ミミサキ市の誘拐犯

三石成

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第三章

監禁生活 -1-

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 返答に詰まった俺を見て、ヴィンスは急ぐことはないと言葉をかけてきた。「すぐに了承されても、信用できないからね」とも。

 その後、腹が空いていないかと尋ねられ、ヴィンスが時間をかけ、手づから作った朝食兼昼食を共に食べた。豆腐とワカメの味噌汁に、炊きたての白米、鰹節をかけた、ほうれん草のおひたし、少し甘い卵焼き、鯖の味噌煮。どれもこれも絶品の上、俺が好きなものばかりで、逆に不気味なくらいだった。

 誘拐された被害者達へ聞き取り捜査をした時、自分の好きな料理ばかりが与えられたという証言があったが、あれは本当の話だったらしい。

 食事を共にする中、そもそも神は飲食をするのかと聞いた所「食べる必要はないが、食べることはできる」という回答を得た。そして彼自身が、手間暇かけて料理をしたり、コーヒーを淹れたりすることが好きだということも。何だかひどく人間らしい。

 その他にも、ヴィンスは俺からの質問に厭うことなく、饒舌に答えてくれた。

 誘拐事件のこと、世界のこと、神のこと、彼自身のこと。ちなみに俺の監禁が露見するのを防ぐため、俺は未だに、ノラと独自に捜査を続けていることになっているらしい。

 彼の態度には嫌味なところがなく、いつでも優しさに満ちていた。会話を続けていれば、昔ながらの友人と再会したのではないか、というような錯覚さえ起こす程に。

 次第にヴィンスは、俺の話も聞きたがった。俺は戸惑いながらも、聞かれるままに身の上話をした。

 生まれた時から父親はいなかったこと、水商売をしていた母は、過労から体調と精神を崩し、その辛さをいつも俺に訴えていたこと。一人の警官が俺を救ってくれたこと。幸い勉強が良くできたので、奨学金を貰いながら大学を卒業し、キャリア組として刑事になったこと。その過程で、社会の格差を痛いほど感じてきたこと。

 一度緊張を解いてしまえば、ヴィンスとの会話は、話したいことも聞きたいことも、いつまでも尽きなかった。

 俺達はずっと話し続けていた訳でもなく、途中で午睡を入れたり、共に料理を作って食べたりした。

 この家に用意されたバスルームは広く清潔で、都内の自宅にしろ、ミミサキ市で宿泊していたビジネスホテルにしろ、どこでも三点ユニットバスのシャワーで済ませていた俺は、何年かぶりにゆったりと足を伸ばしてバスタブに浸かった。

 刑事の仕事は激務で、なおかつ俺は仕事に就く前から、勉強に追われ、生活に追われていた。こんなにのんびりとした日常を過ごすのは、大袈裟でもなく、生まれてはじめてのことかもしれない。

 俺は罪悪感と共に、この穏やかな時間から離れがたい心地よさを感じていた。

 刑事として、真犯人の情報を伏せ、事件を見過ごすという踏ん切りもつかない。

 ヴィンスも特に俺の決断を急かす様子を見せず、俺は監禁とは名ばかりの、彼との穏やかな生活を、その後三日も過ごしてしまうことになる。





 今日の夕飯はクリームシチューだった。柔らかなブロッコリーや、小さなジャガイモが皮ごとゴロゴロと入ったそれは食べごたえがあって、高級感もありながら、どこか懐かしい味がした。

 食事の後の皿洗いを含めた片付けは俺がやり、その間にヴィンスは、コーヒーミルで豆を挽いていた。彼は朝食と夕食の後には、必ず手間をかけてコーヒーを淹れる。

 俺は片付けを終えて、リビングのソファに腰かける。湯気を立ち上らせたカップを両手に持ったヴィンスが隣に並ぶ。片方のカップを差し出され、自然と受け取った。

「神は、人間の食べたい料理を察知する能力でもあるのか?」

 冗談めかして問いかけると、ヴィンスは少し首を傾げて、真面目に考える様子を見せた。

「自分が食べる必要のない料理なんて、作らない神の方が多いだろうから。神の、というより、僕だけかもしれないけどね。なんとなくわかる」

「他の神とは、あまり交流がないんだな」

「そうだね。神同士で情報を交わす手段はあるから、こうしてユージにも、色々と教えられるけれど、個人的なことは話さないし」

 コーヒーを口に含む。豊かな香りと味が鼻口腔内に広がって、思わず感嘆の溜息が漏れる。たった数日、一緒に暮らしただけだが、すでに食事の後に温かいコーヒーを飲まないと、落ち着かないような気分になっている。

「神同士で情報を交わす手段って?」

「電気を使って、どこでも会話ができるんだよ。つまり今の世界では、基本どこにいても、という感じかな。人間にはほとんど聞こえないけれど……昔はね、わざわざ雷を起こして、情報交換をしていたんだよ。便利になったと思わない?」

 雷が起こせるということにも驚いたが、雷を起こす労力が、どれ程のものかもわからないので、曖昧に頷く。少し考えて、ふとあることに思い当たった。

「電気製品の側にいると、すごく小さく『ジー』っていう高めの音が聞こえるんだよな」

「ああ、それだよ。神の通信している声。ユージは聞こえる人間なんだね。その音すら聞こえない人間もいるというけれど」

 あっさりと肯定されて目を瞬く。

「ただの雑音だと思っていた」

「人間にはね。神には意味のある情報として届くんだ。話そうと思えばこちらからも話せるけど、電話というよりも、ラジオに近いかな。勝手にずっと流れているから」

 ヴィンスは説明する時、いつでも俺の理解が及ぶように言葉を選んでくれる。おかげで、神という全く異次元な存在である彼らの事情が、何だか身近に感じられた。

「直接会って話したりはしないのか」

「昔にあったことはあると思うけど、他の神がどこにいるかも把握していないしね。居場所を明かすのは、すごくリスキーなことなんだ。何度も言っているように、捕まる危険があるから」

 その説明に、俺は首を傾げた。

「でも、その電気を通した会話は、神にしか聞こえないんだろう」

 ヴィンスもまたカップに口をつけ、ゆっくりとコーヒーの味を堪能しながら、俺の問いかけに銀の目を細める。

「ユージは、キャプターはどうして、神を捕まえられると思う?」

「神を捕まえる、特別な技術を開発したと、言っていなかったか」

 疑問に質問で返されてしまった。彼はソファの背もたれに深く凭れたまま、足を組み替えた。

「うん、その技術の理由。だって、人間である君は、神である僕を傷つけられなかっただろう?」

 試すような問いかけに、俺はヴィンスの笑顔を見ながら悩む。人間が神を傷つけられないのは、人間が機械に施す安全装置のようなものだと言っていた。それが本能なのだと。

 そして、俺がヴィンスに拳を振り下ろせなかった所に、俺の感情や意思は、全くもって介入していない。それは身をもってわかる。あれは、根性や訓練で何とかなるような代物ではない。本当に、反射のような行動だった。

では、そこから導き出される答えとは。

「キャプターは……人間ではない?」

 戸惑いながら回答すると、ヴィンスは「ビンゴ」と指を鳴らして実に楽しそうに笑う。

「正しくは半神半人だから、半分は人間なんだけどね」

「つまりキャプターも、神の通信を聞くことができるのか?」

「いや、どうやらそれはできないみたいだよ。ただ……半神を作ることができるのは、神しかいないんだ」

 そこまでヴィンスの説明を聞き、俺はようやく、彼の言わんとしていることを、理解した。

「神の中に裏切り者がいると言いたいのか」

「そんなに驚くことかな」

 目を見開いた俺を見て、不思議そうに彼は笑う。

「そりゃ驚くだろう。だって、神だぞ」

「神は別に聖人ではないよ。人間とか虫とか植物とか、そういう種族的なものとしての括りでしかない。ユージはどうして刑事をやっているの?」

「どうしてって、犯罪者を捕まえるためだ。市民の平和を守るために」

 俺の返答に、ヴィンスは笑みを深めて頷いた。その様子は、まるで幼子が将来の夢を語るのを、微笑ましく見守る大人のよう。

「犯罪者だって人間だよね。人間の中にも、神の中にも、色々な者がいる。それだけのことだよ」

 俺は昨日ヴィンスに、神と人間の関係について尋ねた。

 その昔、神は大地に、エネルギーを効率よく供給するための存在として、人間を成長させてきたのだという。

 動物の中の一種でしかなかった人間に言葉を教え、知識を与え、文化を芽生えさせ、信仰を持たせた。人間はいつしか自ら歩みだし、世界を覆う程に増え、様々な技術革新を行い、果ては神をエネルギー源にするまでに至ったが、人間を人間たらしめたのは神だ。

 その話が本当ならば、人間と神の間には、確かな上下関係があるように俺は思う。だがヴィンスは、そう考えてはいない。

 「人間は植物の品種改良を行い、育て、食べ、管理するが、だからといって植物よりも、人間の方が偉い訳ではないだろう」というのが、昨日ヴィンスが言っていた台詞だ。

 ヴィンスと会話を続け得た答えは、神は神という名の種族の一つであり、万能な存在でもないし、人間を守ったり、慈悲を与えてくれる存在ではないということ。そして、ヴィンス自身も、非常にフラットな視点で、世界を眺めているということだ。

「永遠の時を生き続ける感覚って、どういうものなんだろう」

 両手で、包み込むようにして持ったカップに口をつけたまま、俺は呟くように問いかける。言葉を交わせば交わすほど、ヴィンスの達観した感覚に驚く。しかし同時に、彼と自分が、かけ離れた存在ではないとも感じる。俺が永遠の時を生きていたら、と考えたら、空恐ろしくなって。

「うーん……そこは人間と、あんまり変わらないんじゃないかな」

 コーヒーを飲み終えたカップをサイドテーブルに置き、ヴィンスは首を傾げる。

「ユージだってそうだと思うけど、僕も、自分が生まれた時なんかは、覚えていないんだよ。神は永遠に生き続けるが、その記憶は永遠には続かない。僕の感覚だと、一〇〇年は保たないかな。八〇年前にこんなことがありましたって言われたら、ああ、そうだったかもしれないな……と思うくらい」

「記録を残したりはしないのか。すごい歴史書ができ上がりそうだけど」

「している神もいるかもしれないけれど、僕はしないね」

「どうして?」

 問いかけると、ヴィンスの言葉が途切れた。どうしたのかと視線を向けると、彼の銀の瞳が俺をじっと見つめている。珍しく質問に答える気がなさそうなのを、その表情から感じ取り、俺は一人考える。

 そして。

「俺のことも、ヴィンスはいつか忘れるんだな」

 俺は隣に座る神のことを、なぜだか無性に哀れだと思った。
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