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2巻 白峰荘の人体消失
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屋敷を後にし、駐車場へと向かっていた三人の背後から声がかかる。
「すみません! 真崎さん、霧生さん、紫王さん!」
名前を呼ばれ、紫王に腕を借りて歩いていた椋は足を止める。紫王と、後ろをついてきていた真崎も同様に立ち止まって振り向いた。
玄関から慌てた様子で出てきた声の主は、見る者に清楚な印象を抱かせる濃紺のワンピースを着た、ロングヘアの女性。殺害された大悟の娘である皐月だ。
皐月は三人の前まで走ってやってくると、上がった息を整えるように胸元を軽く手で押さえる。
「お引き止めして申し訳ありません。先程は礼子さんの逮捕に頭が混乱してしまって、うまくお話ができなかったので」
皐月は大悟の娘だが、前妻との子供であるため、礼子との間には血縁関係がない。捜査の間に見せていたやり取りでは、二人の仲は悪くない様子だったが、皐月は礼子のことを母とは呼んでいなかった。
言葉を途切れさせて一度大きく呼吸をすると、皐月は勢いよく、そして深々と頭を下げる。目隠しをしている椋はその姿を見てはいなかったが、彼女が頭を下げたときの勢いには、微かな風圧を感じるほどだった。
「お父さんの無念を晴らしていただき、ありがとうございました!」
「我々は、仕事をしただけですから」
真崎が表情を緩め短く応えるが、皐月は頭を下げたまま言葉を続ける。
「でも、どうしてもしっかりとお礼を言いたくて……父は、厳しいところもありましたが、だからこそ強い人でした。そんな父が自殺をするなんてことは信じられなくて。もし、父が本当に自殺をしたのなら、それほど苦しんでいることにどうして気づいてあげられなかったんだろうって、ずっと自分のことを責めていたんです」
切ない想いを語る皐月は、苗字は変えていないものの結婚しており、すでにこの屋敷を出ている。しかし、実の母親である前妻が亡くなってからは、週に一度は欠かさずに大悟の様子を見に屋敷を訪れていた。
そんな親孝行な娘が、あろうことか第一発見者として、父親が首を吊っているところを目撃してしまったのだ。その悲哀は察するに余りある。
「顔をあげてください」
真崎は皐月の肩に手を置いて促した。
皐月はようやくそこで姿勢を戻し、今度は改めて三人を見ながら話す。
「礼子さんが逮捕されたことはとてもショックで、一番信頼していた礼子さんに殺されたときの父の悲しみを思うと複雑ですが。でも……それでも、父が何かに絶望して自ら命を絶ったわけではないのだとわかって、私はよかったと思っているんです」
「残された者には、真実を知る権利と義務がありますから」
真崎が重みのある声で相槌を打つ。
「はい。他人にも自分にも厳しい父でしたから、自殺をしたなんて思われているのは、きっと、悔しかったはずです。だから、父の無念を晴らしていただき、ありがとうございました」
黙って皐月の話を聞いていた椋は、紫王に、彼の腕にかけていた自分の手をトントンと軽く叩かれて顔を上げる。紫王はその仕草で、言外に『よかったですね』と伝えてきているのだ。
過去に大きなトラウマがある椋にとって、殺人現場で、殺された人が最期に見ていた光景を目撃するのは、非常に辛いことだ。それでもなお警察に協力を続けているのは、自分の能力が誰かの、特に被害者遺族のためになると信じているからである。
そして、そんな椋の事情を、紫王もまた表面的にだが理解していた。
紫王に促されたように感じ、椋は口を開く。
「大悟さんが死の直前まで書いていた遺言書の中には、自分の財産をすべて皐月さんに相続させるとありました」
皐月の視線が椋へ向く。
「物としての遺言書が見つかっていないので、法的な力は発揮できないとは思いますが。俺は、その遺言書を書いていたことこそが、大悟さんが皐月さんのことを最も信頼していた証のように感じました……心より、お悔やみを申し上げます」
椋が幻覚で見たことを話し終えると、皐月は途端に瞳を潤ませ、目尻からぽろぽろと涙をこぼし、改めて深く頭を下げる。
「本当に、ありがとうございます」
長くそのままの姿勢で三人に感謝を示した後、再び顔を上げた皐月の表情は、雨上がりの空のように穏やかだった。
2
そこにあるだけで周囲からの注目を集める紫色のスポーツカーは、外装の印象に反して静かに走る。
紫王の運転技術は確かで乗り心地も良く、椋は後部座席でいつしか眠ってしまっていた。
捜査を除いて普段あまり外出しないうえ、目隠しで視界を塞いでいることで周囲の状況がわからないことも一因となっているのか、椋は乗り物に酔いやすい。車に乗ったら、酔わないうちにすぐに寝入るという、防衛本能のような癖がついている。
「椋さん、そろそろ署に着きますよ」
運転している紫王から声をかけられ、椋は意識を浮上させる。
「ん……はい。すみません、送ってもらってるのに寝てしまって」
「構いませんよ。椋さんが乗り物を苦手としていることは、広斗さんから聞いていますから。そういえばさっき、そろそろ広斗さんの仕事が終わるっておっしゃってましたけど、彼、今日も仕事なんですか?」
ウィンカーの表示を出して角を曲がると、すぐに異能係が本拠地にしている警察署が見えた。車は滑らかにその関係者用の駐車場へと入っていく。
「忙しいらしくて」
「大変ですねぇ新社会人。今日は祝日の捜査でしょう? てっきり広斗さんもついてくるかと思ってたので、実は朝から意外だったんですよ」
白線の内側に駐車しながら紫王が笑い、続けて助手席に座る真崎が言う。
「入社後一ヶ月でそれだけ働けるってことは、よっぽど有望株扱いされているんだろうね」
話題の人物は、フルネームを上林広斗という、椋の同居人のことである。
広斗の通っていた大学に椋の家が近いという理由で一緒に住むようになったのだが、この春に広斗が大学を卒業しても同居を解消していない。
広斗の兄である結斗が椋の友人だったことから出会ったが、今ではすっかり広斗との仲の方が深くなっていた。視覚を塞いでいるせいで不自由なことが多い椋の生活を、広斗は全面的にサポートしている。
広斗が椋に心酔していることは、異能係の中では周知の事実である。
彼が大学生だったときは毎回欠かさず椋の捜査に同行し、あらゆる面から椋を支えた。しかし、社会人にもなるとそうそうスケジュールの都合がつくわけもなく、このところは広斗不在での捜査が多くなっている。
その代わりとして、刑事の伊澤が椋の専任サポートとして入ることが増えていた。
「広斗も今日は来たがっていたんですけど。色々と大変みたいです」
今日は五月四日。つまりみどりの日で、本格的なゴールデンウィークの只中だ。
城之内邸での捜査の予定が入った当初は広斗もついてくるという話をしていたのだが、昨日の夜に急遽仕事が入り、広斗は今朝、泣く泣く会社に出かけて行った。
椋は、高校一年生のときに事件に巻き込まれて特殊能力が発現してから、視覚を塞いで引きこもり生活をしていた。社会人経験はおろかバイトすらしたことがない椋には、広斗が今どんな状態にあるのかがいまいちわかっていない。
「はい、到着ですよ。お疲れ様でした」
紫王はそう声をかけながら、車のエンジンを停止させる。
「ありがとうございます」
「ありがとう紫王くん、とても快適だったよ。さすがに運転がうまいね」
椋のあとに続けられた真崎からの褒め言葉に、紫王は微笑みながら車を降りる。
「車好きとしては、そう言ってもらえると嬉しいです。これからも、たまには僕の愛車に乗ってくださいね」
続いて椋が車から降りると、紫王はすぐに近寄ってきた。
「腕をどうぞ、椋さん」
「すみません」
椋は探るように手を前方に伸ばし、差し出されていた紫王の腕に手をかけた。紫王に進行方向を示してもらう形で、そのまま共に歩いていく。
「椋さんをエスコートできるなんて、身に余る光栄です」
「俺、紫王さんのそういうところ嫌いです」
「何でですか」
表情を変えずに淡々と言う椋に、紫王が声をたてて笑う。そんな二人の様子を見て、真崎は後ろで和やかに目を細める。
「紫王くんと椋くんもすっかり仲が良くなったね。良いことだ」
紫王と椋が出会ったのは、異能係が発足し、事件の捜査がはじまってからである。紫王の飄々とした態度のせいもあり、初めの頃の椋は、紫王に苦手意識を抱いていた。だが今では、人付き合いの苦手な椋にしては、遠慮ないことも言えるような間柄になっている。
「真崎さんも、学校の先生みたいなこと言わないでください」
椋のそっけない言葉に、真崎も笑う。
「まあ、立場的には似たようなものだからね」
三人が警察署出入口の自動ドアを潜って中に入ると、ただならない女性の大声が耳に飛び込んできた。
「おかしいじゃないですか! お兄ちゃんをすぐに探してください!」
声の主は、警察署に入って左手すぐのところにある相談窓口の前に立っていた。十代後半と思われる若い女性だ。
艶やかなストレートの黒髪は長く、背中を覆っている。ドレッシーなブラウスも膝丈ほどのフリルがついたスカートも黒く、黒髪とあいまって独特な雰囲気を纏っていた。掌に収まってしまいそうな小顔、黒いマスカラで強調された大きな瞳はアーモンド形で、人形のような顔立ちをしている。
「まあまあ落ち着いてください。その、智久さん? 二十二歳なんでしょう? 一日いなくなったくらいで大人を探してたらね、警察の人手がいくらあっても足りませんから」
女性の前に立っている受付の職員が、渋い表情をしながら応える。だが女性は感情の昂りが抑えられない様子で、いっそうの金切り声を上げる。
「だから、普通じゃないの! お兄ちゃんは私のすぐそばで消えちゃったんだって言ってるじゃないですか!」
言い切ったあと、彼女は子供のように声を上げて泣きはじめた。泣き真似ではないことを証明するように、大粒の涙がいくつもぽろぽろとこぼれ落ちていく。
彼女の横にいた別の女性が、その背中をさすりはじめた。
「萌香、ねえ、大丈夫だから」
宥めている女性の方も、今にも泣き出しそうなほどに声が震えている。
そんな二人の姿を眺め、紫王は椋を伴ったまま彼女たちの元へと歩み寄る。
「すみません。つかぬことをお伺いしますが、その『消えちゃったお兄ちゃん』って、あなたと血の繋がった、本当のお兄さんですか?」
「ちょっと、紫王さん」
紫王の言動に椋が驚きの声を上げるが、驚いたのは、突然思いもよらぬところから声をかけられた彼女たちも同じだ。
宥めていた方の女性が目を見開いて紫王へ視線を向ける。そして紫王と、その腕に手をかけている椋の姿を見て、また驚きの表情が深まった。椋は黒の目隠しで完全に目元を覆っているのだ。一目で只者ではないことは伝わる。
「あなたたち、何なんですか?」
萌香と呼ばれた女性は泣きじゃくったままだが、もう一人の女性が怪訝そうに問いかけてくる。
ウェーブのかかった長い黒髪。オーバーサイズのパーカーに、その裾に隠れてしまいそうな程に短いデニム地のショートパンツ。服装の雰囲気はまったく違うが、女性の顔立ち自体は、萌香によく似ていた。
ただ、こちらの女性の方が少しだけ大人びた印象だ。年齢がいくつか上なのだろうと推察できるところもあいまって、友人ではなく姉妹に見える。
「まあ、警察関係者ってところですよ。それで、その『消えちゃったお兄ちゃん』っていうのは、そこの子の本当のお兄さん?」
「そうですけど」
朗らかな笑みで適当に受け流し、再度同じ質問をする紫王に、いまだ訝しげな様子で女性が答えた。と、少し遅れて真崎がやってきて、受付の職員に声をかける。
「お疲れさま。彼女たちはどうかしたのかい?」
「ああ、真崎さん、お疲れさまです。それがですね、昨夜彼女たちは数名の友人たちと廃墟へ肝試しに行ったらしいんです。そこで、同行していた槙野智久という男性が行方不明になったので、警察に捜索をして欲しいとのことで。ただ、その男性は二十二歳で、いなくなったのは昨夜ですから」
おおよその事情を把握し、真崎は頷いた。未成年者ならともかく、いなくなってたった一日で、事件性のない成人男性の失踪が捜査されることはない。
「なるほど。智久さんは君たちを驚かせるためにどこかに隠れているとか、そういうことはないのかい?」
真崎は二人の女性に問いかける。パーカーを着た女性は何かを話そうと口を開きかけていたが、実際に答えたのは紫王だった。
「それはないですね。残念ですが、智久さんはもう亡くなっています」
どこか飄々とした、いつもと何ら変わらない口調。しかし内容の衝撃に、この場にいる誰もが一瞬言葉に詰まった。
「ふざけないで! 言っていい冗談と悪い冗談があるんだから!」
泣きながらも真っ先に反応したのは、萌香だ。
紫王の言葉をはなから嘘だと決めつけている萌香に対して、真崎の表情が引き締まる。
「いったい、どうしてそう思うんだい?」
「この方の守護霊が、智久さん本人なんですよ。守護霊になれるのは、『その人のことを最も気にかけている死んだ人間』だけ。つまり、智久さんはもう亡くなっている」
この方、と言いながら、紫王は萌香を示した。萌香は怒りで可愛らしい顔を真っ赤にして、紫王を睨みつけている。
「お兄ちゃんが死んでるなんて、それ以上言ったら、本当に許さない!」
萌香は紫王に掴みかかる勢いで詰め寄ったが、間に入った真崎が彼女を止める。
「ともかく、別室に行きましょう。この件は異能係が対応します。詳しく話を聞かせてください」
真崎の言葉に、窓口の職員は心底ホッとしたような表情を浮かべた。
「良ければ隣の部屋を使ってください。空いていますので」
「ありがとう。では、お二人ともこちらに」
相談窓口の横にあるドアを開け、真崎はこぢんまりとした会議室の電気をつけた。部屋の中央に簡素な机があり、机を挟む形でこれまた一般的なパイプ椅子が置かれている。特別なことはなく、警察署を訪れる者の話を聞くための部屋である。
女性二人はお互いに顔を見合わせながらも、強張った表情で部屋の中へと入っていく。
「準備をして参りますので、少々お待ちください」
真崎は二人にそう声をかけてから、一度ドアを閉めた。息を一つ漏らし、紫王へ視線を向ける。
「紫王くん。君は前に、『亡くなってから最低でも二ヶ月程度経っていないと、死者は守護霊にはなれない』と言っていなかったかい?」
それは異能係の活動が軌道に乗ってきた頃、紫王が事件の捜査中に己の能力について説明したときに述べた、死者が守護霊になるときの条件の中の一つだ。死んでから時間が必要だという制約があるからか、今までの捜査で、殺された被害者本人が守護霊になって現れたことはなかった。
「ええ、とても珍しいです。これほどまでに早く守護霊になっているなんて、僕も初めて見ました。よっぽどあの女性のことが心配だったんでしょうね」
「そうか。失踪者がすでに亡くなっていたということは残念だが、被害者本人がいるのなら、話が早そうだな。昨日、何があったのかという話はわたしが聞き取るから、その間に紫王くんは、彼女の守護霊から話を聞いてくれるかい?」
被害者本人に事件の詳細を聞けるのならば、それ以上に単純明快な話はない。
しかし真崎の期待に反し、紫王は首を横に振った。
「それはできそうにないです。『葬式』という儀式をすることに関係があるのかはわからないんですが、遺体が火葬なり埋葬なり、何らかの形で葬られていないと、守護霊は存在が曖昧としていて、僕と受け答えができないんです。これは、死んでから時間が経っていないこととはあまり関係ありません」
「つまり、遺体を発見しなければ、被害者の霊から話を聞くことはできない、ということかい?」
「そういうことになりますね」
紫王の返事を受けて真崎は一瞬残念そうに眉を寄せたが、すぐに思考を切り替える。
「では、通常どおりの捜査でいこう。ひとまず彼女たちから話を聞くが、二人ともこのまま同席してもらえるかな?」
「もともと僕が首を突っ込んでしまったことですしね」
「はい、大丈夫です」
真崎の問いかけに紫王と椋が答え、三人は女性二人が待つ部屋の中へと入ることとなった。
「お待たせして申し訳ありません。わたしは刑事の真崎と申します。この二人は『外部パートナー』と言いまして、警察から正式に協力を依頼している捜査のスペシャリストです。宮司と霧生といいます」
先頭で入室した真崎が慣れた様子で紹介をはじめ、女性二人と対面する形でパイプ椅子に腰を下ろした。その隣に紫王、椋と続く。
「紫王って呼んでください」
紫王はいつものように自己紹介を付け加えたが、萌香は同席する紫王の姿を見て、明らかに顔を顰める。一時的に紫王に対する怒りが悲しみを上回ったのか、萌香の涙は止まっていた。
「まずはお二人の名前とご職業を伺ってもよろしいですか?」
真崎が問いかけると、下唇を噛み沈黙する萌香に変わり、もう一人の女性が自分の胸に掌をあて、話しはじめる。
「私は井原葉子です。この子は槙野萌香で、二人とも明東大学の学生です。私が三年で、萌香が一年」
明東大学は、創立から三十年の比較的新しい私立大学だ。様々な学部を持つ総合大学で、生徒数も多い。学部によって異なるが、平均的な偏差値は六十程度。
その大学名に覚えがあり、椋は一人、微かな動揺をしていた。
「お二人は姉妹ではないのですか?」
二人の苗字が違うことから真崎が問いかけると、井原は頷く。
「よく間違われるんですけど、違います。私は一年前から智久と付き合ってて、萌香とも仲良くしてるんです。恋人の妹ではあるんですけど、関係としては、『先輩後輩』ですかね」
井原の口調が問いかけるようなものになると、萌香はこくりと頷いてみせる。その様子を見てから、井原はさらに言葉を続ける。
「昨日の肝試しにも一緒に行っていました。他のみんなはまだ、智久がいなくなった場所で智久のことを探してくれてるんですけど。警察に捜索願いを出すために、萌香と来たんです」
真崎は話を聞きながら手帳を広げ、メモを残していく。
「智久さんは萌香さんのすぐそばで消えてしまった、と仰っていたと思うのですが、智久さんがいなくなった状況を詳しく教えていただけますか? 廃墟に肝試しに行っていたのですよね」
「白々山の中に、昔旅館だったっていう廃墟があるんです。昔そこで殺人事件があったとかいう噂があって、みんなで肝試しに行こうって話になって」
「肝試しには何人で行ったんですか?」
「六人です。部員は私たちしかいない弱小なんですけど、大学のサークル活動として、映像研究同好会っていうのをやってて、そのメンバーで。私、智久、萌香、翔先輩、希空、楪の六人」
井原が指を折りながら部員の名前をあげると、横から口を挟むようにして紫王が問いかける。
「肝試しに行こうって言い出したのは、その中の誰だったんですか?」
井原は紫王へ視線を向けて、一瞬表情を強張らせた。萌香ほどあからさまではないが、井原も智久の死を語った紫王に悪印象を抱いているのだ。それでも井原は反抗することなく返事をする。
「うちは部員数も少ないし、低予算で作れるからっていう理由で、POVのホラー作品を最近よく撮ってたんです。それで、肝試しに行くこと自体は、なんとなく決まった気がします」
「POVとは何ですか?」
真崎が挟んだ質問には、紫王が答える。
「ポイント・オブ・ビューの略称ですね。映画とかゲームとかで、登場人物の視点から撮影をする手法ですよ。没入感が高くて低予算で作れるので、POVホラーの映画は一ジャンルとして地位を確立している印象があります」
「なるほど、サークル活動として最適というわけだ」
感心している真崎をよそに、紫王は井原に視線を戻すと質問を重ねる。
「でも僕、結構心霊スポットとかには詳しい方なんですけど、白々山の中にある旅館の廃墟なんて話は聞いたことがありませんよ。そんなマイナーな場所が自然と候補に出るなんてことはありませんよね。誰かが、そこに行こうと言い出したんじゃないですか?」
「そうですね、具体的にその廃旅館に行こうって言い出したのは、楪です。福良楪。二年生の男の子なんですけど、特にオカルトが好きで、そういう曰くつきの廃墟とか詳しくて」
「映画の撮影をしていたんですか?」
「違います。作品の舞台にもいいんじゃないかって話もあったので、下見の意味もありましたが、今回は肝試しをしに行ったんです」
真崎は井原の回答を聞いてため息を漏らした。
「廃墟と言っても大抵のものは誰かの所有物で、立ち入り禁止になっているはずですよ。ホームレスが住み着いていて犯罪に巻き込まれるかもしれませんし、建物が傷んでいて、床が抜けたり、天井が落ちてくる可能性もある。現に一人行方不明になっているわけですしね。軽率な行動は控えてください」
「すみません……」
「すみません! 真崎さん、霧生さん、紫王さん!」
名前を呼ばれ、紫王に腕を借りて歩いていた椋は足を止める。紫王と、後ろをついてきていた真崎も同様に立ち止まって振り向いた。
玄関から慌てた様子で出てきた声の主は、見る者に清楚な印象を抱かせる濃紺のワンピースを着た、ロングヘアの女性。殺害された大悟の娘である皐月だ。
皐月は三人の前まで走ってやってくると、上がった息を整えるように胸元を軽く手で押さえる。
「お引き止めして申し訳ありません。先程は礼子さんの逮捕に頭が混乱してしまって、うまくお話ができなかったので」
皐月は大悟の娘だが、前妻との子供であるため、礼子との間には血縁関係がない。捜査の間に見せていたやり取りでは、二人の仲は悪くない様子だったが、皐月は礼子のことを母とは呼んでいなかった。
言葉を途切れさせて一度大きく呼吸をすると、皐月は勢いよく、そして深々と頭を下げる。目隠しをしている椋はその姿を見てはいなかったが、彼女が頭を下げたときの勢いには、微かな風圧を感じるほどだった。
「お父さんの無念を晴らしていただき、ありがとうございました!」
「我々は、仕事をしただけですから」
真崎が表情を緩め短く応えるが、皐月は頭を下げたまま言葉を続ける。
「でも、どうしてもしっかりとお礼を言いたくて……父は、厳しいところもありましたが、だからこそ強い人でした。そんな父が自殺をするなんてことは信じられなくて。もし、父が本当に自殺をしたのなら、それほど苦しんでいることにどうして気づいてあげられなかったんだろうって、ずっと自分のことを責めていたんです」
切ない想いを語る皐月は、苗字は変えていないものの結婚しており、すでにこの屋敷を出ている。しかし、実の母親である前妻が亡くなってからは、週に一度は欠かさずに大悟の様子を見に屋敷を訪れていた。
そんな親孝行な娘が、あろうことか第一発見者として、父親が首を吊っているところを目撃してしまったのだ。その悲哀は察するに余りある。
「顔をあげてください」
真崎は皐月の肩に手を置いて促した。
皐月はようやくそこで姿勢を戻し、今度は改めて三人を見ながら話す。
「礼子さんが逮捕されたことはとてもショックで、一番信頼していた礼子さんに殺されたときの父の悲しみを思うと複雑ですが。でも……それでも、父が何かに絶望して自ら命を絶ったわけではないのだとわかって、私はよかったと思っているんです」
「残された者には、真実を知る権利と義務がありますから」
真崎が重みのある声で相槌を打つ。
「はい。他人にも自分にも厳しい父でしたから、自殺をしたなんて思われているのは、きっと、悔しかったはずです。だから、父の無念を晴らしていただき、ありがとうございました」
黙って皐月の話を聞いていた椋は、紫王に、彼の腕にかけていた自分の手をトントンと軽く叩かれて顔を上げる。紫王はその仕草で、言外に『よかったですね』と伝えてきているのだ。
過去に大きなトラウマがある椋にとって、殺人現場で、殺された人が最期に見ていた光景を目撃するのは、非常に辛いことだ。それでもなお警察に協力を続けているのは、自分の能力が誰かの、特に被害者遺族のためになると信じているからである。
そして、そんな椋の事情を、紫王もまた表面的にだが理解していた。
紫王に促されたように感じ、椋は口を開く。
「大悟さんが死の直前まで書いていた遺言書の中には、自分の財産をすべて皐月さんに相続させるとありました」
皐月の視線が椋へ向く。
「物としての遺言書が見つかっていないので、法的な力は発揮できないとは思いますが。俺は、その遺言書を書いていたことこそが、大悟さんが皐月さんのことを最も信頼していた証のように感じました……心より、お悔やみを申し上げます」
椋が幻覚で見たことを話し終えると、皐月は途端に瞳を潤ませ、目尻からぽろぽろと涙をこぼし、改めて深く頭を下げる。
「本当に、ありがとうございます」
長くそのままの姿勢で三人に感謝を示した後、再び顔を上げた皐月の表情は、雨上がりの空のように穏やかだった。
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そこにあるだけで周囲からの注目を集める紫色のスポーツカーは、外装の印象に反して静かに走る。
紫王の運転技術は確かで乗り心地も良く、椋は後部座席でいつしか眠ってしまっていた。
捜査を除いて普段あまり外出しないうえ、目隠しで視界を塞いでいることで周囲の状況がわからないことも一因となっているのか、椋は乗り物に酔いやすい。車に乗ったら、酔わないうちにすぐに寝入るという、防衛本能のような癖がついている。
「椋さん、そろそろ署に着きますよ」
運転している紫王から声をかけられ、椋は意識を浮上させる。
「ん……はい。すみません、送ってもらってるのに寝てしまって」
「構いませんよ。椋さんが乗り物を苦手としていることは、広斗さんから聞いていますから。そういえばさっき、そろそろ広斗さんの仕事が終わるっておっしゃってましたけど、彼、今日も仕事なんですか?」
ウィンカーの表示を出して角を曲がると、すぐに異能係が本拠地にしている警察署が見えた。車は滑らかにその関係者用の駐車場へと入っていく。
「忙しいらしくて」
「大変ですねぇ新社会人。今日は祝日の捜査でしょう? てっきり広斗さんもついてくるかと思ってたので、実は朝から意外だったんですよ」
白線の内側に駐車しながら紫王が笑い、続けて助手席に座る真崎が言う。
「入社後一ヶ月でそれだけ働けるってことは、よっぽど有望株扱いされているんだろうね」
話題の人物は、フルネームを上林広斗という、椋の同居人のことである。
広斗の通っていた大学に椋の家が近いという理由で一緒に住むようになったのだが、この春に広斗が大学を卒業しても同居を解消していない。
広斗の兄である結斗が椋の友人だったことから出会ったが、今ではすっかり広斗との仲の方が深くなっていた。視覚を塞いでいるせいで不自由なことが多い椋の生活を、広斗は全面的にサポートしている。
広斗が椋に心酔していることは、異能係の中では周知の事実である。
彼が大学生だったときは毎回欠かさず椋の捜査に同行し、あらゆる面から椋を支えた。しかし、社会人にもなるとそうそうスケジュールの都合がつくわけもなく、このところは広斗不在での捜査が多くなっている。
その代わりとして、刑事の伊澤が椋の専任サポートとして入ることが増えていた。
「広斗も今日は来たがっていたんですけど。色々と大変みたいです」
今日は五月四日。つまりみどりの日で、本格的なゴールデンウィークの只中だ。
城之内邸での捜査の予定が入った当初は広斗もついてくるという話をしていたのだが、昨日の夜に急遽仕事が入り、広斗は今朝、泣く泣く会社に出かけて行った。
椋は、高校一年生のときに事件に巻き込まれて特殊能力が発現してから、視覚を塞いで引きこもり生活をしていた。社会人経験はおろかバイトすらしたことがない椋には、広斗が今どんな状態にあるのかがいまいちわかっていない。
「はい、到着ですよ。お疲れ様でした」
紫王はそう声をかけながら、車のエンジンを停止させる。
「ありがとうございます」
「ありがとう紫王くん、とても快適だったよ。さすがに運転がうまいね」
椋のあとに続けられた真崎からの褒め言葉に、紫王は微笑みながら車を降りる。
「車好きとしては、そう言ってもらえると嬉しいです。これからも、たまには僕の愛車に乗ってくださいね」
続いて椋が車から降りると、紫王はすぐに近寄ってきた。
「腕をどうぞ、椋さん」
「すみません」
椋は探るように手を前方に伸ばし、差し出されていた紫王の腕に手をかけた。紫王に進行方向を示してもらう形で、そのまま共に歩いていく。
「椋さんをエスコートできるなんて、身に余る光栄です」
「俺、紫王さんのそういうところ嫌いです」
「何でですか」
表情を変えずに淡々と言う椋に、紫王が声をたてて笑う。そんな二人の様子を見て、真崎は後ろで和やかに目を細める。
「紫王くんと椋くんもすっかり仲が良くなったね。良いことだ」
紫王と椋が出会ったのは、異能係が発足し、事件の捜査がはじまってからである。紫王の飄々とした態度のせいもあり、初めの頃の椋は、紫王に苦手意識を抱いていた。だが今では、人付き合いの苦手な椋にしては、遠慮ないことも言えるような間柄になっている。
「真崎さんも、学校の先生みたいなこと言わないでください」
椋のそっけない言葉に、真崎も笑う。
「まあ、立場的には似たようなものだからね」
三人が警察署出入口の自動ドアを潜って中に入ると、ただならない女性の大声が耳に飛び込んできた。
「おかしいじゃないですか! お兄ちゃんをすぐに探してください!」
声の主は、警察署に入って左手すぐのところにある相談窓口の前に立っていた。十代後半と思われる若い女性だ。
艶やかなストレートの黒髪は長く、背中を覆っている。ドレッシーなブラウスも膝丈ほどのフリルがついたスカートも黒く、黒髪とあいまって独特な雰囲気を纏っていた。掌に収まってしまいそうな小顔、黒いマスカラで強調された大きな瞳はアーモンド形で、人形のような顔立ちをしている。
「まあまあ落ち着いてください。その、智久さん? 二十二歳なんでしょう? 一日いなくなったくらいで大人を探してたらね、警察の人手がいくらあっても足りませんから」
女性の前に立っている受付の職員が、渋い表情をしながら応える。だが女性は感情の昂りが抑えられない様子で、いっそうの金切り声を上げる。
「だから、普通じゃないの! お兄ちゃんは私のすぐそばで消えちゃったんだって言ってるじゃないですか!」
言い切ったあと、彼女は子供のように声を上げて泣きはじめた。泣き真似ではないことを証明するように、大粒の涙がいくつもぽろぽろとこぼれ落ちていく。
彼女の横にいた別の女性が、その背中をさすりはじめた。
「萌香、ねえ、大丈夫だから」
宥めている女性の方も、今にも泣き出しそうなほどに声が震えている。
そんな二人の姿を眺め、紫王は椋を伴ったまま彼女たちの元へと歩み寄る。
「すみません。つかぬことをお伺いしますが、その『消えちゃったお兄ちゃん』って、あなたと血の繋がった、本当のお兄さんですか?」
「ちょっと、紫王さん」
紫王の言動に椋が驚きの声を上げるが、驚いたのは、突然思いもよらぬところから声をかけられた彼女たちも同じだ。
宥めていた方の女性が目を見開いて紫王へ視線を向ける。そして紫王と、その腕に手をかけている椋の姿を見て、また驚きの表情が深まった。椋は黒の目隠しで完全に目元を覆っているのだ。一目で只者ではないことは伝わる。
「あなたたち、何なんですか?」
萌香と呼ばれた女性は泣きじゃくったままだが、もう一人の女性が怪訝そうに問いかけてくる。
ウェーブのかかった長い黒髪。オーバーサイズのパーカーに、その裾に隠れてしまいそうな程に短いデニム地のショートパンツ。服装の雰囲気はまったく違うが、女性の顔立ち自体は、萌香によく似ていた。
ただ、こちらの女性の方が少しだけ大人びた印象だ。年齢がいくつか上なのだろうと推察できるところもあいまって、友人ではなく姉妹に見える。
「まあ、警察関係者ってところですよ。それで、その『消えちゃったお兄ちゃん』っていうのは、そこの子の本当のお兄さん?」
「そうですけど」
朗らかな笑みで適当に受け流し、再度同じ質問をする紫王に、いまだ訝しげな様子で女性が答えた。と、少し遅れて真崎がやってきて、受付の職員に声をかける。
「お疲れさま。彼女たちはどうかしたのかい?」
「ああ、真崎さん、お疲れさまです。それがですね、昨夜彼女たちは数名の友人たちと廃墟へ肝試しに行ったらしいんです。そこで、同行していた槙野智久という男性が行方不明になったので、警察に捜索をして欲しいとのことで。ただ、その男性は二十二歳で、いなくなったのは昨夜ですから」
おおよその事情を把握し、真崎は頷いた。未成年者ならともかく、いなくなってたった一日で、事件性のない成人男性の失踪が捜査されることはない。
「なるほど。智久さんは君たちを驚かせるためにどこかに隠れているとか、そういうことはないのかい?」
真崎は二人の女性に問いかける。パーカーを着た女性は何かを話そうと口を開きかけていたが、実際に答えたのは紫王だった。
「それはないですね。残念ですが、智久さんはもう亡くなっています」
どこか飄々とした、いつもと何ら変わらない口調。しかし内容の衝撃に、この場にいる誰もが一瞬言葉に詰まった。
「ふざけないで! 言っていい冗談と悪い冗談があるんだから!」
泣きながらも真っ先に反応したのは、萌香だ。
紫王の言葉をはなから嘘だと決めつけている萌香に対して、真崎の表情が引き締まる。
「いったい、どうしてそう思うんだい?」
「この方の守護霊が、智久さん本人なんですよ。守護霊になれるのは、『その人のことを最も気にかけている死んだ人間』だけ。つまり、智久さんはもう亡くなっている」
この方、と言いながら、紫王は萌香を示した。萌香は怒りで可愛らしい顔を真っ赤にして、紫王を睨みつけている。
「お兄ちゃんが死んでるなんて、それ以上言ったら、本当に許さない!」
萌香は紫王に掴みかかる勢いで詰め寄ったが、間に入った真崎が彼女を止める。
「ともかく、別室に行きましょう。この件は異能係が対応します。詳しく話を聞かせてください」
真崎の言葉に、窓口の職員は心底ホッとしたような表情を浮かべた。
「良ければ隣の部屋を使ってください。空いていますので」
「ありがとう。では、お二人ともこちらに」
相談窓口の横にあるドアを開け、真崎はこぢんまりとした会議室の電気をつけた。部屋の中央に簡素な机があり、机を挟む形でこれまた一般的なパイプ椅子が置かれている。特別なことはなく、警察署を訪れる者の話を聞くための部屋である。
女性二人はお互いに顔を見合わせながらも、強張った表情で部屋の中へと入っていく。
「準備をして参りますので、少々お待ちください」
真崎は二人にそう声をかけてから、一度ドアを閉めた。息を一つ漏らし、紫王へ視線を向ける。
「紫王くん。君は前に、『亡くなってから最低でも二ヶ月程度経っていないと、死者は守護霊にはなれない』と言っていなかったかい?」
それは異能係の活動が軌道に乗ってきた頃、紫王が事件の捜査中に己の能力について説明したときに述べた、死者が守護霊になるときの条件の中の一つだ。死んでから時間が必要だという制約があるからか、今までの捜査で、殺された被害者本人が守護霊になって現れたことはなかった。
「ええ、とても珍しいです。これほどまでに早く守護霊になっているなんて、僕も初めて見ました。よっぽどあの女性のことが心配だったんでしょうね」
「そうか。失踪者がすでに亡くなっていたということは残念だが、被害者本人がいるのなら、話が早そうだな。昨日、何があったのかという話はわたしが聞き取るから、その間に紫王くんは、彼女の守護霊から話を聞いてくれるかい?」
被害者本人に事件の詳細を聞けるのならば、それ以上に単純明快な話はない。
しかし真崎の期待に反し、紫王は首を横に振った。
「それはできそうにないです。『葬式』という儀式をすることに関係があるのかはわからないんですが、遺体が火葬なり埋葬なり、何らかの形で葬られていないと、守護霊は存在が曖昧としていて、僕と受け答えができないんです。これは、死んでから時間が経っていないこととはあまり関係ありません」
「つまり、遺体を発見しなければ、被害者の霊から話を聞くことはできない、ということかい?」
「そういうことになりますね」
紫王の返事を受けて真崎は一瞬残念そうに眉を寄せたが、すぐに思考を切り替える。
「では、通常どおりの捜査でいこう。ひとまず彼女たちから話を聞くが、二人ともこのまま同席してもらえるかな?」
「もともと僕が首を突っ込んでしまったことですしね」
「はい、大丈夫です」
真崎の問いかけに紫王と椋が答え、三人は女性二人が待つ部屋の中へと入ることとなった。
「お待たせして申し訳ありません。わたしは刑事の真崎と申します。この二人は『外部パートナー』と言いまして、警察から正式に協力を依頼している捜査のスペシャリストです。宮司と霧生といいます」
先頭で入室した真崎が慣れた様子で紹介をはじめ、女性二人と対面する形でパイプ椅子に腰を下ろした。その隣に紫王、椋と続く。
「紫王って呼んでください」
紫王はいつものように自己紹介を付け加えたが、萌香は同席する紫王の姿を見て、明らかに顔を顰める。一時的に紫王に対する怒りが悲しみを上回ったのか、萌香の涙は止まっていた。
「まずはお二人の名前とご職業を伺ってもよろしいですか?」
真崎が問いかけると、下唇を噛み沈黙する萌香に変わり、もう一人の女性が自分の胸に掌をあて、話しはじめる。
「私は井原葉子です。この子は槙野萌香で、二人とも明東大学の学生です。私が三年で、萌香が一年」
明東大学は、創立から三十年の比較的新しい私立大学だ。様々な学部を持つ総合大学で、生徒数も多い。学部によって異なるが、平均的な偏差値は六十程度。
その大学名に覚えがあり、椋は一人、微かな動揺をしていた。
「お二人は姉妹ではないのですか?」
二人の苗字が違うことから真崎が問いかけると、井原は頷く。
「よく間違われるんですけど、違います。私は一年前から智久と付き合ってて、萌香とも仲良くしてるんです。恋人の妹ではあるんですけど、関係としては、『先輩後輩』ですかね」
井原の口調が問いかけるようなものになると、萌香はこくりと頷いてみせる。その様子を見てから、井原はさらに言葉を続ける。
「昨日の肝試しにも一緒に行っていました。他のみんなはまだ、智久がいなくなった場所で智久のことを探してくれてるんですけど。警察に捜索願いを出すために、萌香と来たんです」
真崎は話を聞きながら手帳を広げ、メモを残していく。
「智久さんは萌香さんのすぐそばで消えてしまった、と仰っていたと思うのですが、智久さんがいなくなった状況を詳しく教えていただけますか? 廃墟に肝試しに行っていたのですよね」
「白々山の中に、昔旅館だったっていう廃墟があるんです。昔そこで殺人事件があったとかいう噂があって、みんなで肝試しに行こうって話になって」
「肝試しには何人で行ったんですか?」
「六人です。部員は私たちしかいない弱小なんですけど、大学のサークル活動として、映像研究同好会っていうのをやってて、そのメンバーで。私、智久、萌香、翔先輩、希空、楪の六人」
井原が指を折りながら部員の名前をあげると、横から口を挟むようにして紫王が問いかける。
「肝試しに行こうって言い出したのは、その中の誰だったんですか?」
井原は紫王へ視線を向けて、一瞬表情を強張らせた。萌香ほどあからさまではないが、井原も智久の死を語った紫王に悪印象を抱いているのだ。それでも井原は反抗することなく返事をする。
「うちは部員数も少ないし、低予算で作れるからっていう理由で、POVのホラー作品を最近よく撮ってたんです。それで、肝試しに行くこと自体は、なんとなく決まった気がします」
「POVとは何ですか?」
真崎が挟んだ質問には、紫王が答える。
「ポイント・オブ・ビューの略称ですね。映画とかゲームとかで、登場人物の視点から撮影をする手法ですよ。没入感が高くて低予算で作れるので、POVホラーの映画は一ジャンルとして地位を確立している印象があります」
「なるほど、サークル活動として最適というわけだ」
感心している真崎をよそに、紫王は井原に視線を戻すと質問を重ねる。
「でも僕、結構心霊スポットとかには詳しい方なんですけど、白々山の中にある旅館の廃墟なんて話は聞いたことがありませんよ。そんなマイナーな場所が自然と候補に出るなんてことはありませんよね。誰かが、そこに行こうと言い出したんじゃないですか?」
「そうですね、具体的にその廃旅館に行こうって言い出したのは、楪です。福良楪。二年生の男の子なんですけど、特にオカルトが好きで、そういう曰くつきの廃墟とか詳しくて」
「映画の撮影をしていたんですか?」
「違います。作品の舞台にもいいんじゃないかって話もあったので、下見の意味もありましたが、今回は肝試しをしに行ったんです」
真崎は井原の回答を聞いてため息を漏らした。
「廃墟と言っても大抵のものは誰かの所有物で、立ち入り禁止になっているはずですよ。ホームレスが住み着いていて犯罪に巻き込まれるかもしれませんし、建物が傷んでいて、床が抜けたり、天井が落ちてくる可能性もある。現に一人行方不明になっているわけですしね。軽率な行動は控えてください」
「すみません……」
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