森の大樹の魔法使い茶寮

灯倉日鈴(合歓鈴)

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116、嵐の前(1)

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「リールーぅ! 来てやったぞー!」

 外から聞こえる大声に、リビングで本を捲っていたリルは、開いたページをそのままに駆け寄ってドアを開ける。

「いらっしゃい、ノワ君」

 家の前には狼サイズの巨大な黒狐と、彼の背後には彼の三倍はあろうかという大きさの野牛。

「……また随分と大きい獲物を狩ったのね」

 呆れるリルに、獣姿のノワゼアは得意げに顎を反らす。

「でっかくなってからは筋力も術の力も格段に上がってな。地上の大物も飛ぶ鳥もみんな一撃で倒せるぞ。この森から生き物が消える日も近いかもな!」

「それはやめて」

 生態系を壊したら、ノワゼアが害獣として駆除対象になってしまう。
 ――黒甲地竜グラウンの死から十日。
 ノワゼアはいつものように獲物を持って大樹の家に訪れ、リルは料理とお茶を提供している。

「お肉はもうたくさんあるから、できたら果物とか木の実とかを持ってきて欲しいなぁ」

「客の土産にケチをつけるなど、横柄な家主だな」

「家主じゃなくて居候だけどね」

 とりとめのない会話をしながら、人形に変化したノワゼアが着くのを横目に、リルは茶器を用意する。

「して、本物の家主はどこに?」

「今はいないよ。お出かけしてる」

 家に引き籠もりがちだったスイウは、グラウンの件以降、連日外出している。いつ出かけていつ戻って来ているかも分からないほどに。たまに顔を合わせれば一緒にお茶を飲むが、それもたった数分のこと。

「そうか。あいつはあいつで大変なのだな」

 差し出されたお茶をふうふうと息で冷ましてから、ノワゼアはカップに口をつける。その様子を見ながら、リルは彼の対面に腰を下ろした。

「ノワ君は、どう?」

 訊かれたノワゼアは「ん?」と首を傾げる。大人の顔にはまだ慣れていなくて、リルは少しドギマギしながら視線を逸らした。

「その……ノワ君は大丈夫かなって」

 窺うようなリルの声に、ノワゼアは鷹揚に笑う。

「心配されるようなことは何もないぞ。あの時は動揺したが、今は全然平気だ!」

 ブンブン腕を振り回して元気アピールするノワゼアに、リルは微笑んでから……ふと息をつく。

「私もね、早くに両親を亡くしているの」

 冷たくなる指先を、ティーカップの熱で温める。

「悲しみとか寂しさって、後から来ることもあるの。何気ない時に急に溢れて……どうしようもなく辛くなることがあるの」

 リルは顔を上げ、黙って見守るノワゼアと目を合わせた。

「そういう時は、ここに来てね。何もできないけど、一緒にいるから」

「リル……」

 ノワゼアは一瞬赤い瞳を潤ませてから、それを隠すように意味深に目を細めて、

「リルは我のことが大好きなのだな!」

「へ? なんでそんな話になるの?」

「照れるな。これほど我の身を案じてくれるのは、愛故だろう」

「いや、そういうわけじゃ……っ」

 何度も似たようなやり取りはしてきたが、同じノワゼアでも子どもと大人では妙に調子が狂う。リルが真っ赤になって否定していると、不意にドアをノックする音がした。

「こんにちは、定期連絡に来ました」

 聞き知った声に、助かったとばかりにリルはドアを開けた。

「いらっしゃい、ジェレマイヤーさん」

「やあ、リルさん。お変わりはありま……」

 言いかけたジェレマイヤーは驚愕に言葉を止める。何故なら、ドアの隙間から見える光景にあまりにも「お変わり」があったから。

「リ、リルさんっ。その男は誰ですか!?」

 指をさされたノワゼアは、不遜な笑みを称えて玄関に近づいてくる。

「おう、聖域の狗。見ないうちに小さくなったな。背比べするか?」

 腰に手を当てて高圧的に見下ろしてくる黒髪の男は、長身のジェレマイヤーより僅かに背が高くて……。
 見覚えのある顔つきに、神殿騎士は訝しげに眉を顰めた。

「リルさん。こいつ、まさか……」

「ノワ君です」

 頷くリルに、ジェレマイヤーは目を見開いた。

「いきなり大きくなった? 面妖な! リルさん、こいつ人外ですよ!」

「知ってます」

 今更だった。

「ふはははは! 脆弱な人間よ。これで我に勝てるところは何一つないだろう!」

「くっ、少し大きくなったからって偉そうに。大事なのは中身ですよね、リルさん!」

「……なんでもいいです」

 途端に始まる小競り合いに、リルはやれやれと首を竦める。
 今日も碧謐の森は平和だった。

 ――表面上は。
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