前世記憶障害症候群

いつはる

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9 契約と履行

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赤須さんが辣腕を振るう。眼球と澱みが削られると、私に巻き付く黒い蔓がポロポロと崩れ落ち、身体の自由を取り戻すことが出来た。
そんな状況で、ソロジア先生が私に向き直り眉尻を下げた困り顔をしながら
「驚かせたらごめんねぇ」
とヘラっと笑うと、私の足を固定している鍵を持つ手に力を込めた。すると鍵を伝い赤い液体が……先生の血液だろうか、そのまま地面まで伝い落ちると、意思があるように地面に紋様を描き出した。
紋様が完成すると先生が一呼吸、そして口を開く。

 巍然ぎぜんたる我らが始祖の手
 慈悲深き我らが末裔が唄
 我が同胞はらからの呼び声にいま応えん
 銀の魔力を緘する古の扉
 我が手に宿りし古の鍵
 大地の力を束ねし石と鋼で呼び出さん
 鍵守が魔女ソロジアがここに顕現す
 深淵の奥に秘めし カリアッハの塔
 古の盟約をもって混沌の螺旋を巻き起こさん
 
そう唱えると、私の足を貫く巨大な鍵を更にガチャっと重い金属音を鳴らしながら回した。
すると足元のアスファルトが石畳に姿を変え、そこから発芽するように石材が湧き出しては積み上がり、周囲に堅牢な壁が立ち上がる。気付けば、赤須さんの猛攻により、漆黒の澱みが薄まり、眼球の数も二十個くらいまで減っていた。私とソロジア先生、鋸を携えた赤須さん、そして小さくなった呪いの魔物が石壁の中に閉じ込められた状態だ。
見上げれば何段あるかわからない螺旋階段。そしていくつもの扉が見える。最上階がわからない程の高い建物の最下階、中央部に私たちはいるようだ。
私はただ茫然と周囲の変化を眺めていた。あまりの変化について行けず、目を見開き声も出ない。

「ようこそ、我らが魔女の塔へ」
巨大な鍵は消え、両手がフリーになったソロジア先生は、左腕を折り胸の前へ、右腕は伸ばしたまま身体の少し後ろへ引きながら深く礼を取る。
私の足も自由に動けるようになり、一、二歩下がろとしたが体勢を崩しよろける。背中に固い何かが当たり振り替えると、鎧姿の赤須さんがそっと支えてくれていた。

◆◆◆

私を支えながら魔物への警戒を続ける赤須さんに安心したのもつかの間、残った魔物の眼球がグルグルと忙しなく動き澱みが一ヶ所に集まり出した。すると、赤須さんと同じくらいの背丈の、大きな四つ足の獣の姿へと変わった。
顔らしき箇所には六個の目、その他の眼球は背や腹に。漆黒の澱みが毛のように蠢き、感情の読み取れない虚無な瞳でこちらを見る、大きな犬のような姿がそこにあった。
赤須さんによって削られ、いまの姿が本体なんだろうか……
「ソロジア先生……」
掠れ声で名を呼ぶが、先生は小さく頷いただけで視線は魔物に向け
「あぁ、そうかい……大した忠義だねぇ」
そうポツリと呟いた。

赤須さんが私たちを守るように前に出る。全身を覆う鎧が更に黒光りし、より強固な雰囲気を醸し出す。鋸を腰の辺りで構えながら呪いの魔物と向き合いジリジリと移動する。
四つ足の魔物から澱みがうねり、赤須さんへ鞭のように飛び出すと、鋸でいなし隙をついて間合いを詰める。詰めた勢いのまま鋸を振るうと、魔物の澱みを抉り追撃をする。
呪いの魔物は成す術なく、ジリジリと追い詰められた。

◆◆◆

『ねぇソロジア、私その仔犬が欲しいわ』

と突然、塔全体に響く女の声が聞こえた。

『やだ、私のものよ』
『えぇ、あたしが欲しかったのにぃ』
『その娘は?わたし、その娘がいいわ』

今までの静寂が嘘のように騒がしい声で塔全体が震える。気付けば扉の格子窓から左右の腕が出て、何かを触ろうと上下に動く。それが全ての扉で行われているのだ、一体何本の腕が蠢いているのか……
眼球の次は腕か。不規則に並ぶ扉に不規則に動く何百の腕。やっと落ち着いたのに……ゾワゾワとまた身体が震えた。呪いの魔物を仔犬と言う、そんな人々の腕の中に入ると思うと寒気がおさまらなかった。

ざわめき、不規則な会話が降り注ぐ中、
「ハイハイ、御姉様方。わかりましたから、そんなに喜ばないで」
拍手を二回響かせると、その場を仕切るソロジア先生。直ぐにざわめきが小さくなる。御姉様方?思わず視線を巡らすと

『あら、面白い!』
『珍しいわねぇ、あれ』
『仔犬に随分懐かれてるわ』

多分私に向けてだろう、興味津々と言う感じの言葉が溢れだし、更にざわめきが大きくなる。檻の中の動物のように、好奇な目とそれに附随する笑いに囲まれ居たたまれない気持ちで腕を伸ばす。
「せ……先生……」
思わずソロジア先生の服を摘み助けを求める。
「里織はダメですよ、私の契約者!ほら」
指をパチンっと鳴らすと、先生と私を繋ぐ鎖がジャラリと現れ、周囲から感嘆の声がもれる。
そして先生は、私を見てニヤリと笑うと
「でもぉ、ひっついてるモノは仔犬のオモチャなんで、御姉様方にあげますよぉ」
そう宣言すると、周囲が色めき立ち歓声が上がった。

◆◆◆

「里織、ここはね。私が鍵守をしてる魔女の塔なんだよ。ここにいるのは全員魔女の御姉様方さ」
そう言われ、見上げながら扉から出る何本もの腕を見る。肌の色や太さ、皺の有り無しなど色々な腕がそこにある。一体何人いるのだろう。
そう疑問に思いながら見渡していると、突然巨大な白い腕が二本、目視出来ない最上階から伸びてきた。思わずソロジア先生の服を強く握り身体を縮こませる。

『仔犬、おいで』
巨大な腕とは裏腹に、その声は優しい響き。思わず視線を上げれば、私たちの頭上数メートル先で巨大な手のひらが止まっていた。

『さあ、お人形。娘からオモチャを取って頂戴』

巨大な右手の人差し指が、赤須さんが携えた鋸の刃を、もう一方の左手で呪いの魔物を撫でた。

撫でられた前挽大鋸は、燻したような鈍い黒だったが、艶やかさを増しより鋭利になった刃をギラつかせている。そして鎧姿の赤須さんは私の正面に来ると、無言で鋸を頭上に構えた。
「えっ?あっあの、あっ赤須さん!」
鋸の動きを見て慌て慄く。咄嗟のことで逃げることも出来ず、両腕を顔の前でクロスさせ防御姿勢を取るのが精一杯。
あのギザギザな刃が身体に食い込むの?痛みを想像し身体に力が入るが、振り下ろした音と圧以外何も感じない。ただ「ギャッ」と言う声が身体の中から聞こえた。

そっと腕を下げ目の前の赤須さんを見ると、右手に持つ鋸にベッタリと赤黒い絵の具のようなモノがこびり付いてる以外、なんの変化も見られなかった。
鋸に付いたモノは、粘りのある液体のようにドロリと鋸の表面を伝い床に落ちる。
『呪え……みんな呪われろぉぉ……』
まるで赤黒いスライムだ。それが小さな声で呪いの言葉を吐き続ける。

「赤須くん、里織、ご苦労様。これリリアスね」
ソロジア先生が摘み上げると、巨大な魔女の右手にそっと載せる。するとリリアスと呼ばれたそれと私を繋ぐ細い糸がピンと張った。
『あら、しつこい』
その声と共に巨大な右手の親指と人差し指が糸を摘みコロコロと指の間で転がすと、プツっと糸が切れスルスルと巻き上がるように各々の中に収まった。

『ソロジア、ありがとう』

呪いの魔物は魔女の愛撫に心を許したのか、素直に手のひらに乗ると、リリアスを咥えそのまま回収されて行った。
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