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第十一章

11-24.昔

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 仁たちはもうしばらく穏やかな時間を過ごしていたかったが、そうも言っていられない事情があった。仁は表情を引き締め、アシュレイに問いかける。魔力回復薬マジックポーションを飲み干して少しだけ顔色の良くなった玲奈が固唾を呑んで見守る。

「それで、何が起こったんだ?」
「……罠だ」
「罠?」

 仁がオウム返しにすると、アシュレイは険しい表情で大きく頷いた。

「ああ。おそらく、先だってアーティファクトを使用した何者かによって仕掛けられた罠だ。転移をしようと魔力を流すと、それに反応してあの魔物を召喚するように細工されていたのだろう」
「そ、そんなことができるの……?」

 玲奈が目を見開く。アーティファクトは魔道具では再現できていない強力な効果を持つものが多く、この石灯籠いしどうろう型転移用アーティファクトも例外ではない。仁は視線を地面に落とし、眉間に皺を寄せている。アシュレイはチラッと仁に目を向けてから、玲奈に向き直った。

「可能か不可能かと問われれば、私には、いや、エルフ族には無理だとしか答えようがない」

 沈黙のとばりが降りる。目の前のアーティファクトはエルフ族にしか扱えないと言われている。そのエルフ族に無理だと言うのなら、一体誰ならできるというのか。仁たち3人の輪から僅かに離れて話を聞いていたミルとロゼッタも口を閉ざしたまま、不安げな視線を彷徨さまよわせていた。

「ジン。何か心当たりでもあるのか?」

 アシュレイが何か考え込んでいる風な仁を見遣る。仁はゆっくりと顔を上げると、皆を見回してからアシュレイを正面に見据えた。

「アシュレイは付与魔法について、どの程度知っている?」
「付与魔法か……。あいにく専門外でな。私が知っているのは極々一般的なことくらいだが……」

 アシュレイはそう断りを入れ、玲奈やミル、ロゼッタたちにもわかるよう、知っていることを簡潔に話し始めた。



 例えば、照明の魔道具に魔力を流せば光源ライトの魔法が発動する。その魔力を流す人が光魔法を使えなくても問題なく機能する。そのように、道具に特定の魔法を“付与する”のが付与魔法だ。

 しかし、その原理はほとんど解明されていない。今でも魔道具を作り出そうという試みは一部でされているようだが、現在、実用品と言える魔道具の大半が遺跡やダンジョンで見つかったものだった。そのため、アーティファクトが超古代文明の遺産であることにならい、魔道具は古代文明の遺産だと言われることもある。

 ダンジョン、正確にはダンジョン核がアーティファクトだと知っているアシュレイは、ダンジョンで魔道具が見つかることからその説は正しくないように思っているが、世間一般ではそう認識されていることが多い。

 超古代文明から古代文明、古代文明から現代へと時を経るごとに技術が衰退している理由はわかっていないが、何かしらの原因で技術の継承が途切れたのだろうと推察されている。

 要するに、付与魔法が存在することはわかっていても、それ以外のことはほとんどわかっていない。アシュレイはそう話をまとめた。



「それで、その付与魔法がどうかしたのか? まさか……!」

 アシュレイがハッと息を呑んだ。皆の視線がアシュレイの視線を追って仁に集まると、仁は大きく頷いた。

「おそらく、何者かが付与魔法を使って、このアーティファクトの効果を書き換えたんだと思う」

 仁が真剣な口調で「もしくは別の効果を付け加えたか」と続けると、皆が目を見開く。

「あり得ない――とは言い切れないが、そのような真似ができる人間がこの世にいるとは思えない」

 アシュレイの驚愕は、この世界の住人ではない玲奈や、魔法についてあまり詳しくないミルやロゼッタより大きく上回っていた。

 石灯籠型アーティファクトがアーティファクトである以上、その作製に付与魔法か、それに類する何かが用いられていることは想像にかたくないため、仮に仁の言うように付与魔法の扱いに長けた者が存在するのであれば先ほどの現象に説明は付く。しかし、アシュレイは頭では納得できても心では納得できないというような心境だった。

 とは言え、アシュレイは自分で言っていたように、アーティファクトに細工することができるような者がいるとすれば、その者が付与魔法を使えても大して不思議ではないように思えてくる。

「ジン。何か根拠があるのか?」
「根拠と言えるかわからないけど――」

 仁は以前読んだ本の内容を記憶の淵からすくい上げる。以前コーデリアの研究室で読んだ黒い装丁の本には、付与魔法についても簡単ながら記されていたのだ。

 記憶を失くしていた当時、仁は隷属魔法を使われているのではという衝撃でそれ以外についての内容はあまり覚えていなかったが、仁の記憶が正しければ、魔法を付与した道具を作るためにはいろいろ細かな制約や条件、特異な仕組みが必要だが、付与魔法に長けた人物ならばアーティファクトや魔道具の効果をいじることは不可能でないように思えた。

 そして、無属性魔法大全と題されたその本は、今はメルニールの屋敷の地下室に置かれていて手元にないため、しっかりとした内容は定かではないが、本が書かれた時代には付与魔法が体系化されて存在したことは確かと言えた。

 無属性魔法大全は現代では解読不可能と言われている超古代文字で記されている。ということは、その本が作られたのは、少なくとも今より遥か昔だと言うことになる。そう。今より昔。

「俺は、この世――即ちこの時代に、今、一人だけ、いないはずの人がいるのを知っている」

 もちろんそれは仁自身や玲奈のことではない。この世界に召喚されてやってきた仁と玲奈は、この時代に召喚された者であるため、この時代の人と言える。

 静まり返る森の広場で、誰かがゴクリと喉を鳴らした。

魔王妃まおうひ……」

 玲奈が誰に言うでもなく小さく呟く。深い森の中にぽっかりと開いた広場を囲う古い木々たちが、ざわざわと風に揺れていた。
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