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第三章

大丈夫、大丈夫(高雅視点)

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 暗闇の中に、小さな燭台の灯りが見える。
 その淡い光に照らされているのは、絡み合う二つの肢体。

 一人は家房。
 豚のような声で鳴きながら、夢中で腰を振っている。

 もう一人はされるがままに穿たれ続けながら、こちらを見つめる……。

『兄上……兄上。どうして、助けてくれないの?』


「……っ!」

 思わず飛び起きると、二人の姿が消え、風に揺れる陣幕があるばかり。

 呼吸が激しく乱れる。
 心臓がばくばくと脈打って、今にも爆発しそうだ。

 上下する胸を鷲掴み、しばらく揺れる陣幕を見つめていたが、ふと今まで夢を見ていたと気づいた俺は、手で顔を拭った。

 家房のあの文を読んでからずっと、こんな夢ばかり見ている。

 目の前で雅次が犯されているのに俺は何もできない。
 ただ見ているだけ。

 そんな俺を雅次は色のない目で見つめ、犯されながら訊いてくる。
 どうして助けてくれないの? と。

 それでも俺は何もできず、何も答えてやれないままに目が覚める。

 気が変になりそうだ。
 今この瞬間も、雅次は家房に犯されているかもしれないと思うとなおさら。

 今すぐ太刀を取り、雅次の許に駆けつけたい。

 しかし、作左の言うとおり、背後に桃井軍を抱えた現状ではどうすることもできない。
 それなのに……っ。

 俺は寝具から起き上がり、陣幕をめくった。

 そこに見えるのは、対峙する桃井軍が焚く無数の松明の灯り。

 桃井との睨み合いを続けて早十日。
 依然、硬直状態が続いている。

 こちらから幾度も揺さぶりをかけてはいるが、ことごとくすげなくいなされる。

 出来ることと言ったら、俺が家房と雅次を信じ切っていると思い込ませれば、雅次を静谷に返しやすいだろうと、馬鹿みたいに媚びへつらった文を送ることのみ。

 日々、雅次を犯している男にだ……っ。

 激しい焦燥と屈辱で、今にも神経が焼き切れそうだ。

 それでも何とか理性を保っていられるのは、雅次が家房の許にいることを抜きにしても空恐ろしい今の状況。

 あの後、静谷から父が再び持ち直したという報せが入った。

 今度こそ峠は越えたとのことで、それだけはよかったが、まだまだ本調子とは言えない状態だ。
 そんなこともあってか、桃井のこの動き。

 どう考えても、俺をこの地に繋ぎ止めておくための時間稼ぎとしか思えない。そして、そうするよう桃井を唆したのは、この前の件から考えて家房で間違いない。

 ここまで来たら、高垣と桃井は完全に結託していると断じてしまっていいだろう。

 肝が冷えた。

 我が国よりも強大な隣国、高垣と同盟関係にあったから、静谷の安寧は保たれてきた。
 だが、その高垣がもう一つの大国、桃井と組んで攻めてきたら、まず勝ち目はない。

 相手も分かっているはず。
 だったら、なぜ攻めて来ないのか。

 それは、

 世継ぎではないイロナシが山吹に変異した時。

 その者が新しい世継ぎとして据えられるのが武門の習いではあるが、高確率でその家は乱れる。
 それまで世継ぎであったイロナシ……または、そのイロナシに付き従っていた家臣たちが廃嫡を受け入れられず、抵抗するためだ。

 家房たちは伊吹家もそうなると見越して……いや、俺と雅次の間に火種をばらまき、兄弟で殺し合いをさせ、伊吹家の弱体化を目論んでいる。

 その証拠に、家房の返礼の文を届けに来た使者が、

 ――なお、この件は大事なことなので口頭にて。我が殿は、稀代の名将であられる高雅様こそ真のお世継ぎと思うていらっしゃいます。ゆえに、家督を雅次様に譲ろうなどとは思うてはなりませぬ。雅次様のことは今、それがしが説得いたしておりますゆえと。

 そう言ってきた。

 証拠が残らぬ口頭で散々俺を煽った挙げ句、梯子を外す気でいるのが見え透いている。

 誰がそんな手に乗るものか。
 そう思うことしきりだが、事はそう簡単にはいかない。

 家房の放った間者が我が軍に入り込み、こう触れ回っている。

 ――雅次は山吹に変異したが、あんなに目をかけてくれた兄に殺されるのではと恐れ、高垣に逃げ込むようでは器が知れている。

 この言葉を鵜呑みにする者が後を絶たず、俺にしきりに言ってくる。

 恩知らずで器の小さい雅次などに世継ぎの座を明け渡してはならぬ。あなたが家督を継ぐべきだ。あなたほど素晴らしい名将はこの世にはいないと。

 そう訴えてくる、どこまでも真っ直ぐな黒い瞳が辛かった。

 
 

 そう思ったら、どうしようもない惨めさと寂しさが襲ってくる。

 ずっと苦楽をともにしてきたはずの家臣たちが、俺ではない別の人間を見、付き従っていたのかと思うと、彼らとの日々は一体何だったんだろうと虚しくなる。

 それに、雅次が密かに自身の手柄を俺のものにする工作をしていたことを知って以来、ずっと調べているが、知れば知るほど、己の不甲斐なさと雅次の才覚の底知れなさを思い知らされるばかりだった。

 さすがは、山吹といったところか。と、そこまで考えて、思わず唇を噛む。

 やはり、
 

 悔しさとやり切れなさで眩暈がする。

 だが、それでも……これでよかったと、思っていたりもする。

 山吹になったことで、今度こそ雅次は日向の道を歩いて行けるし、俺は雅次が全てを擲って誂えた身の丈に合わない自分で居なくてすむ。

 何より、雅次なら……俺が思い描く伊吹家を作り、命を懸けて守りたいと思わせてくれる、立派な当主になってくれると心の底から信じることができる。

 だから、大丈夫だ。

 俺が雅次に世継ぎの座を譲り、忠実な家臣となれば、俺たちの仲は壊れたりしない。大丈夫。

 胸のざわつきが止まらない己に懸命に言い聞かせていた時。
 陣幕の向こう側から声がした。

「申し上げます。ただいま、喜勢貞保様より文が届きました」
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