケイは先に帰っていた。英語のノートには貼り付けられた付箋が一枚。感謝の言葉に添えられて、わたしの似顔絵、それと薔薇の絵が書かれていた。
その綴りが間違っていて、わたしは少し笑った。
長く伸びる影を辿って昇降口に向かった。
校門に向かいながら、振り返って図書室を仰ぎ見る。窓越しに、先輩の姿が見える。司書室の扉に向かって、丁寧に頭を下げている。その前には、小さく肩を落とした女生徒の後ろ姿。
さっきのラブレターの子……だろうか。
表情までは読み取れなかったけれど、走り去るその背中がすべてを物語っていた。
わたしは安堵と胸の痛みを同時に感じていた。帰り道、おばあちゃんのお家の近くを通ることにした。遠くからでもわかる数台の消防車、現場検証の様子が見えた。
ただの遊びのはずだった、先輩との推理ゲーム。
その楽しかったはずの時間が、急に現実の出来事としてわたしを押しつぶしていた。大好きなお屋敷が、それほど傷んでなかった事。それだけがわたしの心を保ってくれたのだった。
次の日も学校はいつも通りで、黒板には誰かが描いた落書きが残っていた。昼休みのざわめきの中、わたしは購買の紙袋を抱えて教室に戻る。図書室へ続く階段に目を向けた。いつもと変わらない日常のはずなのに、窓の外の青空が、痛いほど眩しかった。
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