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勝つか負けるか 生きるか死ぬか 乾坤一擲 座して死すは男子の本懐にあらず 叛逆者磐井の雄叫びを聞け!
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叛乱とは、統治権力を行使する支配者に対し、被支配者が、理由の正当、不当の如何を問わず、武力を主な手段として用い、権力機構の転覆、権力の奪取を目的する団体的闘争行為である。
現行の刑法(第77条 内乱の罪)においても首謀者は、死刑または無期禁錮の一発レッドカード、シャバとはオサラバする。
磐井の乱
磐井の乱は、利用された叛乱であると筆者は考えている。
継体天皇二十一年(527)、筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)磐井君(いわいのきみ)が決起した反乱と云われている。
磐井の乱は、「古事記」と「日本書紀」に記述がある。しかし、二つの表記は似ているものの意図する所が明らかにちがう。
・古事記(以後、記と表す)の記述
此の御世に筑紫君石井(つくしのきみいわい)、天皇の命に従はずして礼なきこと多し。故、物部荒甲(あらかひ)の大連(おおむらじ)、大伴金村の連二人を遣わして、石井を殺し給ひき
・日本書紀(以後、紀と表す)の記述
継体天皇二十一年六月に近江毛野(おうみのけな)が六万の軍を率い、任那に赴き新羅に破られた南加羅(任那)・㖨己呑(とくことん)を復興しようとしたとき、かねて反乱の機をうかがっていた筑紫国造の磐井が、新羅の贈賄をうけ肥(現在佐賀県熊本県)と豊(福岡東部 大分県)二国に勢力を張って毛野軍を遮断したので、天皇は大伴金村(おおとものかねむら)、物部麁鹿火(もののべのあらかひ)、許勢男人(こせのおひと)らに征討を命じた。翌年十一月に至って、大将軍の麁鹿火がみずから磐井と筑紫の御井郡で交戦し、ついにこれを斬ることをえた。その後の十二月磐井の子葛子(くずこ)は父の罪により誅せられることを恐れて,糟屋屯倉(かすやのみやけ)を献じ贖罪を請うた。二年後、近江毛野は、安羅に渡ったが、目的の任那回復に成功しなかった。
(以上筆者意訳)
この表記の違いは、以下の点である。
一、まず明らかな違いは、文章量が全く違う。記の磐井の乱に関する表記はこれで全文である。紀の文章は、記に比べ長文である。記は事実を簡潔に表すのみであるが、紀の文章は、乱の経緯を子細に表している。その意図は、記の事実を脚色し、近江毛野の対新羅敗戦と任那の回復失敗が、磐井の乱の影響とする意図を筆者は感じる。つまり、外征失敗の言い訳に利用されたのである。
二、二つ目の違いは、記では「筑紫君石井(磐井)」と表し、紀では「筑紫国造磐井」と表している。これは如何なる理由があってなのか?
キーワードは「国造(くにのみやつこ、またはこくぞう、と読む)」にある。国造とは、今で云えば県知事に近い。つまり、中央政府(大和王権)からその地域の統治を委任された正式な有力地方豪族を意味する。 一方、筑紫君磐井は、筑紫(現在の北部九州)の有力豪族に過ぎないとの名称になる。
つまり、記は、磐井は反逆者ではなく、北部九州に割拠し、朝鮮半島との交易で力を蓄えた有力豪族である。よって、内乱ではなく、大和と筑紫の戦争であったと暗喩している。
実際は、朝鮮半島南部の植民地(任那)を新羅に攻撃された大和王権は、失地回復の遠征軍を派遣した。前線基地となる北部九州で兵站(へいたん・物資や兵員の補給)の任を磐井に命じた。ところが、半島との交易を重んじる磐井は非協力的にならざる得ない。大和側にすれば、非協力的はイコール叛徒である。つまり、「殺し給ひき」となるわけである。上記の事柄を大和側がアレンジすると、紀の表現となってしまう。
大和王権の秩序に組込まれた「国造」が王命をを実行しないので討滅した。大和王権の北部九州簒奪の蓋然性に利用されたのである。
では、何故、「古事記」と「日本書紀」では、これほど同じ事柄の表記が変わってしまうのか?
それは、「古事記」と「日本書紀」では成立過程と成立意義が違うからである。
古事記は、稗田阿礼(ひえだのあれ)の口述を太安万侶(おおのやすまろ)が編集したといわれる。カテゴリーとしては、説話集、文学と云える。
日本書紀は、天武天皇の勅命により第六皇子の舎人親王が編纂した。古事記が文学なら日本書紀は、国の承認を受けた正史、公文書となる。
ここで筆者の私見を一つ、
太安万侶は実在(墓が発見されている)するが、稗田阿礼なる人物は実在しない。太安万侶が中央の有力豪族や地方豪族に伝え残る説話や古伝を寄せ集め「古事記」を編み上げた。安万侶に材料を提供した多くの人々を擬人化したのが稗田阿礼だと考える。
話を元に戻す。
古事記の「記」は記憶、記録の「記」である。
日本書紀の「紀」は訓読みすると「のり」と読む。「のり」とは「法 典 教」の文字に通じる。
古事記の成立意義は、将来には散逸消滅して分からなくなってしまうであろう過去の記憶記録を文学の形で残す事にあった。それが例え、為政者に都合が悪い部分があっても起きた事件をフィクションとして、または、簡略化してでも書き留めるのである。
日本書紀の成立意義、ひとえに大和王権、ひいては、天皇家が日本を統治する正当性を重ね重ね説く。その一義である。日本書紀に記載された歴史や歴代の天皇の事績、其の物が唯一無二の法典であり教義なのである。後世に多用された「天壌無窮」「一天万乗」の素地が日本書紀に流れているのである。
再度云う。磐井の乱は、天皇家と中央豪族が構成する大和王権の正当性を発露するために利用された叛乱だったのであると筆者は考える。
尚、誤解が無いように付け加えるが、磐井の乱の起きた六世紀初頭の大和王権に自らの正当性を主張する意志があったかどうかはわからない。多分、意志はあったはずだと思う。ただ、王権の正当性が体系的に明文化されるのは、約百五十年後の天武朝の「記紀」の成立を待たねばならない。
筑後国風土記によれば,当時あった八女郡衙(ぐんが)の南二里にありとの記述から現在の福岡県八女市の岩戸山古墳の状況と合致し、岩戸山古墳を磐井の墓と比定してまちがいないとされている。
以上が「磐井の乱」に対する筆者の私見である。
単純なる叛乱では無く、時代を変えた、もしくは、先駆けたと筆者が考える叛乱を、今後、数回に渉ってご紹介したい。
次回は、武家台頭の先駆けとなった「平将門の乱・承平の乱」について考察してみたい。
現行の刑法(第77条 内乱の罪)においても首謀者は、死刑または無期禁錮の一発レッドカード、シャバとはオサラバする。
磐井の乱
磐井の乱は、利用された叛乱であると筆者は考えている。
継体天皇二十一年(527)、筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)磐井君(いわいのきみ)が決起した反乱と云われている。
磐井の乱は、「古事記」と「日本書紀」に記述がある。しかし、二つの表記は似ているものの意図する所が明らかにちがう。
・古事記(以後、記と表す)の記述
此の御世に筑紫君石井(つくしのきみいわい)、天皇の命に従はずして礼なきこと多し。故、物部荒甲(あらかひ)の大連(おおむらじ)、大伴金村の連二人を遣わして、石井を殺し給ひき
・日本書紀(以後、紀と表す)の記述
継体天皇二十一年六月に近江毛野(おうみのけな)が六万の軍を率い、任那に赴き新羅に破られた南加羅(任那)・㖨己呑(とくことん)を復興しようとしたとき、かねて反乱の機をうかがっていた筑紫国造の磐井が、新羅の贈賄をうけ肥(現在佐賀県熊本県)と豊(福岡東部 大分県)二国に勢力を張って毛野軍を遮断したので、天皇は大伴金村(おおとものかねむら)、物部麁鹿火(もののべのあらかひ)、許勢男人(こせのおひと)らに征討を命じた。翌年十一月に至って、大将軍の麁鹿火がみずから磐井と筑紫の御井郡で交戦し、ついにこれを斬ることをえた。その後の十二月磐井の子葛子(くずこ)は父の罪により誅せられることを恐れて,糟屋屯倉(かすやのみやけ)を献じ贖罪を請うた。二年後、近江毛野は、安羅に渡ったが、目的の任那回復に成功しなかった。
(以上筆者意訳)
この表記の違いは、以下の点である。
一、まず明らかな違いは、文章量が全く違う。記の磐井の乱に関する表記はこれで全文である。紀の文章は、記に比べ長文である。記は事実を簡潔に表すのみであるが、紀の文章は、乱の経緯を子細に表している。その意図は、記の事実を脚色し、近江毛野の対新羅敗戦と任那の回復失敗が、磐井の乱の影響とする意図を筆者は感じる。つまり、外征失敗の言い訳に利用されたのである。
二、二つ目の違いは、記では「筑紫君石井(磐井)」と表し、紀では「筑紫国造磐井」と表している。これは如何なる理由があってなのか?
キーワードは「国造(くにのみやつこ、またはこくぞう、と読む)」にある。国造とは、今で云えば県知事に近い。つまり、中央政府(大和王権)からその地域の統治を委任された正式な有力地方豪族を意味する。 一方、筑紫君磐井は、筑紫(現在の北部九州)の有力豪族に過ぎないとの名称になる。
つまり、記は、磐井は反逆者ではなく、北部九州に割拠し、朝鮮半島との交易で力を蓄えた有力豪族である。よって、内乱ではなく、大和と筑紫の戦争であったと暗喩している。
実際は、朝鮮半島南部の植民地(任那)を新羅に攻撃された大和王権は、失地回復の遠征軍を派遣した。前線基地となる北部九州で兵站(へいたん・物資や兵員の補給)の任を磐井に命じた。ところが、半島との交易を重んじる磐井は非協力的にならざる得ない。大和側にすれば、非協力的はイコール叛徒である。つまり、「殺し給ひき」となるわけである。上記の事柄を大和側がアレンジすると、紀の表現となってしまう。
大和王権の秩序に組込まれた「国造」が王命をを実行しないので討滅した。大和王権の北部九州簒奪の蓋然性に利用されたのである。
では、何故、「古事記」と「日本書紀」では、これほど同じ事柄の表記が変わってしまうのか?
それは、「古事記」と「日本書紀」では成立過程と成立意義が違うからである。
古事記は、稗田阿礼(ひえだのあれ)の口述を太安万侶(おおのやすまろ)が編集したといわれる。カテゴリーとしては、説話集、文学と云える。
日本書紀は、天武天皇の勅命により第六皇子の舎人親王が編纂した。古事記が文学なら日本書紀は、国の承認を受けた正史、公文書となる。
ここで筆者の私見を一つ、
太安万侶は実在(墓が発見されている)するが、稗田阿礼なる人物は実在しない。太安万侶が中央の有力豪族や地方豪族に伝え残る説話や古伝を寄せ集め「古事記」を編み上げた。安万侶に材料を提供した多くの人々を擬人化したのが稗田阿礼だと考える。
話を元に戻す。
古事記の「記」は記憶、記録の「記」である。
日本書紀の「紀」は訓読みすると「のり」と読む。「のり」とは「法 典 教」の文字に通じる。
古事記の成立意義は、将来には散逸消滅して分からなくなってしまうであろう過去の記憶記録を文学の形で残す事にあった。それが例え、為政者に都合が悪い部分があっても起きた事件をフィクションとして、または、簡略化してでも書き留めるのである。
日本書紀の成立意義、ひとえに大和王権、ひいては、天皇家が日本を統治する正当性を重ね重ね説く。その一義である。日本書紀に記載された歴史や歴代の天皇の事績、其の物が唯一無二の法典であり教義なのである。後世に多用された「天壌無窮」「一天万乗」の素地が日本書紀に流れているのである。
再度云う。磐井の乱は、天皇家と中央豪族が構成する大和王権の正当性を発露するために利用された叛乱だったのであると筆者は考える。
尚、誤解が無いように付け加えるが、磐井の乱の起きた六世紀初頭の大和王権に自らの正当性を主張する意志があったかどうかはわからない。多分、意志はあったはずだと思う。ただ、王権の正当性が体系的に明文化されるのは、約百五十年後の天武朝の「記紀」の成立を待たねばならない。
筑後国風土記によれば,当時あった八女郡衙(ぐんが)の南二里にありとの記述から現在の福岡県八女市の岩戸山古墳の状況と合致し、岩戸山古墳を磐井の墓と比定してまちがいないとされている。
以上が「磐井の乱」に対する筆者の私見である。
単純なる叛乱では無く、時代を変えた、もしくは、先駆けたと筆者が考える叛乱を、今後、数回に渉ってご紹介したい。
次回は、武家台頭の先駆けとなった「平将門の乱・承平の乱」について考察してみたい。
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