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ニーナ、出ておいで
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「ニーナ、出ておいで」
扉越しに、少年の声が優しく響いた。泣いていたニーナが顔を上げる。彼女を呼んでいるのは、お隣に住む、一つ年上のレオだった。
「おじさんが下で待ってるよ。一緒に謝ってやるから、出ておいでよ」
「いや! あたし、いたずらなんかしてない!」
ニーナの父は小さな理髪店を営んでいる。今日は順番待ちのお客が一人、居眠りをしていた。幼いニーナは、お客の髪を赤いリボンで結ったのだ。
『こら、いたずらはやめなさい』
窘める父の口調は静かであったし、常連客も鷹揚に許してくれた。だが、父の言葉は、お手伝いのつもりでいた幼女のプライドをいたく傷つけた。
泣き出したニーナは、屋根裏部屋へ飛び込んだ。こうなると説得できるのは、仲良しのレオしかいない。
「あのなぁ、お客さんはリボンを着けに来たわけじゃないだろ」
「だって……可愛くしたら、誰だって嬉しいでしょ?」
「馬鹿言うな。ニーナに髭を描くようなもんさ。やってやろうか? 凄くカッコ良くなるぞ」
「や、やだ! 謝るから、やめてぇ」
急いで出てきたニーナと手をつなぎ、レオは階下へ降りて行った。
□
「ニーナ、出ておいで」
青年の声が呼びかけた。まだ豊穣祭の晴れ着を身につけて、ぼんやりしていたニーナが、ハッと息を飲む。
「……急に、その、悪かった。だけど、俺、出来心とかじゃなく、真剣だから」
年頃のニーナの頬が赤くなる。祭りが終わり、レオに送ってもらった帰り道。夕暮れの中で起きた出来事を思い出すと、無意識に唇へ触れていた。
突然のくちづけに動揺し、逃げ出した後である。追いかけて貰えた嬉しさと、気恥ずかしさに狼狽えた。
「あの、私……」
「嫌だったか、ミーナ」
「!?」
ニーナがカッと目を見張る。疾風のように彼女は部屋を飛び出した。
「誰よ、その女っ!!」
「へ?」
「今、ミーナって言った! どこの誰! 誰なのよおぉ!?」
「? ただの空耳だろ。それか、俺が噛んじゃったのかもな」
「え、やだ……私の早とちり? ごめんなさい」
ニーナの体を、逞しい腕が抱きよせる。
「…………可愛いよな、お前」
「う、うるさい」
二人とも耳まで赤くなっていた。
□
「ニーナ、出ておいで」
夫の声が呼びかけた。子供たちの泣き声が後に続く。
「おがあさんが、消えぢゃったぁ!」
「うあぁん、おがあさぁん!」
ギョッとしたニーナは、慌ててクローゼットの外に出た。
「かくれんぼしようって言ったの、あなたたちでしょ? どうして泣いてるの!?」
「なんか、探してるうちに、寂しくなっちゃったみたいでさ」
「そっかぁ。お母さん、ここにいるよ。大丈夫よ」
すぐ泣き止んだ子供たちに、安堵したレオとニーナは微笑み合った。
□
穏やかな時間が過ぎていった。良いこともあれば、悪いこともあった。変わったもの、変わらなかったもの、その両方を二人で受け止めて、年月を重ねていく。
「ニーナ、出ておいで」
老人は言う。妻が好きな花を持って。
「どんな姿でもいいよ。必ず守ると約束する。俺たち、教会から追いかけられるかな? ははっ、お前が好きな活劇みたいで、楽しそうじゃないか。色んな所へ行こうな。どこへでも連れてくよ。だから、ニーナ……」
春風が草木を揺らし、サワサワと吹き抜ける。
「なあ、出てきてくれ、頼むから……!」
石碑は何も応えない。老人はしばらく佇んでいた。やがて花を手向けると、深い皺が刻まれた顔に笑みを滲ませる。
「……また来るよ、ニーナ」
レオは時々、花を持って現れた。二年後の春に来なくなり、新しい石碑が一つ、隣に並んだ。
□
□
□
「リーナ、出ておいで」
若い紳士が扉をノックした。妙齢の女性の私室ではあるが、親族の許可を得てここにいる。
「お茶会に出てから、君の様子がおかしいと、ご両親が案じておられたよ。何か言われたのか?」
「……いいえ。ただ、わたくしでは、貴方に相応しく無いと思えてきて」
「年齢のこと? たかが二歳差じゃないか」
誰かに嫌味を言われたらしい。彼らは親同士が決めた婚約者で、リーナのほうが年上だ。年長の男性へ嫁ぐ女性が一般的なためか、睦まじい二人に水をさすように、意地悪を言う人間が現れる。
「僕はね、君がいいんだ。自分で相手を選べたとしても、きっとリーナを選んでいる。ただ単純に、君が好きなんだよ」
「レン様、わたくしは……」
「どうか顔を見せてくれ、ニーナ」
「!?」
ガタンと椅子が揺れる音がした。扉が開き、青ざめたリーナが顔を出す。
「ど、どなたですか?」
唇を戦慄かせて、リーナが尋ねた。
「え?」
「い、いま、ニーナとおっしゃったわ。まさか、わたくしの他に……」
「? 聞き間違いじゃないか。もしくは、僕の滑舌が悪かったのかもしれないね」
「まあ! 嫌だわ、とんだ誤解を。申し訳ありません」
男らしいレンの手が、リーナの手をそっと包む。
「謝らないでくれ。会いたかったよ、リーナ」
「レン様」
廊下の奥で、心配して見守っていたリーナの両親が咳払いするまで、二人は寄り添い、見つめ合っていた。
扉越しに、少年の声が優しく響いた。泣いていたニーナが顔を上げる。彼女を呼んでいるのは、お隣に住む、一つ年上のレオだった。
「おじさんが下で待ってるよ。一緒に謝ってやるから、出ておいでよ」
「いや! あたし、いたずらなんかしてない!」
ニーナの父は小さな理髪店を営んでいる。今日は順番待ちのお客が一人、居眠りをしていた。幼いニーナは、お客の髪を赤いリボンで結ったのだ。
『こら、いたずらはやめなさい』
窘める父の口調は静かであったし、常連客も鷹揚に許してくれた。だが、父の言葉は、お手伝いのつもりでいた幼女のプライドをいたく傷つけた。
泣き出したニーナは、屋根裏部屋へ飛び込んだ。こうなると説得できるのは、仲良しのレオしかいない。
「あのなぁ、お客さんはリボンを着けに来たわけじゃないだろ」
「だって……可愛くしたら、誰だって嬉しいでしょ?」
「馬鹿言うな。ニーナに髭を描くようなもんさ。やってやろうか? 凄くカッコ良くなるぞ」
「や、やだ! 謝るから、やめてぇ」
急いで出てきたニーナと手をつなぎ、レオは階下へ降りて行った。
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「ニーナ、出ておいで」
青年の声が呼びかけた。まだ豊穣祭の晴れ着を身につけて、ぼんやりしていたニーナが、ハッと息を飲む。
「……急に、その、悪かった。だけど、俺、出来心とかじゃなく、真剣だから」
年頃のニーナの頬が赤くなる。祭りが終わり、レオに送ってもらった帰り道。夕暮れの中で起きた出来事を思い出すと、無意識に唇へ触れていた。
突然のくちづけに動揺し、逃げ出した後である。追いかけて貰えた嬉しさと、気恥ずかしさに狼狽えた。
「あの、私……」
「嫌だったか、ミーナ」
「!?」
ニーナがカッと目を見張る。疾風のように彼女は部屋を飛び出した。
「誰よ、その女っ!!」
「へ?」
「今、ミーナって言った! どこの誰! 誰なのよおぉ!?」
「? ただの空耳だろ。それか、俺が噛んじゃったのかもな」
「え、やだ……私の早とちり? ごめんなさい」
ニーナの体を、逞しい腕が抱きよせる。
「…………可愛いよな、お前」
「う、うるさい」
二人とも耳まで赤くなっていた。
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「ニーナ、出ておいで」
夫の声が呼びかけた。子供たちの泣き声が後に続く。
「おがあさんが、消えぢゃったぁ!」
「うあぁん、おがあさぁん!」
ギョッとしたニーナは、慌ててクローゼットの外に出た。
「かくれんぼしようって言ったの、あなたたちでしょ? どうして泣いてるの!?」
「なんか、探してるうちに、寂しくなっちゃったみたいでさ」
「そっかぁ。お母さん、ここにいるよ。大丈夫よ」
すぐ泣き止んだ子供たちに、安堵したレオとニーナは微笑み合った。
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穏やかな時間が過ぎていった。良いこともあれば、悪いこともあった。変わったもの、変わらなかったもの、その両方を二人で受け止めて、年月を重ねていく。
「ニーナ、出ておいで」
老人は言う。妻が好きな花を持って。
「どんな姿でもいいよ。必ず守ると約束する。俺たち、教会から追いかけられるかな? ははっ、お前が好きな活劇みたいで、楽しそうじゃないか。色んな所へ行こうな。どこへでも連れてくよ。だから、ニーナ……」
春風が草木を揺らし、サワサワと吹き抜ける。
「なあ、出てきてくれ、頼むから……!」
石碑は何も応えない。老人はしばらく佇んでいた。やがて花を手向けると、深い皺が刻まれた顔に笑みを滲ませる。
「……また来るよ、ニーナ」
レオは時々、花を持って現れた。二年後の春に来なくなり、新しい石碑が一つ、隣に並んだ。
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「リーナ、出ておいで」
若い紳士が扉をノックした。妙齢の女性の私室ではあるが、親族の許可を得てここにいる。
「お茶会に出てから、君の様子がおかしいと、ご両親が案じておられたよ。何か言われたのか?」
「……いいえ。ただ、わたくしでは、貴方に相応しく無いと思えてきて」
「年齢のこと? たかが二歳差じゃないか」
誰かに嫌味を言われたらしい。彼らは親同士が決めた婚約者で、リーナのほうが年上だ。年長の男性へ嫁ぐ女性が一般的なためか、睦まじい二人に水をさすように、意地悪を言う人間が現れる。
「僕はね、君がいいんだ。自分で相手を選べたとしても、きっとリーナを選んでいる。ただ単純に、君が好きなんだよ」
「レン様、わたくしは……」
「どうか顔を見せてくれ、ニーナ」
「!?」
ガタンと椅子が揺れる音がした。扉が開き、青ざめたリーナが顔を出す。
「ど、どなたですか?」
唇を戦慄かせて、リーナが尋ねた。
「え?」
「い、いま、ニーナとおっしゃったわ。まさか、わたくしの他に……」
「? 聞き間違いじゃないか。もしくは、僕の滑舌が悪かったのかもしれないね」
「まあ! 嫌だわ、とんだ誤解を。申し訳ありません」
男らしいレンの手が、リーナの手をそっと包む。
「謝らないでくれ。会いたかったよ、リーナ」
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