ミミサキ市の誘拐犯

三石成

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第三章

ヴィンス -2-

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「どうして……」

 呆然と呟いた俺の様子を見ながら、男は再び、ソファに腰かけた。

「ノラは君を心配して、君の意識が戻るまでと、待っていたんだよ」

 男は何を庇っているのか、そんなことを言ってくる。だからといって、俺にノラを許せというのか。俺を殴ったのは、ノラ本人だという話なのに、それは無理がある。

 暴れるのをやめ、今度は黙りこくった俺の様子を見て、男はソファのアームレストに頬杖をつく。

「僕が誘拐した子達の名前を知っているかい?」

 そう悠然と問いかけられ、打ちひしがれた気持ちのまま、仕方なく答える。このまま黙り続けていても仕方がない。

「コン・リリ。サザン・ミーナ。サカキ・ナオ。マキノ・トイ」

「さすが熱血刑事、すごいね、スラスラ出てくる。でも、それは今年から、三年前までの子達の名前だね。それ以上前の子達は、知らないかな?」

 俺は横になったまま首を振る。基本的にノラが捜査資料を持っていて、俺は疑問をノラに尋ね、回答を得る形で捜査を続けていた。トイまでは直接取り調べをしたから、名前や身元がわかっているが、すべての被害者の名前を閲覧したことはなかった。

「そうか。九年前に誘拐した子の名前はね、サクナ・ノラと言うんだ」

 男の言葉に俺は瞠目し、そして思い出す。犯人のことを庇う、被害者達の姿を。被害者は皆、誘拐された当時六歳。そして、九年前ならノラも計算が合う。

「ノラは九年前に僕と出会って、世界の真実を知って、刑事になった。だから、彼女は僕を庇ってくれたけど、決して誘拐を共にしている仲間ではないんだよ。それは彼女の名誉のために言っておくね」

「世界の真実、だと? どうやったか知らないが、お前は身代金を手に入れることに成功していた。あの場面で俺をぶん殴って昏倒させることが、どうお前を庇うことに繋がるんだ」

「それは、君が僕という存在の真実に、辿り着こうとしていたからだよ」

 俺は男を睨みつける。男の言葉は、皮肉か何かだろうか。俺は捜査の中で、微塵も犯人に近づけた気はしなかった。間近で監視していたというのに、犯人が金を奪った手段さえもわかっていないのだから。

「先程の、君の質問に答えよう。僕の名前はヴィンス。君たち人間が言うところの、神だよ」

 男の口調は常に穏やかなテンションを保っている。やや低めだが、深みがあって柔らかな響きのある、所謂良い声という奴だ。

 そのままの口調で告げられた言葉に、俺は瞬いた。聞こえた言葉を噛み締め、一拍置いて、「は?」と再度、威圧するような声が出る。

「神、だと? 子供を誘拐する神なんて、聞いたこともない」

 言葉を返しながら、これはホセと同種の、否、それ以上の精神異常者だな、と思う。しかし同時に、捜査をしながら、ずっと気になっていたところが解き明かされるような感覚がして、気持ちの悪さを覚えた。

 ヴィンスなどという、奇妙な響きの名を名乗った男の言葉を、信じてしまいそうな自分がいて。

「そうかい? 神が子供を攫うお話は、古今東西に存在すると思うんだけれどね」

「神が身代金を要求するかよ」

 食い気味に言葉を吐き捨てる。すると、ヴィンスは笑った。

「ユージは、この世の中の信仰は、どこに集まっていると思う?」

「俺はお前と宗教を論じる気はない」

「ヤマ国は無宗教の国だ。大多数の人間が神を信じていない。皆、自分の中に信仰心というものは、ないと思っている。でも僕に言わせれば、君たちは科学と金という、まやかしのものを信仰しているんだよ」

 俺が取り合わずとも、ヴィンスは勝手に話を進める。彼はポケットから一〇〇〇イェロ札を取り出し、ヒラヒラと揺らした。

「ここに一〇〇〇イェロがある。例えば、君たちはこれを差し出して、十分にお腹を満たせるだけの、上等な一食分の食料と交換できる。なぜだい? これはただの紙切れだが。君たちはこれに、価値を見出している。これが、現代ヤマ国の信仰だ」

「それは貨幣制度で、信仰や宗教とは無縁のものだ」

 会話を続けながら、俺は床に転がったまま、少しだけ体の向きをずらす。背中に回され、縛られた両手が、彼から見えないような位置へ。

「貨幣制度というものを、信仰していると言い換えても良いよ」

「そのこじつけの講釈と、お前が身代金を要求してくることに、何の繋がりがあるんだ」

「つまり、僕は君たちからお金を捧げられることで、信仰を得ることができる」

 不毛とも思える問答を繰り返していたが、その辿り着いた結論に眉を顰めた。

「捧げられるって……身代金を自分から要求しておいて、信仰も何もないだろう」

「君はもう気付いているんだろう? 受け渡し場所の秘密に」

 ヴィンスはそう問いかけると、手にしていた一〇〇〇イェロを、指先で弾いて床に落とした。その、金が無造作に落ちていった様子を、つい視線で追ってしまって、カチンとくる。

 奴が金を粗末に扱ったことについてか。落ちていく金に、つい反応してしまった自分に対してか。どちらに腹がたったのかは、自分でも良くわからない。

「受け渡し場所に指定していたのは、全てシィカスのある場所ということか」

「その通りだ。シィカスは我々神の象徴。つまり、あれは祭壇なんだよ。人間がそこへ、神に捧げるために、自分達にとって大切な金を置くのだから、それはまさに祈りの儀式だ」

 これは、筋金入りの変人だ。話を聞きながら、そう確信していた。話に一応の筋が通っているのが、尚更その変人度合いに拍車をかけている。

「つまり何か。お前は、人間からの信仰を得るために、子供を誘拐している神だと、そう主張するんだな」

「そうだよ。でも君のその顔は、一切信じていませんという表情だね。本当はわかっているのに、信じたくない、と言う方が正しいかな?」

 ため息交じりに、ヴィンスが問う。俺は首を振った。

「お前が本当に神だと言うのなら、それを公表すれば良い。確かにヤマ国は、俺も含めて無宗教の者が多いが、それでも潜神教を信仰している者も一定数いる。彼らは神様の出現を喜ぶだろうし、今まで無宗教だった者でも、本当に神がいるのだとしたら、心変わりするかもしれない。誘拐なんてしなくても、簡単に信仰心を、直接お前に集められる」

 俺の言葉を聞き、ヴィンスは目を細めた。形の良い、長い指先を額に当て、憂いを帯びた仕草をして。

「僕が神だと皆に知られてしまったら、僕を捕らえるために、政府から『キャプター』が派遣されてくる。そうなれば僕は未来永劫、こうして自由に動くこともできなくなる。哀れだとは思わないかい?」

 続いた言葉に、俺はさらに困惑する。

 今まで追ってきた事件の誘拐犯が、自分は神だと主張していること自体が異常だが、さらに神だと認知されたら、政府に捕らえられる、ときた。

 確か「誰かに見張られていると思う」とか、統合失調症の症状に、似たようなものがあったな、などと別のところへ考えが飛ぶ。

「キャプター? っていうのは何だ」

「神を捕まえる専門組織の人間だよ。キャプターは近くにいる神を探し出し、捕らえる技術を持っている。政府に、ミミサキ市に神がいると知られてしまったら……もう、逃げることはできないだろうね。だから、ノラは君が、君の上司に電話で神のことを話す前にと、君を昏倒させたんだ」

 そこまで話を聞き、俺は、あることを思い出した。

 あの時、意識を失う直前に、確かに俺は呟いていた。「神様の悪戯」と。あれはホセの言葉を呟いただけだったが、ノラはあれに危機感を覚えたというのか。

 全く突拍子もない説明なのに、なぜか色々なことが腑に落ちていく。しかし俺には、それを受け入れることはできない。

「どうして政府が、神様なんてものを捕まえたがる? そもそも、政府が神を実在するものとして、認知していると言うのか」

「もちろん。政府は神の存在を知っているよ。でも、公にはしていない。何故政府が神を欲しがるかも含めて、それが世界の真実の一端……」

 ヴィンスの言葉が終わる前に、俺は反動をつけて飛び起きた。背中側で、俺の腕を括っていたロープが床へ落ちる。

 この不本意な会話を続けていたのは、ヴィンスの気を逸らすため。俺はずっと、手首に巻きつけられたロープを、ポケットに入っていた鍵で擦り切っていたのだ。

「ユージ、やめろっ!」

 今まで悠然とした態度を崩さなかったヴィンスの声が、慌てたように荒らげられる。

 俺はもちろん静止の声を聞かず、ソファへ座ったままのヴィンスへ向けて、右腕を振りかぶった。

 足はまだ縛られているが、この不意打ちの一撃を入れられたら、ヴィンスに優位が取れる。そうしたらこいつを捕まえて署まで行き、ノラの不正を告発すれば良い。

 これで事件が終わる。そう、確信した。

 渾身の力を籠めて、振り下ろした拳。

 それは、ヴィンスの顔面にヒットする寸前で軌道を変え、俺のこめかみを、強烈に殴打する。

 一瞬、俺は何が起きたのかわからなかった。

 だって、俺を今殴りつけたのは、俺の腕だ。しかも、俺は明確にヴィンスを殴ろうとしていたのに、気付いたら何故か、自分を殴っていた。

 重い一撃に脳が揺れ、クラリと視界が揺れて、そのまま受け身も取れずに横へ倒れる。

 自分を本気で殴るなんて奇行はしたことがなかったが、人間の体の構造的には、可能なことらしい。正常な状態ならば、決してやらないことだが。

「大丈夫かい。まったく、だからやめろと言ったのに」

 少し遠くなった意識の中で、ヴィンスの哀れみの籠もった声が聞こえる。彼は俺の横に膝を付き、俺が今しがた、自分で殴りつけたこめかみの様子を見ている。

「人間は、決して神には逆らえない。それが本能なんだ」

 ヴィンスの手が、慰撫するように俺のこめかみに触れた。それから額に触れて、目元の方へと掌を下ろして。

「今日はこのまま休むといい。おやすみ、ユージ」

 優しい声に誘われる。俺の意識は、水の中に落とした一滴のミルクのように、ほどけていった。
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