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第十一章

11-3.噂

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「何だそれは! ふざけてんのか!!」

 仁にまつわる噂話の内容を聞き終えたガロンが握り拳を木製のテーブルに叩きつける。ドンッと乾いた音が鳳雛亭の食堂に響き渡り、若い二人の冒険者がガロンの剣幕に怯えたようにビクッと肩をすくめた。リリーが唇を噛み、その他の面々も呆然としたり、目を見開いたり、憤ったりと、それぞれの反応を見せる。

 若者たちが言うには――

 曰く、仁は謝礼金目当てで金持ちばかりを選んで助け、多くの助けを求める人々を見捨てた。
 曰く、仁はその中でもリリーに恩を売るためにマークソン商会の救助を最優先し、そのために街への被害が増し、死傷者が増えた。
 曰く、仁は気紛れで助けた女性に、見返りとして体を要求した。
 曰く、仁は街に溢れた魔物の掃討を手伝わず、復興作業にも姿を見せない。
 曰く、帝国を襲ったドラゴンは仁の仕込みで、ドラゴン討伐は自作自演。



「あ、あくまでそういう噂があるっていうだけで、俺たちが言ってるわけじゃないですからね」

 剣呑な雰囲気に居たたまれなくなったのか、若手冒険者たちは仁たちに何度も頭を下げると、逃げるように二階への階段を上がっていった。

「まったく。そんなくだらねえこと言ってやがるのはどこのどいつだ」

 ガロンがグラスを傾け、残った酒を喉に流し込む。

「兄ちゃん。気にすることはねえぜ。そんな根も葉もない噂、すぐに消えるだろうよ」
「そうだといいのですが……」

 酒をあおるガロンに、ノクタやクランフスが同意するように頷いた。玲奈やミル、ロゼッタが視線を下に向けて考え込んでいる風の仁を心配そうに見つめる。

 仁としてはリリーの両親の救出を最優先にしたことに後悔はなく、その過程で後回しになったり助けられなかったりした人がいた自覚はあった。そのため、何かしら批判的なことを言われるかもしれないという想定はしていた。しかし、まさか女性への強姦疑惑やら今回の件とは関係ない帝都でのドラゴン襲撃に関する事柄まで出てくるとは思いもよらないことだった。

「ジンさんっ。ごめんなさいっ!」

 仁が黙り込んでいると、リリーが立ち上がり、仁に向かって勢いよく頭を下げた。

「わたしのせい――」
「リリーのせいじゃないよ」

 仁がバッと顔を上げ、リリーの言葉を遮る。ビクッと身を震わせて体を起こしたリリーは泣き出しそうな顔をしていた。

「リリー。前にも言ったけど、俺は俺の意思でリリーのご両親を助けに行ったんだ。それに、リリーの両親を最優先させたことは事実だけど、他の噂はそれとは関係ないしね。だからリリーのせいなんてことは絶対にないよ」
「でも――」
「まぁ待て待て」

 どちらも譲らないまま言い合う形になってしまった二人に、ガロンが割って入る。

「今の二人のやり取りから何があったかある程度想像はつくが、一応経緯を説明してもらっていいか? もしくだらない噂を信じてるようなやつに会ったときにはっきり否定してやりてえからな」
「わかりました」

 仁は頷き、メルニールに到着してからバランの依頼でガロンたちを迎えに行くまでの出来事を掻い摘んで話した。リリーやフェリシアたちの手前、管理者やマスタールーム、ダンジョン核、魔王妃などについては説明を省き、女帝殺人蟻エンプレスキラーアントを倒したことで解決したことにした。

 ガロン、ノクタ、クランフスの3人はここに来る前に女帝殺人蟻エンプレスキラーアントが原因ではあっても元凶ではないということを聞かされていたが、仁の意図を汲み、口を挟むようなことはしなかった。

「リリーのせいでもなけりゃ、兄ちゃんが悪いわけでもねえ。そもそも、知り合いを優先することの何が悪いってんだ。家族や恋人、友人より他人を先に助けるって言う奴なんて俺は信用できねえな。それこそ何か裏があるとしか思えねえ」
「ええ。そのために受けていた依頼を一方的に破棄するようなことでもあれば冒険者としての信用問題にはなりますが、そういうわけではないですしね。それに、ジンさんがリリーさんのご両親の救出を最優先させたのは事実だとしても、他の噂は何なんでしょうね」
「ああ。大体、兄ちゃんは金にも女にも困ってねえだろうし、今更リリーに恩を売る必要なんてないことは兄ちゃんを知ってるやつならわかり切った話だろうに。それによ、復興作業に姿を見せないって、俺たちを迎えに来てたからだろ? まぁドラゴンに関してはその子を見たやつの妄想だろうが……」

 ガロンとノクタがミルの腕の中のイムを一瞥いちべつする。二人の視線に気付いたミルが顔を伏せた。

「ミルもイムも悪くないよ」

 仁は殊更優しい声で言いつつ、ミルの頭をそっと撫でる。イムが街の人に受け入れられるきっかけになった門前の戦いやその後の殺人蟻キラーアント捜索での活躍の話はこれまでにミルやロゼッタから聞いていた。

 仁としてはイムの存在はあまり表に出さない方がいいと思っていたが、イムの行動を責めるつもりは一切なかった。イムにミル以外の街の人を助ける気があったかどうかはわからないが、結果として街の人に隠し立てをする必要がなくなったことはむしろ喜ばしいことだと思っていた。

「あ、ああ、すまん。別にミルの嬢ちゃんやイムを責めようってわけじゃねえんだ」
「大丈夫。わかってるの。だから、イムちゃんもそんなに睨んじゃダメなの」
「グルッ」

 ガロンとノクタはホッとしたように大きく息を吐く。ミルが二人のせいで表情を暗くしたと考えたイムが睨みつけていたのだった。

 ガロンたちは帝都でドラゴンの脅威を目の当たりにしていたため、子供とはいえドラゴンであるイムに対する恐怖心が全くないというわけではなかったが、それでもミルに懐いている様子や、危険な存在を野放しにするはずがないという仁たちへの信頼からイムを危険視することはしなかった。そうは言っても、睨みつけられれば怖いと思ってしまうのは仕方がないことであり、そのことは仁たちも十分に理解していた。

「そ、それでだ。兄ちゃんに関する根も葉もない噂だが……」

 軽く咳払いをしたガロンが気を取り直したように皆を見回す。

それがしが思うに、何者かが意図的に噂を流布しておるのでは?」

 それまで腕を組んで眉間に皺を寄せていたクランフスが口を開いた。皆の視線がクランフスに集まる。

「やっぱそう思うか? 兄ちゃんに悪意を持ってそんな噂を流すやつが街の連中の中にいるとは思いたくねえが……」
「今回の件で家族や仲間を亡くした人の逆恨みでしょうか?」
「力あるものは弱いものを救って当然。だから身内が傷ついたのは、そうしなかった英雄殿のせいなどと思い込んでいる輩の仕業やもしれませぬな」
「兄ちゃん。ねえとは思うが、誰か兄ちゃんを恨んでるようなやつに心当たりはねえか?」

 ガロンたちの話している声が仁の頭を通過して耳から耳へと抜けていく。仁の脳裏に、一人の女性の姿が浮かんでいた。その憎悪に染まった瞳は簡単に忘れられるものではなかった。

「まさか……」
「仁くん?」

 思わずこぼれた仁の呟きに、隣に座った玲奈が気遣わしげに仁の顔を覗き込み、皆が仁に視線を向ける。その一時の静寂の中、閉じられていた鳳雛亭のドアをノックする音がやけに大きく響いたのだった。
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