前世記憶障害症候群

いつはる

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9 契約と履行

9-4

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「里織、ごめんねぇ」
巨大な手が最上階へ消え、それぞれの扉が静かになると、突然ソロジア先生が謝罪してきた。
「リリアスを咥えて行っちゃったね、熨斗つけて叩き返せなかったわ」
そう言うとヘラっと笑う。連れて私も笑ってしまった。

とその時、何かが崩れる音がしてそちらを見ると、赤須さんが纏っていた鎧がバラバラになり彼の足元に埃を立てて積み上がっていた。
服の埃を払いながら鎧の残骸を跨いだ赤須さんは、私の前に来ると少し困った顔で見つめて来た。
「大丈夫です、どこも痛くないですよ」
そう告げると、小さく頷く。話しはしないが気遣ってくれる仕草が嬉しい。手に持つ前挽大鋸を見るとまだドキドキするけど。

「それじゃあ、帰りますかね」
いつの間にかソロジア先生の後ろに黒光りする重厚そうな金属製の両開きの扉がある。複雑な紋様がレリーフとして刻まれ、時代がかった雰囲気が石壁にマッチしている。
今までなかったはずなのに……そう思うが、先生らはそれが当たり前と言うように、扉の前に進んで行く。
赤須さんがゴゴゴっと音を立て扉を押し広げ、私たちは無事に塔から出ることが出来た。自動的に閉じる扉を見ていると、鎧の残骸が朱色に染まり床に溶け込む様子が見る。そして完全に閉まると同時に扉が消え、もう塔へは入れなくなった。
「おやすみなさい」
石壁に手を当てソロジア先生が挨拶と何やら呪文を呟くと、塔そのものが消えてしまった。

◆◆◆

鹿下さんと合流するため、十字路の傍にあるお寺の敷地に入る。本堂脇の墓地を進むとある墓の前で鹿下さんが手を振っていた。
「かのちゃん、お疲れ」
と駆け寄るソロジア先生とハイタッチをし、私を見ると
「里織さん、終りましたね。良かったですね」
そう微笑んで手を握ってくれた。鹿下さん、ここで何かやることがあったんだな……良くわからないなりに納得した。

赤須さんは、鹿下さんが待っていたお墓の前に行くと、持っていた前挽大鋸に水をかけ墓石に向かい刃を入れた。あっ!と驚いていると、スルスルと墓石の中に消えて行った。
「貸与いただき痛み入る」
頭を下げる赤須さんの低い声が聞こえた気がした。

「クリニックに戻ってお茶しようか」
ソロジア先生を先頭に歩きだし、みんなに付いて行こうと足を踏み出した途端、視界が霞みグラっと身体が傾き意識が遠くなる。完全に気を失う直前、鎖の音がして見たことのない女の人が私を優しく抱き締めてくれた……そんな感じがした……

◆◆◆

気付いた時は、クリニックのソファーの上。鹿下さんの心配そうな顔がこちらを覗き込み、目覚めた私と目が合うと「良かった、待ってて」と立ち上がると、濡れタオルを片手に戻って来てくれた。

窓から見える外の景色は日が落ち、時計を見れば日付が変わろうとしている。一体何時間寝ていたんだろう。
ソファーに座り直し濡れタオルで顔を拭いていると、奥の扉の先から聞こえる話し声。もしかして喧嘩してる?聞き覚えのある声が、丁寧な言葉で何やら説教をしているようだ。
その声が気になりソワソワしていると
「覗いてみます?」
鹿下さんが扉を指差した。

扉を少し開けると、声がハッキリと聞こえて来た。
「信じるって言われたからって、張り切り過ぎですっ!」
「……だってぇ、嬉しかったんだもん……」
ハァと呆れた風のため息と椅子をギシギシと鳴らす音が聞こえる。もう少し様子を見ようと扉を更に開けると
「里織っ!」
女性の声が聞こえた。
「えっ?里織さん?」
椅子から立ち上がりこちらを振り向く羽鳥先生の姿も見える。羽鳥先生と女性の会話?私の名を呼ぶ女性は誰か確認しようと身体が前のめり、部屋の中へ転がるように入ってしまった。

羽鳥先生が座っていた椅子の前には年代物の姿見鏡。でも写っているのは羽鳥先生とはまるで違う姿。
「里織、調子どう?」
少し吊り上がった青い目、うねる茶色の髪に豊満な胸……お寺で倒れる直前で感じた女性、口調から多分ソロジア先生だろう姿がそこに写り、私に掛ける声までもが聞こえる。

「里織さん、身体の調子が良さそうなら話をしようか」
力なく笑う羽鳥先生がそう言うと、姿見鏡の中のソロジア先生が嬉しそうに頷いた。

◆◆◆

羽鳥先生が私の体調を診察する間、鹿下さんと赤須さんはコンビニに食べ物を買いに行ったようだ。
「問題なさそうだね」
良かったと微笑む羽鳥先生を見つめながら、さっきまでこの身体の中はソロジア先生の魂が前面に出ていたのかと思いを巡らせた。あの時は少し女性寄りに見えた顔が、いまはしっかりと男性に見える。

戻った赤須さんが重い姿見鏡をソファーのある部屋に運び、皆の顔がわかるようにテーブルを囲むように座る。羽鳥先生と姿見鏡は微妙な角度で並ぶと鏡の中のソロジア先生が見え、なんとも不思議な気分だ。
「こんな時間だけどね、食べながら色々説明しようか」
いつもと違う銘柄のペットボトルのお茶がいまはとても美味しい。おにぎりのパリパリした海苔を口に含み、戻って来たんだなと実感した。

「あの……ソロジア先生は食べれないんですよね」
鏡の中で皆の様子を見ている姿に、つい思ったことが口から出てしまった。
「気にしないで、羽鳥が食べてれば問題ないから。もし気になるって言うなら……ほらっ」
ソロジア先生の手にティーカップが現れた。
「これなら良いでしょ」
乾杯するようにカップをかかげ微笑んだ。

◆◆◆

「呪いの魔物とリリアスは、魔女に引き取られたってことですよね?」
「そうそう、いまごろ皆に可愛がられてるわよぉ」
あの不思議な出来事はやはり夢ではない、リリアスが居なくなったことに安堵する。
「あの里織さんの魂に『ついてた』リリアスですよね。どうやって取り除いたんですか?」
その場にいなかったから、鹿下さんが興味深げに聞いてきた。
「赤須さんがズバッと、前挽大鋸まえびおがで」
振り下ろす仕草をしながら説明すると
「まえびおが?何それ?」
私以外の全員が不思議そうな顔をする。慌ててスマホで画像を見せた。
「赤須さんが持っていたのは、もっと大きくて切れ味抜群って感じだったんですよ。使い方は本当はこんなで……」
画像を変えつつ説明する。いまでは骨董扱いで使われることも少ない前挽大鋸。刃の幅がとても広く湾曲している面白い形をしている。私も本や資料でしかわからないが、拙い説明を赤須さんが興味深げに聞きながら、「うむっ」と納得の声を出し何度も頷いた。
「あの前挽大鋸って、どうやって入手したんですか?それにお墓の中に消えた?ような……」
そもそも鹿下さんが墓地にいた理由もわからない。聞きたいことが有りすぎて、整理出来ずに思い付きを直ぐに聞いてしまった。

「あーっどこから話そうかねぇ」
少し考え込むと
「まずは私たちのことから話そうか」
そうソロジア先生が語り出した。


前挽大鋸のイラスト「設定イラストっぽい落書き」にてアップしました(4/15)
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