後宮にて、あなたを想う

じじ

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134 過去の出来事

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「…州芳の姉君か」

驚いた様子で皇帝が尋ねた。

「はい。仰る通りにございます。」
「だが、州芳はそなたの娘ではあるまいな」
「はい」
「どう言うことだ」
「長い昔語りになります。よろしいですかな」
「もちろんだ。」

その言葉を受け侍医はまっすぐに皇帝を見つめたまま話し出した。

「私が20年ほど前に妻を亡くしたことを陛下は覚えておいででしょうか。彼女は腕の良い薬師で、私が患者の診断を行うと彼女はその病名に適した薬をすぐに用意してくれた。公私ともになくてはならない存在でした。」
「ああ。そなた達夫妻には私も世話になった。」
「もったいないお言葉です。その妻が…いつもはうるさいくらい明るい声で私を起こしにくる妻が、その日はいつまで経っても私を呼びに来ませんでした。」

そこで口を閉じると侍医は悼むように目を閉じた。目の端にうっすら滲んだ涙が、当時の自分に対する後悔だと手に取るように分かり、黄怜は心臓を掴まれたような気持ちになる。

「私は愚かでした。すぐに様子を見に行けば良かったものを…あろうことか、もう少し眠れるなどと思い、そのままにしてしまったのです。いつもより半刻以上遅くに起きた私は家の中がしんと静かなのに、妙な胸騒ぎがしました。妻の名前を呼びながら、彼女の寝室を開けた時…あの光景を私は未だに夢に見ます。眠ったまま事切れていた彼女の体はまだ温かった…すぐに様子を見に行けば助けられたかもしれない、そう思わずにはいられなかった…。」

そしてふっと自嘲の笑みを浮かべた。

「私のせいで妻を死なせてしまった…その思いから自暴自棄になりかけた時、陛下が…前皇帝陛下でございますが…しばらく後宮の侍医から離れるように、と命じられたのです。」
「ああ。父上がそなたにしばらく休暇を与えると言っていたのを覚えている」
「気力が戻ればいつでも戻って来ると良い、そう仰って下さった陛下の言葉に私は甘えました。しばらくは外に出る気力もなかったのですが…ある日ふと妻の部屋に置きっぱなしになっていた彼女の薬箱が目につきました。私はそれを担いでふらりと旅に出たのです」

皇帝は黙ったまま頷いた。

「あても目的もない旅でした。ただ行く先々で病人がいれば診る。その繰り返しでした。感謝されたくて始めた訳ではなかったですが、怪我人や病人を手当するたびに心から感謝される…そのことに私の心は少しずつ癒されて行きました。そしてそれがいつしか私の旅の目的となり心の拠り所となりました。そんな時です。紅霞と出会ったのは。」



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