柴犬ゴン太のひとりごと

星 陽月

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【Episode 21】

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 帰り道は、しっかりとマーキングをしていく。
 そうしているうちに、大きいほうも催してくる。
 吾輩は大きいほうをするのに適した場所を、匂いを嗅ぎながら探す。

(よし、ここでいいだろう……)

 吾輩はうしろ脚を開き、体制を整えて下っ腹に力をこめる。

(うくッ、くくくくくッ!)

 その吾輩の尻を、真紀が覗きこむ。

「あ、ウンチでてきた」
(あ、ダメ、見ないで。恥ずかしいから、お願い……)

 その願いも虚しく、真紀の見守る中、吾輩はウンチをひり出した。

 あー、すっきりした……。
 快便、快便……。

 吾輩の排出したものを、奈美が持ってきたビニール袋に処理をする。
 とたんに真紀が、「ウンチでた、ウンチでた」と連呼した。
 吾輩はうしろ脚で土をかける真似をする。
 それも習性なのであしからず。
 それにしても人間とは、我らが排出したものを、こうしてきれいに処理をするのだから畏れいる。
 排出物など、そのまま放置しておけばいいではないかと思うのだが、ペットを飼う上での人間のマナーなのだから致しかたがない。
 とはいえ、我輩の排出物を処理する奈美を見ていると、なにやらとても気分がいい。
 まるで奈美が吾輩のしもべにも思えて、王様にでもなったような心持であった。
 散歩から帰り着いて、吾輩を犬小屋につなげると、姉妹は「ただいまァ」と玄関に入っていった。
 吾輩もとりあえず、犬小屋に入ることにする。
 だが、入ったところで、何をすることもない。
 いつもなら、夕食の時間までどう潰すかをぼんやりと考えるのだが、今日は何かが違う。
 違うといっても、犬小屋の中がきれいに掃除されているとか、雨漏りする屋根が補修されているということではない。
 違うのは、吾輩の心である。
 なにやらウキウキと高鳴っているのだ。
 それでいてどこか苦しいような、切ないような感情が蠢いている。
 頭の中は、ルーシーのことでいっぱいだった。
 別れてからそれほど時間は経っていないというのに、いますぐにでも逢いたくて仕方がない。
 これまでも、ルーシーのことを想い浮かべたことは幾度となくあるが、この想いは
 その名を呟けば、ため息のオマケがついてくる。
 そしてまた、そのため息のあとには、息苦しさまでがついてくる。
 熱でもあるのかと、前脚を額にあててみても、熱など測れるわけもない。
 代わりに、額にできた名誉のコブがズキンと痛んだ。
 きっとこれは、ルーシーとデートができたという奇跡の後遺症なのかもしれない。
 吾輩はうつ伏せになったり仰向けになったりして、その後遺症が治まるのを待った。
 けれども、後遺症が一向に治まる気配はなく、気をまぎらわすためにヒップ・ホップでも踊ろうかと思ったが、ため息とともにその気も失せた。
 これは後遺症どころの話ではない。
 何かの病を患ったのかもしれない。
 それが何かと考えてみれば、それはひとつしかなかった。
 そう、恋の病だ。
 ルーシーとのわずかながらの幸せなひとときで、吾輩は、恋というウイルスに感染してしまったのだ。

「ハア……」

 ため息ばかりがあとを絶たない。
 恋の病に効く薬はないというから、病院に行っても無駄である。
 恋の病で死ぬことはないだろうが、ならば、この息苦しさをどうすればいいのか。
 何かいい特効薬はないものかと、吾輩は考えに考える。

「むむむ……。ハア……、むむむむ……、フウ……」
 
 とても考えが浮かぶ状態ではなかった。
 と、そのとき、閃くものがあった。

(そうか……)

 何も考えこむ必要はなかった。
 いちばんの特効薬があるではないか。
 それはルーシーに逢うことだ。
 逢いたいと想い悩むのであれば、逢ってしまえばいいことなのだ。

(なんだそうか、簡単なことではないか……)

 そうと決まれば急がば回れ。
 いやいや、回っているヒマはない。
 吾輩は歓び勇んで立ち上がった。
 とたんに、低い天井に頭を打ちつけた。

(うがッ!)

 それもコブのところである。

(うぐぐぐぐッ……)

 なにくそ、これほどの痛み、物の数ではない。

 愛しの君よ……。
 いま逢いにゆく……。

 心がはやるままに、犬小屋を出る。

 何人(なんぴと)たりとも、吾輩を止めることはできな……、でき、できぬ、ぬッ……。
 く、首が、絞まる……。
 前に、す、進めぬッ……。

 進めるわけがなかった。
 吾輩はつながれているのであった。
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