没落令嬢はアルバイト中

灯倉日鈴(合歓鈴)

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15、没落令嬢とゴロツキ(1)

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 王都アレルシハ郊外。
 すっかり遅くなった夜の街を、リュリディアは独り歩いていく。
 長屋までの道には軒先にランプの吊るされた家屋が多いので、仄かに明るい。
 一見歩行者に優しく見えるこの外灯は、実は非合法な賭博場や宿屋の場所を知らせる合図だ。
 正直、うら若い娘が暮らすには治安の悪すぎる地域だが、反逆者一族が住める場所は限られているので仕方がない。

「今日は我ながらがんばったわね」

 夜風に襟を立てながら、こっそりにんまりする。懐が温かいと足取りも軽くなる。
 今日の没落令嬢のアルバイトは、治水工事の現場だ。先週の雨で崩れた堤防の補修工事だったのだが。石を積み、コンクリートで固める作業に彼女の魔法がとても役立ったのだ。
 おかげで日当も弾んでもらい、現場主任の奢りで打ち上げにまで参加させてもらえた。

「あの小海老の素揚げ、美味しかったわ。今度コウに作ってもらおうかしら」

 庶民の酒場の味を堪能したご令嬢は、アルコールも入っていないのに上機嫌だ。
 このまま順調に色々な仕事をこなせていければ……と、思っていると。
 突然、路地から飛び出してきた二人組の男に、ドンッ! とぶつかられた。

「みゃっ!」

 猫みたいな声を上げて、少女の重量の軽い体はよろめく。

「何をするの? 謝りなさい!」

 気の強いリュリディアが振り返って怒鳴った時には、男達は闇の彼方に消えていた。

「……もう!」

 行き場のない憤りをため息として吐き出して、彼女はぶつかった肩に手を当てて……、

 ぬるり。

 ……指先に触れた滑った感覚に呼吸を止める。広げた掌には、血がついていた。

「なに……?」

「……ぅっ」

 驚愕するリュリディアの耳が、小さな呻きを拾った。それは男達が出てきた路地から聞こえたようだ。

「誰かいるの?」

 恐る恐る暗い路地へと足を踏み入れる。すると、月明かりにぼんやりと男が一人座り込んでいるのが見えた。

「あなた、大丈夫!?」

 リュリディアは慌てて駆け寄った。鉄さびみたいな匂いが鼻腔を刺激する。
 目まで隠す灰色のボザボザ髪に、頬も顎も口も覆うもじゃもじゃ髭。擦り切れてボロボロのチュニックを着た彼は、建物の壁に背をつき、足を投げ出して……腹部から大きなナイフを生やしていた。
 小汚い風体の男は逆手にナイフを握ると、「ふんっ」と気合を入れて抜き取った。そのまま力なくナイフを地面に落とす。

「ちょ、何やってんのよ!」

 栓を失った穴から大量の血液が噴き出す。
 リュリディアは咄嗟に彼の傷口を両手で押さえた。

「誰か! 誰かいないの!?」

 その場に留まり人手を探す少女に、男が髭に隠れた唇を歪ませる。

「よせ、下手に騒いでさっきの連中が戻ってきたら危ない。嬢ちゃんも……早く逃げた方が良い」

 意外にもまともな事を言う。しかしリュリディアは、

「こんな状態のあなたを置いていけるわけがないでしょう!」

 一喝して、男の腹に手を当て続ける。

「……無駄だ。この傷じゃ助からん」

 出血具合から判断するに、ナイフの刃は内臓を損傷させ、太い血管まで切っている。男はもう、自分の『生』を諦めていた。

「失敗したな。こんな所で終わるとは思わなかった……」

 長い前髪の隙間から、緑色の瞳が覗く。
 男が目線を下げると、溢れる血に赤く染まった両手で患部を押さえ、必死に口の中で何かを囁き続けている少女が見えた。
 金色の長い髪に透き通るような碧い瞳、石膏像のような白く端正な顔立ちは、絵本に出てくる天使そのものだ。男には理解できない、歌うような節のついた囁きは祈りの言葉だろうか。

「……天使に看取られるなら、悪くないな」

 男は自嘲すると、

「お嬢ちゃん、最後に頼みがある」

 震える手でズボンのポケットからコインを取り出した。半分欠けた、ドラゴンの意匠の銀貨。

「これを……、三丁目のヒドゥンって酒場に届けてくれないか? マスターに渡すだけで通じるから」

 目を合わせ、真剣に訴える。
 震える手で差し出された半分銀貨を前に、リュリディアは――

「嫌よ」

 ――きっぱり拒否した!

「……へ?」

 ここは快く引き受ける場面だろう! 予想外の展開に呆然とする男を置いて、天使は立ち上がった。

「知らない人の使いっぱしりなんて、お断り。渡したいなら、自分で行きなさい」

 あまりにも非情な天使の言動に、男はうっかり泣きそうになる。

「いや、だって俺、もう死ぬし……」

 狼狽える彼に、彼女は呆れた目を向けて、

「誰が死ぬって?」

「……は?」

「治ってるわよ、傷」

 言われて男がチュニックを捲って血を拭うと、腹部は瘡蓋かさぶた一つないまっさらな状態だった。

「は!? な……!?」

 驚きすぎて、意味のある言葉がでない。
 一体、どうやって?
 あの傷を一度に完治させられる治癒術士なんて、王国府の医官にだってそうはいないのに。

「流れ出た血は元に戻らないから、しばらく安静にして滋養のあるものを食べなさいね」

 それだけ言い置いて、天使の姿をした少女は去っていく。

「お、おい、待て! 君、名前は……」

 血が足りなくて、すぐに立ち上がれない。座ったまま手を伸ばした男に、少女は半歩だけ振り返って……。

「自分から名乗りなさい、無礼者」

 ばっさり切り捨てると、そのまま夜の街へと消えていった。
 残された男は――

「……夢か?」

 ――髭もじゃの自分の頬をつねった。


 そして、この不可解な事件の真相が判明したのは、数日後のことだった。
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