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第一章
ミミサキ市の誘拐犯 -2-
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ドアを閉めた所でようやく一息ついて、車に背を預けて乱れた呼吸を整える。普段から鍛錬はしているが、今日はなかなかの激走だった。
空へと視線を向けると、冬の澄み切った夜空は、満天の星を輝かせている。白い息が自分の口から立ち上って消えていく。悪党をまた一人捕まえたという充足感に包まれ、一仕事終えてから見るその光景は、まるで勲章のようだ。
「さっさと連行するぞ」
本庁に連絡を入れていたシンさんに声をかけられ、俺は「はい」と応えながら運転席へと入る。
バックミラーをちらりと見ると、後部座席に座った男は、手錠のかかった両腕で頭を抱き込むように深く項垂れていた。それもそうだろう。罪状的に考え、この男の死刑は免れない。
同情の気持ちなどは微塵も浮かんでこなかった。何の罪もない三人の尊い命を、身勝手に奪った罪はあまりにも重い。
シンさんが助手席のドアを閉めたのを確認し、エンジンをかける。覆面パトカーは滑らかに、すっかり寝静まった街の中を走りだす。
「ようやく張り込みからも解放だな」
「そうですね。そろそろ腰がキツかったんで、助かりました」
俺とシンさんは、後部座席に聞こえない程度の声量で会話をする。
「それはお前の歳で言うことじゃねぇだろ」
「俺の体は、動かないと固まっちゃうんです」
上司も犯人逮捕に至って機嫌が良いようだ。喉の奥で笑い声を漏らしている。
「確かに良い跳びだった。惚れ惚れしたよ。……ああ、動かないといえば」
ウィンカーを出し、大通りに合流しながら、何かを思い出したようなシンさんの言葉を聞く。
「ミミサキ市の誘拐犯、今年も本庁は動かないらしいな」
「誘拐って言ったら一級ですよね? 本庁捜査員が入るのは、義務じゃないんですか」
ここヤマ国では、全ての犯罪は特級から五級までの六段階に分けられる。
捜査は基本的に、事件が起きた場所を管轄する警察署が担当するが、一級以上の犯罪発生時は、本庁への報告が義務付けられている。報告を受けた本庁は捜査員を派遣し、現地に立てた対策捜査本部の捜査指揮に当たるシステムになっている。
「あれ、お前知らないのか」
ドアの窓枠部分に肘を置いて、リラックスした様子のまま、シンさんは言葉を続ける。
「九年前から毎年、風物詩のようにミミサキ市に現れる誘拐犯のことでさ。子供を誘拐して、身代金として一〇〇〇万イェロ要求するが、金を受け取ったら、絶対に人質を無事に返してくるもんで、今ではもう誰もまともに捜査してねぇっていう」
「いっ……」
「い?」
「一〇〇〇万!?」
変わらず安全運転をしながらも、聴き逃がせない額の金額に、つい大きな声が出た。
「うるせぇよお前。一〇〇〇万なんて、身代金にしては大人しい方だろ」
「いやいやいや、寝言ですか? 人生を揺るがす程の大金ですよ。え、そいつ一〇年間も毎年一〇〇〇万イェロ奪って、逃げ続けてるってことですか? 総被害額一億イェロ?」
咎められて再度声を低めながらも、一度ぶち上がった興奮は抑えられない。
「今年で一〇年目だから、今までで九回の誘拐を成功させている。ミミサキ市って知ってるか?」
「行ったことはありませんが、確かナンショウ地方の市ですよね」
俺の返事にシンさんは頷く。
「海辺のド田舎なんだが、気候の良さを活かして高級リゾート地になっててな、住んでいるのは大体が金持ちばっかりの市だよ。そんな奴らにとって、一〇〇〇万イェロなんて端金に過ぎないってことさ。子供が無事に帰ってきたら、文句は言わねぇよ」
「市民を守る警察が、そんなことでいいんですか」
話を聞けば聞くほど腹が立ってきた。俺は詰問口調で続けるが、上司は変わらずのんびりとしている。シンさんも普段は穏やかな人柄だが、叩き上げらしく、仕事には熱い方の刑事だ。そんな彼が、ここまで犯罪に興味がなさそうなのも珍しい。
「人質が無事に帰ってくるんだよ。今までその誘拐犯が、人質を傷つけたことは一度もないんだ」
「物の貸し借りじゃないんですから、帰ってくればいいってものではないでしょう」
「誘拐が始まってから三年位までは、そりゃあまともに捜査が行われていてな、初年度なんかは、身代金要求に応じず、二ヶ月くらい監禁されていたこともあった。ただ、その時も人質は健康そのもので帰ってきた」
「いくら体が健康だからって、二ヶ月間も誘拐犯に監禁されていたら、心的被害は相当のものだったのでは?」
身の危険を感じながら、長期間犯罪者に拘束され続ける苦痛を想う。幼い被害者の気持ちを考えれば、胸が詰まった。家にも帰れず、どれだけ怖かったことだろう。
しかしそれにも、シンさんは首を振った。
「精神鑑定もされたが、健全そのものだったらしいぞ。帰ってきた子達は、何不自由無い生活を送っていた、と皆が口を揃えて言うんだ。それに加え、犯人の顔は見ていない、監禁されていた場所もわからない、と」
「そんなこと、ありえます?」
上司は軽い調子で肩をすくめる。
「それが、あるんだから仕方ねぇだろう。そんな事件だから、ミミサキ市の誘拐犯は、今や都市伝説みたいになってるんだよ。やりがいもなければ、犯人を捕まえようもない。行くだけ、犯人を捕まえられなかったという汚点がつく。本庁の誰も捜査指揮に行きたがらないから、去年も今年も本庁は不介入だと」
そんな会話をしている内に、本庁へと到着した。聳え立つような近代的なビルだ。車を入り口前につけると、そこで待ち構えていた制服の警官二人が背筋を伸ばし、ビシッと敬礼をした。もう夜中の二時をまわっているというのに、元気なことだ。
車を下りると、俺もシンさんも敬礼を返す。
「お疲れ様です!」
「指名手配犯のニル・フハダは後部座席だ。後は頼むな」
「かしこまりました!」
シンさんが声をかけると、警官二人は、さっそく男を留置場へ連れて行く作業へと、とりかかり始めた。鍵をつけたままの車もその場に残し、俺とシンさんは共に本庁の中へと入っていく。先程まで乗っていた覆面パトカーも、当然のことだが警視庁の所有物であり、片付けはあの二人がやってくれる。
俺達がここから家へ帰るには、公共交通機関を利用する必要がある。電車は走っていない時間なので、タクシーだ。
「あー、眠っみぃなー……」
すでに照明の消えていた捜査一課のオフィスに戻る。灯りをつけ、彼自身のデスクにコートを置いて腰かけながら、シンさんがぼやいた。業務時間内であっても、大半の人員が捜査に出ているために人の少ないオフィスは、今は俺たち以外に誰もいない。
「シンさん、拳銃戻さないといけませんよ」
俺はデスクへつく前に、まっすぐ拳銃をしまうロッカーへと向かった。ヤマ国では一般的に、拳銃の所持は禁止されている。警察官は勤務中のみ拳銃の携帯が許されているが、帰宅時に持って帰る訳にはいかない。
退勤時には、厳重に管理された専用のロッカーへ返却する必要があるのだ。ジャケットの内側に着込んでいたホルスターを外す。そのまま丁重にロッカーの中へしまうと、警察手帳に付属しているIDで施錠する。
「おー、俺は今日、このまま残って仕事しとくわ」
シンさんの言葉に、俺は振り向いた。
「帰らないんですか?」
「今から帰ってもなあ。報告書も明日書く羽目になるから、今晩中にやっとくわ。お前は任せて帰っていいぞ」
確かにシンさんの家は遠い。近くのボロアパートで一人暮らしをしている俺と違って、彼は郊外に一軒家を構えている。
「そんなこと言われたら、俺は容赦なく帰りますよ」
俺の脅すような言葉に、シンさんは笑いながら、火のつけていない煙草を口に咥えだした。そんなおしゃぶりのように咥えるくらいなら、いい加減やめれば良いのにとは思うが言わないでおく。そういう小言はさんざん奥さんから聞いているだろう。
「だから帰っていいって言ってんだろうが」
これは冗談ではなさそうだと察し、言葉に甘えて帰り支度をはじめる。が、先程聞いた事件のことが気になって、俺は鞄を肩にかけながらシンさんの隣に立っていた。
「どうした?」
書類を取り出し、作業に取り掛かり始めたシンさんが俺を見上げる。
「さっきの、ミミサキ市の誘拐犯の話なんですけど」
「おう」
その時、俺は腹の奥から立ち上がってくるようなやる気を感じていた。
「俺を担当にしてください。必ず犯人を捕まえてみせます」
奇妙な事件の先に何が待っているのか、この時の俺には、知る由もなかったのだ。
空へと視線を向けると、冬の澄み切った夜空は、満天の星を輝かせている。白い息が自分の口から立ち上って消えていく。悪党をまた一人捕まえたという充足感に包まれ、一仕事終えてから見るその光景は、まるで勲章のようだ。
「さっさと連行するぞ」
本庁に連絡を入れていたシンさんに声をかけられ、俺は「はい」と応えながら運転席へと入る。
バックミラーをちらりと見ると、後部座席に座った男は、手錠のかかった両腕で頭を抱き込むように深く項垂れていた。それもそうだろう。罪状的に考え、この男の死刑は免れない。
同情の気持ちなどは微塵も浮かんでこなかった。何の罪もない三人の尊い命を、身勝手に奪った罪はあまりにも重い。
シンさんが助手席のドアを閉めたのを確認し、エンジンをかける。覆面パトカーは滑らかに、すっかり寝静まった街の中を走りだす。
「ようやく張り込みからも解放だな」
「そうですね。そろそろ腰がキツかったんで、助かりました」
俺とシンさんは、後部座席に聞こえない程度の声量で会話をする。
「それはお前の歳で言うことじゃねぇだろ」
「俺の体は、動かないと固まっちゃうんです」
上司も犯人逮捕に至って機嫌が良いようだ。喉の奥で笑い声を漏らしている。
「確かに良い跳びだった。惚れ惚れしたよ。……ああ、動かないといえば」
ウィンカーを出し、大通りに合流しながら、何かを思い出したようなシンさんの言葉を聞く。
「ミミサキ市の誘拐犯、今年も本庁は動かないらしいな」
「誘拐って言ったら一級ですよね? 本庁捜査員が入るのは、義務じゃないんですか」
ここヤマ国では、全ての犯罪は特級から五級までの六段階に分けられる。
捜査は基本的に、事件が起きた場所を管轄する警察署が担当するが、一級以上の犯罪発生時は、本庁への報告が義務付けられている。報告を受けた本庁は捜査員を派遣し、現地に立てた対策捜査本部の捜査指揮に当たるシステムになっている。
「あれ、お前知らないのか」
ドアの窓枠部分に肘を置いて、リラックスした様子のまま、シンさんは言葉を続ける。
「九年前から毎年、風物詩のようにミミサキ市に現れる誘拐犯のことでさ。子供を誘拐して、身代金として一〇〇〇万イェロ要求するが、金を受け取ったら、絶対に人質を無事に返してくるもんで、今ではもう誰もまともに捜査してねぇっていう」
「いっ……」
「い?」
「一〇〇〇万!?」
変わらず安全運転をしながらも、聴き逃がせない額の金額に、つい大きな声が出た。
「うるせぇよお前。一〇〇〇万なんて、身代金にしては大人しい方だろ」
「いやいやいや、寝言ですか? 人生を揺るがす程の大金ですよ。え、そいつ一〇年間も毎年一〇〇〇万イェロ奪って、逃げ続けてるってことですか? 総被害額一億イェロ?」
咎められて再度声を低めながらも、一度ぶち上がった興奮は抑えられない。
「今年で一〇年目だから、今までで九回の誘拐を成功させている。ミミサキ市って知ってるか?」
「行ったことはありませんが、確かナンショウ地方の市ですよね」
俺の返事にシンさんは頷く。
「海辺のド田舎なんだが、気候の良さを活かして高級リゾート地になっててな、住んでいるのは大体が金持ちばっかりの市だよ。そんな奴らにとって、一〇〇〇万イェロなんて端金に過ぎないってことさ。子供が無事に帰ってきたら、文句は言わねぇよ」
「市民を守る警察が、そんなことでいいんですか」
話を聞けば聞くほど腹が立ってきた。俺は詰問口調で続けるが、上司は変わらずのんびりとしている。シンさんも普段は穏やかな人柄だが、叩き上げらしく、仕事には熱い方の刑事だ。そんな彼が、ここまで犯罪に興味がなさそうなのも珍しい。
「人質が無事に帰ってくるんだよ。今までその誘拐犯が、人質を傷つけたことは一度もないんだ」
「物の貸し借りじゃないんですから、帰ってくればいいってものではないでしょう」
「誘拐が始まってから三年位までは、そりゃあまともに捜査が行われていてな、初年度なんかは、身代金要求に応じず、二ヶ月くらい監禁されていたこともあった。ただ、その時も人質は健康そのもので帰ってきた」
「いくら体が健康だからって、二ヶ月間も誘拐犯に監禁されていたら、心的被害は相当のものだったのでは?」
身の危険を感じながら、長期間犯罪者に拘束され続ける苦痛を想う。幼い被害者の気持ちを考えれば、胸が詰まった。家にも帰れず、どれだけ怖かったことだろう。
しかしそれにも、シンさんは首を振った。
「精神鑑定もされたが、健全そのものだったらしいぞ。帰ってきた子達は、何不自由無い生活を送っていた、と皆が口を揃えて言うんだ。それに加え、犯人の顔は見ていない、監禁されていた場所もわからない、と」
「そんなこと、ありえます?」
上司は軽い調子で肩をすくめる。
「それが、あるんだから仕方ねぇだろう。そんな事件だから、ミミサキ市の誘拐犯は、今や都市伝説みたいになってるんだよ。やりがいもなければ、犯人を捕まえようもない。行くだけ、犯人を捕まえられなかったという汚点がつく。本庁の誰も捜査指揮に行きたがらないから、去年も今年も本庁は不介入だと」
そんな会話をしている内に、本庁へと到着した。聳え立つような近代的なビルだ。車を入り口前につけると、そこで待ち構えていた制服の警官二人が背筋を伸ばし、ビシッと敬礼をした。もう夜中の二時をまわっているというのに、元気なことだ。
車を下りると、俺もシンさんも敬礼を返す。
「お疲れ様です!」
「指名手配犯のニル・フハダは後部座席だ。後は頼むな」
「かしこまりました!」
シンさんが声をかけると、警官二人は、さっそく男を留置場へ連れて行く作業へと、とりかかり始めた。鍵をつけたままの車もその場に残し、俺とシンさんは共に本庁の中へと入っていく。先程まで乗っていた覆面パトカーも、当然のことだが警視庁の所有物であり、片付けはあの二人がやってくれる。
俺達がここから家へ帰るには、公共交通機関を利用する必要がある。電車は走っていない時間なので、タクシーだ。
「あー、眠っみぃなー……」
すでに照明の消えていた捜査一課のオフィスに戻る。灯りをつけ、彼自身のデスクにコートを置いて腰かけながら、シンさんがぼやいた。業務時間内であっても、大半の人員が捜査に出ているために人の少ないオフィスは、今は俺たち以外に誰もいない。
「シンさん、拳銃戻さないといけませんよ」
俺はデスクへつく前に、まっすぐ拳銃をしまうロッカーへと向かった。ヤマ国では一般的に、拳銃の所持は禁止されている。警察官は勤務中のみ拳銃の携帯が許されているが、帰宅時に持って帰る訳にはいかない。
退勤時には、厳重に管理された専用のロッカーへ返却する必要があるのだ。ジャケットの内側に着込んでいたホルスターを外す。そのまま丁重にロッカーの中へしまうと、警察手帳に付属しているIDで施錠する。
「おー、俺は今日、このまま残って仕事しとくわ」
シンさんの言葉に、俺は振り向いた。
「帰らないんですか?」
「今から帰ってもなあ。報告書も明日書く羽目になるから、今晩中にやっとくわ。お前は任せて帰っていいぞ」
確かにシンさんの家は遠い。近くのボロアパートで一人暮らしをしている俺と違って、彼は郊外に一軒家を構えている。
「そんなこと言われたら、俺は容赦なく帰りますよ」
俺の脅すような言葉に、シンさんは笑いながら、火のつけていない煙草を口に咥えだした。そんなおしゃぶりのように咥えるくらいなら、いい加減やめれば良いのにとは思うが言わないでおく。そういう小言はさんざん奥さんから聞いているだろう。
「だから帰っていいって言ってんだろうが」
これは冗談ではなさそうだと察し、言葉に甘えて帰り支度をはじめる。が、先程聞いた事件のことが気になって、俺は鞄を肩にかけながらシンさんの隣に立っていた。
「どうした?」
書類を取り出し、作業に取り掛かり始めたシンさんが俺を見上げる。
「さっきの、ミミサキ市の誘拐犯の話なんですけど」
「おう」
その時、俺は腹の奥から立ち上がってくるようなやる気を感じていた。
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