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第十章

10-9.先導

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 その後、仁はリリーの両親を含むマークソン商会の従業員20数名を連れて自らの屋敷に向かった。今も尚、街中に溢れる魔物の数が増している中、街を縦断するよりは、街の中でも比較的安全だと思われる屋敷でかくまうことを選択したのだった。仁の提案を快く受け入れたリリーの両親はリリーやマルコらについて仁に尋ねたが、街の外で無事でいることを伝えると、冷たい雨に打たれながらも安堵の笑みを浮かべた。

 仁は周囲に目を光らせ、従業員たちにも魔物への警戒に当たってもらった。20人を超える人たちを守り切れるか不安はあったが、それだけ多くの目があれば魔物が近寄るまでに発見することができた。そうなれば、後は仁の遠隔魔法の独壇場だった。初めは不安そうにしていた従業員たちも、噂ではなく実際に常識外れの仁の強さを目の当たりにしたことで過度の緊張感から解放され、余裕を持って魔物への警戒に務めることができたのだった。

 その結果、道中で助けた数名も加えた集団は1人の脱落者も出すこともなく、屋敷まであと少しの場所まで到達した。

「皆さん。この角を曲がった先が屋敷です。もう少しですが、気を抜かないようにしてください」
「はい!」
「おお!」
「了解です!」
「み、皆さん、声を落としてください!」

 仁が皆を励まそうと声をかけると、口々に力強い返事が返ってきた。仁はそのあまりの声の大きさに、魔物を呼び寄せてしまうのではと肝を冷やす。一様にバッと口を手で覆うマークソン商会の人々に、仁は苦笑いを浮かべた。

「この先を確認してきますので、皆さんは周囲の警戒をお願いします」

 皆がコクコクと頭を縦に振るのを確認し、仁は曲がり角から顔を出す。普段であれば200メートル程先に屋敷の門が見えるはずだったが、仁の視界に飛び込んできたのは黒く蠢く集団だった。魔物たちは降りしきる雨も悪い足場も気にすることなく、屋敷の門に向かって殺到していた。その先に、殺人蟻キラーアントから逃げる人影と、それらを守って戦う数人の姿が見える。

「皆さん。これからこの先の通りの魔物を一掃します。少しの間だけ、後方の警戒をよろしくお願いします」

 仁の言葉から角を曲がった先がどうなっているのか察した人々は、不安げな表情の中にも決意をにじませた。リリーの父親をはじめ、商館から護身用の武器を持ち出していた人々が集団の後方に向かうのを見送り、仁は先行して曲がり角の先に躍り出た。

「はっ!」

 裂帛の気合と共に、仁は体の前でクロスさせた左右の黒雷刀をそれぞれ斜め上方へ斬り上げて黒雷斬を放った。間髪入れずに刀を返し、交差するように勢いよく斬り下ろす。4本のいかずちの斬撃が黒い魔物の集団を背後から切り裂き、緑の体液が舞い散る。仁は漆黒の翼を大きく広げ、黒雷の矢を雨あられのように浴びせながら進み、殺人蟻キラーアントたちを殲滅していく。

「仁くん!」
「ジンか!」

 前方から喜びと安堵に満ちた声が上がった。玲奈とアシュレイが目の前の魔物を切り伏せる。2人の横にはルーナリア配下のヴォルグの姿もあった。ヴォルグは仁と目が合うと、フッと不敵な笑みを見せながら鉄剣を横薙ぎし、数匹の殺人蟻キラーアントの命を刈り取って、飛び散る体液を剣の風圧で吹き飛ばす。それと同時にヴォルグの手元から鈍い音が響き、ヴォルグの持つ剣が根元から折れた。

「ヴォルグさん!」

 心配の声を上げる仁を余所に、ヴォルグは舌打ちをしてから剣の残骸を魔物目掛けて投擲し、硬い甲殻を砕く。仁はヴォルグ周辺の魔物目掛けて遠隔魔法で落雷ライトニングストライクを放ちながら、目を丸くした。

「流石ですね」
「貴殿ほどではないがな」

 ヴォルグは自身の周囲の魔物を殲滅していく落雷を目にし、複雑そうな表情を見せた。仁はヴォルグが自分に敗れたときのことを思い出しているのかと申し訳なく思ったが、わざわざ口には出さない。特に他意はなかったのだが、使う魔法の選択を間違えたような気がして密かに自省する。そうしている間に、玲奈とアシュレイも周囲の魔物の掃討を終えていた。

「と、ところでヴォルグさん。槍斧とかって使えたりしますか?」
「極めて特殊な武器でもなければ、一通りは扱えるが」
「そうですか。それはよかった」

 ヴォルグが怪訝そうに目を細める中、仁はアイテムリングから“魔吸の魔槍斧マジックアブソーバー”を取り出す。

「これを使ってください。俺たちには不要なものなので」
「ほう」

 仁は槍斧をヴォルグに手渡し、簡単に武器の特性を説明する。ヴォルグはその場で槍斧を振り回して口角を吊り上げた。

「これはなかなかいいものだな。ありがたく頂戴しよう。感謝する」

 仁が頭を小さく下げるヴォルグに満足そうな視線を送っていると、リリーの両親とマークソン商会の従業員たちが緑の沼を慎重に避けながら追い付いてきた。玲奈たちの背後を逃げていた人々も足を止めて振り返り、魔物たちの死骸の山を信じられないものでも見るような目で呆然と眺めていた。

「ジンくん。よかった。リリーのご両親は無事だったんだね」
「うん。なんとかね。それで、玲奈ちゃん。そっちの人たちは?」
「私たちがここに来るまでに助けた人たちだよ。私たちの屋敷の方が安全だと思って一緒に来てもらったんだけど……」

 探るような玲奈の視線に、仁は思わず笑みを浮かべる。玲奈が自分と同じように考えていたことが嬉しかった。

「問題ないよ。俺もそう思ったから商会の人たちを連れてきたわけだし」
「そっか。仁くんならそう言ってくれると思ってたよ」

 仁と玲奈が笑顔を向けあっていると、アシュレイが苦笑いを浮かべていた。

「ジン、レナ。見つめ合うのはこの者らを屋敷に案内してからにしてくれないか」
「あ、そうだね。ごめん」

 仁はリリーの両親を無事助けて玲奈たちと合流したことで知らず知らずのうちに緩んでしまっていた気を引き締め直す。まだメルニールを襲っている事態の収束には程遠かった。

 仁たちは屋敷の門を開け、人々を一旦庭へと誘導する。

「玲奈ちゃん、アシュレイ。俺はこれから大元を叩いてくるよ」
「私も……って言いたいところだけど、我が儘を言ってる場合じゃないよね。私は出来る限り街の人たちを助けるよ」
「うん。無理だけはしないでね。アシュレイ、玲奈ちゃんのサポートを頼むよ」
「ああ。任せろ」

 仁は玲奈とアシュレイを頼もしく思いながら、ヴォルグに向き直る。

「ヴォルグさん。屋敷とみんなを頼みます」
「ふっ。こちらは気にせず暴れてくるといい」
「はい」

 仁は出発前に屋敷を見遣る。門が無事だったことから明らかではあったが、屋敷には何の被害も出ていないようだった。仁が屋敷の中にいるであろうルーナリアたちの無事に胸を撫で下ろしていると、玄関のドアが僅かに開き、サラが顔を出した。仁が軽く頭を下げると、仁に気付いたサラも会釈を返す。

 仁はサラがいつも通りの無表情でいることに安心感を抱く。ルーナリアやシルフィ、ココの無事を確信し、仁は屋敷を後にした。いよいよ土砂降りの様相を呈してきたメルニールの街を、仁は中心部に向かって飛ぶように駆け抜けたのだった。
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