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第一章
俺のお月様(後編)(高雅視点)
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それは俺が十二歳、月丸が六つになって間もなくのこと。
父が、世継ぎ候補として山吹の子どもたちを城に招き入れ始めた。
何でも先頃、父が打ち滅ぼした一族ゆかりの僧が、伊吹家に子が生まれぬよう、父を呪詛していたことが発覚したのだとか。
「わしを殺してもこの呪いが解けると思うな。我が一族を滅ぼした伊吹など、貴様の代で死に絶えてしまえ!」
そう叫んで、首を刎ねられた僧の壮絶な姿に皆恐怖した。
母以外にも白銀を搔き集め、子作りに励んでいるというのに、月丸以降子宝にさえ恵まれていなかったこともあって、この呪いは僧が死んでも解けぬのではないかと、まことしやかに囁かれ、「山吹の世継ぎ候補を作っておいては?」と、親戚や家来たちがこぞって、身内の山吹の子を父の許に連れて来るようになった。
父もその僧の件で思うところがあったのか。それとも、最近隣国河内国を治める桃井が戦を仕掛けてきていて、情勢が不穏なことに不安を抱いたのか。依然子作りは続けながらもその子たちを城に受け入れていった。
結果、これまでかろうじてあった「イロナシでも一応当主の実子だから」という遠慮はなくなり、周囲の俺たち兄弟に対する当たりはますますきつくなった。
その上、世継ぎ候補たちが俺たち兄弟を虐め始めた。
正確に言えば、家来になれと強要してきた。
現当主の実子を家来にすれば、世継ぎとして箔がつくと言って。
父も、止めるどころか「一番に龍王丸を手懐けた者には褒美を取らせる」とはやし立てたものだから、皆調子に乗って、
「我らは未来の世継ぎぞ。今のうちに、犬のように媚びへつらったらどうだ?」
「ほら、お前。三遍回ってわんと鳴いてみろ」
そう嘲って、俺にしがみついて震えていた月丸を無造作に蹴飛ばした。
可愛い弟にそんなことをされて、黙っていられる兄などいない。
俺は連中に殴りかかった。
だが、俺一人に対して相手は五人。さらには、子どもでも大きくて、腕力も大人並みに強い山吹に敵うわけもなく、俺は完膚なきまでに叩きのめされた。
それだけなら、まだよかった。
しかし、連中は……今度は月丸をいたぶり出した。
痛む体を引きずり必死に止めようとしたが、止められない。
見ていられなくて、「お願いします。やめてください」と無様に土下座までして懇願したが、そうすればするほど、月丸は殴られた。月丸を虐めるほど俺の反応が面白くなるからと嗤う。
あまりにも凄惨な光景。だが、それを目にしても、誰一人俺たちを助けてはくれなかった。
正式な山吹の世継ぎが決まれば、俺たち兄弟の価値は完全になくなる。助けるだけ無駄だし、この家の世継ぎになるかもしれない子たちの心証を悪くしたくないとばかりに、皆見て見ぬ振りをした。
俺が月丸を守るしかない。でも、俺には月丸を守ることができない。
月丸がそばにいてくれた六年間忘れていた、耐え難い自己嫌悪と罪悪感が血飛沫のように噴き出して、息をするのも辛かった。
山吹たちが俺たちをいたぶるのに飽きていなくなった後、青痣だらけの傷ついた月丸を見て、俺は悔しさと哀しさで泣いた。
「ごめん。弱くて、情けない兄で本当にごめん」
泣きながら謝る俺に、月丸はぎゅっと抱きついてきた。
「兄上。謝らないで。おれは大丈夫だよ。だから、謝らないで。泣かないで」
「! う、嘘吐くな。大丈夫なわけがない。泣くほど痛い思いをしたくせに」
「っ……お、おれ泣いてないもん。大丈夫だもん……ひゃあ」
「しょっぱい。ほら見ろ。涙じゃないか」
濡れた眦を舐めて指摘すると、月丸は「うー」と唸って俯いた。しかし、しばらくして、
「ねえ兄上。今度あいつらが来たら、おれを置いて一人で逃げてね。おれは足が遅いから、絶対逃げられないもの。でも、兄上だけなら」
そんなことを言う。お前一人を置いて逃げられるわけがないと言っても、
「おれ、大好きな兄上がおれのせいで殴られるのいやだよ」
おれがのろまのせいで、いっぱい殴られてごめんね。
悲しそうな声でそんなことを言う。また涙が溢れてきた。
どうして、こんなに優しい月丸が「いらない子」と馬鹿にされ、殴られなきゃならない。
どうして、月丸が俺に謝らなきゃならない!
「……兄上? どうしたの……っ」
「月丸は何一つ悪くない。駄目でもない。悪いのは、間違っているのは、お前を虐める世の中、お前を守れない弱い俺だっ」
「……!」
「間違っているんだ。だから……変えてやる。今の状況をひっくり返すほど、強くなってやる!」
力いっぱい言い切る。
月丸はぽかんとしていたが、すぐに血相変えて飛びついてきた。
「だ、駄目だよ、兄上。イロナシのおれたちじゃ、どんなに鍛えたって、頑張ったって、山吹に勝てないし、誰も認めたりしないよ。だから、相手にしなきゃいい……」
「そりゃあ、今日や明日じゃ勝てない。でも、一年……いや、半年後は分からないぞ」
「半年っ? そんなに毎日殴られたら、兄上のお顔の形変わっちゃうよ。おれそんなの嫌だよ」
月丸は青い顔で止めてきたが、俺は首を振った。
「いいんだ。どんなに殴られたって、俺は殴られるお前を見捨てて逃げるのも、お前がイロナシだからって馬鹿にされるのも全部嫌だ。絶対に嫌だ。だからやる。やってやる!」
月丸は俺が守る。山吹にも負けない強い兄になる!
まだまだ小さくて、脆く柔らかい体を抱き締めて、固く固く心に誓った。
その想いは、今も変わっていない。
だからこそ、世継ぎ候補の山吹たちには一歩も引かず、努力に努力を重ねて――。
「皆の者。今この時より、『高雅』を正式な我が世継ぎと致す」
九年後、あれほど俺をないがしろにしていた父に、そう言わせることができた。
歴代当主全員が伊吹家において、イロナシが世継ぎに据えられるのは前代未聞。
山吹の世継ぎ候補も多くいたこともあり、俺を散々馬鹿にしていた周囲は、滑稽なほどに驚嘆し、俺を褒めそやした。
だが、「してやったり」と心躍ることはなかった。
なぜなら。
――兄上、大好き。
久しく見聞きしていない、愛らしい呼び声と笑顔が脳裏に蘇り、ぎしりと、心の臓が軋んだ。
父が、世継ぎ候補として山吹の子どもたちを城に招き入れ始めた。
何でも先頃、父が打ち滅ぼした一族ゆかりの僧が、伊吹家に子が生まれぬよう、父を呪詛していたことが発覚したのだとか。
「わしを殺してもこの呪いが解けると思うな。我が一族を滅ぼした伊吹など、貴様の代で死に絶えてしまえ!」
そう叫んで、首を刎ねられた僧の壮絶な姿に皆恐怖した。
母以外にも白銀を搔き集め、子作りに励んでいるというのに、月丸以降子宝にさえ恵まれていなかったこともあって、この呪いは僧が死んでも解けぬのではないかと、まことしやかに囁かれ、「山吹の世継ぎ候補を作っておいては?」と、親戚や家来たちがこぞって、身内の山吹の子を父の許に連れて来るようになった。
父もその僧の件で思うところがあったのか。それとも、最近隣国河内国を治める桃井が戦を仕掛けてきていて、情勢が不穏なことに不安を抱いたのか。依然子作りは続けながらもその子たちを城に受け入れていった。
結果、これまでかろうじてあった「イロナシでも一応当主の実子だから」という遠慮はなくなり、周囲の俺たち兄弟に対する当たりはますますきつくなった。
その上、世継ぎ候補たちが俺たち兄弟を虐め始めた。
正確に言えば、家来になれと強要してきた。
現当主の実子を家来にすれば、世継ぎとして箔がつくと言って。
父も、止めるどころか「一番に龍王丸を手懐けた者には褒美を取らせる」とはやし立てたものだから、皆調子に乗って、
「我らは未来の世継ぎぞ。今のうちに、犬のように媚びへつらったらどうだ?」
「ほら、お前。三遍回ってわんと鳴いてみろ」
そう嘲って、俺にしがみついて震えていた月丸を無造作に蹴飛ばした。
可愛い弟にそんなことをされて、黙っていられる兄などいない。
俺は連中に殴りかかった。
だが、俺一人に対して相手は五人。さらには、子どもでも大きくて、腕力も大人並みに強い山吹に敵うわけもなく、俺は完膚なきまでに叩きのめされた。
それだけなら、まだよかった。
しかし、連中は……今度は月丸をいたぶり出した。
痛む体を引きずり必死に止めようとしたが、止められない。
見ていられなくて、「お願いします。やめてください」と無様に土下座までして懇願したが、そうすればするほど、月丸は殴られた。月丸を虐めるほど俺の反応が面白くなるからと嗤う。
あまりにも凄惨な光景。だが、それを目にしても、誰一人俺たちを助けてはくれなかった。
正式な山吹の世継ぎが決まれば、俺たち兄弟の価値は完全になくなる。助けるだけ無駄だし、この家の世継ぎになるかもしれない子たちの心証を悪くしたくないとばかりに、皆見て見ぬ振りをした。
俺が月丸を守るしかない。でも、俺には月丸を守ることができない。
月丸がそばにいてくれた六年間忘れていた、耐え難い自己嫌悪と罪悪感が血飛沫のように噴き出して、息をするのも辛かった。
山吹たちが俺たちをいたぶるのに飽きていなくなった後、青痣だらけの傷ついた月丸を見て、俺は悔しさと哀しさで泣いた。
「ごめん。弱くて、情けない兄で本当にごめん」
泣きながら謝る俺に、月丸はぎゅっと抱きついてきた。
「兄上。謝らないで。おれは大丈夫だよ。だから、謝らないで。泣かないで」
「! う、嘘吐くな。大丈夫なわけがない。泣くほど痛い思いをしたくせに」
「っ……お、おれ泣いてないもん。大丈夫だもん……ひゃあ」
「しょっぱい。ほら見ろ。涙じゃないか」
濡れた眦を舐めて指摘すると、月丸は「うー」と唸って俯いた。しかし、しばらくして、
「ねえ兄上。今度あいつらが来たら、おれを置いて一人で逃げてね。おれは足が遅いから、絶対逃げられないもの。でも、兄上だけなら」
そんなことを言う。お前一人を置いて逃げられるわけがないと言っても、
「おれ、大好きな兄上がおれのせいで殴られるのいやだよ」
おれがのろまのせいで、いっぱい殴られてごめんね。
悲しそうな声でそんなことを言う。また涙が溢れてきた。
どうして、こんなに優しい月丸が「いらない子」と馬鹿にされ、殴られなきゃならない。
どうして、月丸が俺に謝らなきゃならない!
「……兄上? どうしたの……っ」
「月丸は何一つ悪くない。駄目でもない。悪いのは、間違っているのは、お前を虐める世の中、お前を守れない弱い俺だっ」
「……!」
「間違っているんだ。だから……変えてやる。今の状況をひっくり返すほど、強くなってやる!」
力いっぱい言い切る。
月丸はぽかんとしていたが、すぐに血相変えて飛びついてきた。
「だ、駄目だよ、兄上。イロナシのおれたちじゃ、どんなに鍛えたって、頑張ったって、山吹に勝てないし、誰も認めたりしないよ。だから、相手にしなきゃいい……」
「そりゃあ、今日や明日じゃ勝てない。でも、一年……いや、半年後は分からないぞ」
「半年っ? そんなに毎日殴られたら、兄上のお顔の形変わっちゃうよ。おれそんなの嫌だよ」
月丸は青い顔で止めてきたが、俺は首を振った。
「いいんだ。どんなに殴られたって、俺は殴られるお前を見捨てて逃げるのも、お前がイロナシだからって馬鹿にされるのも全部嫌だ。絶対に嫌だ。だからやる。やってやる!」
月丸は俺が守る。山吹にも負けない強い兄になる!
まだまだ小さくて、脆く柔らかい体を抱き締めて、固く固く心に誓った。
その想いは、今も変わっていない。
だからこそ、世継ぎ候補の山吹たちには一歩も引かず、努力に努力を重ねて――。
「皆の者。今この時より、『高雅』を正式な我が世継ぎと致す」
九年後、あれほど俺をないがしろにしていた父に、そう言わせることができた。
歴代当主全員が伊吹家において、イロナシが世継ぎに据えられるのは前代未聞。
山吹の世継ぎ候補も多くいたこともあり、俺を散々馬鹿にしていた周囲は、滑稽なほどに驚嘆し、俺を褒めそやした。
だが、「してやったり」と心躍ることはなかった。
なぜなら。
――兄上、大好き。
久しく見聞きしていない、愛らしい呼び声と笑顔が脳裏に蘇り、ぎしりと、心の臓が軋んだ。
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