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お花畑転生娘と大監獄

お花畑転生娘と感謝の気持ち

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 夕焼けの赤が少しずつ藍に変わり、最後の残滓を残して夕闇が訪れるころマリーローズが牢内に入ってきた。

「入浴の準備ができました。こちらにいらしてください」

 監獄内で監視付きとはいえ、独房から出してもらえることにミラは再度唖然とする。
 この監獄に来てから驚くことばかりだ。マリーローズの言葉通り、ここでは囚人は徹底して人間として扱われるらしい。

「牢から出ていいの?」

「バスタブを運ぶ方が大変ですからね。よほどの武術の達人でなければ私一人で充分取り押さえられますし」

「そうじゃなくて。ここまで死刑囚に親切にするのはなぜ? お昼の食事だって朝とは味付けを変えていた。ちゃんと食べやすいように配慮してくれてるんでしょ?」

 そう。昼食は朝食同様に燕麦粥オートミールだったが、ちゃんと味付けが変えてあって飽きずに食べられるよう工夫がされていた。

「あなた方囚人を心身共に健康な状態で刑に服させるのが私たちの職務ですから。どうか気にしないでください」

 どう考えてもそれだけではないだろう。
 囚人の健康を維持するだけなら、最低限の食事を与えれば良いだけのこと。味付けや食べやすさを気にして工夫するのは、できる範囲で囚人が快適に過ごせるよう配慮しているとしか思えない。

「それはあたしが人間だから?」

「そうです。ようやくご理解いただけましたね」

 わが意を得たりとばかりにたおやかに微笑まれ、息を飲む。

「今朝も言った通り、私は最後の瞬間まで貴女をこの世界の人間として扱います。決して戯れのために尊厳を踏みにじったりしません。貴女はこの世界の人間としてこの世界の法に裁かれ、この世界の人間として処刑されるのです。だから、この世界の人間として自分の言動と向き合って己の罪をお識りなさい」

 優し気な笑みだが、どこか底知れぬ強さを感じる。ミラはその心の深淵に潜む何かに気おされ身震いした。
 ムッシュ・ド・ロテルを継いではや7年。多くの囚人と向き合い様々なものを見てきたのだろう。ゲームをクリアすることに夢中で、この世界の人間には誰一人として向き合ってこなかった自分にはない重みを感じる。

 それでもどうしても伝えたい事があった。

「……ありがとう」

 蚊の鳴くような、今にも消え入りそうな小さな呟きにマリーローズは目を瞬かせる。

「仕事だろうが反省させるためだろうがどうでもいい。あたしを人間として扱ってくれてありがとう」

 前世でも今世でも、自分は特別でみんなが機嫌をとって大事にするのが当たり前だと思っていた。
 それが、あの革命以来ゴミ以下の汚物を見るような目を向けられ、嘲られ罵られ、とことん尊厳を踏みにじられてただの物体か獣のように扱われた。
 ここに来てから久しぶりに人間らしい扱いを受けて。細やかに気を配ってもらえて。ミラは心の底から嬉しかったのだ。

 ミラの心からの感謝にマリーローズは顔をほころばせた。嘘偽りのない本心であることがしっかりと伝わっているのだろう。いつもの張り付けたような微笑ではなく、どこか温かみのある心からの笑顔だ。

「どういたしまして。貴女も自分が人間として扱われていることをわかってくれてありがとう」

「うん……うん……」

 いつしかミラの頬は涙で濡れていた。ここに来てからどうにも涙もろくなっている気がする。
 あの尋問房ではいくら泣きわめいても誰にも相手にされないことに疲れ果て、気付いた時にはどんな拷問を受けても涙一つ出なくなっていた。
 そもそもミラにとっての涙は、あくまで周囲の印象を操作して自分に都合よく動かすためのもの。
 誰も反応しないならば零す価値のないものだ。今のように自覚しないうちに勝手に流れているなんてことは、前世も含めて生まれて初めてかもしれない。

 マリーローズに促されて浴室に入り、半年ぶりのまともな入浴をした。狭い浴槽に手足を縮めて入るが、それでも湯の温かさがこわばった心身を癒してくれる。

「ゆっくりして良いですよ」

 との言葉にありがたく甘えることにして、心行くまで身体の隅々を清めて温めた。

「ふぅ、生き返る」

 思わず漏れた言葉は無意識のもの。

「やはり日本人にはお風呂がかかせませんね」

 だから、あまりに自然に返ってきた言葉に、最初は違和感を覚えなかった。

「だよね~。あ~極楽ごくらく」

 何気なく返事をして数秒後。意味を理解したミラは凍り付いた。とある可能性にようやく思い至って愕然とする。

「マリーローズ、あんたまさか……」

 にこにこと微笑むマリーローズに絞り出すように言う。

「転生者……」

 かすれた声は、湯気とともに虚空に吸い込まれていった。
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