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第二章

笑顔の報告(高雅視点)

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 雅次が俺の許に来て、早くも一年が経った。

 この十年、父に散々傷つけられ、孤独に苛まれてきた雅次の心を少しでも癒せればと、琴や乃絵の力を借りながら、あれこれ試行錯誤を重ねてきた。

 その努力が少しは実を結んだのか。
 ここへ来た頃に比べて、だいぶ表情が柔らかくなったように思う。

 俺に向けて来ていた、あの辛辣な視線も最近では見なくなった。

 それはよかったが、今度は苦しげな表情を浮かべることが多くなった。
 戦に連れて行った時などは、青い顔が骨のように白くなることしきりで……。

「大丈夫か」と思わず声をかけると、

 ――はい。ただ、己を恥じていたのです。俺は戦を、外の世界を、何も知らなかった。それなのに……。
 ここで、雅次は言葉を切った。

 それからひどく苦しげに表情を歪めたものの、すぐに、強張る顔に無理矢理笑みを形作って、

 ――いえ。何でも、ありません。
 そう言って、俯いた。

 あの時、雅次が何を言おうとしたのか。
 俺には何となく分かった。

 多分、雅次は俺に謝りたかったのだと思う。
 この世の人間全てが俺たち兄弟の敵だと決めつけ、目の敵にして申し訳なかったと。

 それでも、雅次は謝ることをやめた。

 

 そんなふうに考えてしまう、困った男だから。 

 だから、家臣たちに遊んでもらう琴を見つめる寂しげな雅次を見て、思わず手を掴んで「もう逃がさない」などと口にしてしまった。

 雅次は何も言わなかった。
 それでも、泣きそうな顔で俺の手を震える指先で握り返してくれた。
 絶対に離さないでくれと、言わんばかりに。

 嬉しかった。
 だから、調子に乗ってこうも言った。

「お前の子どももきっと、琴のように皆から可愛がってもらえるよ」

 雅次は驚いたようにこちらを見た。
 自分に子どもができるなど想像もしていなかったような驚きぶりだ。

「俺の、子ども……」

「そうだ。生まれたら、俺の子どもと一緒に遊ばせよう。楽しいぞ」

「そう、ですね」

 返事は、ぎこちなかった。
 それでも否定はしなかったし、遠くへ視線を投げた目は柔らかく細められる。

 まるで、俺の子どもと自分の子どもが遊ぶさまを、一生懸命想像しようとしているような。

 それが、とても嬉しかった。

 そして、いつか俺が口にしたような未来がくればいいと思った。
 その時は、雅次が妻や子に愛される幸せな男として、その場に立っていればいい。

 雅次はこれまでずっと、独りで苦しんできたのだ。
 これからは、誰よりも幸せになっていいはずだ。

 懸命に俺の手を握り締めてくる雅次の手を力強く握り返してやりながら、強く思った。

 しかし、その翌日のこと。




 夕餉の席で、突如告げられたその言葉。


殿殿です。祝言は来月の二十日で」

「ちょ、ちょっと待て」
 あまりにも寝耳に水なことに、俺は思わず声を上げた。

「それは、父上のご命令か? しかも、式は来月って急過ぎるにも程が」

「この件は家房殿からの申し出です。式をかように急ぐのは……殿

 絶句してしまった。

「蔦殿のお腹にって、それは……つまり、雅次様は前から蔦殿とお知り合いだったと」

 固まってしまった俺に代わり乃絵が尋ねると、雅次は笑顔で頷く。

「実は数年前、父上のお供で高垣家の城を訪れたことがあるのです。そこで蔦殿と知り合い、

「ま、まあ。お付き合いを続けておられたということは、高雅様のご家来衆になられてからも」

「はい。作左の目をかいくぐるのに苦労しました」
 全く悪びれた様子はなかった。

「あ、ああ……確かに、作左相手では骨が折れましたでしょうね。でも、今までこのことを黙ってらしたのは、その」

「それは勿論、兄上たちに迷惑がかかるからです。まあ、だったら密通もやめろという話ですが、こればかりはやめるわけにはいきませんので続けましたけど。こういう気持ち、

 そう訊いてくる。やたらと得意げに。
 
 


「あ……はは。そう、ですわね。やむにやまれぬ想いってありますわよね。でも、その……さすがに、嫁入り前の姫君をご懐妊させるというのは」

 乃絵が俺のほうをちらちら見ながらも、何とか笑顔でそう続けると、


「はは。
 さらりと返されたその言葉。

 とうとう、乃絵の表情も引きつった。

 だが、雅次は気づかないようで、

殿


 そう言った。
 全身の血の気が、さぁっと引いていく気がした。


「俺も早く所帯が持ちたくなったのです。兄上が義姉上様との仲睦まじいさまを見せつけてくるから」


 続けてそう言われた時にはもう、体中の血全てが凍り付いた気さえした。


「さて、話は終わりです。食べましょう。せっかくの料理が冷めてしまう」

 呆然とするばかりの俺たちにそう言って、雅次は澄まし顔で食事を再開させた。
 俺も乃絵も、何も言うことができなかった。
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