没落令嬢はアルバイト中

灯倉日鈴(合歓鈴)

文字の大きさ
11 / 28

11、没落令嬢の素材集め(5)

しおりを挟む
「リュリディア様!!」

 木漏れ日の中に、従者の絶叫が響く。
 少女の華奢な体は木の葉のように宙を舞い、雪樺の幹に打ち付けられてバウンドし、地面に落ちた。
 ……リュリディアには解らなかったが、コウは見ていた。茨陸亀のモーニングスターのような尻尾がしなり、彼女を薙ぎ払った瞬間を。
 従者が主の元へ駆けつけている間に、亀は泳ぐように四肢を動かし、自力で体を反転させた。

「リュリ様、リュリ様!」

 頭から血を流す少女の肩に手を置き、コウは呼びかける。頭を打っている可能性があるので、迂闊に抱き起こせない。

「リュリ様、治癒魔法を! 早く!」

 ぼんやり薄目を開けたリュリディアに、必死で訴える。
 魔法使いの不便なところは、集中力が欠けていると術が使えないところだ。リュリディアは文句なく治癒魔法の名手だが、意識が朦朧とした状態では自分に掛けることができない。

「リュリ様、どうか制限の解除を。私がお守りします」

「コウ……」

 夢うつつな少女が、泣き出しそうな青年に手を伸ばしかけた、その時。

 ドスッドスッ!

 緑の棘がコウの体を貫いた。茨陸亀がまた棘と飛ばし始めたのだ。

「いや……、コウ……」

 背中から胸を串刺しにした棘を凝視したまま声を震わせる主に、従者は柔らかく微笑んだ。

「大丈夫です。私が片付けます。リュリ様はご自分の回復を」

 リュリディアの血の流れ落ちるこめかみにそっと口づけるコウに、彼女は観念した。

「我、リュリディア・“レージーナ”・アレスマイヤーは、血の契約によりて我が従者コウ・“アンブロイド”の制限を解除する」

「……ありがとうございます」

 唇を離したコウは、口の端に残ったリュリディアの血を舌で拭うと、静かに立ち上がった。
 そして空に向かって一声唸ると、その身を変化させた。
 きっちりと整えられた赤い髪は爆発するように湧き立ち、手足からも真っ赤な獣毛が噴き出した。額には槍のように尖った角。肉球と鉤爪のある四本の脚で大地を踏みしめたのは……、燃えるような真紅の一角獅子だった。
 風になびく優美なたてがみに、リュリディアは一瞬状況も忘れて見惚れてしまう。
 通常の倍はあろうかという巨大な赤いライオンは少しだけ少女を振り返ると、すぐに標的に目線を固定し、頭を低くし、房毛のある尻尾を立てて狙いを定めると、棘を放ち続ける茨陸亀に飛びかかった。

 ゴウウゥゥ!

 茨が全身に突き刺さっても怯みもせず、獅子は亀の喉笛に噛みついた。暴れる魔物の頭を前足で抱え込み、ギリギリと力を籠めて厚い皮膚に牙を立てる。

「コウ……」

 意識のはっきりしてきたリュリディアは、痛む頭に手を当てて詠唱を始める。傷が塞がるのに比例して、どんどん思考回路が動き出す。
 ……こんなこと、させたくなかったのに。
 魔物と戦う化け物になった従者に、悔恨の念が滲む。

 ――リュリディアは、彼との出会いを昨日のことのように覚えていた。

◆ ◇ ◆ ◇


『誕生日おめでとう、リュリディア。プレゼントだよ』

 五歳の誕生日に父からもらったのは、赤髪の美しい青年だった。

『お父様、彼はだぁれ?』

『まだ誰でもない。リュリが決めるんだよ』

 当主は娘の肩に手を置き、優しく微笑む。

はアレスマイヤーの魔法技術の粋を集めた人工生物兵器。合成獣キマイラだ』

『兵器? でも、彼は人間よ?』

の身は仮初のもの。食事もしなければ痛みも感じない。ただ、アレスマイヤーの血脈の因子によって動く人形だ』

『お人形さん? あんまり可愛くないわね』

 不遜な幼女に父が笑う。

『アレスマイヤーの娘として、上手に使いなさい』

 父に促されて彼女が赤髪の青年に視線を移すと、執事服の彼は無表情で膝をついた。

『初めまして、リュリディアお嬢様。どうぞ私に名前をお与えください』

『名前?』

がリュリディアの所有物だという証だ』

 首をかしげる娘に父が答える。

『私の『スイ』やマルセリウスの『リョク』のように、これにも便宜上『コウ』という名前がついている。だが、それは単に記号にすぎない。我々魔法使いは真名を与えることで、人形に魂を宿すんだ。お前だけが知る、お前だけの名前をに与えなさい』

 リュリディアは赤髪の青年に向き直った。琥珀色の瞳がとても綺麗だと思う。

『お嬢様、お手を』

 言われるままに右手を差し出すと、青年は人差し指に噛みついた。尖った犬歯がぷつりと皮膚を破って血が滲むが、あまり痛くはない。これが『契約』なのだと、彼女は本能で知っていた。
 リュリディアは厳かに口を開いた。

『あなたの名前は……』

◆ ◇ ◆ ◇

「……アンブロイド」

 自身の怪我を完治させたリュリディアは、その場に座り込んで二頭の魔物の戦いを眺めていた。
 もう、結果は出ている。……コウが姿に戻った時から。
 赤い獅子の牙が亀の喉を食い破った。肉塊をベッと吐き出すと、もがく亀の傷口にもう一度口を当て、

 ゴウッ!

 炎を吹き込んだ。獅子の体には火と風の精霊が組み込まれている。詠唱無しで火炎魔法を使うなど造作もない。
 内側から灼かれた茨陸亀は、顔や皮膚、甲羅の隙間から大量の煙を噴いて倒れた。獅子は足先で亀を裏返すと、ダイヤの硬度の角で胸の甲羅を割り、穴に顔を突っ込んで心臓を完全に噛み砕いた。
 その作業に慈悲は一切ない。
 主の敵を殲滅する、それがアレスマイヤーの合成獣の存在理由だ。
 亀が絶命したのを確認し、真紅の獅子はリュリディアの元に戻ってくる。毛が赤いから、魔物の返り血が判りにくいのがせめてもの救いだ。
 少女は、褒めてというように頬を寄せてくる獅子の顎を撫でた。

「ご苦労様。戻りなさい、

 仮初の名を口にすると獅子は両前足を揃えて座った。そして伸び上がって後ろ足で立つ仕草をすると、そのままするりと身を縮め、赤髪の青年の姿を形作った。

「……なんで執事服なの?」

 変身前までは村人の普段着だったのに。黒のテールコートをかっちり着こなす彼は、恭しくお辞儀をした。

「これが基本仕様ですから」

「……変なの」

 歴代のアレスマイヤーの趣味だろうか。
 でも、服が破れて裸のままよりはマシだ。

「歩けますか?」

「ええ、すっかり元気」

 差し出された手を取り、リュリディアは立ち上がる。

「ご命令に背いて申し訳ありません。コウはお役に立てましたか?」

 不安そうに上目遣いに窺ってくる従者に、主は思わず吹き出した。

「助かったわ。ありがとう、コウ」

 背伸びして赤頭を撫でると、コウは蕩けるような笑顔を見せる。それは、リュリディアにとっても嬉しいことだけど……。

(それでも私は、コウあなた兵器どうぐとして使いたくなかった)

 口にできない言葉を飲み込んだ分、胸に苦い思いが残った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好感度0になるまで終われません。

チョコパイ
恋愛
土屋千鶴子(享年98歳) 子供や孫、ひ孫に囲まれての大往生。 愛され続けて4度目の転生。 そろそろ……愛されるのに疲れたのですが… 登場人物の好感度0にならない限り終わらない溺愛の日々。 5度目の転生先は娘が遊んでいた乙女ゲームの世界。 いつもと違う展開に今度こそ永久の眠りにつける。 そう信じ、好きなことを、好きなようにやりたい放題… 自覚なし愛され公女と執着一途皇太子のすれ違いラブロマンス。

婚約破棄したら食べられました(物理)

かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。 婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。 そんな日々が日常と化していたある日 リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる グロは無し

乙女ゲームの正しい進め方

みおな
恋愛
 乙女ゲームの世界に転生しました。 目の前には、ヒロインや攻略対象たちがいます。  私はこの乙女ゲームが大好きでした。 心優しいヒロイン。そのヒロインが出会う王子様たち攻略対象。  だから、彼らが今流行りのザマァされるラノベ展開にならないように、キッチリと指導してあげるつもりです。  彼らには幸せになってもらいたいですから。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

悪役令嬢の心変わり

ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。 7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。 そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス! カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!

強い祝福が原因だった

恋愛
大魔法使いと呼ばれる父と前公爵夫人である母の不貞により生まれた令嬢エイレーネー。 父を憎む義父や義父に同調する使用人達から冷遇されながらも、エイレーネーにしか姿が見えないうさぎのイヴのお陰で孤独にはならずに済んでいた。 大魔法使いを王国に留めておきたい王家の思惑により、王弟を父に持つソレイユ公爵家の公子ラウルと婚約関係にある。しかし、彼が愛情に満ち、優しく笑い合うのは義父の娘ガブリエルで。 愛される未来がないのなら、全てを捨てて実父の許へ行くと決意した。 ※「殿下が好きなのは私だった」と同じ世界観となりますが此方の話を読まなくても大丈夫です。 ※なろうさんにも公開しています。

ここは少女マンガの世界みたいだけど、そんなこと知ったこっちゃない

ゆーぞー
ファンタジー
気がつけば昔読んだ少女マンガの世界だった。マンガの通りなら決して幸せにはなれない。そんなわけにはいかない。自分が幸せになるためにやれることをやっていこう。

白いもふもふ好きの僕が転生したらフェンリルになっていた!!

ろき
ファンタジー
ブラック企業で消耗する社畜・白瀬陸空(しらせりくう)の唯一の癒し。それは「白いもふもふ」だった。 ある日、白い子犬を助けて命を落とした彼は、異世界で目を覚ます。 ふと水面を覗き込むと、そこに映っていたのは―― 伝説の神獣【フェンリル】になった自分自身!? 「どうせ転生するなら、テイマーになって、もふもふパラダイスを作りたかった!」 「なんで俺自身がもふもふの神獣になってるんだよ!」 理想と真逆の姿に絶望する陸空。 だが、彼には規格外の魔力と、前世の異常なまでの「もふもふへの執着」が変化した、とある謎のスキルが備わっていた。 これは、最強の神獣になってしまった男が、ただひたすらに「もふもふ」を愛でようとした結果、周囲の人間(とくにエルフ)に崇拝され、勘違いが勘違いを呼んで国を動かしてしまう、予測不能な異世界もふもふライフ!

処理中です...