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62、寛容
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薄暗闇の中、ベッドの軋む音が響く。
ヴィンセントは吐息のかかる距離までフルールに顔を近づけた。
「このままお前が屈服するまで蹂躙するか。それとも……」
大きな右手を妹の白い首に掛ける。
「ここを手折って、我が愛を永遠とするか」
ごくり、とフルールの喉が動くのを掌に感じ、ヴィンセントは嗜虐的な笑みを浮かべた。
「お前の崇高な意志など、男の腕力でいとも簡単に打ち砕けるほど脆いものだ。もう十分自由を満喫しただろう? そろそろ自分の居場所に戻るんだ」
「……わたくしの居場所は、わたくしが決めます」
頑なな妹に、兄は眉間にシワを寄せると、彼女のブラウスの襟を掴んだ。
「ならばどこにも行けなくするまでだ」
力任せに引き裂く手に、ボタンが弾け飛び、鎖骨のくぼみやなだらかに隆起した乙女のデコルテラインが顕になる。
「フルール、これはお前のためだ」
熱く囁きながら、顔を寄せる。唇が重なる……寸前。
ヴィンセントは動きを止めた。
何故なら、組み敷かれたフルールが、一切抵抗することなくただじっと瞬きもせずに兄の目を見つめていたから。
「……お兄様にはできません」
兄の青い瞳に映る自分と目を合わせたまま、フルールは断言する。
「ヴィンセント・ブランジェは、わたくしが出会った中で最も高潔な人。わたくしに……女性に危害を加えるなんてできません」
真摯な声にハッと息を呑む。自分とよく似た妹の透き通るような瞳の中に狼狽えた自身の顔を見つけ、ヴィンセントはフルールから手を離した。
「……お前はズルいな。フルール」
謎の敗北感に苛まれながら、体を起こした彼はベッドの端に腰を下ろした。
あんな言い方をされたら、悪人にはなれない。
「わたくしは、お兄様は心根の清い方だと知っていますもの」
はだけた襟をさりげなく掻き合わせながら、フルールも起き上がる。
「お兄様を蔑ろにするつもりはありませんでした。でも……理解して頂けなくて残念です」
俯いて部屋を出ようとする妹を、
「フルール」
兄が呼び止めた。
「明日、時間をもらえるか? 少し、話がしたい」
「……ええ」
頷くフルールの顔を見ず、ヴィンセントはぽつりと、
「すまなかった」
彼女は穏やかに微笑み返して、兄の部屋を出た。
◆ ◇ ◆ ◇
ドアを後ろ手に閉めて、ほうっと息を吐き出す。
心臓はバクバク飛び跳ね、指先は氷のように冷たい。
フルールはヴィンセントに絶対的な信頼を寄せているが……。
(……怖かった)
あんな鬼気迫る兄を初めてみた。
……思い留まってくれて、本当に良かった。
何かされていたら……彼を赦すことはできなかった。フルールは、ヴィンセントを嫌いになりたくはなかった。
震える指を握り込み、自室に戻ろうと顔を上げて――
「あら」
――その人物に気づいた。
ドアの側に、若い令嬢専属執事が立っていたのだ。右手には燭台を持って。
「……何をしているの? エリック」
訝しげに尋ねると、執事は目を泳がせながら、
「いえ、ちょっとお掃除を……」
慌てて胸ポケットから取り出したチーフでエリックが磨いている銀の三灯燭台は、蝋燭を外すとまるで三叉槍のようだ。
多分、フルールの窮地に飛び込み、戦う準備をしていたのだろう。……次期当主で現役騎士のヴィンセントと。
それに気づいたら一気に緊張が解けて……安堵の笑みが零れる。
「エリック、お茶を淹れて頂戴」
「はい、お嬢様」
執事が何も聞かないから、令嬢も話さない。
ただ、自室で温かい紅茶を飲んで、フルールは日常に戻った。
ヴィンセントは吐息のかかる距離までフルールに顔を近づけた。
「このままお前が屈服するまで蹂躙するか。それとも……」
大きな右手を妹の白い首に掛ける。
「ここを手折って、我が愛を永遠とするか」
ごくり、とフルールの喉が動くのを掌に感じ、ヴィンセントは嗜虐的な笑みを浮かべた。
「お前の崇高な意志など、男の腕力でいとも簡単に打ち砕けるほど脆いものだ。もう十分自由を満喫しただろう? そろそろ自分の居場所に戻るんだ」
「……わたくしの居場所は、わたくしが決めます」
頑なな妹に、兄は眉間にシワを寄せると、彼女のブラウスの襟を掴んだ。
「ならばどこにも行けなくするまでだ」
力任せに引き裂く手に、ボタンが弾け飛び、鎖骨のくぼみやなだらかに隆起した乙女のデコルテラインが顕になる。
「フルール、これはお前のためだ」
熱く囁きながら、顔を寄せる。唇が重なる……寸前。
ヴィンセントは動きを止めた。
何故なら、組み敷かれたフルールが、一切抵抗することなくただじっと瞬きもせずに兄の目を見つめていたから。
「……お兄様にはできません」
兄の青い瞳に映る自分と目を合わせたまま、フルールは断言する。
「ヴィンセント・ブランジェは、わたくしが出会った中で最も高潔な人。わたくしに……女性に危害を加えるなんてできません」
真摯な声にハッと息を呑む。自分とよく似た妹の透き通るような瞳の中に狼狽えた自身の顔を見つけ、ヴィンセントはフルールから手を離した。
「……お前はズルいな。フルール」
謎の敗北感に苛まれながら、体を起こした彼はベッドの端に腰を下ろした。
あんな言い方をされたら、悪人にはなれない。
「わたくしは、お兄様は心根の清い方だと知っていますもの」
はだけた襟をさりげなく掻き合わせながら、フルールも起き上がる。
「お兄様を蔑ろにするつもりはありませんでした。でも……理解して頂けなくて残念です」
俯いて部屋を出ようとする妹を、
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兄が呼び止めた。
「明日、時間をもらえるか? 少し、話がしたい」
「……ええ」
頷くフルールの顔を見ず、ヴィンセントはぽつりと、
「すまなかった」
彼女は穏やかに微笑み返して、兄の部屋を出た。
◆ ◇ ◆ ◇
ドアを後ろ手に閉めて、ほうっと息を吐き出す。
心臓はバクバク飛び跳ね、指先は氷のように冷たい。
フルールはヴィンセントに絶対的な信頼を寄せているが……。
(……怖かった)
あんな鬼気迫る兄を初めてみた。
……思い留まってくれて、本当に良かった。
何かされていたら……彼を赦すことはできなかった。フルールは、ヴィンセントを嫌いになりたくはなかった。
震える指を握り込み、自室に戻ろうと顔を上げて――
「あら」
――その人物に気づいた。
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「……何をしているの? エリック」
訝しげに尋ねると、執事は目を泳がせながら、
「いえ、ちょっとお掃除を……」
慌てて胸ポケットから取り出したチーフでエリックが磨いている銀の三灯燭台は、蝋燭を外すとまるで三叉槍のようだ。
多分、フルールの窮地に飛び込み、戦う準備をしていたのだろう。……次期当主で現役騎士のヴィンセントと。
それに気づいたら一気に緊張が解けて……安堵の笑みが零れる。
「エリック、お茶を淹れて頂戴」
「はい、お嬢様」
執事が何も聞かないから、令嬢も話さない。
ただ、自室で温かい紅茶を飲んで、フルールは日常に戻った。
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