かんかんでりの底

palo

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暴く者

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 8月9日。茹だるような暑さの中、農協に出すための玉ねぎと格闘していたKは、畑で妙な物を掘り出した。飴色の壺である。それは幼児の頭ほどの大きさで、柴犬程度の重みであった。表面にひび割れはなく、透き通るような冷ややかな深みをたたえていて、値打ち物のように見えた。
 滴る汗を拭ったKは、土にまみれたその壺を胸に抱えながら、祖母から相続したこの畑で、はるか昔に影堂の5文銭を拾い小躍りした暖かい記憶を思い出していた。寛永7年の刻印を示しながら大した物を見つけたと褒める父の言葉を間に受けて、当時小学生だったKは鼻高々となり、半年ほどは考古学者になるのだと固く決意したものでる。そう言えばKはあれをどうしたのだろう。テッシュで磨いては包み、眠る時には透かしたり返したりして眺めていたはずだったが。いつの頃無くしたかも覚えていないし、失った失望も記憶にない。子供と言うものは存外忙しく、プロ野球カードやベーゴマ、ガラス石やブリキのロボットなど鮮烈な衝撃を繰り返し受ける日々の中で散り草となって埋もれていったのだろう。
 この時Kは当時の父の2倍歳を重ねていた。セルロイド眼鏡の鼻掛けを肘で押し上げながら、壺の底を覗いでみたが刻印はなかった。持ち手もない。苺大のつまみのついたつるっとした円盤型の蓋がされており、ノリだか何だかで封をされているようだった。指で摘んで蓋を回してみたがびくともしなかった。
 Kは迷っていた。壺自体が値打ちものかもしれないし、壺の中身が値打ちものかもしれなかったからだ。昨日今日うわったものではないそのツボの蓋は、明らかに強情そうで、無理をすれば痛めてしまいそうであった。炙ればいいのか洗えばいいのか、結局考古学とは縁遠い経理事務職に天命を賭したKには、判断がつかなかった。それで、Kは3軒隣の古道具屋のTに知恵を借りようと思い立ったのだった。
 結論から言えばその思いつきは誤りであった。
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