6 / 36
チャプター【6】
しおりを挟む
目覚まし時計が鳴り出す時間よりも15分ほど早く眼を醒ました池内さとみは、ベッドを降りると勢いよくカーテンを開けた。
とたんに朝の光りが部屋中を満たした。
窓を開け、大きく伸びをする。
空は蒼くとてもいい日和だ。
空気をいっぱい吸いこんでベランダへと出る。
「おはよう」
さとみは屈みこむとベランダに咲く花たちに声をかける。
鉢に植えられた花々を眺めるのが、さとみの朝の日課だ。
「今日も元気に咲いてね」
そう話しかけながら水を与える。
花が大好きなさとみは、だから、いつでも花に携わっていることのできるフラワーショップで働いている。
『街角の小さなお花屋さん』で働くことが夢だったさとみは、勤めていた会社を辞めてまでして、自分の部屋から15分ほどの商店街にある小さなフラワー・ショップで働き始めたのだった。
収入は会社に勤めていたころよりは少なくなってしまったけれど、色とりどりの花たちに囲まれていると、さとみはそれだけで幸せだった。
それに友人たちとの交流も少なく彼氏がいるわけではないから、浪費癖のない彼女には収入が少なくても暮らしていくには充分だった。
さとみは5階建てマンション3階の角部屋に住んでいる。
間取りは1DKだが、陽あたりが良く花たちを育てる環境には最適で、虫がつかないように手入れを怠らなければ元気に咲きつづけてくれる。
緑色の羽を広げて陽の光りを浴びるその小さな天使たちを眺めていると、にこにこと笑顔をうかべているように思えて、さとみは心から癒されてうれしくなるのだ。
それだけに、茎を断った花より、小さな鉢のなかでもしっかりと土に根を張って咲く花が彼女は好きだった。
霧吹きの水が花びらや葉の表面に小さな水玉を作り、陽の光りにきらきらと煌いている。
飽きもせずにその光景を眺めていると、ふと、その煌きがかすかに揺れ始めた。
風に花たちが揺れているのだろうかと思ったが、そうではない。
風が吹いているわけでもなく、花びらや葉も揺れてはいなかった。
さとみは顔を近づけて眼を凝らしてみた。
すると、揺れているのは小さな水玉自体だった。
いや、揺れているというよりは、水玉のひとつひとつが無規律に跳ねていて、それが遠めからだと揺れているように見えるのだった。
しかも、その水玉は陽光にきらきらと煌いていたわけではなく、自ら光りを発しているようだった。
なぜなら、陽が雲に隠れてしまってからもその水玉は煌きを失わず、むしろ陽が翳ってしまったときのほうが耀く密度を増しているのだった。
美しいその耀きにさとみは眼を瞠った。
自ら光りを発する水玉は踊っているかのようだ。
するとふいに、光りが明滅をくり返し始めた。
と思うと、こんどは無数にある水玉がひとつに重なり出した。
水玉は明滅をくり返しながら少しずつ大きくなっていく。
そうして、しだいにひとつの球体を形成しながら宙に浮き上がってきた。
どうやら、光りは球体の内側から発しているらしく、一定の間隔で明滅しながら停止した。
それはまるで、呼吸をしているようにも意思があるようにも思えた。
大きさはビリヤードの玉ほどだろうか。
その球体から眼を離すことができずに、さとみは知らぬ間に指先を伸ばしていた。
指先が球体の表面に触れた。
そのとたん、指先が触れた箇所から光りの波紋が球体の全体に広がった。
一瞬、さとみは指先を引いたが、また球体にそろそろと指先を伸ばした。
するとどうだろう。
球体にはやはり意思があるのか、指先が触れようとするとわずかに後退した。
さとみが指先を引くと球体はそのぶんだけ前進し、伸ばすとまたそのぶんだけ後退した。
それをなんどとなくくり返すと、球体は明滅するのをやめ、ひときわ強く眩い光りを発した。
そう思った刹那だった。
球体は音もなく爆ぜるようにして消え失せてしまった。
さとみは放心したように動けず、しばらくしてからはっとして我に返った。
思わず眼をきょろきょろさせてみたが、球体はどこにも見あたらなかった。
(いまのは、なんだったの?……)
夢でも観ていたのだろうかと思えるほど、いま眼の前で起きた現象は明らかに現実ばなれしていた。
いや、それとも、まだ夢のなかにいるのだろうか。
そうでなければ説明がつかない。
現実には、あんな現象が起こりえるはずがないのだ。
確めるまでもないが、さとみはとりあえず自分の頬を抓(つね)ってみた。
「イタッ!」
予想を裏切らず、頬には痛みがあった。
やはり夢ではない。
では、あの球体の正体はいったいなんだったのだろう。
さとみは真剣に考えこんだ。
だがすぐに、考えるのをやめた。
どんなに考えてみたところで、納得のいく答えが出てくるわけもない。
ならばいっそ、これは良いことが起こる前兆なのだと思ったほうがいい。
花たちに眼やれば、それまでとなんら変わらず元気に咲き誇っている。
(それにしても、きれいな球体だったな……)
ふと、そんなことを思いながら、さとみは部屋の中へともどった。
目覚まし時計に眼をやると、15分も早く起きたというのに出勤に出かけるまでの時間が少なくなっていた。
とたんに朝の光りが部屋中を満たした。
窓を開け、大きく伸びをする。
空は蒼くとてもいい日和だ。
空気をいっぱい吸いこんでベランダへと出る。
「おはよう」
さとみは屈みこむとベランダに咲く花たちに声をかける。
鉢に植えられた花々を眺めるのが、さとみの朝の日課だ。
「今日も元気に咲いてね」
そう話しかけながら水を与える。
花が大好きなさとみは、だから、いつでも花に携わっていることのできるフラワーショップで働いている。
『街角の小さなお花屋さん』で働くことが夢だったさとみは、勤めていた会社を辞めてまでして、自分の部屋から15分ほどの商店街にある小さなフラワー・ショップで働き始めたのだった。
収入は会社に勤めていたころよりは少なくなってしまったけれど、色とりどりの花たちに囲まれていると、さとみはそれだけで幸せだった。
それに友人たちとの交流も少なく彼氏がいるわけではないから、浪費癖のない彼女には収入が少なくても暮らしていくには充分だった。
さとみは5階建てマンション3階の角部屋に住んでいる。
間取りは1DKだが、陽あたりが良く花たちを育てる環境には最適で、虫がつかないように手入れを怠らなければ元気に咲きつづけてくれる。
緑色の羽を広げて陽の光りを浴びるその小さな天使たちを眺めていると、にこにこと笑顔をうかべているように思えて、さとみは心から癒されてうれしくなるのだ。
それだけに、茎を断った花より、小さな鉢のなかでもしっかりと土に根を張って咲く花が彼女は好きだった。
霧吹きの水が花びらや葉の表面に小さな水玉を作り、陽の光りにきらきらと煌いている。
飽きもせずにその光景を眺めていると、ふと、その煌きがかすかに揺れ始めた。
風に花たちが揺れているのだろうかと思ったが、そうではない。
風が吹いているわけでもなく、花びらや葉も揺れてはいなかった。
さとみは顔を近づけて眼を凝らしてみた。
すると、揺れているのは小さな水玉自体だった。
いや、揺れているというよりは、水玉のひとつひとつが無規律に跳ねていて、それが遠めからだと揺れているように見えるのだった。
しかも、その水玉は陽光にきらきらと煌いていたわけではなく、自ら光りを発しているようだった。
なぜなら、陽が雲に隠れてしまってからもその水玉は煌きを失わず、むしろ陽が翳ってしまったときのほうが耀く密度を増しているのだった。
美しいその耀きにさとみは眼を瞠った。
自ら光りを発する水玉は踊っているかのようだ。
するとふいに、光りが明滅をくり返し始めた。
と思うと、こんどは無数にある水玉がひとつに重なり出した。
水玉は明滅をくり返しながら少しずつ大きくなっていく。
そうして、しだいにひとつの球体を形成しながら宙に浮き上がってきた。
どうやら、光りは球体の内側から発しているらしく、一定の間隔で明滅しながら停止した。
それはまるで、呼吸をしているようにも意思があるようにも思えた。
大きさはビリヤードの玉ほどだろうか。
その球体から眼を離すことができずに、さとみは知らぬ間に指先を伸ばしていた。
指先が球体の表面に触れた。
そのとたん、指先が触れた箇所から光りの波紋が球体の全体に広がった。
一瞬、さとみは指先を引いたが、また球体にそろそろと指先を伸ばした。
するとどうだろう。
球体にはやはり意思があるのか、指先が触れようとするとわずかに後退した。
さとみが指先を引くと球体はそのぶんだけ前進し、伸ばすとまたそのぶんだけ後退した。
それをなんどとなくくり返すと、球体は明滅するのをやめ、ひときわ強く眩い光りを発した。
そう思った刹那だった。
球体は音もなく爆ぜるようにして消え失せてしまった。
さとみは放心したように動けず、しばらくしてからはっとして我に返った。
思わず眼をきょろきょろさせてみたが、球体はどこにも見あたらなかった。
(いまのは、なんだったの?……)
夢でも観ていたのだろうかと思えるほど、いま眼の前で起きた現象は明らかに現実ばなれしていた。
いや、それとも、まだ夢のなかにいるのだろうか。
そうでなければ説明がつかない。
現実には、あんな現象が起こりえるはずがないのだ。
確めるまでもないが、さとみはとりあえず自分の頬を抓(つね)ってみた。
「イタッ!」
予想を裏切らず、頬には痛みがあった。
やはり夢ではない。
では、あの球体の正体はいったいなんだったのだろう。
さとみは真剣に考えこんだ。
だがすぐに、考えるのをやめた。
どんなに考えてみたところで、納得のいく答えが出てくるわけもない。
ならばいっそ、これは良いことが起こる前兆なのだと思ったほうがいい。
花たちに眼やれば、それまでとなんら変わらず元気に咲き誇っている。
(それにしても、きれいな球体だったな……)
ふと、そんなことを思いながら、さとみは部屋の中へともどった。
目覚まし時計に眼をやると、15分も早く起きたというのに出勤に出かけるまでの時間が少なくなっていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2025/12/6:『とんねるあんこう』の章を追加。2025/12/13の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/5:『ひとのえ』の章を追加。2025/12/12の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/4:『こうしゅうといれ』の章を追加。2025/12/11の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/3:『かがみのむこう』の章を追加。2025/12/10の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/2:『へびくび』の章を追加。2025/12/9の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/1:『はえ』の章を追加。2025/12/8の朝4時頃より公開開始予定。
2025/11/30:『かべにかおあり』の章を追加。2025/12/7の朝8時頃より公開開始予定。
※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
終焉列島:ゾンビに沈む国
ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。
最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。
会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。
【完結】知られてはいけない
ひなこ
ホラー
中学一年の女子・遠野莉々亜(とおの・りりあ)は、黒い封筒を開けたせいで仮想空間の学校へ閉じ込められる。
他にも中一から中三の男女十五人が同じように誘拐されて、現実世界に帰る一人になるために戦わなければならない。
登録させられた「あなたの大切なものは?」を、互いにバトルで当てあって相手の票を集めるデスゲーム。
勝ち残りと友情を天秤にかけて、ゲームは進んでいく。
一つ年上の男子・加川準(かがわ・じゅん)は敵か味方か?莉々亜は果たして、元の世界へ帰ることができるのか?
心理戦が飛び交う、四日間の戦いの物語。
(第二回きずな児童書大賞で奨励賞を受賞しました)
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
女子切腹同好会
しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。
はたして、彼女の行き着く先は・・・。
この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。
また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。
マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。
世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる