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第六章

6-16.生い立ち

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 その後、仁とセシルはサンデの案内で魔の森内におけるシャハ村の村人たちの生活圏内を回り、魔物の討伐を続けた。その結果、どうやらもう少し森の深くに生息している魔物たちが村側にやってきていることがわかった。これまでほとんど遭遇することのなかった強力な魔物たちに、サンデは大いに恐怖を感じていたが、仁が危なげなく屠っていく様子に目を丸くしていた。セシルも光の魔法で魔物討伐に貢献し、3人がシャハ村に戻る頃には、奴隷ということに僅かながら引っ掛かりを覚えていたサンデも、2人に心からの敬意を払うようになっていた。

 仁たちは村長の家に戻ると、魔物討伐の結果を伝え、今後の注意を促した。村の財政的にも森に入らないという選択肢を採ることは難しいが、村長は魔物への警戒を強めることを決めた。

 仁たちが村を発つ際には村人たちが総出で見送りにやってきて、口々に仁とセシルに感謝の言葉を送り続けた。仁とセシルは笑顔の村人たちに手を振ると、村を後にし、帝都への帰途についた。

「セシル、嬉しそうだね」

 仁は馬車前方の小窓から顔を出し、セシルに声をかける。セシルの背中は嬉しそうに左右に揺れていた。

「は、はい……」

 セシルはビクッと背筋を震わせ、小声で答える。

「わ、私、今まで他人から感謝されたり、好意的な目で見られたりすることがなかったんです」



 帝国辺境の貧しい村で生まれたセシルは、生まれながらに光魔法と稀有な無詠唱魔法の技能を持っていた。無詠唱魔法というのは魔力操作の練度とは関係なく、詠唱を必要としないで魔法を発動できるという特殊技能だ。そのため、物心ついた頃に両親を病気で亡くして親戚の家で育ったセシルは幼い頃から村に危害を加える魔物との戦いに駆り出され、村が交易などを行う際には護衛兼御者として働いた。本来であれば帝国軍や傭兵を頼る案件ではあるが、帝国軍は小さな村に派兵することなく、貧しい村には傭兵を雇う金もないため、セシルはこき使われていたのだった。

 村人からいくら感謝されても足りない程に村に尽くしていたセシルだったが、実際に感謝されることはなく、力を持つ人間はその力を周りのために使って当然だと言い聞かされ、特別扱いされることはなかった。そればかりか、親戚は貧しい生活の中で実子を優先し、セシルはお情け程度の食事しか与えられることはなく、また、村人たちも幼いながらに強力な魔法の力を持つセシルを気味悪がり、化け物の子と蔑んだ。そして、村が領主への税を支払えなくなると、遂にはセシルを奴隷商人へ売り飛ばしたのだった。



「だから、村の人たちが笑顔で声をかけてくれたことが嬉しくて……」

 そういって優しく微笑むセシルの背中を、仁は愛おしそうに見つめた。セシルもそれ以上何か言うことはなく、馬車の走る音だけが2人の間を満たした。

「そ、そういえば、隊長はすごく強いですね」

 自分の生い立ちを語ったことに今更ながら恥ずかしさを覚えたセシルが上擦った声を上げた。

「私ひとりでは、とてもじゃないですが銀狼シルバーウルフ殺人狼キラーウルフの群れを相手取ることなんてできません」
「ああ、あれね」

 仁は苦笑いを浮かべて右手で兜を外した剥き出しの頭を掻く。

「なんていうか、武器が体に馴染むって言うのかな。自分で思っていた以上に自然と体が動いてね」
「隊長は武器術系の技能を持っているのかもしれませんね」
「そうなのかな。それを自分で知ることはできないのかな?」

 仁が尋ねると、セシルがビクッと体を揺らした。

「どうかした?」
「い、いえ……。あ、あの、それ用の魔道具を用いればわかると思いますよ」

 セシルの震えるような声に、仁は首を傾げた。夕暮れの赤い日の光が、長い影を作っていた。



 朝早く帝都を発ち、帝都周辺の村々を回っては魔物を討伐し、日が落ちた後に帝都へ帰還する。仁とセシルのそんな生活が数日続いた。魔物が奥地から街道側に生息域を移している理由は依然として不明ではあったが、仁たちが魔物討伐に赴いた地域では一時的にしろ平穏が戻り、帝都には村々から感謝状が送られてきていた。それに伴い、皇帝から遊撃騎士隊への予算が下り、コーデリアは隊員増員の検討をはじめ、仁たちの対応も僅かながらに改善されることとなった。未だ檻暮らしは変わらないものの、毛布が支給され、食事の量と質が向上したのだった。



「なんだか最近、体がとても軽く感じるんです」

 この日も朝から馬車に揺られていると、御者席に座るセシルが喜色の籠った言葉を口にした。仁は小窓からチラッとこちらを向くセシルの横顔を眺めた。

「やっぱり、ご主人様から毛布を貰ったのがよかったのかな?」

 仁がおどけた調子で言うと、セシルはクスッと笑みを零した。仁は最近よく目にするようになったセシルの笑顔が好きだった。仁が笑顔で見つめると、セシルは恥ずかしそうに顔を前に向けた。

「それに、以前より格段に魔法も強くなってて。自分でも不思議なんですけど」
「きっと、セシルが頑張ってるからだよ」
「た、隊長がサポートしてくれているからです。私だけでは格上の魔物は倒せませんから……」
「セシルの役に立ててるなら、俺も嬉しいよ」

 仁の見つめる先で、セシルは顔を赤く染めて、視線を僅かに下げた。



 2人の間に穏やかな空気が流れる中、馬車は街道を進んでいく。今日は帝都の西ではなく、東に向かっていた。東に向かうのは初めてで、仁は似ているようでいつもと違う景色を新鮮な気持ちで眺めていた。

「た、隊長!」

 日が頂点に近付いた頃、仁が現実と夢の狭間で揺れていると、セシルの悲鳴に似た声が仁の頭に覚醒を促す。仁は頭を軽く振ってセシルの焦る背中に目を向ける。

「セシル、何があった」
「ま、前を見てください! 村が!」

 仁が目を細めて小窓から馬車の前方を注視する。街道沿いに存在する目的地の村から、火の手が上がっていた。辺りに砂埃が立ち込め、村を囲う木製の柵が押し倒されている。遠くから魔物のものと思しき遠吠えが聞こえた。

「セシル、急いで!」
「は、はい!」

 仁は急いで兜を被って武器を腰に付けると、胸中の不安を押しつぶすように胸の前で拳を強く握りながら、険しい表情で前方を見据えた。
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