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第1章至る平安
ぬえ
しおりを挟むそんなこんなで、清少納言と戯れる日々が過ぎていっていたある日。
ついに、夜は不気味な声を聞いた。
この世のものとは思えない、地獄の底から響いてくるかのような身の毛もよだつ声である。
闇でもよく見える夜の目から見ると、先ほどまで晴れていたはずの空に、黒い雲がかかり、定子の住む登華殿(とうかでん)の屋根の上にわだかまっていた。
どうみても怪しい。
「どうだい夜? 何かわかるかい?」
「原因と思しき現象を見つけました。」
「やるねえ。さすがは陛下がわざわざ呼んだだけのことはある。」
「えへん。」
「ほらほら、褒めたらすぐに調子にのるんじゃない。早いとこ解決しておくれ。」
「わかりました。じゃあとりあえず。霊衣換装!」
夜の元に符が集まる。中宮の女房として恥ずかしくない豪華な着物から、男性の着るものである直衣へ。右手に符、左手で印を結ぶ、それは夜の陰陽師としての姿だった。
「あっははっは。なんだいそりゃあ。只者じゃないのは分かっちゃあいたがこれほどとはね。」
「褒め殺しですか?嬉しいです!」
「はいはい。早いとこ解決してやりな。」
清少納言は苦笑気味に応援する。確かに声は不気味だが、夜がいればどうとでもなるという信頼がそこにはあった。
「行きますよ。式神召喚。形代。」
夜の言葉に合わせて、式神が動き出す。
基本となる、紙に手足のついた式神だ。
夜はそれをまっすぐに屋根の上に飛ばした。
屋根を覆う暗雲が晴れていく。
「ヒョーヒョーヒョー!!!!」
謎の声の音量が上がった。
突然自らを守っていた暗雲が晴れて、戸惑っているようだ。
夜はその姿を視認する。
猿のようにしわくちゃな顔、狸のようにずんぐりした胴体、虎のような派手な模様の手足を持ち、尾は蛇だ。様々な動物を合成したような、いびつな怪物だった。
「⋯⋯。なんだい。ありゃあ⋯⋯。」
見てしまったらしき清少納言が絶句している。
悲鳴をあげて気絶してしまわなかっただけ、胆力があると褒めるべきだろう。
「なかなか手強そうですね。」
「あんたが言うと、そんなに怖くないように思えるから不思議だよ。」
「私の後ろにいてください。絶対に守りますから。」
「いいねえ。分かった。私を守っておくれよ、夜!」
守るべき人が後ろにいる。それは、夜に力を与えてくれた。
ただ、流石に吸血姫の技能を使うとまずいので陰陽術縛りでなんとかするしかない。
形代召喚と結界術”封“しか習得していなかった以前なら厳しかっただろう。だが、
今の彼女には、切り札がある。
「式神召喚。酒呑童子!」
「酒呑童子だって??」
夜の目前で、白髪赤目のロリ巨乳少女の姿が形作られた。
「僕を呼びました?」
強制的に強いられた丁寧語。
鬼を表す二本のツノ。
これだけは変わらぬ一人称。
性別が変わろうとも、その力は変わることがない。
「酒呑ちゃん。あの妖を退治してきて。」
「わかりました。ただ、もっとたくさん本を読ませるように真夜さんに言ってください。」
「真夜?」
夜は首をひねった。この体の元々の持ち主である真夜と酒呑ちゃんの間に交流などなかったはずだが⋯⋯。まあ、いいか。
「援護は頼みますね。」
酒呑童子は、屋根に向かって飛び上がる。
鬼としての人外の脚力の力は、ひと蹴りでそれを可能にした。
「任せなさい!」
式神形代をさらに召喚し、妖の動きを妨害する。
夜、酒呑童子。どちらもこの形代のために本来のパワーを発揮できなかった。
簡単な術だと侮ってはいけない。
妖は、虎の爪で迎え撃とうとするが、形代にまとわりつかれて早い速度が出せていないようだ。そのゆっくりとした動きにカウンターを放つように酒呑童子は手に呼び出した金棒をぶち当てる。
妖は体勢を崩して後ろ足で立ち上がった。
屋根が大きく揺れた。このままでは定子様に不安を与えてしまう。
清少納言に注意されるより先に、夜は己の式神を操った。
何十もの形代たちが、妖に取り付いて、屋根の上から引き釣り下ろす。
召喚者たる夜のオーダーに合わせて、酒呑童子も協力する。
具体的に言うと、金棒をフルスイングした。
小さな体でも、力は元のままである。
鬼の怪力をもろに食らって、妖はたまらず屋根の上から転げ落ちた。
だが、当然妖もタフである。
ダメージは受けているようだったが、すぐさま立ち上がって咆哮する。
自分の近くに来た妖怪を見て、夜はうずうずする。
自分でぶっ飛ばしたくなったようだ。
戦闘狂の素養が開花している。
だが、自分の後ろにいる清少納言を見て、思い直した。
彼女に嫌われたらもうあの枕草子を見ることはできないかもしれない。
文筆の道を志す者として、そんな勿体無い真似はできるはずがなかった。
逸る心をなんとか押さえつけて、夜は妨害に徹する。
「酒呑ちゃん。早くやっつけて!」
「勝手なこと言わないでくださいよ。こいつ強いですよ!」
「酒呑ちゃんの方が強いよ!そして私の方が強い。」
「そりゃあそうですけど。なら手伝ってください。」
「一身上の都合で辞退します。」
「そんなあ。」
軽口を叩きながら、主従は息の合った連携を披露する。
夜の式神が妖の体勢を崩し、そこに酒呑童子が金棒を叩き込む。
単純だが、強力な連携だ。
妖は、悲痛な鳴き声を上げる。
効いているようだ。
「人心を惑わした妖怪に慈悲なんてかけないからね!」
夜が指を突きつける。すっかり陰陽少女夜としての性格を構築してしまったようだ。お前はもともと男だろうが。
思い返してみれば晴明の元で行った修行の日々は全て弟子として女に擬態していたし、女房としての生活もより取り繕った言葉しか使わない。
彼が女に染まってしまうのも無理はないことだ。
とはいえ、男の思考は彼女の根幹を成すものであり、よっぽどの出来事がない限り、変わることはないだろう。今でも彼女の脳内一人称は“俺”だ。
妖に取り付いている形代を燃やせば勝ちだが、彼女はそれを嫌がる。
四百年前のトラウマが未だ彼女を縛っている。
だが、もう問題はない。
「僕が決めます!」
酒呑童子の振り下ろす金棒が、妖の頭蓋を粉砕することでようやく決着がついた。なおも尻尾の蛇は動いていたが、流石に復活するところまではいかなかった。
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