没落令嬢はアルバイト中

灯倉日鈴(合歓鈴)

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12、没落令嬢の素材集め(6)

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 太陽はもう西に傾きかけていた。

「せっかく採ったのに……」

 収穫したメテオ茸は籠ごと茨陸亀に踏み潰され、見るも無残な状態だった。これでは素材としての価値はないだろう。
 残されたのは、嵐が通り過ぎた後のような雑木林と、巨大亀の死体。

「日が暮れると熊や狼も出没るかもしれません。引き上げましょう」

 俯いて震えるリュリディアの肩に、コウは手を置いた。てっきり失意に泣き出しそうになっているのかと思ったら――

「……ええ、そうね」

 ――覗き込んだ主の顔は、わらっていた。
 そして従者に向き直ると、少女は清々しく宣言した。

「戻りましょう、コウ。ちゃんとお礼をしなくちゃね!」

◆ ◇ ◆ ◇

「あの子達、戻って来ないわねー」

 窓の桟に頬杖をついて外を眺めていたサースが愉快そうに呟く。

「戻ってくるわけないじゃん。あいつ、最近は森の動物全部食べちゃって飢えてただろうし。小さい頃は可愛かったのに、今じゃボク達の手に負えない」

 作業台で胡座をかいているイースが、陽気にふるふると尻尾を揺らす。
 スローク・プロキルナル家の研究室、黄昏時のいつもの光景。

「……残念でしたね」

 事務机で書き物をしていたスロークは、ペンを止めて顔を上げた。

「アレスマイヤー家のリュリディア。案外期待はずれでした。また求人酒場で依頼を……」

 言いかけた、瞬間。

 バンッ!!

 研究室のドアが蹴破られた。
 迷宮彷徨陣やその他あらゆる防犯魔法が施されたこの屋敷に家人の許可もなく押し入り、無傷で目的地まで到達したのは、言わずとしれたリュリディア嬢だ。
 彼女は稲妻の速さでスロークに飛びかかった!
 そして、椅子ごと倒れた濃紫髪の青年に馬乗りになる。

「な……」

「喋るな」

 起き上がろうとしたスロークの喉に、リュリディアが手をかける。

わずかでも詠唱反応を感じたら、この首落とすわよ」

 重なる皮膚から伝わる魔力が、それがはったりでないことを教えてくれる。

「ご主人様!?」

 慌てて駆け寄ろうとするサキュバス・インキュバスの前に、今度はコウが立ちはだかる。

「どうか主君同士の対話を邪魔せぬよう」

 片腕を広げて行く手を遮るアレスマイヤー家の従者に、プロキルナル家の使い魔達が牙を剥き出して唸る。

退きな、獣風情が!」

「低級悪魔ごときが私に敵うとでも?」

 一触即発の使用人を置いて、魔導大家の血縁二人の対決は続く。

「あなた、山に茨陸亀ソーントータスがいるって知っていたわね?」

 晴天色の瞳を怒りに燃やし、リュリディアはスロークを睨みつける。

「……なんのことでしょう?」

 名家出身の優男はヘラリと相好を崩した。

「茨陸亀がピケスナ王国にいるわけないでしょう。もしいたとしたら、誰かが異国から持ち込み、飼いきれなくなってうちの山に逃したのでは? まったく、最近は無責任な飼い主が多くて……」

「後ろ暗い者ほどよくさえずるわね」

 リュリディアは喉元を押さえる手に力を籠めて、彼の言葉を遮る。

放したかなんて問題じゃないわ」

 ……勿論それは、ストークが茨陸亀の生息地域の国に遊学に出ていた事実を知っていての発言だ。

「肝心なのは、あなたが私と私の家人の命をおびやかしたという事実。覚えておきなさい、アレスマイヤーは家族を傷つける者を赦さない。今後あなたが再び私と私の親しい人に危害を加えてごらんなさい、魂まで地獄の業火でき消してあげるから」

 少女とは思えない低く重厚な声に、ストークはゴクリと唾を飲む。

「わ、解りました……」

 頬に冷や汗の伝う青年に満足気に目を細め、リュリディアは手を放した。そして、すっくと立ち上がると、スカートのドレープを整え優美に微笑んだ。

「それでは、値段交渉をいたしましょうか、ストーク・プロキルナル殿」

「……へ?」

「メテオ茸はダメになってしまったけど、他の素材も買ってくれるって言ってたわよね?」

 リュリディアが顎をしゃくるとコウが一歩前に出て、間抜けに尻もちをついたままの優男に掌を開いた。そこに載っていたのは、

「茨陸亀の爪よ。私も魔法研究家のはしくれ、茨陸亀の価値は知っているの。幼体の頃は効能が薄いけど。成体は、血と肉は霊薬、皮膚は美容食、甲羅は装具、きもからも色々なエキスが採れるのよね」

 つらつらと釈迦に説法してから、リュリディアは悠然とストークを見下ろす。

「さて、茨陸亀の成体一匹分、いくらで買い取ってもらえるかしら?」

 転んでもただでは起きないお嬢様に……。
 名家のお坊ちゃんは、諸手を挙げて降参した。

◆ ◇ ◆ ◇

「キーッ! なんなの、あの凶暴女!」

 アレスマイヤー御一行が帰った後。研究室の片付けをしながら、サースが地団駄を踏む。

「ほんとだよ! 主人も主人ならいぬも狗だ。躾がなってなさすぎ!」

 イースも同調して悪態をつきまくる。
 肝心の彼らのご主人様は、椅子に座って魂が抜けたようにぼんやりしている。

「ねぇ、ストーク様ぁ。あんな粗野な娘のことは忘れて、楽しみましょうよぉ」

 サースが背中から抱きつき、たっぷりと質量のある胸を押しつけてくる。

「素敵な夢を見せてあげるよ、ご主人様」

 イースがストークの耳に唇を寄せる。
 夢魔の別名は淫魔。彼らにとってご主人様とのたわむれは日常の食事だ。
 しかし、今夜のストークは夢魔の誘惑にも無反応で、焦点の合わない瞳で宙を眺めている。

「アレスマイヤー家のリュリディア……」

 ため息とともに囁く。

「なんと気高く美しい……」

「はぁ!?」

 夢魔の二人は驚愕に叫んだ。

「サース、彼女に花を送ってください。彼女の瞳によく似たオキシぺタルムの花を」

「ちょ、ストーク様、正気ですか!?」

 ガクガクと肩を揺するイースに、ふと人間の青年は我に返り、

「そうですね、私としたことが……」

 冷静になった主人にほっとしたのも束の間。

「あの年頃のお嬢さんは花よりお菓子ですよね。イース、王都のパティスリーに手配を」

「ストーク様ああぁぁ!!!?」

 さらなる追い打ちに夢魔達は大パニックだ。

 ――ストーク・プロキルナル二十五歳。

 彼の罹患した恋の病は、夢魔の魅了能力チャームでも解くことはできなかった。
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