かんかんでりの底

palo

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暴く者

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 先月Nが腹上死したそうだ。
 これは、3月まで高見沢署の刑事をしていた何某とか言う麻雀好きの男が、角の中華屋の親父に話したのが元ネタで、確かな筋の話らしい。
 Nに大した資産は無かったはずだ。車はカローラだったし、持ち家は3階建ての狭小住宅だ。2人の息子を私立の大学に出したため、夢だった退職後のイタリヤ旅行を断念したと周囲によくぼやいていたと言う。退職金でやっとこ食い繋なぐ、ありふれた元サラリーマンだった。
 問題は金では無く、相手だった。Nの妻は63歳。激情の相手としては年季が入り過ぎている。元刑事の何某いわく、Nのお相手は19歳だったらしい。美大生だったらしい。男だったらしい。
 相手が男の場合、腹上で良いのかと、雀卓を囲んでいた誰もが思ったが、下品が過ぎるようで、少なくともNの行きつけだったこの雀荘においては、その問いを口にする者はいなかった。
 Nの妻が居なくなったことに気づいたのは、七回忌に訪れた法名寺の若住職だった。通夜をテキパキこなしたNの妻に失踪の予兆はなかったらしい。心優しいNの実妹は心労で寝込んでいるそうだ。
 人の内面など安安と伺えるものではない。人の数だけそれぞれの思いがあるし、生きた年月だけそれぞれの葛藤があるものだ。なぜこんなことになったのかは誰にも分からないし、案外そこに深い意味はないのかも知れない。
1人死に、1人いなくなった。はっきりした事実はそれだけだ。
 東場を終えたところでハコテンしたTは面白くなかった。破廉恥なゴシップの受け手としては、ここの人間はいささか歳を食い過ぎていた。話しを聞くでもなく、止めるでもなく、タバコの煙を拭きながら、皆目は牌を見つめている。打って響かぬ観衆にもやもやとし、Tの声は徐々小さくなった。そして、また皆押し黙ってガチャガチャと牌をかき混ぜ続けるのだ。
 麻雀は砂山の棒倒しのようだとTはよく思った。牌を並べ、崩し、機械的に捨て、また詰む。永遠に繰り返されるこの作業が苦にならないのは、麻雀にはいつか訪れるであろう棒の転倒という約束された未来に向かって実直に進んでいるのだという手触りがあるからだろう。
 実直に進むべき道さえ示されれば、あらゆる雀鬼は、きっと人型ならぬ人物になるはずだと、Tは考えるのだ。
 そして、悲劇なのは、現世において、天啓として道が示されることなど早々ないということだ。
 セブンスターの空箱を握りつぶしながらTは思った。げんが悪いと。なにやら肺も痛い。つけたばかりのタバコをもみ消し、墨汁の様なコーヒーを胃に流し込みTは席を立った。
 顔を上げるものはいなかった。
 快晴の午後2時。Tは首筋にたまる汗を忌々しく思った。Tが営む古物屋は、商店街の角にある。雀荘からは50メートルの距離だが、帰り着くころには肌着を絞れるくらいに汗をかくことだろう。すり減ったビーチサンダルの樹脂でできた鼻緒が足の指と擦れるので、足も遅かった。タバコ屋にも寄らねばならない。ズボンのポケットを弄ったTは、170円しか持ってないことに絶望した。
 Tが壺を抱えたKと向かい合ったのは、古物屋のレジから千円札を取り、再び汗みずくになって商店街をふらふらとタバコ屋を目指し元来た道を歩いていた時だった。
 そういうわけで、この時のTの機嫌はあまり良くはなかった。Tとの邂逅によってのちにKは絶望するわけだが、それはこの時のTの虫の居所の影響を否定できない。つまり、換言すれKの不幸は暑さのせいだったとも言える。
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