異能捜査員・霧生椋

三石成

文字の大きさ
2 / 32
1巻 緑青館の密室殺人

1-2

しおりを挟む
 動悸がおさまるのを待っていると、身につけたボディバッグから、ドビュッシーの『アラベスク』が流れ出す。椋は目を閉じたまま革製のバッグを探ってジッパーを開き、音の発生源であるスマートフォンを取り出すと、耳に当てた。発信者を確認するまでもない。椋に電話をかけてくる人間は限られているし、その曲は広斗専用の着信音なのだ。

「ど……」
『椋さん、いまどこですか!?』

 どうした、と問う間もなかった。スマートフォン越しに響いた低めの声は、ひどく焦っている。

「昼食を買いに、近くのコンビニに行こうと思っ……」
『コンビニに居るんですか? 大通りの向こうの?』

 食い気味に再度問いかけられる。

「いや、まだ辿り着いてなく……」

 椋は答えを続けたが、

『そこで待っていてください、動かないで。すぐ行きますから!』

 最後は広斗自身が言い終わる前に、通話がプツリと切れた。

せわしない奴だ」

 スマートフォンをしまいながら、椋は憮然ぶぜんと呟く。だが同時に、どこか安心もしていた。先程までの激しい動悸が、すっかり治まっていることを自覚する。
 呆気に取られながらも言われたとおりに椋が待っていると、数分もしないうちに、こちらへ向かって走ってくる足音が聞こえた。次いで、先程電話越しに聞いたものと同じ、慌てた声が投げかけられる。

「椋さん! どうしたんですか、大丈夫ですか、日射病ですか、辛いですか、立てますか、家までおぶって行きますか、それとも救急車が必要ですか」

 炎天下でしゃがんでいる椋を見ていっそう慌てた様子で、返事を待たずに広斗が質問を捲し立てる。椋は軽く笑うと、それ以上広斗を心配させないように立ち上がり、なんでもないと手を振った。

「少し動悸がしただけだ。お前、昨日はまだ帰れないって言ってなかったか?」
「墓参りは朝のうちに済ませてきたんですよ。どうして一人で家を出たんですか」
「腹が空いたから……」
「あああっ、やっぱり、なんとしてでも昨日のうちに帰ってくるべきでした。本当にすみません。さあ、家に帰りましょう、昼食は俺がなんか作るんで。暑いから素麺そうめんでどうですか?」

 広斗は大袈裟なほど嘆いたが、すぐさま気持ちを切り替えた。提案しながら、椋の手元へ自身の腕を軽く押し当てる。この仕草は、自身の腕に捕まってくれと椋へ促すいつもの合図だ。
 広斗の背丈は椋よりもさらに高く、百八十センチを軽く超えている。上背に見合って体格もがっしりしてはいるが、自ら率先して体を鍛えている訳ではない。成人はしたものの、未だ少年の面影を残す顔立ちは目鼻立ちがくっきりしていて、くるくると表情が変わる。太めでまっすぐに上がる眉が、顔立ち全体の印象を引き締めていた。
 差し出された腕に椋が手をかけると、広斗は嬉しそうに微笑んだ。そのまま二人で家を目指して歩き出す。
 椋が視覚を遮断するようになって、もう九年が経過した。それだけの年数が経てば、視覚情報に頼らず生活することにも、ある程度は慣れる。しかし、家の外で誰かに頼って歩けることは、素直に椋を安心させた。

「墓参り済ませたって言っても、こんな早くに戻ってきて、親父さん怒ってなかったか?」
「かもしれませんけど。別にどうでもいいです」

 なんの感情も含まれない淡白な口調からは、広斗が本当に、心底どうでも良いと思っているようだと窺い知れる。
 広斗の実家はそこそこの名家だ。いわゆる地主というやつで、実家のある地域に広大な土地を持っている。今回盆に帰省していたのも、親戚一同が集まる会食があるからと呼び出されたからだ。
 広斗は常日頃であればあれこれと理由をつけて、盆正月にも実家に帰ろうとしない。だが今回は、厳格な父親から強制帰省命令が出た。帰ってこなければ勘当するとまで言われていたのだが、当初の広斗自身は、それにすら従うつもりはなかった。しかし、

「家族は大切にしたほうがいい」

 と椋に促されて、渋々出かけていったのである。家族全員を失っている椋にそれを言われると、広斗としては弱い。
 出かける前の広斗は椋の生活をひどく心配していたが、椋自身は、広斗が家に来る前の生活に戻るだけだと、なにも気にしていなかった。
 実際には、家から徒歩六分程のコンビニにさえも辿り着けなかった訳だが。
 一人暮らしをしていた以前よりも、自活力というものが明らかに失われてきていると、椋は思う。

「お前に頼りきりでは困るな……」
「なにがですか?」

 独り言のようにぼやくと、即座に問い返される。椋はそれにゆるく首を振って応え、あとは黙って歩く。椋が一人で歩いてかかった三分の一ほどの時間で、二人は家に帰り着いた。
 閑静な住宅街の一角にある、道路の突き当たりに位置する一軒家。オフホワイトの外壁を持ち、ところどころに埋め込まれたタイル風の装飾や、煉瓦れんが色の屋根がお洒落な洋風の大きな二階建て。
 二人暮らしには豪華すぎるこの家は、椋の生家である。椋の両親が建てたものだが、事件で両親と姉が他界したことにより、いまでは椋の持ち家になっている。もちろん、あの事件が起きたのもこの家でのことだ。
 椋は広斗に招かれるままドアを潜った。その口元へ僅かに歪んだ笑みが浮かんだのは、つい先程出かけた家に、なんの成果もなく帰ってきた自分に笑えたからだ。
 玄関の棚の下に杖を戻し、サングラスと入れ替えるように目隠しをつけ直す。
 家の外でサングラスをかけるのは、目を閉じていることを他人から気づかれないようにするためだ。椋は人から注目を集めることをひどく嫌う。では、なぜ家の中では目隠しをつけているのかというと、自分の意思で目を閉じ続けることが、意外と疲れるものだからである。この家は、椋の見たくないもので溢れている。そのため、万が一にも家の中を見てしまわないように、椋は常に目隠しを装着し続けている。

「素麺作りますね。日射病にはなっていないんですか? 食事の前に氷嚢ひょうのう出しましょうか」

 先に家の中へと上がった広斗が問いかけてくる。

「日射病になるほど外にいなかったよ。情けない話だけどな」

 リビングに入った椋はそう答えながら、心地よい涼しさを感じて無意識のうちに息を漏らす。広斗が先程一時帰宅をした際に冷房をつけていっていたため、家の中は心地よい温度になっていた。
 ソファに腰掛け、ボディバッグを下ろす。たいした時間ではないが、久しぶりに強い日差しに当たったせいで体が火照っていた。椋はおもむろに、熱くなっている額に手の甲を当てた。
 その仕草を、リビングの奥につながるアイランドキッチンからやってきた広斗が気づかわしげに見る。

「椋さん、本当に大丈夫ですか? 麦茶、ここに置いておきますね。脱水症状にならないように、先に飲んでいてください」

 麦茶の入ったグラスを二つ、彼はコトンコトンと音をさせながらテーブルに置いた。グラスの中では、氷がぶつかる涼しげな音もする。

「んっ……ああ、ありがとう。大丈夫だ」
「辛かったらいつでも言って下さいね」

 短く言葉を交わすと、広斗は再び奥へ戻っていく。
 椋は出された麦茶を飲みながら、キッチンでしはじめた物音に意識を向けた。広斗の足音、鍋の中でお湯の沸く音、薬味を切っている小気味良い音が響き、この家に人の営みがあることを感じさせてくれる。
 広斗が帰宅したことでようやく、椋はここが自分の家だという安堵を覚えていた。
 彼が不在にしていたのはたった三日間だったが、広斗のいない家の中は、椋にとってもやはり寂しかったのだ。
 広斗がこの家に住みはじめたのは四年前だが、椋が広斗と出会ったのは、もう九年も前、椋が高校一年生だったときだ。当時の広斗は小学生であり、本来接点を持ちようもない年齢差だが、広斗の兄である結斗ゆいとが、椋の同級生だった。
 あの事件の直後、椋は受けたショックのあまりの大きさに、高校にも通えず抜け殻のようになっていた。そんな椋の気持ちが少しでも晴れればと、結斗が自分の家へ、椋を半ば無理やり連れて行ったのがきっかけである。
 しかし、椋と結斗が元々特別親しかった訳ではない。結斗は成績が良く親教師からの信頼も厚い典型的な優等生であり、悲劇的な事件に見舞われた椋の面倒を見ることを、担任の教師に頼まれていたのだ。結斗も嫌々やっていた訳ではないが、結果的には弟である広斗の方が結斗以上に椋と親密になり、次第に心酔していくことになる。

「さー、素麺できましたよ、食べましょう。椋さんはいつもどおり、薬味たっぷりがいいですよね?」

 明るい声をかけられ、椋はぼうっとしていた意識を引き戻す。
 広斗は、食器を盆に載せて運んできているところだった。ガラスの器に入った素麺には氷が浮かぶ。小口ネギとり下ろした生姜、刻んだ茗荷みょうががそれぞれの小鉢に入れられ、個別の麺つゆも、すでに薄められて用意されている。

「茗荷あるか?」
「もちろん。いっぱい入れますね」

 広斗は、椋用の麺つゆにそれぞれ薬味を投入してから、甲斐甲斐しく彼の手元へ差し出した。こうして椋の世話を焼くことを、広斗は何の手間とも思っていない。むしろ、なにをしているよりも楽しそうだ。

「ありがとう。いただきます」

 用意された箸を手に取り、食前の挨拶を述べてから、椋は麺つゆの入った器を受け取った。彼は愛想がいい方ではないが、こうした感謝の言葉は必ず口にする。その所作には、随所に育ちの良さが見て取れた。
 椋は少し濃い目の麺つゆに素麺をつけ、薬味を絡ませながら口へと運ぶ。冷えた麺はつるりと喉を下っていく。奥歯で噛みしめる茗荷の食感に、鼻に抜ける芳香が合わさって実に美味だ。

「美味しい」
「よかった。素麺なんで、でただけなんですけど。じゃあ、俺もいただきます」

 謙遜しながらも広斗は嬉しそうに笑い、自身も箸を手にする。

「俺が作り置きしていったご飯は、食べられました?」
「ああ。特にグラタンが美味しかった」
「あれ、新しく覚えたレシピで作ったんです。また作りますね。今晩はなにが食べたいですか?」

 共に素麺を啜りながら、広斗の声が弾む。
 食べさせる相手は椋しか居ないのだが、広斗は手の込んだ料理を面倒臭がらずによく作る。そもそも彼が料理することを好きになったのも、椋に栄養のあるものを食べてもらいたい、というところから発している。親の意向がなければ、進学先は経済学部の四年制大学ではなく、調理の専門学校を選択していただろう。
 問いかけにしばし考えてから、椋はもう一度素麺を啜った。

「なにか魚が良いな」
「和食がいいですか?」
「いや、特にそういう希望はないが」
「洋食で良ければ、サーモンのムニエルにしましょうか。それとビシソワーズでさっぱりと。どうですか?」

 提案を聞き、椋は小さく笑う。広斗がそのメニューを選んだ理由を推測することができたからだ。

「上林家はずっと和食だったよな」

 椋が上林家に滞在していたのは昔のことであるが、それでも特徴的だった台所事情はよく憶えている。

「しかも、お祖母さんの味覚に合わせているので味が濃いんですよ。男子厨房に入らずとかいって、手伝わせてもくれませんし」

 僅かに唇を尖らせ、不満をあらわにする表情は、広斗の面立ちの幼さを際立たせる。
 椋がその表情を見ることはないが、口ぶりから想像することはできた。
 広斗が不満に思っているのは、なにも実家の食事だけではない。椋と出会った当初から、広斗はあの大きな家に居場所のなさを感じている。そして、広斗の中にあるその感覚が、彼の成長と共に大きくなっていることを椋は知っていた。
 父親は厳格だが愛情がないわけではなく、祖母と母親は優しく、結斗は合理主義的なところもあるが、性格の良い兄である。椋から見れば、上林家はいたって健全でしっかりとした家庭だった。しかし、家族仲ばかりは反りの問題があることを椋も理解している。

「好きなもので良い。お前の作ってくれるものは、何でも美味いから」

 つるりと腹に収まってしまった素麺を食べ終え、麺つゆの器と箸を置くと、両手をあわせて、

「ごちそうさま」

 と端的に述べる。
 全幅の信頼を感じる椋の言葉に、広斗は実に嬉しそうに笑った。椋は目隠しをしたままなので、当然そんな広斗の顔を見ることはない。誰に見せるためのものでもない、自然と溢れた笑顔だ。

「椋さん、大好きです」

 隠すことなく、真っ直ぐに向けられる親愛の情と言葉を、椋はなにも言わずに、しかしいとうこともなく受け取る。
 それが、彼らの日常だった。




   3


 二人の平穏が破られたのは、それから二日後の朝のこと。

「お帰りください!」

 突如として聞こえてきた広斗の厳しい声に、椋は眠りから目を覚ました。今日もまた、あの夢を見ていた。寝ている間にかいていた冷や汗を拭いながら耳を澄ますと、階下では広斗が誰かと言い争っている声が続いている。
 いつもよりも早い目覚めに未だ眠気を感じるが、放っておくわけにもいかない。椋は寝起き姿のまま部屋を出ると、手すりに手をかけながら階段を半ばまで降りた。階段は玄関に繋がっている。

「広斗、どうした」

 椋が後ろから声をかけると、広斗は弾かれたように振り向く。

「あ、椋さんすみません。起こしてしまいましたか。この人にはすぐ帰ってもらうので、大丈夫です」
「いや……」

 様子を目で見ることができない椋は、事態を把握できない。
 椋が曖昧にこたえたところで、広斗の前に立っていたスーツ姿の男性が口を開く。彼は玄関の三和土たたきに立ち、グレーのジャケットを脱ぎ小脇に抱えていた。ワイシャツは半袖で、その胸ポケットにはペンと手帳がささっている。

「椋くん。わたしだよ、真崎まさきだ。会えてよかった。君の優秀なボディーガードが通してくれなくてね」

 その声に、椋は聞き覚えがあった。長年聞いていなかったが、喉の奥で低く響く声音は独特で、記憶の深いところに刻み込まれていたからだ。

「真崎さん? いったい、どうしたんですか」

 意外な人物の訪問に、椋の声は自然とワントーン上がった。

「久しぶりだね。憶えていてくれて嬉しいよ。実は君に相談したいことがあってね」

 相手の正体がわかったところで椋は階段を降りきり、大丈夫だと伝えるように、広斗の肩に手をかけた。

「え、椋さん。この方はお知り合いですか?」

 椋の反応を見て、真崎の行く手を阻むように立ち塞がっていた広斗が意外そうに声を上げる。椋は、広斗の体に走っていた緊張が抜けていくのを、彼の肩に置いた手から感じた。

「だからそう言っているだろう」

 眉を下げて笑う真崎の歳は四十四。オールバックにした髪には、ちらほらと白髪が混ざっている。背は椋よりも少し低い位だが、体格が良く、実際の年齢よりも貫禄のある出で立ちだ。

「だって、警察だって言うけど、手帳も見せてくれませんし」
「あいにく今日は非番で、警察手帳は携帯していないんだ」

 二人の会話を聞き、椋が代わりに謝罪する。

「すみません。最近は少なくなりましたけど、マスコミとか不審者とか、まだよく来るもので。広斗も警戒してくれているんです」

 事件のあと、一家惨殺の凄惨な事件はマスコミでも大変な話題となった。事件唯一の生き残りである椋は、犯罪だけではなく、彼らの被害にもあったと言って過言ではない。事件当時の狂気じみた騒ぎは遠くなったが、今日こんにちに至っても取材希望者がときおり現れる。また、犯罪マニアなる者達が家の様子を見にやってくることもある。なかには家の中にまで上がり込もうとするやからもいるのだ。
 マスコミや、そうした不届き者達に悩まされる椋の姿を、広斗は当時からそばで見ていた。彼らに対する広斗の警戒心は自然と高くなり、いまでは積極的に対処を買って出るようになっていた。
 そしてそのあたりの事情は、真崎も承知しているところだ。

「ああ、そうだよね……いや、わかるよ。謝ることはない。慎重なのは良いことだ」

 彼はなにかを思い出すような表情で、理解を示すように頷いた。椋はほっとしたように息を漏らす。

「そう言っていただけると。あ、と。すみません、俺まだ寝起きで。ちょっと支度してくるので、上がっていてください……広斗、お通しして」
「はい。こちらへどうぞ」

 広斗が真崎をリビングへ案内している声を聞きながら、椋は二階へ戻った。いつものように定番の服に着替え、顔を洗って支度を済ませる。
 手つきや足取りは普段と変わらないが、表情は浮かない。起きてしばらく経ったいまになっても、頭の中には悪夢の嫌な感覚が残っていた。気分を変えるように、タオルで強く顔を拭う。椋はそこで、悪夢がいっそう尾を引いているのは、真崎の声を聞いたからかもしれないと、ふと思う。
 真崎は、あの事件の担当刑事だった。椋が真崎の存在を思い出すとき、自然と事件はセットになる。彼には何の落ち度もないが、彼の存在自体になんとなく嫌なものを感じてしまうのもまた、致し方ないことだろう。
 タオルを置いて、深いため息を吐くと目隠しをつけ直す。
 ときおり広斗に切ってもらうだけで、余計な手をかけていない椋の髪はさらさらの直毛だ。ざっくりと手櫛で整え、変な寝癖がついていないことを確認してから、椋は階段を降りていった。


「椋さん、ホットサンド食べますか?」

 椋がリビングに姿を現すと、すぐさま広斗が問いかけてくる。

「うん……真崎さんはお腹すいています?」
「いや、わたしはもう食べてきたから大丈夫。君は気にせず食べると良い」

 聞こえた声の位置から真崎の座っている場所を把握して、椋はちょうど向かい側のソファに腰掛ける。テーブルの上には、すでに広斗が真崎用に出したコーヒーがあり、カップからは湯気とかぐわしい香りが立ち上っていた。

「では、お言葉に甘えて。広斗、俺の分だけ頼む」
「はーい」

 広斗がキッチンへ向かってしまうと、リビングにはやや気まずい沈黙が落ちる。
 部屋には控えめの冷房がかかっていて涼しいが、椋は無意味にシャツの袖を捲くった。事件のときは世話になったが、九年も前の話だ。当時の椋はろくな会話ができる状況でもなかったし、親しい間柄という訳でもない。
 ――さっき、相談があるって言ってたよな。それを聞けば良いんじゃないのか?
 と、椋は自分自身で思う。しかし、どう切り出したら良いものなのかも、普段広斗以外の人間とまったく接していない彼にはわからない。
 椋がまごついている間に、真崎が口を開いた。

「広斗くんとは、この家で一緒に住んでいるのかい? お友達?」
「ああ、はい。友達の、弟なんですけど。彼の通っている大学に、実家より俺の家の方が近いので、同居しているんです。家のことも色々やってくれています」

 広斗と椋の関係を端的に言い表すのは、なかなか難しい。友人関係には違いないのだが、友達と言い切るには、年齢的な上下関係があるような、ないような。

「そうか。君が一人でもなく、元気なようで良かったよ。この家にまだ住んでいたとは、驚いた。おかげでこうしてまた会うことができたのだが。さっき、家にマスコミや不審者も来ると言っていたが、どうして引っ越さないんだい?」

 真崎と椋は個人的に連絡先を交わしてはいなかったので、椋が引っ越していたら、もう二度と会うこともなかったに違いない。
 しかし、椋はあの惨劇が起こった家に、いまなお住み続けている。殺人の起こった家からは引っ越すのが一般的な感覚だろうが、椋にはその気がなかった。

「そう……ですね。お金もないですし」

 嫌な記憶があるとはいえ、家族との想い出が詰まっている家を出たくない、という心情面もありつつ、大きな要因は金銭的なことだ。
 遺産に加え、父の多額の生命保険金と遺族年金が出ているため、現状で金に困っている訳ではない。しかし椋は、極力の節約をするよう心がけていた。
 事件のあと、結斗をはじめとして周囲の人々からサポートを受けたが、暴発する能力を抱えた状態では、どうしても元の生活に戻ることはできなかった。
 二年生に進級はせず高校を中退して以降、椋は何の職にも就いていない。簡単なアルバイトにすら出かけたこともないので、彼には、自分がよっぽど世間知らずのまま生きているという自覚があった。ろくな学歴もなく、さらに視覚に障害を抱えた状態で、これからも働けるようになるとは思えなかった。

「仕事はしていないのかい? 能力のせいで?」
「はい」

 問いかけにそれ以上の返答をすることができず、椋はただ頷きだけで済ませる。
 真崎の質問は続いた。


しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。