真名を告げるもの

三石成

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第二章「覗くもの」-side御崎-

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「うわ、怖っわ」

 昨日あったことを一通り話し終えると、間髪入れずに先輩が声を漏らす。なんだかその素直な感想に救われるような気持ちがする。

 あの後、私は今まで出したことがないような大音量で絶叫した。部屋に入ってきたお母さんがクローゼットの中を確認したけど、中には誰もいなかった。

 当然と言えば当然だけど、確かに隙間の向こうに人の目を見た私からすると、不可解でしかない。

 まだしも変質者が潜んでいた方がマシだったかもしれない。それも怖いけど。

 お母さんにはとても心配されて、今日学校休むかと聞かれたけど。私は七瀬くんに会う必要性を感じていた。

 登校した直後に約束を取り付け、お昼休みに彼を学校の裏手に呼び出した。こんな話、人前でできない。

 ゴミを集めておく小屋の横に転がっていたブロックの上に腰掛けて、昨日の話を始めると、何故か先輩も合流して、冒頭のあの一言に繋がる。

 先輩は自分を松前だと名乗った。七瀬くんに呼び出されたと言っていたけど、先輩自身も何故呼ばれたのかよく分かっていないみたいだ。

「七瀬くん、昨日言ってくれたよね。もし隙間の向こうに見えたら、自分に言いなさいって……あれ、どういう意味?」

 私は無意識のうちに、自分の胸の前で、祈るように両手を組み握っていた。まさしく、神様にでも縋りたい気持ちだ。

 強迫性障害になっているのかなって、思っていた。でも昨日クローゼットの中であの目を見て、私は確信した。私の隙間に対する恐怖は、思い込みなんかじゃないんだって。

 少しだけ考えるような間を置いて、フェンスに凭れるようにして立っていた七瀬くんが唇を開く。

 元々透き通るように白い七瀬くんの肌は、今この校舎の影の中でさらに神秘的に映える。その薄い唇から紡がれる声はほとんど抑揚がないものの、聞き取りやすくてどこか落ち着く。

「ここ数日、周囲の次元が緩んでいるのは感じていました。何かが来ているだろうということも予想していました。昨日の貴方の様子を見て、貴方が狙われているということも分かった。なので、手遅れになる前に対策ができるよう声をかけました」

「手遅れ……このままにしておくとどうなるの?」

「あれは『覗くもの』です。別の次元からやって来た存在、この世ならざるものです。この世ならざるものが、この世に来る目的は大きく分けて二つ」

 七瀬くんはそう説明しながら、指を二本立てる。

「この世から何かを持って行きたいか、この世に入り込みたいか」

「近づくものは、前者か……」

 黙って聞いていた先輩がそう言葉を挟む。私には何のことを言っているのか分からなかったが、七瀬くんは頷いていた。

「さらに大きな別の目的を持つものもいますが、それは別格です。覗くものは、後者。この世に入り込みたいものです。
 何かと何かの狭間、特にその隙間というのは次元の境が最も曖昧になる場所なので、あれはそれを利用してこの次元に介入してきているのです」

 色々と気になることはあるが、私は黙って話を聞く。今私が縋れるのは神様ではなく、七瀬くんだけだ。

「覗くものが何故覗くのか。それは、狙った人間の全てを知るためです。生活の様子、声に話し口調、性格。それらを把握したと判断した時、それは貴方の体を乗っ取って成り代わり、この世に入り込む」

 ぞくっと背筋に冷たいものが走る。私が怖がった隙間の向こうで、いつも得体のしれないものが私を覗いていたのか。

「一人でに扉が開き始めるということは、それはすでに相当な力をつけ、この次元に関与出来始めている証拠です。成り変わられるまでにほとんど猶予がないと考えたほうが良いでしょう」

「……どうしたら良いの? 助けてくれるんだよ、ね?」

 縋るように問いかけたが、七瀬くんはそうだとも言わず、頷きもしなかった。

「覗くものの目を見たと言っていましたね。その顔は見ましたか?」

 問い返されて、私はもう一度、あの衝撃的な光景を思い出す。

 クローゼットの暗闇の中、それでも至近距離で合った視線。あのぎょろりとした瞳。その瞳がついた、昏い顔。垂れ目がちでその目尻に細かい皺があって、鼻と口の間が長めだった。そのさきの唇は、弧を描いて。

「男の人だった。四十歳くらいの……あの人……笑ってた」

 ニタリ、と顔を歪ませるぞっとするような笑顔を思い出し、また昨夜のように体が震えだす。先輩が私を心配したように、優しく肩を叩いてくれる。

 七瀬くんはそんな私達の様子を全く気にした様子もなく、満足そうに頷いた。

「宜しい。であれば、根本的な解決が出来そうです」

 でも、先程と全く同じトーンで告げられた言葉は、何よりも頼もしかった。

「今日の放課後、町の図書館に行きますよ。スケは校門のところで待っていなさい」

「え、俺も?」

 七瀬くんの言葉に先輩が反応したが、彼はそちらの方を見ると、当然だろうと言わんばかりにぴくりと片眉を上げる。

「スケは常におれの側にいてもらわなくては困ります」

「どうして」

「何かあったときに、誰がおれを運ぶんです?」

「俺は人間担架か……」

 先輩は誰に聞かせる様子もなくぼやいたけど、結局直接七瀬くんに不満を言うことはなかった。どういう意味かは分からないけど、納得したみたいだ。本当に、どういう関係なんだろう。

「あの……私のせいで、お時間とらせてしまってすみません」

 思わずそう謝ると、先輩は慌てたようにぱっと手を振って笑う。

「あ、いやいや全然。穂香ちゃんのせいじゃないから」

 それから先輩は、少しだけ声のトーンを落とす。

「怖いよな。その気持ち、よく分かる。俺もずっと一人で悩んでいたから」

 先輩に何があったのか私には分からないけど、そこには実感が籠もっていた。

 私をまっすぐに見つめる瞳。私も思わず見上げるように覗き込んで、その瞳が僅かに茶がかっていることを知る。着物の色で、涅色と呼ばれるような優しい茶色。

「実は俺も白に助けてもらったんだ。白のことは、信頼して大丈夫だから」

「……はい」

 言葉の端々から感じる、七瀬くんへの信頼は私の不安も消していってくれる。

 その時ちょうど、校舎の方で昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。私達は慌てて、話は終わったとばかりに先にいなくなっていた七瀬くんを追いかけたのだった。



 町の図書館の天井は吹き抜けになっていて、小さなステンドグラスが壁の高い所に飾られている。

 町唯一の図書館はそこそこの広さがあった。一階は絵本や一般的な書籍の本棚があり、吹き抜けになっている二階へ行くとより専門的な書籍が並んでいる。

 昔は絵本を借りによく来たけど、最近ではすっかり足が遠のいていた。私が小さい時にも古いなと感じていた建物のまま、まるで時が止まっているみたい。

 校門の所で先輩と待ち合わせて、私達は予定通り図書館へ来ていた。七瀬くんに声をかけられて教室を出た時には、周りの皆からすごく注目されていた気がする。

 明日になったら質問攻めにされるような気がするけど、明日のことは明日考えよう。

「それで、ここで何をするんだ?」

 二階の一角にある自習スペースの机に鞄を下ろしながら先輩が問いかける。

「八年前の新聞を一年分持ってきてください」

「了解」

 七瀬くんが要望すると、何故、とも問いかけずに先輩が動き始める。先輩が後輩の言うことを聞いている様子に違和感は覚えるが、二人の関係性はこういうものらしい。

 一緒に椅子に腰掛けたところで、私の方が我慢出来ずに聞いてしまう。

「八年前の新聞をどうするの?」

「貴方が見た男の顔が載っていないか確認して、真名を調べるのです。真名が分かれば、後はおれが対処出来ます」

「えっ。あの人って普通の人なの? あと、真名って?」

「元は、人でした。ここでは本名と捉えても問題ないでしょう。何か事件を起こしていたら実名報道されているでしょうから」

「幽霊っていうこと?」

「そう呼んだほうが分かりやすいのでしたら」

 遠回しな言い方だけど、きっと肯定されたってことなんだろう。そうか、やっぱりあれは幽霊だったのか。

 覗くものとか、この世ならざるものとか言われてもピンと来なかったけど、幽霊と言われるとしっくりくるものがある。

 そこまで話した所で、先輩が大きな金具で固定された新聞の束を抱えて戻ってきた。

「持ってきたぞ、八年前の新聞、朝刊一年分。とりあえず全国紙だけ」

「結構です」

 その中の一部を、七瀬くんが私へ手渡してくる。これから確認しろということなのだろう。

「でも何で八年前なの?」

 それを受け取りながらも、浮かんでくる疑問をぶつける。七瀬くんは少し面倒くさそうに軽く眉を上げたが、それでも答えてくれた。

「穂香は覗くものが笑っていた、と言っていました。この世ならざるものが感情を持ち続けられる期間は、この世を離れてそう長い間ではないのです。大抵十年以内には感情は失われてしまう。であるならば十年以内、後は経験からくる勘です」

「でも新聞に載るのって、大きい事件の被害者か加害者くらいだろ。そいつが普通に死んだ奴だったら見つからないんじゃないか」

 今度は七瀬くんの隣に腰を下ろした先輩が問いかける。

「スケは、覗きをしようと思いますか」

「は……? いや、しないだろ」

「はい。他人の生活を覗き見て、その本人に成り代わってやろうなんて、例え非業な死を遂げたとしても普通しないのですよ。この世に生きていた時でさえ、邪悪な人物であったことが予測できます」

 七瀬くんはそう言い切ると、新聞をもう一部、先輩に押し付けた。

「四十代くらいの男が犯人の顔写真が掲載されていたら穂香に見せてください。穂香も早く確認なさい。一時間で見つけますよ」

 こうして、三人がかりで八年前の新聞を虱潰しに探していく作業が始まった。

 一年分だけと言っても、新聞は休刊日を除いて毎日発刊されているのだから三百部以上ある訳で。それを隅から隅まで、犯人の顔写真がないか調べていくというのはなかなか骨の折れる作業だ。

 自分でも新聞の頁をめくり、それと同時に七瀬くんと先輩からも見せられる写真を見て、昨日見た記憶の男の顔と照らし合わせる。

 作業が始まって四十分。やはりそんな人物、見つからないのではと思いかけたその時。

「穂香ちゃん、こいつは?」

 先輩が差し出してきた紙面。その一角に丸く掲載されていた顔写真を見た瞬間、ゾクッと鳥肌が立つような悪寒が走る。

 私を見ていた、あのぎょろりとした目と一緒だ。昨日見かけた不気味な顔と全く同じ人物が、八年前の新聞に載っている。

 そんな私の変化を、七瀬くんも先輩も感じ取ったようだ。

「こいつ?」

 確信を得て頷くと、先輩が改めて記事の内容を読み上げていく。

 ――少女連続誘拐の容疑者自殺。少女連続誘拐の容疑で警察が合田勤(四二)の自宅へ逮捕に向かった所、合田容疑者は包丁で首部を刺して自殺を図り、運び込まれた病院で死亡が確認された。自宅の中に置かれた複数の大型犬用の檻の中から、三人の被害者の遺体が発見される。合田容疑者の自宅は近隣住民からの、子供の叫び声がするとの通報により判明した。被害者の遺体からは複数の暴行の跡が……。

「読んでるだけで胸くそ悪い……」

 先輩は途中で言葉を途切れさせると、新聞をそのまま七瀬くんに手渡した。七瀬くんはまたその紙面に視線を落としながら、小さく合田勤と呟く。

「これが本名だとしても、本当に真名かどうか、確信はあるのか?」

 先輩の問いかけに、七瀬くんが頷く。

「真名は、それを口にした時にそのものへ引かれるような重力を持っていて、おれはそれを感じられます。これは、このものの真名で間違いありません」

 質問に答えるその端正な顔には何の表情も浮かんでいなかったが、記事を映す漆黒の瞳には、何か神秘的な光が灯っているように感じられた。
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