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25 幼き日の黄金の。3
しおりを挟む「あの令嬢は……?」
「あ、あの方は……」
ふと廊下を歩いていたら窓から見える庭で弟と散策している令嬢に、クライスは「誰だろう?」と近くにいた使用人に尋ねた。
クライスは現在十五歳。先頃、学園の高等部に。
休日の今日は自分もこれから庭でキャンパスを開いて筆を走らせようと思っていたが、弟のお邪魔となるなら場所をかえようと。
今日は誰か訪れると父たちも言っていたとは思うが、ご令嬢までとは聞いていなかったから。
亜麻色の髪が風に揺れて、陽光にきらめいて淡い金色にも見える少女だ。弟が何か話しかけたのか、微笑んで頷く顔も愛らしい。
年頃は、弟と同じくらいだろうか。背丈は女の子の方が成長が早いから、もしかしたら年下かもしれない。
「あの方は、オリバーさまの……」
そこまでで使用人は言葉を終えてしまった。使用人たちの朝の申し送りで、彼はきちんと把握していたのだろう。だからこそ、クライスにご令嬢をどう説明したら良いのか、逆に悩んでしまった。
彼の不手際ではなく。語彙力が引っ込んでしまったのは――クライスの方が、理由があり。
ご令嬢は弟のオリバーの婚約者となった方。
それを何故、使用人の彼が説明に迷ったか。
クライスの婚約者が決まらないままに、先に弟に婚約者ができてしまったから。
……気を使われた。
そのことにかっとなって苛立つ気持ちはある。ああ、とうとう先を越されたと、悔しい気持ちもある。
だが、ここでかっとなったまま使用人に八つ当たりするほどクライスは愚かではなかった。
それは幸いにも。だから使用人は――だけでなく、家族は、弟妹は、彼に気を使うし、長兄として敬っていた。
クライスが自分の婚約が決まらないせいで、弟と妹に良い話が無くなってしまったら申し訳ないばかりだと、そう思うような兄だからこそ。
ありがたいことに妹にも良いお話が来ているという。
同じ伯爵家だが、この家より歴史も領地も格の高いソーン家の跡取りより、望まれている。
それは妹の優秀さ故に。
女性は女性で、お茶会などの社交の世界がある。男たちの社交とはまた違う闘いでもあるという。
母となんと公爵夫人のお茶会に招かれた妹は、幼いながらにその優秀さで同席していたソーン伯爵夫人にも気に入られ、良ければ一度息子と顔合わせをと話を持ちかけられた。
顔合わせのあとは、家格高くこちらからは畏れ多いその息子の方こそが、機会あるたびに幾度となく理由をつけては逢いに来たり、贈り物をしてくるほど。
妹もまんざらではなさそうだし、彼女の能力ならソーン家に嫁いでもやっていけそうだと。
妹が幸せになれるならば良いと思う。
クライスは、伯爵位ではあるが小さなホンス家でも、弟妹の助けになれるならばと考えることもある。兄として弟妹たちを大切には思っていた。
家族仲も良いと思う。
身体は弱いが優秀な父に、厳しくも優しい母。そして孫である自分たちを宝物のように愛してくれる祖父と祖母。
環境にも恵まれて。ホンス家は小さな領だが、領民は皆働きものだし、特産である果実酒も愛好家が多くいてくださる。
ありがたいことだ。すべてが、本当にありがたいことだ。
しかし今はクライスこそがホンス家の悩みにもなっているのは、彼自身も苦しかった。
――クライスの婚約者が決まらないことで。
それは今、逆に幼い頃に安易に決まらなくて良かったと。逆にそうした状況でもあった。
クライスに問題が見つかったからだ。
難読症。
それにはじめに気がついたのは祖父母だった。
彼らは領地や地位を譲り、忙しくさせてしまった息子夫婦の代わりに孫の面倒をよくみてくれて、自分たちを愛してくれた。
まず、祖母が。クライスが学園から持ち帰った宿題に悩んでいたことに気がついて。
学園に入学するまで、皆も――クライス自身も気がついていなかった。
それは逆に難儀なことに、クライスもまた――優秀であったから。
貴族の子らは学園に入学するまで、基礎なことを家庭教師を雇い学ぶことになる。幼少部から通うかどうかは、各家庭次第だが。
そしてクライスは幼少部は飛ばして次の時代から学園に入学するという、他の多くの貴族達と同じように。
幼少部から入学していたら、もしかしたらもっと早くに――。
その家庭教師の癖か方針だったのか。
家庭教師は、クライスに教科書を広げさせ、彼自身が問題を示しながら読み上げていたのだ。
「二百二十に五をかけると?」
算数などはそのように。
「では問いです。七百年前、海戦を勝利しそこにつながる運河を得た王は?」
歴史などもそのように。先に説明として教科書を彼自身が読み上げておいて。
そうしてクライスは……。
「千百です」
「アーバン王。運河には要塞も、彼の代には完成しなかったけど、おかげで海運が……」
クライスは、優秀だった。
暗算や暗記など……読めないかわりとでもいうように。
見聞きしたことを覚える能力も高かった。
言われたことや実戦で教えられたことは直ぐに身につけて。
それに彼が見つけた趣味――絵画は。
幼児の戯れにクレヨンから始まったそれらは。その色彩感覚や緻密な筆遣い。見た者に切なさやあたたかさ、そんな感情すら抱かせるほど。
とくに人物画は。見事と、基礎を習った画家にも。展覧会に出せば高評価を頂戴し。
ソーン家の若君に妹の肖像画を描いて贈ったことから、またさらに評判となり。
しかしクライスは伯爵家の跡取りだ。彼自身もそれを理解して、絵描きになろうとは思っておらず。
師の画家には惜しまれたが。
やはりその筆一つ、絵の具の一つもホンス領の皆が働いてくれたからこそ賄えているのだと。
彼はホンス家の跡取りであると、きちんと考えていた。
だから、彼らは気がつくのが遅れた。
学園に上る前の基礎だから、そこまで本格的な教育でもなかったからクライスが本などの音読になるとつっかえることも、他が優秀過ぎて見過ごされてしまったのだ。
クライスにつけられた家庭教師はまだ学園を卒業したばかりで若いが、なかなか人気で優秀と評判の男性だった。子爵家の三男だったそうだが、士官より教育の道を選び。時に休日は神殿などにも出向き、孤児たちに無料で本を読んだり文字を教えたりしているとも。そう、自分が読むことに彼がこうして慣れすぎてしまったことに。
「こんな大事なことに気がつかず申しわけないです」
祖父母から相談され、クライスのその状態に彼は謝罪してきた。教師である彼こそが真っ先に気が付かねば。
まだ教師として成り立ての彼もまた、若かった。クライスが彼の良き経験ともなった。
しかし。
クライスも彼が教師となってくれたことに、感謝はしていた。
でなければ、基礎教育の時点でクライスは様々なことか見放されていただろうから。むしろ彼がそうした方針だったから、クライスの能力が人知れず鍛えられていた。
跡取りとして見放すか、どうか。
文字が読めないかわりに、聞けば覚える才能はあるのだと、それを気がついてくれなければ恐ろしいことになっていた。
書類などは基本的には書士などが作り、主はそれを確認しサインするのが、本来だ。ホンス家もきちんと書士を雇い入れている。
だからクライスが読み書きできずとも、聞いて内容を把握して、サインさえできれば――なんとか。
だから、クライスは――優秀な妻を迎える必要があったのだ。クライスの代わりに書類を読んでくれる、信頼できる、妻が。
だから――婚約者がまだ決まっていなかったことは、幸いにして。
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