61 / 76
61、暴走
しおりを挟む
ブランジェ家は、貴族屋敷らしく部屋数が多い。一階にはダイニングや厨房、応接室や当主の書斎、客間や使用人の詰め所などがある。そして、二階は家族のプライベートスペース。一家の私室と衣装部屋などが並んでいる。
その部屋の中には当然、長男の私室もあって……。
ダイニングルームを飛び出したヴィンセントが私室に籠もったと近くの使用人に聞いて、フルールは階段を駆け上がった。
「お兄様! お兄様!」
鍵の掛かったドアをノックして呼びかけるが、返事はない。
「開けてください、お兄様。わたくし、こんな風にお兄様と決別するなんて嫌です。話を聞いてください!」
手が痛くなるほど戸板を叩き続ける。
「おに……」
何十回目かのノックが空振りする。中からドアが開き、狭い隙間からヴィンセントが顔を覗かせたからだ。
「お兄様……」
無言で引かれたドアに、フルールは静かに室内に足を踏み入れる。
兄の私室には子供の頃から何度も入ったことがあるのに、今日はなんだか緊張してしまう。
ソファセットとベッドだけの簡素な室内。十五歳から屋敷を離れて生活している兄の私物は驚くほど少ない。
ランプの灯りが一つしかない薄暗い部屋で、彼と彼女は向き合う。
「今更、何を聞けというのだ」
宵闇に金の髪を揺らし、ヴィンセントが吐き捨てる。
「お前は使節団に入ると決めたのだろう。私に何の相談もなく」
「ご相談しなかったことは申し訳ありません。でも、今日知って、今日決めたことですから、真っ先に家族に伝えましたわ」
まさかヴィンセントが別ルートから情報を入手してくるなんて想定外だったが。
「わたくし、ようやくやりたいことが見つかりましたの。だから……お兄様にも認めてもらいたいんです」
切実な妹の訴えを、兄は鼻で嗤う。
「認めるも何も。私が否と言ってもお前は引かなかったではないか」
「ええ。反対されても、わたくしの決意は変わりません。でも……」
肩先に長い金髪が零れる。
「反対されたままお別れするのは悲しいです」
青い瞳が涙に揺らぐ。
「お兄様はわたくしに仰いましたよね。『自由に羽ばたいて、興味のあることに挑戦するといい』って。今がその時なのです」
「……それは、私の目の届く範囲に居る前提だ。戻る保証のない場所へ行かせるのは許容できない。もし、行かせたとして……戻った時、お前は俺を選ぶのか?」
「それは……」
解らない。
黙ってしまった妹に、兄はせせら笑う。
「フルール、お前は現状から逃げ出したいだけだろう。この場から逃れ、私から逃れ、誰も知らない場所で、一からやり直したいだけ」
「ち、違います!」
堪らずフルールは首を振る。
確かに彼女はずっと逃げたかった。何かを選んで何かを選ばなくて、傷ついたり傷つけたりするのが嫌だった。
でも、これは違う。
「これはわたくしが選んだ道。逃げるのではなく、先に進んだ結果です。だから……」
「だから、私を……家族まで切り捨てるのか?」
ヴィンセントは大股で一歩近づくと、フルールの腕を掴んだ。
「痛っ……あ!?」
そのまま有無を言わさずベッドに引き倒す。
「お兄……」
起き上がろうとしたフルールの両手首を押さえつけ、ヴィンセントは細い妹の体に馬乗りになる。
「選択肢など与えるべきではなかった」
獰猛な野獣の目で見下ろす。
「私しか選べないようにしてやる。フルール、お前を私のものにする」
その部屋の中には当然、長男の私室もあって……。
ダイニングルームを飛び出したヴィンセントが私室に籠もったと近くの使用人に聞いて、フルールは階段を駆け上がった。
「お兄様! お兄様!」
鍵の掛かったドアをノックして呼びかけるが、返事はない。
「開けてください、お兄様。わたくし、こんな風にお兄様と決別するなんて嫌です。話を聞いてください!」
手が痛くなるほど戸板を叩き続ける。
「おに……」
何十回目かのノックが空振りする。中からドアが開き、狭い隙間からヴィンセントが顔を覗かせたからだ。
「お兄様……」
無言で引かれたドアに、フルールは静かに室内に足を踏み入れる。
兄の私室には子供の頃から何度も入ったことがあるのに、今日はなんだか緊張してしまう。
ソファセットとベッドだけの簡素な室内。十五歳から屋敷を離れて生活している兄の私物は驚くほど少ない。
ランプの灯りが一つしかない薄暗い部屋で、彼と彼女は向き合う。
「今更、何を聞けというのだ」
宵闇に金の髪を揺らし、ヴィンセントが吐き捨てる。
「お前は使節団に入ると決めたのだろう。私に何の相談もなく」
「ご相談しなかったことは申し訳ありません。でも、今日知って、今日決めたことですから、真っ先に家族に伝えましたわ」
まさかヴィンセントが別ルートから情報を入手してくるなんて想定外だったが。
「わたくし、ようやくやりたいことが見つかりましたの。だから……お兄様にも認めてもらいたいんです」
切実な妹の訴えを、兄は鼻で嗤う。
「認めるも何も。私が否と言ってもお前は引かなかったではないか」
「ええ。反対されても、わたくしの決意は変わりません。でも……」
肩先に長い金髪が零れる。
「反対されたままお別れするのは悲しいです」
青い瞳が涙に揺らぐ。
「お兄様はわたくしに仰いましたよね。『自由に羽ばたいて、興味のあることに挑戦するといい』って。今がその時なのです」
「……それは、私の目の届く範囲に居る前提だ。戻る保証のない場所へ行かせるのは許容できない。もし、行かせたとして……戻った時、お前は俺を選ぶのか?」
「それは……」
解らない。
黙ってしまった妹に、兄はせせら笑う。
「フルール、お前は現状から逃げ出したいだけだろう。この場から逃れ、私から逃れ、誰も知らない場所で、一からやり直したいだけ」
「ち、違います!」
堪らずフルールは首を振る。
確かに彼女はずっと逃げたかった。何かを選んで何かを選ばなくて、傷ついたり傷つけたりするのが嫌だった。
でも、これは違う。
「これはわたくしが選んだ道。逃げるのではなく、先に進んだ結果です。だから……」
「だから、私を……家族まで切り捨てるのか?」
ヴィンセントは大股で一歩近づくと、フルールの腕を掴んだ。
「痛っ……あ!?」
そのまま有無を言わさずベッドに引き倒す。
「お兄……」
起き上がろうとしたフルールの両手首を押さえつけ、ヴィンセントは細い妹の体に馬乗りになる。
「選択肢など与えるべきではなかった」
獰猛な野獣の目で見下ろす。
「私しか選べないようにしてやる。フルール、お前を私のものにする」
10
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
不貞の子を身籠ったと夫に追い出されました。生まれた子供は『精霊のいとし子』のようです。
桧山 紗綺
恋愛
【完結】嫁いで5年。子供を身籠ったら追い出されました。不貞なんてしていないと言っても聞く耳をもちません。生まれた子は間違いなく夫の子です。夫の子……ですが。 私、離婚された方が良いのではないでしょうか。
戻ってきた実家で子供たちと幸せに暮らしていきます。
『精霊のいとし子』と呼ばれる存在を授かった主人公の、可愛い子供たちとの暮らしと新しい恋とか愛とかのお話です。
※※番外編も完結しました。番外編は色々な視点で書いてます。
時系列も結構バラバラに本編の間の話や本編後の色々な出来事を書きました。
一通り主人公の周りの視点で書けたかな、と。
番外編の方が本編よりも長いです。
気がついたら10万文字を超えていました。
随分と長くなりましたが、お付き合いくださってありがとうございました!
はじめまして、旦那様。離婚はいつになさいます?
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
「はじめてお目にかかります。……旦那様」
「……あぁ、君がアグリア、か」
「それで……、離縁はいつになさいます?」
領地の未来を守るため、同じく子爵家の次男で軍人のシオンと期間限定の契約婚をした貧乏貴族令嬢アグリア。
両家の顔合わせなし、婚礼なし、一切の付き合いもなし。それどころかシオン本人とすら一度も顔を合わせることなく結婚したアグリアだったが、長らく戦地へと行っていたシオンと初対面することになった。
帰ってきたその日、アグリアは約束通り離縁を申し出たのだが――。
形だけの結婚をしたはずのふたりは、愛で結ばれた本物の夫婦になれるのか。
★HOTランキング最高2位をいただきました! ありがとうございます!
※書き上げ済みなので完結保証。他サイトでも掲載中です。
婚約破棄をされ、父に追放まで言われた私は、むしろ喜んで出て行きます! ~家を出る時に一緒に来てくれた執事の溺愛が始まりました~
ゆうき
恋愛
男爵家の次女として生まれたシエルは、姉と妹に比べて平凡だからという理由で、父親や姉妹からバカにされ、虐げられる生活を送っていた。
そんな生活に嫌気がさしたシエルは、とある計画を考えつく。それは、婚約者に社交界で婚約を破棄してもらい、その責任を取って家を出て、自由を手に入れるというものだった。
シエルの専属の執事であるラルフや、幼い頃から実の兄のように親しくしてくれていた婚約者の協力の元、シエルは無事に婚約を破棄され、父親に見捨てられて家を出ることになった。
ラルフも一緒に来てくれることとなり、これで念願の自由を手に入れたシエル。しかし、シエルにはどこにも行くあてはなかった。
それをラルフに伝えると、隣の国にあるラルフの故郷に行こうと提案される。
それを承諾したシエルは、これからの自由で幸せな日々を手に入れられると胸を躍らせていたが、その幸せは家族によって邪魔をされてしまう。
なんと、家族はシエルとラルフを広大な湖に捨て、自らの手を汚さずに二人を亡き者にしようとしていた――
☆誤字脱字が多いですが、見つけ次第直しますのでご了承ください☆
☆全文字はだいたい14万文字になっています☆
☆完結まで予約済みなので、エタることはありません!☆
【完結】財務大臣が『経済の話だけ』と毎日訪ねてきます。婚約破棄後、前世の経営知識で辺境を改革したら、こんな溺愛が始まりました
チャビューヘ
恋愛
三度目の婚約破棄で、ようやく自由を手に入れた。
王太子から「冷酷で心がない」と糾弾され、大広間で婚約を破棄されたエリナ。しかし彼女は泣かない。なぜなら、これは三度目のループだから。前世は過労死した41歳の経営コンサル。一周目は泣き崩れ、二周目は慌てふためいた。でも三周目の今回は違う。「ありがとうございます、殿下。これで自由になれます」──優雅に微笑み、誰も予想しない行動に出る。
エリナが選んだのは、誰も欲しがらない辺境の荒れ地。人口わずか4500人、干ばつで荒廃した最悪の土地を、金貨100枚で買い取った。貴族たちは嘲笑う。「追放された令嬢が、荒れ地で野垂れ死にするだけだ」と。
だが、彼らは知らない。エリナが前世で培った、経営コンサルタントとしての圧倒的な知識を。三圃式農業、ブランド戦略、人材採用術、物流システム──現代日本の経営ノウハウを、中世ファンタジー世界で全力展開。わずか半年で領地は緑に変わり、住民たちは希望を取り戻す。一年後には人口は倍増、財政は奇跡の黒字化。「辺境の奇跡」として王国中で噂になり始めた。
そして現れたのが、王国一の冷徹さで知られる財務大臣、カイル・ヴェルナー。氷のような視線、容赦ない数字の追及。貴族たちが震え上がる彼が、なぜか月に一度の「定期視察」を提案してくる。そして月一が週一になり、やがて──「経済政策の話がしたいだけです」という言い訳とともに、毎日のように訪ねてくるようになった。
夜遅くまで経済理論を語り合い、気づけば星空の下で二人きり。「あなたは、何者なんだ」と問う彼の瞳には、もはや氷の冷たさはない。部下たちは囁く。「閣下、またフェルゼン領ですか」。本人は「重要案件だ」と言い張るが、その頬は微かに赤い。
一方、エリナを捨てた元婚約者の王太子リオンは、彼女の成功を知って後悔に苛まれる。「俺は…取り返しのつかないことを」。かつてエリナを馬鹿にした貴族たちも掌を返し、継母は「戻ってきて」と懇願する。だがエリナは冷静に微笑むだけ。「もう、過去のことです」。ざまあみろ、ではなく──もっと前を向いている。
知的で戦略的な領地経営。冷徹な財務大臣の不器用な溺愛。そして、自分を捨てた者たちへの圧倒的な「ざまぁ」。三周目だからこそ完璧に描ける、逆転と成功の物語。
経済政策で国を変え、本物の愛を見つける──これは、消去法で選ばれただけの婚約者が、自らの知恵と努力で勝ち取った、最高の人生逆転ストーリー。
実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~
空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」
氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。
「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」
ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。
成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。
【完結】悪役令嬢はご病弱!溺愛されても断罪後は引き篭もりますわよ?
鏑木 うりこ
恋愛
アリシアは6歳でどハマりした乙女ゲームの悪役令嬢になったことに気がついた。
楽しみながらゆるっと断罪、ゆるっと領地で引き篭もりを目標に邁進するも一家揃って病弱設定だった。
皆、寝込んでるから入学式も来れなかったんだー納得!
ゲームの裏設定に一々納得しながら進んで行くも攻略対象者が仲間になりたそうにこちらを見ている……。
聖女はあちらでしてよ!皆様!
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる