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挑発
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けれども、多少の交わりさえあれば嫉妬の種は生まれるものである。
午前の柔らかな陽射しが、窓辺のレース越しに揺れている。
その日、エレオノールは剣の稽古と朝食を済ませた後、ゆったりとソファーに腰かけながら手紙を書いていた。故郷の姉エリスに宛てたものだ。
敵であった国に嫁いだ身の上ということもあり、誤解を生まぬためにも頻繁にはできないが、時折手紙を送り合っていた。
コンコンというノックの音に続いて開かれる扉、入ってきたのはヴィンセントの侍従ディアスであった。
「妃殿下、ご機嫌いかがでございましょうか。失礼ではございますが、突然の訪問をお許し下さいませ」
ディアスの口調は丁寧であるものの、目の奥は笑っていない。
上っ面の態度を見抜いたエレオノールはちらりと視線を一瞬向けただけで、ペンを止めることはなかった。
「用件はなんだ?」
「はい、明日の皇室主催の舞踏会の件でございます。陛下が妃殿下はまだライノール帝国のマナーに不慣れだろうから今回は出席されなくてもよいと」
「そうか、分かった。欠席で進めてくれ」
エレオノールはもうディアスに見向きもせずに、あっさりと返事をした。
その途端、ディアスの目がすっと細くなる。
「陛下は大変お忙しい方で、『足手まとい』を面倒見るようなお暇はありませんからね。欠席されるのは賢明でございましょう」
ディアスの失礼な物言いにエレオノールは手を止め、眉をぴくりと動かした。
「…『足手まとい』か。あの男、はっきりとそう言ったのか?」
「い、いえ、はっきりとは明言されませんでしたが…。…ただ、長い間傍に仕えていれば自然と陛下の意を汲むことはできますので」
傍にいられるだけで幸せだと言わんばかりのディアスの表情をエレオノールは見逃さなかった。
あれは密やかな恋心を持つ瞳だ。
「ははっ、そうかそうか」
「…何かおかしなことでも?」
「いやいや、すまない。ちょっとインクが飛んでしまってな」
エレオノールはくすりと笑うと、ペン先を丁寧に拭く。
ディアスはそのエレオノールの余裕たっぷりな姿に鼻を軽くひくつかせながら、嫌悪感を隠せなかった。
「…妃殿下は公務すら果たさないご自分が『お飾りの妃』だとは思わないのですか?」
「そうだな。お前の主は敵国から来た人間にすぐさま公務をさせるような馬鹿ではなかったということじゃないのか?良かったな」
「なっ…!」
「それに、『お飾りの妃』にしては快適な暮らしだな。誰も俺を煩わせない。…お前以外はな」
歴戦の猛者に睨みつけられたディアスはさぁーっと血の気が引くのが分かった。
一介の文官ごときが1人で敵うはずがないと理解する。
「嫉妬も挑発もいいが、相手を間違えるなよ」
先程の凄みはもう既に消え、あっけらかんとした声で気にも留めていぬ表情だ。
嫌味は全く響いていない。
ディアスの顔色に焦りが浮かんだ。
「それではこれにて失礼を。お邪魔致しました」
美しく微笑んだエレオノールにディアスは言葉を失う。
静かに扉を閉めて出ていったそのディアスの背中を見て、エレオノールは退屈凌ぎにもならぬと思いながら鼻を鳴らした。
午前の柔らかな陽射しが、窓辺のレース越しに揺れている。
その日、エレオノールは剣の稽古と朝食を済ませた後、ゆったりとソファーに腰かけながら手紙を書いていた。故郷の姉エリスに宛てたものだ。
敵であった国に嫁いだ身の上ということもあり、誤解を生まぬためにも頻繁にはできないが、時折手紙を送り合っていた。
コンコンというノックの音に続いて開かれる扉、入ってきたのはヴィンセントの侍従ディアスであった。
「妃殿下、ご機嫌いかがでございましょうか。失礼ではございますが、突然の訪問をお許し下さいませ」
ディアスの口調は丁寧であるものの、目の奥は笑っていない。
上っ面の態度を見抜いたエレオノールはちらりと視線を一瞬向けただけで、ペンを止めることはなかった。
「用件はなんだ?」
「はい、明日の皇室主催の舞踏会の件でございます。陛下が妃殿下はまだライノール帝国のマナーに不慣れだろうから今回は出席されなくてもよいと」
「そうか、分かった。欠席で進めてくれ」
エレオノールはもうディアスに見向きもせずに、あっさりと返事をした。
その途端、ディアスの目がすっと細くなる。
「陛下は大変お忙しい方で、『足手まとい』を面倒見るようなお暇はありませんからね。欠席されるのは賢明でございましょう」
ディアスの失礼な物言いにエレオノールは手を止め、眉をぴくりと動かした。
「…『足手まとい』か。あの男、はっきりとそう言ったのか?」
「い、いえ、はっきりとは明言されませんでしたが…。…ただ、長い間傍に仕えていれば自然と陛下の意を汲むことはできますので」
傍にいられるだけで幸せだと言わんばかりのディアスの表情をエレオノールは見逃さなかった。
あれは密やかな恋心を持つ瞳だ。
「ははっ、そうかそうか」
「…何かおかしなことでも?」
「いやいや、すまない。ちょっとインクが飛んでしまってな」
エレオノールはくすりと笑うと、ペン先を丁寧に拭く。
ディアスはそのエレオノールの余裕たっぷりな姿に鼻を軽くひくつかせながら、嫌悪感を隠せなかった。
「…妃殿下は公務すら果たさないご自分が『お飾りの妃』だとは思わないのですか?」
「そうだな。お前の主は敵国から来た人間にすぐさま公務をさせるような馬鹿ではなかったということじゃないのか?良かったな」
「なっ…!」
「それに、『お飾りの妃』にしては快適な暮らしだな。誰も俺を煩わせない。…お前以外はな」
歴戦の猛者に睨みつけられたディアスはさぁーっと血の気が引くのが分かった。
一介の文官ごときが1人で敵うはずがないと理解する。
「嫉妬も挑発もいいが、相手を間違えるなよ」
先程の凄みはもう既に消え、あっけらかんとした声で気にも留めていぬ表情だ。
嫌味は全く響いていない。
ディアスの顔色に焦りが浮かんだ。
「それではこれにて失礼を。お邪魔致しました」
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静かに扉を閉めて出ていったそのディアスの背中を見て、エレオノールは退屈凌ぎにもならぬと思いながら鼻を鳴らした。
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