柴犬ゴン太のひとりごと

星 陽月

文字の大きさ
上 下
83 / 94

【Episode 79】

しおりを挟む
 公園には仲間たちの姿がある。
 吾輩は奈美に合図を送り、リードを外してもらって仲間たちのもとへ走った。

「Hello、ゴン太! 今日ハ遅イジャアリマセンカ。一緒ニ走リマスカ?」

 ワトソンが近づいてきて、相も変わらずそう言った。

「いや、ワトソン。悪いけど、今日はやめとく」
「ソレハ残念デス。マタ走リマショーネ」

 そう言ってワトソンは走り出した。

 まったく、走ることしか能がないのかね……。

 走り去るワトソンを見つめていると、そこへマイケルがやってきた。

「遅かったじゃないか、ゴン太」
「あァ。真紀が途中でグズり始めちゃって参ったよ」

 吾輩はぽつりと愚痴を言ったが、

「そっか。おいらたちって、人間に時間を左右されてるもんな。真の自由ってものがないんだよ、ほんとに」

 マイケルの実生活のことを考えると、自分の愚痴など毛ほどのことでもないと思えてくる。

「ところでマイケル。柴犬の彼女を見なかったか?」

 吾輩は辺りを見渡した。

「柴犬の彼女? 見かけないな。第一、この公園に来る柴犬はゴン太だけじゃないか」
「そうだな……」

 今日、クララ姫が来ることは、マイケルにさえ話していなかった。

「なんだよ、ゴン太。まさか、おいらの知らないところでナンパしたんじゃないだろうな」
「なな。そ、そんなことするわけないだろう?」 

 吾輩の胸はドキリと音を立てた。

「おや? いま完全に動揺したね。それって、まさかがまさかってことかい?」
「やめろよ、マイケル。吾輩はまだ、ルーシーと別れたときの傷が癒えてないんだからな」

 ルーシーと別れたときの傷は、確かにまだ癒えていない。
 しかし、クララ姫に恋心が芽生えているのも事実である。

 クララ姫――

 すでに感づいているかも知れないが、前回の話しの途中から、吾輩はクララをクララ姫と呼び始めた。
 なぜそうなったのかと言うと、理由があるわけではない。
 ただの思いつきであった。

「そうだよな。すまない、ゴン太」

 マイケルは素直に謝った。

「いや、いいんだ。わかってくれれば、それで」

 素直に謝られてしまうと、クララ姫のことを秘密にしていることが罪のように思えた。
 いずれみんなにも知られることなのだから、マイケルには前もって話しておいてもいいだろう。

「実はなマイケル――」

 そう前置いて、吾輩はクララ姫との事の顚末(てんまつ)を話した。

「えー!!! それって、ゴン太に彼女ができたってことじゃないか!!!!」

 マイケルは思わず声が大きくなった。

「ばか、マイケル。声が大きいって!」

 しかし、時はすでに遅しである。
 マイケルの声を聞きつけたみんなが、ぞろぞろとやってきた。

「どうした。ゴン太に彼女ができたって聞こえたぞ」

 パグの小太郎が、低い鼻をヒクヒクさせてそう言ってきた。
 小太郎は、身体は小さいが負けん気が強く、ドン・ビトーの前でも臆することがない。
 そんな小太郎を、ドン・ビトーのほうでも一目置いているくらいなのだ。
 そのドン・ビトーの姿はみんなの輪の中にはなく、いったい何を探しているのかはわからないが、いつものごとく草むらの中に鼻を突っ込んで匂いを嗅ぎまくっていた。

「ゴン太、彼女ガデキタノデスカ? ヨカッタデスネ、オメデトウ」

 ワトソンがそう言うと、輪の中から、

「ヒュー、ヒュー!」

 やら、

「おめでとー!」

 とか、

「幸せになれよ!」

 なんて言葉までが飛び交った。
 まるで、結婚式でも挙げたような勢いであった。
 吾輩は照れ笑いを浮かべながらも、マイケルに話したことを後悔した。
 と、

「それで、彼女はいつ来るの?」

 マルチーズのジェリーがそう訊いてきた。

「もうそろそろ、来てもいいはずなんだけどな……」

 吾輩は答えると、公園内から土手へと眼をやった。
 やはり、クララ姫の姿はない。

「もうそろそろって、遅くないか?」

 そう言ったのは、マイケルだ。

「あァ……」

 吾輩はとたんに不安を覚えた。
 ほんとうに、もう来ないのだろうか。
 クララ姫と出逢ったあの日の別れ際、

「ゴン太さん、土曜日にまたお逢いしましょうね。楽しみにしていますわ」

 その瞳に微笑みを浮かべて、確かにそう言ったのだ。
 それなのに、なぜ来ないのか。

 クララ姫……。

「マイケル。彼女は確かに言ったんだ。土曜日にまたお逢いしましょうと。なのに、どうして来ないんだ……」

 吾輩は途方に暮れて、うなだれてしまった。

「ゴン太」

 マイケルが吾輩を呼んだ。
 きっと、吾輩の失意を知って、同情してくれるのだろう。
 それが、親友というものだ。
 吾輩は顔を上げて、マイケルを見た。

「彼女は、土曜日にまたお逢いしましょうって言ったのか?」
「あァ、そうだよ。間違いなくね……」
「そうか。それじゃ来るわけがないよ」
「なに! どうしてそんなことを言うんだよ。ひどいよ、マイケル。おまえは親友じゃないのかよ……」

 吾輩はさらに落ち込んだ。

「って言うか、ゴン太。よく考えろよ」
「クララ姫が来ないっていうのに、いったい何を考えろって言うんだよ。そうやって、吾輩を嘲笑(あざわら)っているのか?」
「なに言ってんだ、ゴン太。おいらが言いたいのは、今日は何曜日なのか、よく考えろってことだよ」
「へ? 今日は土曜日じゃないの?」
「今日は金曜日だよ」
「はれ……」

 何のことはない。
 吾輩は曜日を間違えていたのだった。

「それじゃあ、土曜日は明日じゃないか」
「とうぜんだよ」

 吾輩とマイケルの話を聞いていたみんなは、呆れてその場を離れていった。

「そっか、明日か」

 曜日を間違えはしたが、明日の土曜日にはクララ姫に逢えるのだと思うと、心はとたんにヒート・アップした吾輩であった。
 だからこそ、ここで一句。

 明日こそ 必ず逢えるね クララ姫

 あー、よかった……。

 ひとりご満悦な吾輩をよそに、

「じゃあな、ゴン太」

 マイケルは呆れ顔で去っていったのだった。
しおりを挟む

処理中です...