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フリーラ=ステア
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「人が来る時以外は、私の目に触れないようにしろ」
結婚初日に言われた言葉は、私を絶望させた。醜い夫は、どうしても容姿の優れた配偶者が欲しかったらしい。
貴族でありながら貧しい暮らしをしていた私を金で買うように娶った。ただ、人を一人養うのにはお金がかかる。金に汚い夫はそれが気に入らなかったようで、パーティや舞踏会の時以外は、私の顔を見るのも私の衣服にお金がかかるのも嫌がった。
美しい妻を娶った成功者、と周りからの羨望を浴びたいがためだけに、私はパーティの時のみドレスや宝石で着飾ることが許される。
だが、それが終わると粗末な服に着替えさせられて、また最低限の食事だけの生活になる。そのような格好では屋敷内を歩くこともできず、結果、私はいつも自室に閉じこもっていた。ぼんやりと日々を過ごしては、早く命が尽きるのを待ちながら。
それはある日のことだった。窓から外を眺めているとホルン子爵家の夫妻が中庭に案内されているのが見えた。
子爵は愛妻家という噂で、妻を大切にできない人間は信頼に値しないと公言している。そのため夫は大切な話の時には必ず私を同行させ、仲の良い夫婦を演じさせる。
一方奥方は、女性を着飾らせることができてこそ男の甲斐性と考えているらしく、流行りの衣服を女性に身につけさせない男性とは商談を拒むとのことだった。
そして、子爵はステア家が手がけている商売の7割近くをしめる取引相手だった。つまり、ホルン夫妻と会う時は、私は一番美しい格好で出会う必要があった。
突然のこととはいえ、大切なお客様だ。きっと夫はすぐに私に用意をするように言うだろう。そう思った時にふと私は疑問を感じた。
20歳から5年間この暮らしに耐えた。もうそろそろすべてを終わらせてもいいのでは?
呼ばれる前に彼らの前に出よう。
夫は応接室に彼らを案内するに違いない。そう思った私はメイドが呼びに来るより先に、粗末な木綿のワンピースのまま応接室にむかった。
中から、夫と夫妻の声が聞こえてくる。私がなかなか訪れない理由をピクニックに行ったからだ、と言って時間稼ぎをしているのが聞こえて、私は思わず失笑した。庭の散歩すら許してくれなかった男が何がピクニックだ。
コンコンとノックして返事を待たずに入った。
私を呼びに行かせてまだ間もなかったのだろう。メイドが私の様子を伝えに来たと思った夫は顔も向けずに叱責した。
「返事をしてから入れ、無礼だぞ」
私は黙ったまま、部屋の中に進んだ。
ホルン子爵は不思議そうな顔をし、奥方も困惑した表情で私を見つめた。そして先に口を開いたのは奥方の方だった。
「失礼ながらステア男爵、小間使の娘を人前に出すのは、躾が行き届いてるとは言えません」
その言葉にぎょっとして、夫は私を見やった。顔面が蒼白になっている。
私は優美に一礼をし、夫妻に歓迎の挨拶をした。
「ようこそいらっしゃいました、ホルン子爵、奥様。このような格好で申し訳ございません。なにぶん、急のご来訪だったため、夫が来客用に私に衣服を用意する暇がなかったようでございます」
「まあ、あなた、フリーラ様なの?いつもは美しく着飾っておられるのに」
「ええ。申し訳ございません。屋敷にいるときはこの服以外与えられておらず…このような見苦しい格好でお迎えすることとなってしまいました。」
「まあ…」
絶句した奥方の顔には、夫に対する嫌悪の色が見て取れる。愛妻家の子爵は軽蔑の眼差しで夫を見ている。
「つまり、君は屋敷では自分の妻を蔑ろにしているのか」
「いえ、そんな」
慌てる夫を冷静に見つめながら私は答えた。
「できるだけ自分の目に触れるな、屋敷にいる時許すのは最低限の衣食のみだ、と結婚初日に言われただけでございます。今も子爵様に早くご挨拶したい一心で、失礼ながら普段の格好でお出迎えさせて頂いたまででございます。どうかご容赦を」
頭を下げて、夫の方を見ると醜い顔を怒りで赤く染めている。
私はその顔を見つめて続けた。
「ですが、愛妻家と名高いホルン子爵にとっては、主人の行動は偽りの物と映るのではないかと思い…申し訳ございません」
「いや、だが、なぜ奥方は今頃になって…」
「もうすぐ、主人と大きな取引をなさるご予定ではないですか。信頼を裏切っている者と商売ができるのか不安に思いまして」
わざとらしい理由を告げると奥方がすぐに反応した。
「あなた、あの取引は無かったことにして。私たちの夫婦仲が良いことを利用して、普段は蔑ろにしている妻を大事にしているように見せていたなんて…反吐がでるわ。ステア男爵、私たちをよくも馬鹿にしてくれたわね」
「そんな、馬鹿になど…」
終わったな、と思って眺めていると奥方は急にこちらを向いて続けた。
「男爵、フリーラ様は私の方で保護します。あなた、いいわよね」
「ああ」
「フリーラ様、よろしいかしら」
降ってわいた幸運に私は感謝した。
「ありがとうございます。精一杯子爵家でお仕えさせていただきます」
「やあね、娘として扱うわよ」
にこりと笑って奥方は立ち上がった。
「さあ、あなた男爵とはもう話すことはないし帰るわよ。あなたも荷物をまとめてすぐに準備なさい」
二人が部屋を出ていったあと、夫は私を怒鳴りつけた。
「なんてことをしたんだ!これでは男爵家は立ち行かなくなるぞ」
「構いません。」
「金で買われた身でありながらよくも」
「ですが、私の5年間で充分賄える金額だったのでは?」
「黙れ!ああ、これからどうしたら…お前もどうするつもりだ、男爵家はもうお前を養っておくことなどできないぞ」
「私は子爵家でお世話になれるようですのでご心配なく」
射殺さんばかりの目で睨みつけられたが、私は微笑んで言った。
「私は子爵様に必要としていただけましたが、あなたはどうやら要らなかったようですね」
結婚初日に言われた言葉は、私を絶望させた。醜い夫は、どうしても容姿の優れた配偶者が欲しかったらしい。
貴族でありながら貧しい暮らしをしていた私を金で買うように娶った。ただ、人を一人養うのにはお金がかかる。金に汚い夫はそれが気に入らなかったようで、パーティや舞踏会の時以外は、私の顔を見るのも私の衣服にお金がかかるのも嫌がった。
美しい妻を娶った成功者、と周りからの羨望を浴びたいがためだけに、私はパーティの時のみドレスや宝石で着飾ることが許される。
だが、それが終わると粗末な服に着替えさせられて、また最低限の食事だけの生活になる。そのような格好では屋敷内を歩くこともできず、結果、私はいつも自室に閉じこもっていた。ぼんやりと日々を過ごしては、早く命が尽きるのを待ちながら。
それはある日のことだった。窓から外を眺めているとホルン子爵家の夫妻が中庭に案内されているのが見えた。
子爵は愛妻家という噂で、妻を大切にできない人間は信頼に値しないと公言している。そのため夫は大切な話の時には必ず私を同行させ、仲の良い夫婦を演じさせる。
一方奥方は、女性を着飾らせることができてこそ男の甲斐性と考えているらしく、流行りの衣服を女性に身につけさせない男性とは商談を拒むとのことだった。
そして、子爵はステア家が手がけている商売の7割近くをしめる取引相手だった。つまり、ホルン夫妻と会う時は、私は一番美しい格好で出会う必要があった。
突然のこととはいえ、大切なお客様だ。きっと夫はすぐに私に用意をするように言うだろう。そう思った時にふと私は疑問を感じた。
20歳から5年間この暮らしに耐えた。もうそろそろすべてを終わらせてもいいのでは?
呼ばれる前に彼らの前に出よう。
夫は応接室に彼らを案内するに違いない。そう思った私はメイドが呼びに来るより先に、粗末な木綿のワンピースのまま応接室にむかった。
中から、夫と夫妻の声が聞こえてくる。私がなかなか訪れない理由をピクニックに行ったからだ、と言って時間稼ぎをしているのが聞こえて、私は思わず失笑した。庭の散歩すら許してくれなかった男が何がピクニックだ。
コンコンとノックして返事を待たずに入った。
私を呼びに行かせてまだ間もなかったのだろう。メイドが私の様子を伝えに来たと思った夫は顔も向けずに叱責した。
「返事をしてから入れ、無礼だぞ」
私は黙ったまま、部屋の中に進んだ。
ホルン子爵は不思議そうな顔をし、奥方も困惑した表情で私を見つめた。そして先に口を開いたのは奥方の方だった。
「失礼ながらステア男爵、小間使の娘を人前に出すのは、躾が行き届いてるとは言えません」
その言葉にぎょっとして、夫は私を見やった。顔面が蒼白になっている。
私は優美に一礼をし、夫妻に歓迎の挨拶をした。
「ようこそいらっしゃいました、ホルン子爵、奥様。このような格好で申し訳ございません。なにぶん、急のご来訪だったため、夫が来客用に私に衣服を用意する暇がなかったようでございます」
「まあ、あなた、フリーラ様なの?いつもは美しく着飾っておられるのに」
「ええ。申し訳ございません。屋敷にいるときはこの服以外与えられておらず…このような見苦しい格好でお迎えすることとなってしまいました。」
「まあ…」
絶句した奥方の顔には、夫に対する嫌悪の色が見て取れる。愛妻家の子爵は軽蔑の眼差しで夫を見ている。
「つまり、君は屋敷では自分の妻を蔑ろにしているのか」
「いえ、そんな」
慌てる夫を冷静に見つめながら私は答えた。
「できるだけ自分の目に触れるな、屋敷にいる時許すのは最低限の衣食のみだ、と結婚初日に言われただけでございます。今も子爵様に早くご挨拶したい一心で、失礼ながら普段の格好でお出迎えさせて頂いたまででございます。どうかご容赦を」
頭を下げて、夫の方を見ると醜い顔を怒りで赤く染めている。
私はその顔を見つめて続けた。
「ですが、愛妻家と名高いホルン子爵にとっては、主人の行動は偽りの物と映るのではないかと思い…申し訳ございません」
「いや、だが、なぜ奥方は今頃になって…」
「もうすぐ、主人と大きな取引をなさるご予定ではないですか。信頼を裏切っている者と商売ができるのか不安に思いまして」
わざとらしい理由を告げると奥方がすぐに反応した。
「あなた、あの取引は無かったことにして。私たちの夫婦仲が良いことを利用して、普段は蔑ろにしている妻を大事にしているように見せていたなんて…反吐がでるわ。ステア男爵、私たちをよくも馬鹿にしてくれたわね」
「そんな、馬鹿になど…」
終わったな、と思って眺めていると奥方は急にこちらを向いて続けた。
「男爵、フリーラ様は私の方で保護します。あなた、いいわよね」
「ああ」
「フリーラ様、よろしいかしら」
降ってわいた幸運に私は感謝した。
「ありがとうございます。精一杯子爵家でお仕えさせていただきます」
「やあね、娘として扱うわよ」
にこりと笑って奥方は立ち上がった。
「さあ、あなた男爵とはもう話すことはないし帰るわよ。あなたも荷物をまとめてすぐに準備なさい」
二人が部屋を出ていったあと、夫は私を怒鳴りつけた。
「なんてことをしたんだ!これでは男爵家は立ち行かなくなるぞ」
「構いません。」
「金で買われた身でありながらよくも」
「ですが、私の5年間で充分賄える金額だったのでは?」
「黙れ!ああ、これからどうしたら…お前もどうするつもりだ、男爵家はもうお前を養っておくことなどできないぞ」
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