柴犬ゴン太のひとりごと

星 陽月

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【Episode 70】

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 ミッシェル……。

 彼の名を胸の中で呟いてみれば、なんと心地よい響きであろうことか。

 ん?
 あれ?
 ちょっとおかしいぞ?
 彼???……。
 いや、違うぞ!

 吾輩は勝手に、ミッシェルを兄弟=男犬だと思い込んでいた。
 だが、その名を聞いてわかるとおり、ミッシェルは男犬の名ではない。
 女犬の名である。
 ということは、生き別れになった二匹のうちの一匹は、姉か妹だったのだ。

 そうか、ミッシェルは……。
 女のコなんだー! わーい、わーい、楽しみだなー!

 そうして吾輩は、ミッシェルへの想いを20ギガバイトほど募らせ、胸を消防署の鐘のごとくに高鳴らせた。
 あまりの興奮にディナーをあっという間に平らげ、夜は高鼾(たかいびき)でぐっすりと眠り、昼寝だってしっかり取った。
 そして遂に、日曜日がやってきたのである。

 吾輩は朝から、ワクワク、ソワソワ、ルンルンルンだった。
 ディナーとまったく同じブレッグファーストを食し、いまかいまかと吾輩は玄関のドアが開くのを待った。
 しかし、吾輩の想いとは裏腹に、玄関のドアは開かない。
 吾輩の想いが叶わないのはいつものことである。

「ワン!」

 取りあえず吠えてみるが、やはりいつものごとく、だれも応えてくれない。

「ワン! ワン!」
(あのー、まだですかー)

 玄関のドアを見つめる。

「ワン! ワン!」
(今日は、ミッシェルに会いに行くんですよねー)
「――――」

 応えてくれる者はなし。

「ワン! ワン!」
(河川敷の公園に、もう来てるかもですよー)
「―――――」

 まったくの無反応。
 もしや、生き別れになったミッシェルに会う今日という日を、忘れているのではなかろうか。

「ワン! ワン! ワン!」
(大ママ、なんとか言ってくださいな。今日ですよね。ミッシェルと会う日は今日ですよねー!)
「――――」

 いつものこととわかっていても、だれも返事をしてくれないと不安になるものだ。
 もしかしたら、来週の日曜日なのかもしれない。
 いや、そんなことはない。
 大ママは確かに言ったのだ。
 明後日の日曜日だと。
 吾輩の耳は、まぎれもなくそう聞いた。
 来週の日曜日ではない。
 明々後日の月曜日なのでは決してない。
 だから、絶対、ぜーったい今日なのだ。
 ところで、いま、ふと気づいたことがある。
「明々後日」という文字のことである。
 みんなは、この文字をどう読むのであろうか。

「そんなの、明々後日(しあさって)に決まってるじゃないか」

 ふむふむ。
 なるほど。
 ですよね。
 まず、そう読みますよね。
 しかし、吾輩は違う。
 吾輩は、「明々後日」というこの文字を、「やなさって」と読むのである。

「それは、どこの言葉だ!」

 という声が聴こえてきそうだが、吾輩はそう読んでいる。
 では、どこでその読み方を覚えたのか。
 と言うと、わからない。
 大原家の家族は「しあさって」と読んでいるのだ。
 ではなぜ、「やなさって」と読むようになったのか。
 それはいかんせん、謎なのである。
 ここで誤解があってはいけないので補足する。
 正確には読んでいるのではなく、「やなさって」と言っているということである。

 え?
 あ、うんうん……。
 もう、そう言う横やりを入れるのはいいから……。
 え?
 なんだって?
 納得がいかない?
 だからね、この物語は吾輩が主人公なのよ……。
 その主人公が、ただ「ワン、ワン、ワン!」と吠えているだけでは、物語として成立しないではないか……。
 ましてやフィクションなのだから、そこは、ね、わかるでしょ!
 ということで、話が脱線したお陰か、玄関のドア開いたのであった。
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