もう一度、君に逢いたい

星 陽月

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【第21話】

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 広がる闇には、何もないわけではなかった。
 そこには、幾千億の星々が煌びやかに瞬いていて、太陽が神々しい光を放っていた。
 トオルは宇宙へと飛び出していたのだ。
 それまで感じたことのない静寂に包みこまれ、けれど恐くはなかった。
 むしろ、心は安らぎ満たされていた。
 広大な宇宙に散った星たちに、見守られ、いだかれているような安息さえ感じていた。
 身体を反転させると、大きな地球が、その存在を誇示するように青く耀いていた。
 そのあまりの美しさに魅入られ、トオルは呆然とした。
 言葉もないとはまさにこのことだった。

(この星に僕は生まれたんだ……)

 神々はこの星を創り、そして母となる海へと命の息吹を落とした。
 それは何10億年という歳月をかけて、命の鎖をつないできたのだ。
 生きとし生けるものからすれば、気の遠くなるほどの年月も、神々にとっては刹那なときだったのかもしれない。
 けれど命は、受け継がれ、育み、培ってきた軌跡を魂に刻みこんできた。
 その尊さを学ぶために。
 生きているということの、すばらしさを知るために。
 命が息づく、瑠璃色に輝く美しき星、地球。
 この星に生まれたということは奇跡に違いない。
 その偉大なる地球を眺めていると、トオルは自分の小ささを思い知った。
 打ちひしがれていたことなど、あまりにも小さすぎる。

(僕は、心が狭すぎる。もっと気持ちを大きく持たなくちゃ……)

 そう思ったとき、地球がどんどん小さくなっていくような気がした。
 気のせいではない。
 実際に地球は少しずつ小さくなっている。
 いや、そうではなかった。
 地球が小さくなっているのではなく、トオルが地球から離れていっているのだった。
 トオルは慌ててもどろうとするが、身体の自由がきかない。

(どういうこと?……)

 トオルは焦り始めた。
 なんとかもどろうと試みる。
 それでも身体は動かない。
 そうしているあいだにも、地球は遠ざかっていく。
 まるで、身体が何かに引き寄せられているような感じだった。
 地球はみるみる小さくなり、他の惑星が見えてきた。
 太陽までもが瞬く間にバスケットボールの大きさからテニスボールとなり、それをかこむように無数の星々が点在し、見事な色彩を彩った星雲も見えた。
 そしてついには太陽系を離れ、装飾を散りばめたような螺旋に煌く銀河がその姿を現した。
 宇宙には、無数の銀河が螺旋を描いていた。
 それらの美しさに見惚れている間もなくさらに遠ざかると、銀河は、顕微鏡で覗く微生物のようにも見えた。
 そしてついには銀河が消え、そこには暗黒の闇だけがあった。

 完全なる無の闇――

 その中に、トオルは放り出されていた。

「朝子ねえちゃん!」

 迫りくる恐怖に、トオルは声を上げた。

「もうゲームをやめようよ。恐いよ」

 だが、その声は闇へと吸いこまれていくだけだった。

(ここはいったい、どこ……)

 上下左右の感覚がわからなかった。
 自分の姿さえ見ることができない。
 身体が闇に解けて、自我だけの存在になってしまったような錯覚を覚える。
 そしてしだいに、無に取りこまれていくようにも思えた。
 するとなぜなのか恐怖が和らいでいった。
 無に取りこまれ、同化していくことがとても快かった。

(僕は無になっていく……)

 そう思ったとたん、トオルは理解した。

 違う。
 僕は、僕という自我は、無そのものだった。
 無から生じた現象にすぎなかった。
 無は僕であり、自我は無であった。
 無である自我の僕は、森羅万象のすべてであり、何ものでもなかった。
 僕は宇宙であり、銀河であり、瞬く星であり、そして鳥であり、虫であり、微生物であった。
 そして僕は――在、、色、識、空、光、螺旋,、だった。

 意識が混濁している。
 自我が壊れていく。

(違う! そうじゃない。僕はトオルだ!)

 トオルはなんとか自分を取りもどした。
 そのとき、前方の彼方に、ぽうっと光が浮かんだ。
 その光は、真っ直ぐにトオルへと向かってきた。
 光は自ら発光する球体だった。
 光体はトオルの眼の前で停止すると、ふわりふわりと揺れるようにトオルの周りを浮遊した。
 意思を持っているかに見えるその光体は、トオルを警戒しているようにも思えた。

「こんにちは」

 声をかけると、光体は一瞬後ろへとさがり、そしてまた近づいてくる。
 と、光体の光がふいに増した。
 すると、トオルの頭の中に声が響いてきた。

 問う。
 オマエは何者だ? 
 どうしてここにいる――

 それは、サラが言葉を伝えてくるのと同じだった。光体にはやはり意思があった。

「わからない。ゲームをしていたら、いつの間にかここにいたんだ」

 答えになっていない。
 もう一度問う。
 オマエは何者だ。
 なにゆえここにいる――

 どうやら光体は、言葉を伝えるときに光を増幅するらしい。

「僕はトオル。だけど、どうしてここにいるのかは、ほんとうにわからないんだ。僕のほうが知りたいよ。それで、君は? このゲームのプログラムなの?」

 プログラム? 
 それは、いったいなんだ――

「だから、このバーチャルリアリティ・ゲームの中のキャラのひとつなのかってこと」

 オマエの言っていることは、さっぱりわからない――

「そうか、ゲームのキャラにそれを訊いてもわかるわけがないよね」

 オマエは、わたしの存在を知りたいのか――

「そうさ。僕が名乗ったのに、君が名乗らないのは失礼だよ」

 オマエは正しい。
 だが、わたしに名はない。
 わたしを言葉にするならばら、アルファでありオメガである――

「ちょっと待って、聞いたことがある。それって、始まりであり終わりでる、ってやつだよね」

 オマエは正しい――

「なんだかよくわからないけど、じゃあ、ここはどこ?」

 ここはどこでもない――

「そんなのウソだ。僕は地球から宇宙へ飛び出して、そうしたら、なにかの力に引き寄せられてここへ来たんだ。だから、どこでもないわけがないよ。まさか宇宙の果てだったりして」

 オマエの言うところの宇宙に、果てなどない。
 その宇宙も、空(くう)のほんの一部分に過ぎない――

「空って、無のこと?」

 空は無にして無にあらず。
 無は空にして空にあらず。
 それは同等のようであって同等のものではない。
 そして同等でないようであって同等のものである――

「え? え?……」

 トオルの脳裡に「?」マークがめぐる。

 空はすなわち虚空である。
 空の裡なる中心であり、端であり、あらゆる次元や時空であるすべてが虚空である。
 在ることの最大がこの虚空であり、無であることの最大がこの虚空である――

「君の言っていることだって、僕にはさっぱりだ」

 オマエが理解するにはまだ早い。
 そしてオマエは、ここにいるべき存在ではない。
 もどりなさい――

「もどれと言われても、どこをどうやってもどればいいのかわからないよ」

 そんなことはない。
 オマエはどこへも行っていない。
 初めからもとの場所にいる――

「そうか、ここは仮想世界だから、想えばいいんだね」

 さあ、もどるのだ。
 オマエを呼ぶものがいる――

 耳をすますと、微かながら確かに声がする。
 それは朝子の声だった。

 汝、人より流れいでしものよ――

 さあ、汝を呼ぶ声に応えよ――

 そこには汝の場所がある――

 我はアルファでありオメガである――

 その言葉を残すと光体はトオルから離れていき、闇に消えた。
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