もう一度、君に逢いたい

星 陽月

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【第19話】

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 朝食を終えると、朝子が昨日話していたバーチャリティ・ゲームをふたりでやった。
 遊び方はいたって簡単で、ゲーム専用のリクライニング・チェアに坐り、頭部に銀色のリングをしっかりと嵌(は)め、瞼を閉じて静かに坐っているだけというものだった。
 リングには、額にあたる部分に青く光るセンサーのようなものがあって、それが前頭葉に信号を送って映像を映し出す仕組みらしいのだが、初めて体験するトオルは好奇心に胸がどきどきした。

「さあ、始めるわよ」

 スイッチが入ると、とつぜん、視野が広けた。
 瞼を閉じているのに、緑豊かな草原が眼前に広がり、その前方には隆々とした山並みが臨み、四方を囲んでいた。
 空には陽が昇り、雲がゆっくりと流れ、その中を見事な翼を持った鳥が滑空している。
 それはとても映像とは思えないほどの光景だった。
 それどころか、吹き抜ける風が肌に感じるのだ。
 草原の草たちに手をやれば、触れることもできた。
 まさにそれは、その場所にいるという体感だった。
 頭にはリングがなくなっていて、ふと隣に眼をやると、そこには朝子が立っていた。

「朝子ねえちゃん、ここは?」
「ゲームの中よ。意識がゲームにリンクしているの。いわゆる仮想世界。疑似体験だからなんだってできるのよ。ほら、見て」

 そう言うと、朝子の身体が宙に浮いた。

「ね、すごいでしょ。トオルくんもやってごらん」

 そう言われても、どうしていいのかわからない。
 それでもなんとか浮いてみようと試みるのだが、身体はどうとも動かなかった。
 すると朝子が宙から降りてきて、トオルの腰に腕を回した。

「いい? 浮こうとして力を入れてもダメ。力を抜いて、身体が浮くということを感じればいいのよ。さ、楽にして」

 トオルは身体の力を抜いた。
 そのとたん、身体がすうっと宙に浮き上がった。

「わ、すごい!」
「でしょ? じゃあ、手を離すわよ」

 朝子が手を離すと、トオルはバランスを崩し、地面に落ちて尻餅をついた。
 それを見て朝子が笑う。

「そんなに笑わないでよ」
「あ、ごめん、ごめん。でも、痛くはないでしょ?」

 言われてみれば、尻餅をついたときの衝撃があったのにもかかわらず、少しも痛みを感じない。
 試しに頬を叩いてみると、やはり痛みはなかった。

「痛みを感じないんだね」
「そうよ。初級者用にセッティングしてあるから、痛みは感じないようになっているの。さあ、今度はひとりでやってみて」
「うん」

 身体が浮くということを感じるのはどうすればいいのか、トオルは考えてみた。
 答えはすぐに出た。
 簡単なことだ。
 身体を使おうとせずに思い描けばいいのだ。
 そう、ここは意識の中。
 仮想世界だ。
 宙に浮く自分を思い描いてみる。
 すると身体は、やさしい風に乗るようにふわりと宙に浮かんだ。

「やるじゃない。初めてなのに、そんなに早く宙に浮くなんてすごいわ。とはいっても、私だってすぐに浮くことができたけど。じゃあ、これはどうかな」

 朝子は泳ぐように宙を飛んだ。

「私を捕まえられる?」
「そんなの簡単さ」

 朝子を捕まえようとあとを追おうとしたが、バランスを取るのが中々むずしく、トオルは手足をバタバタとさせて、仰向けになったりうつ伏せになったり、身体がくるくると回ったりした。
 それでも、そうしているうちにバランスをうまく保てるようになり、スムーズに朝子のあとを追えるようになった。

「さすがトオルくん。呑みこみが早いわ」

 朝子が手を差し出してきて、トオルはその手を掴んだ。
 ふたりは手をつないで遊泳飛行を楽しんだ。
 なんという気持ちの良さだろうか。
 自由に空を飛ぶということは、こんなにもすばらしいことだったのだ。
 これが仮想世界の疑似体験とはとても思えない。
 風や陽の光の暖かさも感じられる。
 痛みを感じない以外は、体感的に現実とほとんど大差がなかった。
 空を飛ぶ夢を観たとしても、これほど現実的な感覚を味わうことはできないだろう。
 まさに仮想現実、マトリックスといえるかもしれない。
 ふたりは滑空する鳥と並んで風を切った。
しばらく一緒に飛ぶと、鳥と別れてどこまでも高く高く飛翔していった。
そしてついには雲を突き抜けた。

「トオルくん、いい? 感じれば、雲の上は歩くことも寝そべることもできるのよ」

 朝子の言う意味を、トオルはすぐに理解した。
 そう思い描くこと。
 ただそれだけでいい。
 ほんとうに少年だったころ、TVアニメで観た、主人公が雲の上で走り回っているシーンをトオルは思い描く。
 すると雲は、やわらかい羽毛のようになって立つことができた。
 ふたりは雲の上に寝そべった。
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