最弱職のイレギュラー

藤也チカ

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第1章 前触れのない異世界転移

第1章 最終話 二人の道、二人の決意

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 体の下に何か硬い感覚がある。それに、この温かい感覚……俺はベッドに寝かされているのか?
 重い瞼を開くと、見慣れない天井が目の前に現れた。天井から吊り下がっている電球の光に晒されて眩しさのあまり目を細める。
 そのままぼーっと天井を見つめた後で、俺はベッドから飛び起きて自分の傷を確認した。薄着にさせられているが傷はほとんど見当たらない。もしかしたら、ケリアルを塗られたのかもしれないけど……本当、万能すぎるだろ、あの薬。

「あ……セイジさん。目が覚めましたか」

 ベッドの傍の椅子に腰かけているモニカが心配そうな、申し訳なさそうな表情をしながら俺を見据えていた。部屋の扉の近くにはアルさんが凛々しい目つきでじっと立っている。

「ここは?」 
「私の父の屋敷です。勝手ながら私の部屋にお連れ致しました。クローディアと名乗る女性はいつの間にかいなくなっていましたが、セイジさんが相当な大怪我を負っておりましたので、治療のために……」
「そうなんですか。他の皆はどうなったんですか!?」
「生き残った者もいますが、行方不明の冒険者、衛兵の方が数十名。スライムの攻撃を受けて死亡した者が数名おります。セイジさん……行方不明の皆さんはやっぱり……」

 モニカは不安げに俺に問い掛け、途中で口籠ってしまった。
 ふとアルさんの方へ目を向けると、アルさんは気まずそうに顔を顰めて小さく頷き、俺から目を背けた。アルさんも恐らくは行方不明の皆がどうなったかは知っているんだろう。
 冒険者になる事を夢見て、やっとなれた憧れの冒険者の現実が、こんな残酷で悲惨なものだなんて……俺だって認めたくはない。異世界ってこんなにも残酷で過酷だとは思ってもいなかった。漫画やアニメのように上手くいくわけがない。

「私はこの街の領主の娘です。本来なら私が、命を賭して領民を守らなければならないのに、私はいつも、守られる立場にあります。嫌なんです……せっかく戦える力を与えられたのに守られる立場にあるのが。私も皆さんと同じ位置に立ちたい。皆さんの背中を見て無事を祈るばかりじゃない、ともに武器をとって戦いたい。私はそう感じています。でも、私は今回も結局は守られる立場にありました」

 肩を震わせながら嗚咽交じりの声を出すモニカ。顔は俯かせていたが、目からは涙がポロポロと零れている。悔し気に両手をギュッと握り、歯を食いしばらせていた。

「どうして私は……こんなにも臆病なんでしょうか? 守りたいと、戦いたいと思う反面……いいえ、それ以上に、心の底から掴みかかるような恐怖が沸き上がって来て……マガリイノシシの討伐の時も今回の一件の時も私は何も出来ないままでした。一丁前な事を口にしていながら無様に震えて……亡くなられた彼らの事をどう弔えば良いのでしょうか。こんな私にその資格があるのですか?」

 目に涙を浮かべながら啖呵を切ったように悲痛に叫ぶモニカ。
 今まで溜め込んできた後悔と悲しみが一気に解放されたんだろう。戦いたいと願いながらも臆病な自分と向き合えず、境遇に流されるままでいた事を。モニカが悪い訳じゃない、そういう境遇にしたアルさんやライム、モニカの父親だって責めてはいけない。仕方のない事なんだろう。それがどんどん積み重なって今のモニカがいるんだ。誰が悪い訳じゃない。
 けれど、今のモニカは答えを求めている。
 戦えるだけの力を、冒険者として、領主の娘としての誇りを持っていながら戦う事が出来ずに、雨露凌げる場所でじっと祈っていただけの自分に、犠牲者を弔う資格があるのかと、モニカは訴えている。
 だが、俺は何も答えられなかった。いいや、答える事なんて出来るはずもない。
 戦う事が出来たはずの俺は、あの場にいながら何も出来なかった。ただ、それらしい態度やそぶりを見せて……たまたま上手くいっただけだ。俺もあんなのを見せられて恐怖しない訳がない。
 全身の毛が逆立つような悪寒がした。怖くて怖くて仕方がなかった。もう戦うのを諦めてしまいそうなくらい。

「モニカ様……」

 扉の傍で見ていたアルさんも悲しげな表情をしている。
 すると、唐突に部屋の扉が開かれた。あるさんは瞬時に警戒して腰に差している武器に手を掛けるが、それが誰なのか確認すると武器から手を離した。

「まったく……昔っから考え過ぎなんだよ。モニカは。自意識過剰も良いとこだぜ?」

 相変わらずのライムは呆れた様子でモニカを貶した。
 けれど、悪気があるような言葉には聞こえない。長年つるんだ友人を貶すような言葉に感じた。

「貴様……モニカ様に対して無礼だと思わないのか!」
「ジジィは黙ってろよ。首を突っ込むんじゃねぇ」

 凄い剣幕のライムに睨まれるアルさん。
 立場的にはあるさんんが上のように感じるが、アルさんは只ならぬライムの剣幕に圧し負け不満そうな表情をしながらも押し黙った。

「自意識過剰って……そんな言い方あんまりじゃ……」
「悪いけどな、モニカがあの場にいようといまいと、結果は変わらなかった。いいや、モニカがあの場にいれば死んでたのはモニカかもしれないぜ。モニカはどんくさいし、短期だし、そのくせ臆病だからな」
「ぐっ……ううう!!」

 躊躇なく口走るライムの言葉にもモニカは涙を流しながら歯を食いしばる。
 俺も、聞いていて気分の良いものじゃなかった。

「モニカが、死んでいった奴らを弔いたいって言うんなら勝手にしろ。第一、資格があるのかないのかなんて考えているような奴は冒険者の器じゃねぇんだよ」 

 ライムはそのままモニカの方へと詰め寄る。
 アルさんは依然警戒を強めたまま、瞬時に抜けるように武器に手を掛けていた。同じ従者と言えど、モニカに危害を加えようものなら容赦しないと言わんばかりの気迫を感じる。

「いいか? 冒険者にそんな事を考えている暇はねぇ。死んでいった冒険者達はただ相手との力量が隔たっていただけの事だ。ただ、全く気にも留めねぇって訳じゃねぇぞ。私だって昨日一、緒に酒を酌み交わした仲間が食われる様を見せられたんだからな。正直言って、すぐに探し出して八つ裂きにしてやりてぇよ。だけどな、それじゃダメなんだよ」

 ライムは椅子に腰かけているモニカの前で跪き、モニカの手を取る。
 それはまるで王子様がお姫様に挨拶しているようなそんなシチュエーションに見えた。

「死んでいった奴らを助けられなかったのは、私達の力がそれに至っていなかったからだ。そのせいで仲間は死んだ。じゃあ、どうするべきか。決まっているだろ。仲間の死を受け止めた上で、今度は他の誰かを守れるように力を付ければいい。なに、モニカは冒険者になったばかりだ、その力には無限の可能性がある。種は植えられた、これからゆっくり育てていけばいい」
「でも……私は戦うのが怖いです。そんな私に何が出来るんでしょうか?」
「バカだな。ちっとは私やジジィを頼れよ。モニカ一人鍛える事くらい造作でもねぇさ」

 不安げに視線を落とすモニカにライムは得意げな笑みを浮かべてそう告げた。
 目を見開いてぼーっとライムを見つめていたモニカは途端にライムの体に抱き付き、顔を押し当て泣きじゃくる。ずっと気を張っていたのが切れたようにモニカは大声で泣いていた。

「ったく、大人ぶっててもやっぱガキだよな。ジジィもあんまり追い詰めてやんなよ? ただでさえ存在が怖ぇんだからよ」

 泣きじゃくるモニカの頭を撫でながらアルさんへ声を掛けるライム。
 アルさんは武器から手を引いて静かに目を閉じると、無言で頷いた。

「おい」
「な、何だ?」

 ライムはベッドに座る俺に目を向ける。
 いつにない真剣な表情で見つめられて俺は緊張してしまった。

「モニカをお前に任せると言ったが止めだ。モニカは私とジジィで鍛えてやる。モニカが恐怖を克服できるほど強くなったらその時は、一緒に冒険してやってくれ」
「あ……ああ」

 いつにない毒気の抜けたライムに言われて、俺は呆気に取られて返事をしてしまった。
 一頻り泣いたモニカはライムから離れ、目に溜まった涙を手で拭き取りながら笑っている。

「まったく……領主の娘である私に、説教だなんて。アルが止めなかったのが奇跡ですよ?」
「モニカは本当にバカだな」

 そう言ってライムはモニカの頭に手を置いて乱暴に振った。
 綺麗に整えられていた髪が途端に乱れ、モニカは驚いたように目をパチパチとさせている。
 ライムは白い歯を見せるような無邪気な笑みを浮かべた。

「同じ冒険者として、説教したんだよ」

 そう言い残してライムは部屋を出ていく、その背中が見えなくなるまで見送っていたモニカは心なしか心底嬉しそうな表情をしていた。

「モニカ様……申し訳、ありませんでした」

 立ち去ったライムを見計らった様にアルさんもモニカに詰め寄った。
 モニカはアルさんを少し警戒していたが、椅子に腰かけるモニカの前でアルさんは地面に両膝を付き、そのまま上体を倒した。地面に額をこすりつけ、アルさんは謝罪した。

「モニカ様を守るためと思い、今日こんにちまでやってきた私の行動が、モニカ様を追い詰めていたという事も知らずに……結果的に私はモニカ様を様々な事情から縛っておりました。私は出来損ないの従者でございます。モニカ様の身を案じていながらモニカ様のお心にまで目を向けていなかったのは私の失態であります。私はモニカ様の従者を務める資格がありませぬ」

 土下座するアルさんをじっと見据えていたモニカは椅子から立ち上がり、そのままアルさんへ詰め寄ると、目の前で膝を付いて座り、アルさんの頭に両手を添えた。

「アルの気持ちは分かっていました。私を守ってくれている事には凄く感謝しております。でも、私はどうしても冒険者になりたかったんです。まあ、結果は散々でしたけど」

 そう言ってアルさんに笑いかけるモニカ。アルさんは顔を上げて正座の体勢になる。

「アルヴァレム・ストラムベルド。私はやっぱりまだ弱いです。今のままではきっと後悔してしまいそうです。なので、私を鍛えてくれませんか? お願いします」

 モニカはアルさんの手を取り、真っ直ぐに見据えてそう言った。
 その目は真剣そのもので、覚悟の籠った目だった。
 守られるばかりではない。共に戦いたい。けれど、今の自分では恐怖が勝って戦えない。そんな自分を受け入れて、前を向こうとしている。
 アルさんはしばらくモニカを見つめたまま黙っていたが静かに目を閉じて一息吐くと、柔らかな表情を浮かべた。

「私は厳しいですよ?」
「望むところです。今までどのくらいアルの説教を食らって来たと思っているのですか?」
「ふふ……」

 自慢げに胸を張るモニカを見てアルさんは小さく肩を揺らして笑みを零した。

「セイジさん」
「ん? 何ですか?」

 ゆっくりとたちあがったモニカが俺の方へ目を向けて、少し申し訳なさそうな表情を見せる。
 でも、なんというか嬉しさで照れている様子が混じっていて頬をほんのりと赤く染めていた。

「ごめんなさい。しばらくはセイジさんと冒険できそうにないです」
「……分かりました。また、一緒に冒険できるその時まで、待っていますよ」

 モニカと一緒に冒険できないのは少し残念だけど、今の俺にはモニカと共に戦えるほどの力はない。
 下手をすれば、俺はモニカ以上に戦うことは出来ないだろう。俺もモニカには負けてられない。モニカが戻って来た時にモニカに守られる立場にならないように、俺も鍛えておかないといけないな。

「ありがとうございます! 絶対に強くなってセイジさんを驚かしてあげますからね!」

 自信満々に言うモニカはどこか頼もしく思えた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 俺は領主の屋敷を後にし、龍車に揺られながら街へと戻った。
 屋敷を出たときにはすでに外は真っ暗になっており、月明かりが道を照らしている。
 あれほどの戦闘があったのが嘘のように静まり返った街は寂しく感じた。

「おい」

 龍車から降りたところで俺はすぐに声を掛けられる。目を向けると、髪を下ろしたコルトがそこに立っていた。ずっと俺の帰りを待っていたのか、眠そうな目を俺に向けている。

「お……おう。コルト。心配かけてごめんな」
「全くだ。お前の帰りが遅いから、祝勝会も終わってしまったぞ」

 そう言って眉を寄せるコルト。そう言えばほんのりと頬か赤い気がするが……祝勝会で酒でも飲んだんだろうな。まあ、俺はその場にいなくて正解だったけど。
 コルトは手に握っていた大き目の麻袋を俺に差し出した。ガシャリと金属の擦り合うような音が聞こえる。

「緊急クエストの報酬だ。今回はお前が一番功績を上げているからな」

 そう言って強引に報酬の入った麻袋を押し付けるコルト。
 中身を確認してみると、全てが金貨だった。これ……かなりの金額が入っているんじゃないのか?

「なあ、コルト……俺はこれを受け取れるだけの事をしたのか?」

 俺はぎっしり詰まった金貨を眺めてコルトに問いかけた。
 正直言って俺はこんな大金を受け取れる器ではない。確かにクローディアを倒したかもしれないけど、あれはたまたまだった。あの声がしかなったら、俺は地面に這いつくばったまま死んでいたし、コルトもライムもその他の皆も助けられなかった。
 俺が俺の意思で何かをしたわけじゃない、偶然が重なった結果なんだ。

「何言ってる。お前は私や他の奴ら、それにこの街の住民も守った事になるんだぞ。あのままクローディアを野放しにしておけば数日のうちに街は壊滅させられていた。それをお前は阻止したんだ。正直、足りないくらいだぞ?」
「……そうか」

 薄い反応の俺を見てコルトは呆れたようにため息をついた。

「どうせお前の事だから、自分に責任感じてんだろ。守れなかったとか、怖くて戦えなかったとか……」
「な、何でわかるんだよ?」
「そういう奴らを見てきたからだ。別にお前が気に止む事はない。クヨクヨする時間があるなら強くなれ」
「……ぶっ、あはは」

 俺は思わず吹き出してしまう。
 そんな様子の俺を怪訝そうに見つめるコルト。

「何がおかしいんだよ」
「いいや、さっきも同じ事を聞いたからな。みんなそういうんだなって」
「何言ってんだ。当たり前じゃないか、たとえお前が死んだとしても私は気に止む事はないぞ」
「その割には、俺の帰りを待ってたじゃないか」
「バカか。それはお前が生きていたからだ」

 まったく動揺を見せずに返答するコルト。頬を赤らめるとか何とかあればいいんだろうけど、多分こいつは本気で俺が死んでも気に止みそうにないな。まあ、コルトらしいって言えばそうかな。

「でも、俺は、コルトが死ぬような事があったら……多分、絶対に立ち直れないと思う」
「……そうか」

 俺の言葉にやっぱりそっけない反応をするコルトだったがその表情がほんの僅かに柔らかな表情になったのを見逃さなかった。

「俺……強くなるよ。コルトやニルと同じ位置に立てるくらいに」
「……何だよそれ。一体何年かかることやら」
「見てろよ。コルトも追い抜いてやるからな」
「せいぜい頑張れ、3日間だけは期待してやる」
「遠回しに三日坊主って言うのやめてね?」

 金貨の入った麻袋を抱えて、俺はコルトと歩き出した。
 自分の弱さを認め、それでも前を向いて進む。険しい道のりになるだろうけど、モニカが頑張ろうとしているんだ。俺だって負けてられない。

「よっしゃ、参加できなかったし、俺達で祝勝会しようじゃないか!」
「ふん……まあ、たまにはいいだろう。どうせなら宿で酌み交わそうか」
「おー! いいね! なんか格好いい」

 適当な店に入り、報酬のお金で高いお酒を大量に買った俺達は宿へと戻る。
 その後はどうしてかむっくんもメンバーに加わり、一晩中飲みながら他愛もない談笑を続けた。
 こんなに理不尽で残酷で、嫌になるほど辛い異世界生活だけど。
 こうしてコルトやニル、モニカやライム……色々な人に出会えた事は何よりの救いだった。
 その恩を返すためにも、俺はこの異世界で縋り付いてでも生き抜いてみせる。

「絶対に負けないからなああああ!!」
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